三章 その玖
「……アユミを見たのは、父上と宝石店を視察したときが初めてではないのだ。それ以前から、町中を馬車で移動しているときに何度も見かけていた。アユミはいつも幸せそうに笑っていた。わたしは、その笑顔を自分に向けてほしくて妻にと望んだ」
ミツアキは疲れたような顔で、床の上に直接胡座をかいた。
「だが、アユミは笑顔どころか、怒った顔も泣き顔すらもくれなかった。……今になって思えば、笑っているアユミの側にはいつも君がいた」
ソウスケは、何も言わずに部屋を出ていった。コクもそれに続く。足音が聞こえなくなるとテツヤが顔を上げた。
「あの男を追いかけます」
「やめておけ。わたしは、彼との約束を破るつもりはない」
「約束など。あの男が一方的に言っただけのことです。言うことを聞いてやる必要はありません!」
「良いのだ。──それより、何故わたしに何も言わず彼を殺そうとした」
テツヤの肩が揺れた。叱られることを恐れる子供のように、ゆっくりとミツアキの方に向く。
「……今日のような日が来るのを避けたかったのです。生きていればあやつは必ずアユミ様を攫いに来ると思いました。貴方に話せばアユミ様さえ戻れば良いと、あの男を罰することは無いでしょう。だから、独断で殺すと決めたのです」
ぽんと頭を小突かれた。幼かった頃には良くあった触れ合いに驚いたテツヤは、背筋を伸ばして主を見返す。
「愚かだな。わたしのためにそんなことまでする必要はない。辛かっただろう。これからは、おまえが辛い思いをしなくてすむように努めよう。すまなかったな、ありがとう」
「貴方がそういう方だから、わたしはっ──」
ミツアキが子爵位を継ぐことが決まったとき、テツヤは雲雀伯の側近をしている父からある言葉を掛けられた。
──見返りは求めず、主が前だけを見て進んで行けるよう、己を殺して泥にまみれなさい。
恐らく、父は自分にそう言い聞かせながら職務を全うしてきたのだろう。
主は光。己は闇。自分がこれから生きる世界はそういう場所なのだと、テツヤは覚悟を決めた。それなのに、テツヤの光は闇に寄り添い、切り離そうとしない。
ミツアキは何気なく口にしているのであろう「ありがとう」の言葉は、テツヤの心から泥を雪いでいってしまう。
「……今日は夜明けが遠いですね、ミツアキ様」
「そうだな」




