55 王都のカフェ
55 王都のカフェ
王都の風景は輪郭が鋭かった。歩いているだけで、自分の輪郭が周囲から浮き上がっているような、奇妙な心細さを覚える。
石畳は定規で引いたようにまっすぐ伸び、建物は歴史の重みを誇るように整然と並んでいる。視線を上げれば、陽光を跳ね返す白亜の城と神殿が、世界の中心だと言わんばかりにそびえ立っていた。
「ほんとに、映画みたいだ」
無意識にこぼれた呟きに、隣を歩くフェルナンドが視線を寄越した。
「映画?」
「あ、いえ……僕のいた世界にある、娯楽というか……物語の風景にそっくりなんです。こういう街並み、よく出てくるんですよ」
「ほう」
それ以上は踏み込んでこない。興味は示しても、土足で踏み荒らさない。その絶妙な距離感に、少しだけ肩の力が抜けた。
そのまま、彼に相応しい高級な店構えのカフェに入った。扉を開けた瞬間、熱を帯びた香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「コーヒーだ……」
席につき、運ばれてきたカップを両手で包む。ゆっくりと口をつけると、深い苦味のあとに芳醇な香りが鼻に抜けた。
「あ、美味しい」
思わず、温かな溜息が漏れる。
添えられたパウンドケーキも、しっとりと密度が高く、洋酒の香りが甘さを上品に引き立てていた。一口ごとに、張り詰めていた神経がほどけていく。
しばらく無言で贅沢な時間を味わっていると、不意に、頭上から低い声が降ってきた。
「向こうでは、コーヒーは珍しくないのだな」
フェルナンドがカップを持ったまま、静かにこちらを射抜いていた。
「ええ。どこの家にもありますよ」
「それほどか」
「はい。朝の一杯に飲む人も多いですし、日常の一部というか……」
返事は短かったが、彼の視線は外れなかった。じっと、こちらの表情を読み解こうとするような重たい眼差し。
不意に、居心地が悪くなる。
「帰りたいか?」
唐突な問いだった。
「え?」
顔を上げると、逃げ場のない真っ直ぐな瞳がそこにあった。
言葉を探すが、喉の奥につかえて出てこない。正直に言えば、自分でも分からないのだ。
「なんと言えばいいのか……正直、考えたことがなかったです」
「考えたことがない、だと?」
「はい。今、言われて初めて『あ、そういえば』って思い出したくらいで」
冷め始めたカップを見つめながら、ぽつりと本音をこぼす。
「たぶん……毎日を生きるのに必死で、振り返る余裕がなかったんだと思います」
僕の言葉に、フェルナンドがわずかに目を細めた。
「そうか」
短い沈黙。街の喧騒が遠く感じるほど、二人の間の空気が密度を増す。
そして、彼はさらに声を低めて続けた。
「無理やりこちらに喚び出したこと、申し訳ないと思っている」
心臓が、トクンと跳ねた。
「だが」
フェルナンドは、カップをソーサーに置いた。
「よくぞ来てくれたとも思っている。国にとっても……そして俺個人としても」
「え……?」
頭が真っ白になった。
今の言葉、どういう意味だ。国として、だけじゃなくて、個人として?
心臓の音がうるさくて、思考がまとまらない。
「その……っ」
何か返さなきゃいけないのに、言葉が出てこない。
嫌じゃない。それどころか、心の奥が熱くなるような、むず痒い嬉しさがある。
けれど、認めるのが怖くて、つい防衛本能で口が滑った。
「でも、男同士ですし……」
静かな店内に、小さな呟きがやけに大きく響いた。
空気が、凍りついた。
しまった!
反射的に何かで上書きしようと、とっさに言葉を継ぐ。
「こ、この問題が片付いたら……」
「終わったら、どうするのだ?」
逃がさないと言わんばかりの即答。ごまかそうとして、完全に墓穴を掘った?
「えっと、その……」
思考が空回りする。
「終わったら、帰る方法を本気で調べてみます」
なんとか絞り出して、話を繋いだ。
実際、帰る方法なんてないのは常識だろう。小説でもそうだし、帰れないって誰でも知っていることだよね。だから、半分は冗談のような、軽い逃げ道のつもりだった。
今度、空を飛ぼうかな!とかそんな類の……
なのに、目の前のフェルナンドから、物理的な圧を感じるほどの「負の気配」が漏れ出している。
「終わったら、だな」
彼の声が一段と低くなり、背筋に冷たいものが走った。
まずい。これは絶対に、聞いてはいけないトーンのやつだ。
「す、すみません! あの、これ、追加で! 美味しそうですし!」
慌ててメニューを指差し、運ばれてきたレモンパイをほとんど詰め込むように口に運んだ。
「美味しい、すごく美味しいです!」
自分でも分かるほど、上ずった空々しい声。
喉が詰まりそうになり、コーヒーで無理やり胃へ流し込む。
さっきまであんなに芳醇だったコーヒーが、今はひたすら、喉を焼くように苦い。
向けられた視線は、一向に外れる気配がなかった。
逃げ場はない。
僕は震える手でカップを握りしめ、ひきつった笑顔を必死に張りつかせ続けた。




