なくしたものへ
彼は戦が好きだった。
己を偽らず、対峙するものも偽らず、ただ生きるための戦いが好きだった。そこに生きるもの達が、全てを出し切り、全てを賭けて張り合う戦が大好きだった。
剣を持ち、鎧を纏い、地を駆ける。
「己が為! 主君が為に! 我、咲かせ散りゆく命の花よ」
散りゆくことに、価値を求めて、自らを一輪の花と見定めた。
彼の大切にした言葉だった。心と共にあった、唯一の言葉だった。
剣と共に敵と戦ってくれた言葉。
鎧と共に心を守ってくれた言葉。
時と共に前へ進んでくれた言葉。
自らに課せられた役を終えるそのときまで、共に生きると誓った言葉。
だが、言葉は死んだ。時代が、彼の言葉を殺した。
「生き残って、しまったな」
彼は死ねずに立ち尽くす。己の価値の終わった場所で。時代が幕を閉じたのだ。吹きすさぶ風が冷たく体をなめる。
血に染まった剣も、鎧も、彼を見つめている。鈍く輝きながら、目的をなくした主に忠誠を尽くし、したがっている。
「役目をなくし、友を見殺しにし、愛するものも死んだ。私は、守りたいものすら守れず、散ることも出来ずに、今ここにいる」
誰にでもなく、自らの開かれた手を――数えることすらままならぬ数のものを切った手を眺めながら、男は呟いた。
「私の殺したもの達は、何を願い、生きてきたのだろうか」
虚しく流れる言葉を落とさないために、ゆっくりと眺めていた手を握る。
「なぜ、私は生きているのか。散りゆくことで彩るはずだった場所は終わってしまい、私は散ることすら許されぬ花、か」
空は赤く染まっている。彼のいる町は大きな建物もなく、見上げればどこからでも夕日が見える。だが、彼は夕日を見ることが出来なくて、赤く染まった空だけを見上げる。ずっと見てきた赤とは違う。優しく包み込むような、ほんのりと眩い色。白い雲も包まれて、優しげに流れていく。眺めることしか出来なくて、到底届くはずのない空に、深く息が漏れる。
そんな彼に、遠くない場所から声がかけられた。
「行こうよ。皆待ってる。貴方のこと」
少し寂しげな声だ。都市は十を超えたばかりのような少女。町の風景に溶け込むような、飾り気のない少女は、寂しげに彼を見ながら、続けた。
「英雄がいなきゃ、宴にならないって。皆が呼んでる」
「ああ、分かった……。すまないな。手間をかけさせてしまって」
振り返ることが出来なかった。彼女の声には聞き覚えがある。この町で英雄と呼ばれる理由となった出来事の中で、救ってやった少女の声だ。町に攻め入る数十の敵兵を、たった一人で凌ぎきった。散りゆくことを惜しいとは思わなかった。町の被害は最小限で止められ、けが人も死人も、町人の中に一人として出すことなく、守り抜いた。
「寂しそう……」
「え?」
殺されかけていたところを助けられ、生きながらえた少女は、何の前触れもなく青年の背を眺め言葉をこぼした。
「すごく、つらそう……。嬉しくないの? もう、戦わなくていいんでしょ? もう、苦しまなくていいんでしょ?」
「ああ、そうだね。もう、苦しまなくていい。危険に晒されることはもうない。国の治安が確立されようとしている。もう、盗賊にも襲われることはないだろう」
彼は振り返れない。少女がこぼしたアンドのため息が胸を刺す。
「もう、誰も死なないんだね」
「ああ、そうだ」
「もう、誰も泣かないんだよね?」
「ああ、そうだ」
「でも、貴方は辛そうだよ……?」
「……ああ、そうだな」
のどの奥に苦いものが流れた。
「どうして? 嬉しくないの?」
「嬉しいさ。……当たり前じゃないか」
嬉しくないわけがない。彼も終結を望んで、自らを戦う術として軍へと加入した。守りたいものを守るために、力を欲し、守り抜き、死ぬことを選んだ。
「私は、生き残りたくなかったのかもしれないな……生きる目標を失ってまで、生きていたくないのかもしれない」
「…………」
少女の沈黙で自らの失言に気付き、すぐに言葉を続けた。
「すまない……。これは、死んでいったもの達に失礼だな……」
命の重みに耐え切れず、逃げてはいけない。心に決めていたはずなのに。死んでしまった言葉は、余りにも無力。死んでしまった信念は、自らを支えることすら出来なくなった。
「……私を助けてくれたのは、なんで?」
「……生きてほしかったからだ。目の前で奪われる命など、許したくなかったからだ」
「わたしも、貴方に生きてほしい」
「生きているじゃないか。こうして、ちゃんと自らの足で立っている。空を眺めることが出来ているじゃないか」
誤魔化すように、取り繕うように、青年は矢継ぎ早に言葉を並べ始めた。
「食事をすることも出来る。歩くことも出来るし、考えることも出来る。これでもパズルは得意でね。仲間とよく競争して一番になったものだ。ああ、剣術も日々成長を実感していてな」
「夕日を眺めることは出来ないの? 町の誇りなのに」
「…………私には見る資格がないよ」
過去の思い出は、夕日の傍にある。理由をつけて、逃げ出しているだけ。
「関係ないよ。ほら、ね?」
少女がスタスタと駆け寄り、手を取った。腕を引き、こちらへと向かせる。
人々が祭りを行っている。平和祭と銘打った町規模の宴会。終わりの見えなかった貧困生活、万が一のためにと溜め込み続けた酒や食料を盛大に振舞っている。耳を向ければ、ここまで響くほどに人々の声は届いていた。辺りを揺れる木々たちもまるで踊っているかのようだ。その全てを薄く染める夕日は、神々しく光り、存在を主張するわけではなく、そちらに目が行ってしまう。
「……やはり、すごいな。ここの夕日は」
「行こうよ。皆待ってる。貴方が生きててくれるから、皆生きてられる」
「それは言いすぎだろう。私がいなくとも、ここのもの達なら生きてこれた」
「わたしは違うよ。貴方がいてくれたから、生きてられる」
少女の頬が赤いのは、夕日のせいか、それとも……
「小さくても、ホンの短いものでも、価値がなくても人はそれだけで生きてられるんだと思う。今貴方が生きてられるのも、何か本の小さなもので、支えられているからだよ」
「そんな、ものなのか……」
「そんなものだよ。お母さんはそういってた。だからわたしも、生きることが出来たから、頑張るんだ」
少女の表情は嬉しそうな、それでいて恥ずかしそうな、生きる人間の顔をしていた。
彼の頭に流れたのは、遠い日の自分の記憶。誰かのためになるのならと、そんな小さな覚悟だけだった。その気持ちは、今も変わっていない。誰かの為に、ただ、それだけの理由。
「……君は町がすきか?」
「うん。大好き!」
決まりだ。
「そうか、なら、私が守らねばな。何があるのか分からない。私に出来ることをさせてもらうよ」
「それじゃあ! 私が大人になったら、結婚してくれる?」
「え?」
少女の言葉が理解できずに顔をうかがおうとすると、スタスタと丘へ走り出していた。
「ほら! 早くしないと皆待ちくたびれちゃうよ!」
夕日よりも美しく染まった少女の笑みは、彼の開いてしまった穴を、いつの間にかふさいでいた。
「ああ、分かったよ!」
そういって、自らの手を眺め、鎧を眺め、剣を取り出した。
「成すためではなく、守るためか……」
輝く刃を鞘に戻し、少女の後を追う。
夕日は変わらず町を照らす。
宴は盛大に騒ぎ立てる。
人は今、生きている。
ただただ書きたくなって書いた作品です。
人の目標があるとして、それが形としてあるものが、唐突に失われたら、それは死ぬより恐ろしいことだよなとか考えてみたり。
読んでいただきありがとうございました!