第4話『シュウ・ヴォクン・オミ』(5/6)
振り上げた右手の先で鉤棍が半回転する。 拳の先から伸びた鉄柱が間合いを拡張する、攻めの形だ。
ウルザは素早く木の棒を両手で横に構えた。 焦りはしても、やはり歴戦の勇士。 身体の動きは反射的に最適な行動を取るのだろう。
だが、本能が導き出した行動は肌に染み付いた常識に必ず縛られる。
常識の差がシュウを勇者へと近づけ、無敵のウルザを凡百の戦士に貶める!
固く握り締めた拳を、強引に叩き込む。
鉄柱の先端へ向かって、拳伝いに腕と肩、肩と背骨を結ぶ力が登っている。
全身に漲る筋力の源は、この二本の脚!
「デエリャアアァァァァッ!!」
拳の打ち下ろしが、棒を構えたウルザに向かい落ちる。 そして!
「ぐあぁぁぁぁぁぁっ!?」
苦悶の叫びを上げたのは、ウルザ! その額から、鮮やかな血液が噴き出している! シュウの振り下ろした鉤棍がウルザの構えた棒をへし折り、その真下にあった頭部をしたたかに殴りつけたのだ!
数多くの敵を葬り、力任せの戦いに耐えてきた堅木の棒。 それが折れることなど、ウルザの本能はあり得ないと判断した。 鉄と木の戦力差を考慮に入れてもその判断は決して間違ってはいない。
なぜならこの戦いは馬上で行われるものであり、ウルザの常識では馬上の振り下ろしに得物を壊すことで勝敗を決する力はないからである。
その常識を打ち破ったのは、“うまのぼり”だ。
未熟者が馬に乗る為の踏み台に過ぎないと思われていたようだが、踏み台であるということこそ、その最大の強みだった。
馬の両側に補助具を取り付ければ、そこに足先を置いて踏ん張れる。
踏ん張れるということは、馬上を地上に変えることを可能にする。
馬上ではあり得ない渾身の一撃を容易く振り回すことが出来る。 馬から突き落とされかねない大打撃にも、踵で耐えることが出来る。
ウルザが今のシュウと同じ芸当をやるには、股を強く締めてヘソの下から力を使うしかない。 だが、いかなる馬でも取り乱すそのような行為は風の民にとって自殺行為にも等しい。
馬上にして自らの立つ地を生み出し、最大の力を発揮する為の馬具。
それこそが活路を開く常識破り―― “足踏み”という魔法だ!
ウルザの右腕が動く。 ささくれた棒の先を突き出した、目潰しの為の攻撃。 勝つ為にはもう幾つかの博打に勝たなければならないが、これは読み通り! 左手を振り上げる。 攻撃態勢の鉄柱が、ウルザの突きを迎撃する!
「ハッ!」
手首に鉄柱が食い込み、ウルザの固く握られた手が反射的に開く。 シュウの鼻先すれすれに迫った棒が、地べたに落ちる。
肩の先まで痺れるほどの痛みを与えたはずだが、ウルザは既に左腕を使っている。 躊躇なく投げつけられた棒の残骸は、間合いを取るための時間稼ぎ。
振り出しには戻させない。
「ダアァァァァッ!!」
気を吐き、両の掌に力を込める。 滑り出しの始動だけに最大の力を込め、握らない。 高速回転によって生じた二枚の盾が飛来する棒を引き裂き、無力化する!
「くっ!」
「逃がしはしねぇっ!!」
舞い散る木くずを突っ切り、ギーメルが首を翻す前に更なる至近距離へと肉迫する。 零距離での打ち合いは、この鉤棍が最大の威力を発揮する間合いだ!
「どおりゃああぁぁぁぁぁぁーっ!!」
打撃。 両腕を振り回し、互い違いに打つ。 一発。 二発。 三発。 もっと。 数え切れない程の打撃を、ウルザの両側面にめり込ませる!
観衆のどよめきがシュウの耳に届き始めた。 シュウの名を呼ぶ声に驚喜が宿り、ウルザを呼ぶ声は愕然とした色に染まっている。
行け。 勝てる。 頑張れ。 見知った兵たちだけでなく、村人たちの声もそこに混ざっている。
気楽な連中だ。 こっちは浮かれている場合じゃないっていうのによ。
心中で毒づきながら、シュウはひたすら打ち込みを続ける。
少しも気を抜くわけにはいかない。 脇腹の痛みにこらえなければ、振り回す腕はすぐにも止まってしまう。 連打の勢いを緩めれば、ウルザは必ず立て直しを計る。 その眼はまだ活きていて、シュウの隙を伺っている。
ウルザの筋肉は屈強にして柔軟だ。 シュウの乱打を受けてなお、そのダメージは骨にまで到達していない。 疲れ果てる前に渾身の打撃をもう一度叩き込まなければ、形勢は元に戻される。
故にここが最後の勝負。 決定打を、巧妙に叩き込む。 左腕を素早く打ち込み、反対側の右腕に力を溜める。 身体を返す動きで足を踏み切れば、最小の隙で最大の一撃へと到達する。
「セェアアァァァァァーッ!!」
気声と共に、放つ! 標的はウルザの顎。 一直線に拳が上昇する!
――バオンッ!!
肉を打つ手応え。 しかし。
「くくっ…… ふふふふっ……!」
ウルザが笑う。 顔面の前に、右手がある。
渾身の鉤棍を、受け止められた。 ウルザの手のひらは肉が弾け、血を滴らせているが、シュウにとって何ら有益な成果ではない。
血まみれの手が、鉤棍を強く捕らえて離さないのだ。
「ずるいなぁ、シュウ・ヴォクン・オミ……!
ここまで面白いなら、黙っておくなよ」
いたずら者を咎めるような、場に不似合いな声。
鉤棍の鉄柱に、ウルザの指がめり込む。 丈夫な鉄が餅か何かに変わってしまったように、ウルザの握力で歪み始める。
額から血を流し続けている紅い顔面の中で、金色の眼だけが異様な光を放った。
今までのウルザとは違うが、ギーメルの眼光とも感情を異にする眼差し。
血で酩酊したかのような色気は、盛りのついた肉食獣の眼と同じだ。
「ヒッ……!?」
感情に囚われた。 こいつは化け物だ、という至極単純な恐怖心。
ウルザから逃れたい一心が、シュウにミスを許した。
鉤棍を固く握りしめていなければならなかった右手が、開いてしまう。
ウルザが上唇を舐めて笑った。 血塗れの右手に、鉤棍の握りの部分が吸い込まれていく。 ぶじゅ、と血液の泡立つ音を立てて、ウルザは鉤棍を握り込む。
「バウランには礼を言うべきだ」
ウルザの腕が上がる。 防げ。 逃げろ。 己の中から沸いた声と、観衆のあげた声が同時に響く。 分かっている。 分かっているが、身体の動きが追いつかない。
「貴様ほどの戦士と、戦わせてくれたのだからッ!」
風と共に降りるもの。 鉄兜に鉤棍が触れる。
脚を踏み切らず、へその下も使わぬ、膂力だけを使った振り下ろし。
馬鹿力の稲妻が、シュウを貫いた。
「クアッッ――……!?」
鉄兜が砕けて飛ぶ。 音が消える。 脳が揺れる。 上体が仰け反る。 脚の力が抜ける。 尾の付け根が馬の背に触れて折れ曲がり、逆方向からの痛みが背骨を走る。 上と下からの感覚が髄で激突し、爆裂する。
「~~~~ッッッッ!?!?」
声にならない悲鳴を上げ、意志とは無関係に眼球が上方へ裏返る。 ゆっくりと流れる光景の、最後の視界の端でウルザがもう一度構えているのが見えた。 止める術はない。
死。 策を弄したが、物が違いすぎる。
ただ一撃で、全て終わった。 これで、眠る。
◆
――声が聞こえる。 女の声。 ははうえの声だ。
なにを言っているのかよく聞き取れないが、なつかしいことだけがわかる。
おれを呼んでいるような、気がする。
きっと、上を向いているから、上にいるひとの声が聞こえるのだ。 おれもこの後、上にいけるのだろうか。 もしも上で会えたら、ははうえになんて言えばいいんだろうか。
ははうえはおれをほめてくれるのかな。 それとも、しかるのかな。 おこってたら、あやまらないといけない。
ははうえの仕返しを、なにもできなかった。 いつもははうえが繰り返していた言葉が、今もあたまのなかにこびりついてる。
――壊せ、シュウ。 何もかも、お前の力で――
ははうえはいつもおれにそう言いつけていた。
今の世界は腐っているから誰かが壊さなくてはいけない。 オミ家を滅ぼすことが出来るのは、オミ家の血が流れるお前だけ。 彼奴らへの怨みを決して忘れてはならない。 だけど憎しみを悟られてもいけない。 巧妙に自分の心にふたをして、復讐の時が来るのを待ち続けなさい。
ははうえはその話をするとき、ひどくこわいかおをするのだが、その後は決まってえがおになる。
――だからきちんと食べなさい。 お前は大きくて立派な男にならないとね――
そう言って自分の分のめしを分けてくれるのが、いつものははうえだった。
あまり食べなかったははうえはほそくなったが、おれの背丈はずいぶんのびた。
――まだ声が聞こえる。 こんどの声は、男だ。
大きな声じゃないが、大きな男の声だ。
ハコン? そうだろ。 お前、ハコンだろ。
いまいいところなんだから、あんまりじゃまをするな。
なんだって?
なんて言ってるんだか分からないが、おこってるみたいだ。
来てほしくないのか。 下に行けと言いたいのか?
そりゃあんまりだ。 おれだってけっこう、がんばったんだぞ。
下から声が聞こえる。 色んな声だ。 聞き慣れてるような、気がする。
グレンの声に似てる。 お前はもっとつよくなる。
お前のパンチが音よりはやくなるところを、見てみたかったとおもう。
ティラードの声がする。 お前のずる賢いところ、俺は割と好きだった。
だけど、もうひとつ良いところがある。
それを教えてやりたいな。 たぶん、お前も知らないから。
今度はサフィラだ。 お前の才能を生かせる場所を作るのが、おれの役目だった。 時が間に合わなかったのが、悔しい。
悔しい。
賊だった連中がいる。 お前たち、今は別々の場所に行っちまったが満足か?
多分、そろそろイヤになってきた奴らもいるんじゃないか。 フェンは薬師の下で楽しそうだったが、鉄を掘ったり道路を敷いたり、地味だし大変だ。 ちゃんと機嫌とってやらねぇと、だめだ。
やり残した。
カイナ。 お前の鉄は最高だ。 ただちょっとだけ、俺の力が足りなかった。
この程度のことしか出来ないんじゃ、魔法だなんてとても言えない。
俺たちの魔法は、もっともっとすごくなるはずだ。
まだ何も極めちゃいない。
クリク。 何も言うな。 お前はただ驚いてろ。
俺ん中には、まだ見せていないネタがいくらでもあるぜ。
お前の驚いた顔を、もっと見てみたい。
お前に会いたい。
お前たちに、会いたい。
俺は、まだ、次が、ほしい。
戦場も、日常も、どこまでも変えられる。
下の世界には試していないことと見届けていないことが、山ほどある。
◆
「起きんかぁぁーいっ!!」
言われるまでもねぇ!
カイナの絶叫が鼓膜を突き刺し、視界が開けた。 観衆に向かい、ブーカインが前進している。 殺されてはいない。 意識が途切れていただけだ。
ウルザの攻撃に怯えたか、あるいは主が意識を喪失したことで危機を感じたか。 理由は定かではないが、ろくに動きたがらなかったブーカインが走り出した。 奇跡的なタイミングでの加速によってウルザの二撃目が空を切り、シュウは一命を取り留めたに違いない。
取り留めたと言っても、かりそめのもの。 わずかな時間を稼いだだけだ。 両手は今も小刻みに痙攣していて、左の鉤棍などとっくに取り落としている。
完全な丸腰のシュウに対し、ウルザは奪った鉤棍を握り締めて背後より猛追する。
両者満身創痍だが、気勢には歴然の差。
手綱を引いて、観衆の中にブーカインが突っ込む寸前で翻す。
ウルザの姿は想像より遠いが、想像通りに速い。 いくらの猶予もない。
「さあ、次は何をする!? 私に何をしてくれるのだ!?
シュウ・ヴォクン・オミ! お前の技を見せてみろッ!!」
ねぇよ、そんなもん。 とっくに空っぽだ。 元々、お前相手に勝てる俺じゃない。 何もかも出し尽くして、お前に弾き返されたんだ。 もう勘弁してくれ。 俺を楽にさせてくれ。
「シュウ様!」「頼む!」「勝ってくれ!」「負けないで!」「シュウーッ!」
馬鹿だろ、お前ら。 この状況見て、まだ俺がこいつに勝てるとか思ってんのか。 ほんの少し良いところを見せたくらいで、俺がやる時はやる男だとか思い込んじまってるのか。 おめでてぇ連中だ。
「……ま、か、せ、な」
何言っちまってんだ、俺。 ろくに喋れてもいねぇじゃねえか。
最期の最後まで、こけおどしで行く気かよ。 我ながら呆れちまう。
俺って、すげぇ馬鹿なのかもしんない。
「行くぞォ、シュウッ!!」
「ウ、ル、ザァァァァッ……!」
馬鹿でいい。 最後までやってやる。 空っぽの頭の中に、まだ転がってるものがある。 作戦なんて大それたものじゃないが、今の俺に出来ることだ。
ウルザを乗せたギーメルが迫る。 ブーカインもひとりでに駆けている。
距離が縮まる。 血の滴る手でウルザが鉤棍を構える。 口を開けて笑っている。 口の中に飲み込まれそうに深い闇が広がっている。 食われて、たまるか。
疾走する馬と馬。 すれ違う。 ウルザの右腕が風になる。 シュウの胴体を確実に消し飛ばす横薙ぎ。 血の匂いが駆け抜ける。
風は、頭の上をかすめた。
自分でも知らない内に、姿勢を落としている。
体力が尽きて上体が落ちた。 単なる偶然だ。
しかし、生きた。 だったらここが、最後の勝負。
「オ゛オォォォォーッ!!」
身を乗り出し、ウルザの腹に手を回す。 指先に力は入らないが、腕と腕で輪を作りウルザを抱えこむ。 軽量なウルザの身体が、ギーメルから置いて行かれて宙に浮く。
「むぅっ!?」
「と、ら、え、た、ぞ……!」
このまま地面へ落とす。 左側へ傾けた身体を、右足の踏み込みで反対側へ返す。 馬相撲は試合だ。 殺さなくても、先に叩き落とせば勝てる。
脳が揺れた。 ウルザの肘が脳天を叩いている。 何度も、何度も、衝撃が降りてくる。 繋ぎ止めた意識が、鼻血と一緒に身体の外へ出て行く。
眠らない。 死なない。 落ちるわけにはいかない。
「壊せ、シュウ……!」
器の底に染み付く言葉が、喉を通り抜けてきた。 母の怨念に始まり、シュウの計画の源となった言葉。 ウルザに敗れて潰えたと思っていたが、追い続けたいと願ってやまない野望。
――夢と呼ぶべきもの。
「全てを破壊し…… 俺が最初の王になるッ!!」
落ちるのはお前だ、ウルザ。 俺の夢が、お前を倒す。
風を突き抜けた。 目の前が光で埋まる。
身体が軽い。 痛みを感じなくなった。
また、眠ってしまう。 目覚める保証はないが、きっと大丈夫だ。
勝って死ぬなんて、冗談じゃねえからな。
土を抉る音を耳にして、シュウの意識は途切れていった。
◆
風合わせの審議者たちは、崩れ落ちた。 共倒れ同然の墜落である。
「……それまで!」
内心に沸き立つものを抑えながらバウランは決着を告げた。
最後の攻防において、シュウは左の“うまのぼり”から足を離し、全身でウルザを投げに行った。 浮き上がったウルザは抵抗を続け、地に触れる寸前で拘束をふりほどいた。 ぎりぎりのところで、シュウの意識が途絶えたのだ。 ウルザは抵抗力を失ったシュウの肩に手をついて、跳ね飛んで離脱した。
結果、シュウの頭部が先に地べたへ沈んだ。
ウルザは空で宙返りして愛馬の背を目指したが、距離が足りなかった。
駆けてきたギーメルの目前でウルザが着地し、人馬はうなだれた。
柔の技での落とし合いとは馬相撲らしからぬ成り行きになったが、決着は決着だ。
「医者を呼べいっ!」
ウルザが叫ぶと、ひとりの土の民が飛び出してきた。 確か、長老と呼ばれている権力者たちの一員だったか。 バウランより年下に見えるが、体格の割に鍛え込みは甘い。
「う、う、ウルザ様、何とぞお慈悲を……」
長老がウルザの眼前にひざまずいて哀願し始めた。
なんということを。 命乞いなど、している場合か。
バウランは制止すべく身を乗り出しかけたが、もう遅い。
「貴様は」
ウルザが長老の頭を掴んだ。
怒りに沸き立った声で、次に起こる出来事が目に浮かぶ。
「私とシュウを、愚弄するのか?」
「ひ、あ……」
「反省しろ!!」
ウルザが掴んだ手を振り上げると、長老が浮いた。 勢いで顔面の皮が剥がれ、そのまま空へ飛んでいく。 落ちてこない。
間に合わなんだか。
手のひらに残った長老の残骸を地べたに投げ捨てると、ウルザは憮然とした顔で告げた。
「さっさと医者を連れてこい! この勇敢な男をむざむざ死なせてもみろ……!
その時は私憤をもって貴様らを根絶やしにしてくれるぞ!!」
「た、只今ーッ!!」
生き残った長老が血相を変えて飛び出していった。
その中で、不可解な表情を浮かべて残っている者たちがいる。
見れば土の民の若者たちも呆然とした様子である。
多分、状況が分かっていないのだ。 彼らは馬相撲がどういうものか知らない。 馬上の同胞たちはウルザをおもんばかって声を上げられない。 まったく、若い者はこういうところがいかん。
自分がやるしかないということか。 いたしかたなし。
「ご覧あれ!」
バウランは声を張り、腕を伸ばした。 片腕の指で示した先を見た観衆は、しばらく考え込んでから口々に納得の声を上げる。
――シュウの右足。 そのつまさきが、“うまのぼり”に引っかかっている。
馬相撲とは、先に土に足をつけた方が負ける競技だ。
「ウルザ様。 勝者は我が代理人、シュウ・ヴォクン・オミ。
風は今やその向きを改めた! よろしいな!?」
「バァウラァァァァンッ!!」
分かりやすくはっきりさせようと言葉を足すとウルザが制止した。
裂帛の気を込めた声に、喜びかけた群衆が固まる。
「……そういうこと、あんまり大きな声で言うな。 ちょっと油断しただけだ」
ぽつりと言い残すと、踵を返してウルザが去っていく。
血を拭ってなお、その頬には赤みが残っていた。
(あなたらしいですな、ウルザ様)
バウランは心の中だけでそう告げ、黙って見送った。
生来、負けず嫌いな少女だったのだ。 そして誰よりも競うことを好み、鍛え続けることを望んだウルザはいつしか最強と呼ばれるようになっていた。 負け知らずの日々はウルザにとって退屈だったことだろう。
背筋の盛り上がる背中に、馬術を授けた頃の幼い姿が重なって見える気がした。
ウルザが去ると医者の到着を待たずして男たちが飛び出した。 シュウを抱え起こし、涙を流して勝利を叫ぶ。 想いが広がっていき、やがて市場に歓喜と安堵の声が満ちる。
本音を言えば、バウランは身体に同じ血が流れ、土の民の知恵を持つシュウを部族に迎え入れたいと思っていた。 だが、それは胸の中だけに留めておいた方が良い事のようだ。
人にはそれぞれ求められる場所と役割がある。
土の民の世界で新たな風を起こすのが、シュウという男の使命に違いない。




