第三十話【日常茶飯事】
太陽デパートに到着したのはそれから20分後の事だった。
暴雨の中の蛙達に気を取られて自分の仕事を忘れていた。
既に珈琲は冷め切っていてしまっている。
せっかく温かい物を買ってくれた兄に申し訳ない。
「私としたことが・・・まさか仕事を忘れてしまうなんて。
何だか調子がイマイチですわ・・・・・」
学校にいた時も違うことに気がいってしまっていた。
授業中も給食中も今している事に集中出来ていない。
何故だかよく分かっていない、別のことを気に掛けている様子。
彼女にだって些細なミスはある。
気を取り直してビニール袋を片手に歩き出す。
兄が言うには今日はファン感謝祭。
しかしそれが何処で行われているのか分からない。
仕方なく店員に聞くことにした。
するとどうやら地下の2階でやっているらしい。
つまり食品売り場だ。
ボタンを押して移動、エレベーターは楽だ。
上にいた客が下に移動してきてエスカレーターは人で溢れている。
どうやらまだ始まってはいなかったようだ。
そんな大勢の中でもし誰かが落ちたりして巻き込まれたら大変。
比較的広く待機しているだけで目的地に着くエレベーターに乗ることに。
サラリーマンに主婦に学生に子供に。
沢山の人が次々と中に入ってくる。
神戸ティガースのTシャツを着ていたり帽子を被っていたり。
みんなこの感謝祭の日を楽しみに待っていたことが分かる。
家族で選手の名前を言っていたり他人同士話をしたり。
本当ファンに好かれている球団なのだと思った。
プロ野球のことはそんなに詳しくない彼女だが一つだけ分かることがある。
この人達は須網剛のファンだと。
着ているTシャツは違うが持っている道具で分かる。
勇退発表をテレビで見ていた彼女は見落としていない。
須網剛の選手時代の背番号は【9】であり
ファン専用に作られた9の番号が刻まれたエナメルバッグ。
彼自身が使っている物と同じモデルだ。
これが何よりの証拠となっている。
「(凄い人気になりましたわね・・・須網監督。
元々人気者であったのがあの勇退発表ですもの、こうファンが集まるのも当然・・・)」
何もファン感謝祭だからこの格好で客は来ているわけではない。
太陽デパートではこれが日常茶飯事だ。
何処の球団よりも熱心に応援するファンの集い。
もし別の球団ファンが近くで会話でもしたら大変な事になる。
一時は喧嘩にでもなってしまうほどで、また誰もティガース側を止めることなく
相手を一方的に責めるほどであった。
マナーが悪い部分もあるが、それほどファンに愛されている球団とも言える。
地下二階に到着した。
前の人から降りるのが普通だが、此処では違う。
後ろからでも平気で前に出てくる。
慌てなくてもしばらくすれば人は少なくなり楽に降りれると言うのに。
ティガースファンはせっかち屋が非常に多かった。
麗華も前の方にいたために後ろから押されていた。
「ちょ、ちょっと押さないで・・・・・きゃっ!!」
身長138cmの女子中学生が大人の力に勝てるわけがない。
加えて大勢だ、彼女でなくても倒れる。
しかしこれは太陽デパートでの日常茶飯事。
麗華は思わず倒れてしまった。
「いたたた・・・・もう!!マナーも知らないんですの!?」
しかし彼女がそう言っても既に人は向こうの方に行っている。
嵐のように瞬く間に人々は去っていった。
起き上がった頃には違う景色が目に映る。
「全く・・・野蛮な人達ですわ!!私はただ傘を渡しに来ただけですのに・・・
どうしてこんな目に遭わなければいけませんの!!」
時代遅れのお嬢様は怒っていた。