8話 前編
すみません書き直していたら長くなり更新遅くなりました
評価が初めて入りました‥嬉しい
階段を駆け下りる足音。扉が開く。
『……ルカ!』
思わず声が出た。
煤と砂で薄く汚れたマント。肩のコンテナ。無事――その事実だけで、胸のこわばりがほどけていく。
「ただいま。……ルチルが無事でよかった」
短く返す声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
けれど、その背後にさらに二つの影が続く。
「初めまして。ハイドだ」
灰銀の髪を後ろで束ね、黒いロングコートが揺れる。静かな湖みたいな目。四十代半ばくらいの人。
「同じく、ノエルと申します」
新世代の機械生命体。滑らかな外殻なのに、所作は驚くほど柔らかい。
私を見たとき、彼女は目元を少しだけ緩めた。――機械なのに、あたたかい。
トッドが肩をすくめる。
「連れてくるなら先に言えよ、銀緑。心臓がいくつあっても足りねぇ」
「急だった。すまない」
ルカは素直に頭を下げ、コンテナを作業台へ置いた。
「話を急ごう」
ハイドの声は穏やかなのに、空気がすっと引き締まる。
「ここでは“契約”の意味を、君にきちんと伝える必要があると思って来た」
『……契約。主、のこと?』
ハイドがうなずく。
ノエルが一歩進み、ハイドの耳へそっと手を添えた。
彼の耳たぶには、小さな輪――耳輪が光っている。
「これは、私がハイド様のために錬成し、耳にお付けした“耳輪”です」
ノエルは淡々と、どこか誇らしげに言った。
「機械生命体は、自身の“血液”と呼ばれる潤滑液、そしてエーテルを混ぜて耳輪を作ります。主となる人間の耳にそれを装着し、主から“命の源”を少しだけ頂く。そこで契約が成立します」
『命の源……それは、その……痛いの?』
思わず出た問いに、ノエルは小さく微笑む。
「刺すわけではありません。灯りを分けるみたいなものです。少しふらつくことはありますが、身体を蝕むものではないですよ」
「そして――」
ノエルは言葉を区切り、ハイドの耳輪からそっと手を離した。
「契約は、すべて同じではありません。 私のようなメイド型は“尽くす”ことを根に置き、主の生活と心を支えることを本能として誓います。
戦闘型は“守る”ことを、探索・導き型は“導く”ことを、医療型は“癒やす”ことを……それぞれの核に刻まれた願いが、契約の形を少しずつ変えるのです」
「大事なのはここだ」
ハイドが静かに続ける。
「どの人間でも成立するわけではない。 耳輪は“響く相手”にしか応えない。互いの核が合致しなければ、形だけ整えても力は引き出せない」
胸の奥で、何かが小さく鳴った。
(響く相手……)
ノエルは、私の表情を見て、言葉を和らげる。
「難しく考えなくていいですよ。たとえば、私にとってハイド様は、“お願いされなくても手が伸びる相手”です。
それは命令ではなく、私がそうしたいからそうする、という感覚に近い。契約は、その感覚を確かにする為に結ぶだけ」
トッドが作業台でスモルトを挽きながら、ぼそっと付け加えた。
「つまりだ、好みの問題もデカいってことさ。香りの好き嫌いみたいにな。理屈だけで決まる話じゃない」
ハイドが軽く咳払いして、私へ向き直る。
「誤解してほしくないが、契約は“服従”ではない。互いの存在を補い合う絆だ。
――君が“主”であることは、誰かを従え続けることじゃなく、共に未来を選び続けることに近い」
『……共に、選ぶ』
口に出すと、言葉が少し身体に馴染んだ気がした。
ノエルが小箱を開ける。中には黒い粒の埋め込まれた耳飾りが二つ。
「ここからは実務です。これは“香りを誤魔化す装置”。人間種特有の匂いを薄く覆い隠します。完全ではありませんが、短時間なら嗅覚の鋭い検査にも耐えます」
『刺すの?』
「刺しません。磁着式」
彼女がやさしく耳に当てると、裏側で小さな音がした。冷たさのあと、すぐに体温で馴染む。
「皮膚インクも薄く描きます。汗の匂いが立ちにくくなります」
ひやりとした筆先が手の甲をなぞり、草のような微かな香りがすぐに消えた。
作業の間、ルカはほとんど口を開かない。
けれど、視線はいつも私の体温と呼吸に合っていて、何度も「ここにいる」と確かめてくれている感じがした。
ハイドが呼吸の仕方を教える。
「熱い空気では、浅く吸うほど苦しくなる。腹に風を落として、膜でそっと押し返せ。吸って吐いて、止めない」
言われた通りにするが少し難しいそうだ。
『……できるかな?』
「できるさ。人は、慣れる」
ノエルが最後に、ふとルカを見た。
「契約で“心”が変わる者もいます。
戦闘型が守ることを誓うのは自然ですが――もともと愛玩型だった個体は、契約後に感情が表へ出やすくなる。守ることと、愛することの距離が近くなる、といえば伝わるでしょうか」
ルカの肩が、わずかに動いた。
トッドが片眉を上げてニヤリとする。
「へぇ、そりゃあ“目が離せない守り”になるな」
私はルカを見上げる。彼は視線を逸らさず、ただ静かに言った。
「……感情の話は、俺の課題だ。押しつけるつもりはない」
(押しつける、つもりはない――)
言葉の端がやわらかく胸に触れて、すぐに沈んだ。
この人は、急かさない。
でも、待っている。私が私として選ぶのを。
水路の音が静かに響く。
ハイドが最後に短く言う。
「今日はここまでにしよう。次は――“選択”の話だ。契約、囲い、逃亡。どの道も、代償がある」
私はうなずけなかった。
でも、うなずけないまま、目だけがルカを探していた。
彼の瞳はまっすぐで、少しだけ痛い。
(どうして、私なの――)
問いは胸に残ったまま、言葉にならずに揺れている。
⁂世界のカケラ⁂
契約の“共鳴”について
契約は単なる主従関係ではなく、機械生命体と人間種の「核」が互いに響き合うことで初めて成立する。耳輪は形として成立しても、心が共鳴しない相手では能力の解放率が著しく低下する場合がある。
このため、契約は「どの人間でもいい」というものではなく、**機械生命体にとって“本能が応える相手”**との出会いが重要とされている。




