二章 その弐
アユミが妹になって二年ほど経った。父とレイラさんは以前以上に仕事に忙しく、一年に数回は外国にも行くようになっていた。
「ソウスケ、昨日子馬が生まれたぞー。今から見に来るかー?」
窓の外から友人の声が聞こえてきて、ぼくは学童所で出された宿題も途中に部屋を飛び出した。
「子馬に触らせてもらえるかな?」
「それは無理かもしれないけど、父ちゃんに出荷前の馬に乗せてもらう約束はしてある」
「本当に?」
先月もらったばかりの父の外国土産の革靴の紐を結び終えると、家が馬産農家の友人と家を出た。
「ソウスケ、手に墨が付いてるぞ。勉強してたのか?」
「うん。おまえは無いのか、宿題?」
「無いよ、学び舎だもん。おれは父ちゃんの牧場を継ぐから、簡単な読み書きと計算ができればいいからさ。それに学び舎は、ただで教えてもらえるしな」
「そうか。ぼくは学童所から学問所に移って外国語を勉強しろって父さんに言われてる。学費は上がるし、勉強も難しくなるから本当は嫌なんだけどね」
「児玉郷一の宝石店の息子も大変だな。──ところで、後ろから付いて来てるのソウスケの妹だよな?」
「はっ?」
言われて振り返ると、息を切らしながら早足で歩いているアユミがいた。
「何してるんだ、アユミ。もう少しで生け花の先生が来る時間だろ」
「わたしも、兄さんと行きたい」
「駄目だよ、馬に乗りに行くんだ。おまえは乗れないだろ」
ぼくたちのやり取りを友人はニヤニヤしながら見ている。少し苛つきながら、ぼくは言葉を重ねた。
「とにかく家に帰るんだ。ぼくは連れて行かない」
「わたしも馬に乗ってみたい」
「駄目だ」
終わりそうにない言い合いを見兼ねたのか、友人が助け船を出してくれた。
「アユミちゃん、君にはまだ少し早いと思うよ。それに、そんなに綺麗な服を汚しちゃもったいないよ」
今日のアユミは、レイラさんが手縫いした洋服を着ていた。この辺りで着物以外のものを着ている人はほとんどいない。そのせいもあるのか、アユミには同世代の友人はあまりいなかった。特に女の子には距離を置かれているようで、学童所から帰って改めてどこかに遊びに行くことはまず無い。
遠くからアユミの名を呼ぶ声が聞こえてきた。生け花の先生が来てしまったのだろう。お手伝いさんが必死の形相で走ってくる。
「……今度、一緒に遊んでやるから、今日は帰るんだ」
「……兄さん、絶対よ?」
「わかったよ」
お手伝いさんに手を引かれて帰って行くアユミの背中を見送って、ぼくはため息をついた。
「お兄ちゃんも大変だねぇ」
明らかに楽しんでいる友人の頭を、ぼくは拳で思いっきり殴りつけていた。