第4章 デビューステージ
あれから半年。
六人で練習を重ね、お互いのことを少しずつ知っていった。何度も話し合い、何度も衝突して、最終的にセンターは玲に決まった。
そして今夜——待ちに待ったデビューの日。
愛梨は舞台袖に立っていた。向こうから、観客のざわめきが聞こえる。前にいる五人——白を基調に青がアクセントの衣装を着ている。
イヤモニから田中の声が入る。
「あと五分です」
短く、丁寧で、無駄がない。いつも通りの田中だ。
隣で光が深呼吸した。
「吐きそう」
「大丈夫、そんなに緊張しないで」美緒が囁く。化粧の下がちょっと青白い。
「美緒も緊張してるやん!」
瑠奈がツッコミを入れる。本人は何度も靴をチェックしている。玲は一番前に立って、背筋を伸ばし、微動だにしない。結は隅っこで目を閉じて、唇が小さく動いている。祈ってるのかもしれない。
愛梨は五人を見た。
半年間、必死に練習した。歌のレッスンで喉が枯れるまで。ダンスで足が血豆になるまで。本当に、きつい半年だった。
そして今夜、全部が試される。
「あと二分です。ポジションについてください」
それぞれの場所へ移動する。愛梨は左から三番目。無難な位置だ。
玲が振り返った。
「絶対大丈夫。やってきたこと、全部信じて」
美緒が早くうなずく。瑠奈は顎を引く。光は拳を握る。
結は黙ったままだけど、目を開けた。一瞬、愛梨と目が合う。まるで「怖い?」と聞いているみたいだ。
答えは、わからない。
舞台の照明が消えた。外の歓声が大きくなる。
「あと一分——」
明かりがついた。
まぶしい。
ライトの熱が肌に触れる。叫び声、拍手、何百人もの声が「リュミエール」を呼んでいる。
「リュミエール!リュミエール!」
音楽が始まった。体が動き出す。
半年の練習で、体はもう覚えている。左へ足、手を上げて、鏡の前で何百回も練習した笑顔。大きすぎず、固すぎない。
カメラが動く。カメラ3は右、カメラ5は真ん中、カメラ7はアップ。
どこを見るべきか、全部わかっている。まるで本能みたいに——でもそれは本能じゃない。観察の結果だ。
今はカメラ3、笑顔。カメラ5、手を上げて。
でも、曲の途中で何かが変わった。
観客の存在を、感じ始めた。
目が勝手に動く。最前列の表情を捕まえる。青いサイリウムを持った女の子、目は玲を追っている。隣の男の子は美緒を見てる。三列目の女の子二人は、瑠奈を指さして何か囁いている。
選んでる。みんな、それぞれ推しを。
そして五列目、一人の女の子が目に入った。短い髪で、一人ぼっち。なんとなく元気がなさそう。目がメンバーを行ったり来たりしている。
その目が、止まった。
愛梨を見ている。
女の子が、小さく笑った。そしてサイリウムを少し高く上げる。
胸の奥で、何かが動いた。
愛梨は笑い返した。練習の笑顔とはちょっと違う。もう少しだけ……個人的な笑顔。
女の子が、小さく手を振った。
曲が終わった。
拍手と歓声が会場を埋め尽くす。
六人は息を切らしながら横一列に並ぶ。玲が一歩前に出る。
「ありがとうございます!リュミエールです!」
一人ずつ自己紹介が始まる。玲はカリスマ性たっぷりに。美緒は甘い笑顔で。瑠奈はストレートな関西弁で。光はちょっと面白おかしく。結はミステリアスな雰囲気で。
愛梨の番。
一歩前に出る。スポットライトが当たる。みんなの視線が集まる。
頭の中で、考える。
笑顔タイプA。フレンドリーだけど、やりすぎない。声は明るめに。手もちょっと動かして、顔に注目させる。
「初めまして、高橋愛梨です。よろしくお願いします」
45度のお辞儀。
顔を上げたら、ステージ横の大きなモニターに自分の顔が映ってた。完璧な笑顔。
でも、心の中で別の声がする。
完璧?誰にとっての完璧?
終演後、控え室。
田中がタブレットを持って立っている。顔は相変わらず無表情だけど、なんかちょっと違う。
「良かったですよ。暫定ではありますが、評判は上々です」
タブレットの画面をスクロールする。
「玲さんはカリスマ性で人気。美緒さんはビジュアル。瑠奈さんはキャラクターが受けています」
そこで止まった。
「そして愛梨さん」
愛梨は固まる。
「あなたは……『多彩』という評価が多いようです。場面によって、明るく見えたり、落ち着いて見えたり、大人っぽく見えたりするとのことです」
田中が画面をこちらに向ける。ファンのコメントが並んでいる。
『高橋愛梨、すごすぎ!』
『表情がコロコロ変わって、別人みたい!かっこいい!』
『どの表情も好き!』
愛梨はそれらを読んだ。変な気分。嬉しい?それとも不安?わからない。
光が肘でつつく。
「バズってるじゃん、愛梨」
愛梨は苦笑する。「それがいいことかは、まだわかんないけど」
「えー、いいに決まってんじゃん。みんなに好かれてるんだよ」
愛梨は答えない。
さっきの五列目の女の子を思い出していた。あの子は、私の笑顔が偽物だって知っても、まだ好きでいてくれるんだろうか。
帰りはタクシー。
光が隣でスマホを見ながらクスクス笑ってる。
「見てこれ。もうファンアカウントできてるよ」
愛梨は覗き込む。「マジで?」
「うん。さっきのステージの写真、いっぱい上げてる」
光からスマホを受け取る。自己紹介のとき、ダンスのとき、手を振ってるとき。全部、撮られてる。
コメント欄には——
『愛梨ちゃん、かわいい〜!』
『なんか、他の子と違う雰囲気あるよね』
『表情コロコロ変わって、飽きないわ』
自分の写真を見る。笑顔は完璧だ。でも、どんな気持ちでその笑顔を作ったか、思い出せない。たぶん、何も感じてなかったからだ。
スマホを返す。
「嬉しくないの?」光が聞いた。
「嬉しいよ」
でも、声が妙に平坦だった。光がチラッと見て、またスマホに戻る。
タクシーは夜の東京を走る。窓の外をネオンが流れていく。愛梨は冷たい窓ガラスに額をつけた。
外では、何千もの人が自分の名前を知り始めてる。
でも、心の中で、声がする。
彼らは、誰を知ってるんだろう。
夜、部屋で。
パソコンを開く。さっきのファンアカウントはもうフォロワーが800人いた。私についてのスレッドまで立ってる。動き方、表情、手の振り方、全部分析されてる。
『愛梨ちゃんは独特だよね。他のメンバーに合わせるのが上手いっていうか。なんでもになれる感じがする』
その一文を、何度も読んだ。
なんでもになれる。
子供の頃は、それを欠点だと思ってた。でも今、人はそれを長所だと言う。才能だ、特別なものだって。
パソコンを閉じて、ベッドに横になる。
天井を見る。答えは、そこにはない。
でも、心の中で声が囁き始める。
「いい感じだ」
「これでいい」
「私たちは、なんでもになれる」
「でも、私たちは、誰?」
愛梨は目を閉じた。
明日から、さらに忙しくなる。
新しい仮面が、待っている。
そしていつも通り、愛梨はそれを一つずつまとう。
つづく




