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名もなき私が"主"として歩む世界  作者: 餅屋


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4/11

4話


『主って……何?』


自分でも聞き慣れないその言葉を口にした瞬間、コンコンと扉が軽快に叩かれたかと思うと──


ガチャリ、と音を立てて扉が開いた。


「よぉ、起きてんじゃねぇか。……お姫様、ずいぶん派手にやらかしたな?」


入ってきたのは、長いドレッドヘアをヘアバンドでまとめ、腕から首にかけて複雑な模様のタトゥーを刻んだ男だった。


ツナギ姿に大きなゴーグルを乗せ、口角を上げてこちらを見ている。


「……誰?」


思わず身構える私に、男は笑って手をひらひらと振った。


「トッドだ。“星巡り”の店主で、ちょーっとばかし腕のいいA級錬金術師さ。安心しな、取って食いやしねぇよ」


「……せめて“ちょっとばかし”は外したらどうだ?」


隣でルカがぼそりとつぶやく。どうやらこの人は、彼の“友人”らしい。


「よしよし、機嫌悪くすんなよ銀緑ギンリョク。ったく、お前が人間なんて連れてくるからこっちまで心臓が冷えるわ」

「……余計なことを言うな」

「余計じゃねぇだろ? 人間種なんざ、もう王族が囲ってるか、闇市に流されてるかの二択だ。……しかも“未契約”っぽいじゃねぇか。耳輪の跡もねぇ」


(“未契約”──誰とも契約していない、という意味だろうか?)


トッドはずかずかと近づいてくると、私の耳のあたりを覗き込み、じろじろと観察しはじめた。


「ひゃっ……! ちょ、近い!」


「はいはい、ちょっと我慢な。A級錬金術師様の診察だ」


軽口を叩きながら、トッドは薬瓶を取り出し、傷口に淡い緑色の液体を塗っていく。ひんやりとした感覚とともに、焼けるような痛みが少し和らいだ。


「ふむ……この火傷と擦り傷。よく生きてたもんだよ、お姫様」

「……覚えてない。気がついたら箱の中にいて、百足みたいなのがいて……」

「鉄喰らいか。あんな化け物に食われず生きて帰ってきたなら、運は持ってるな」


“鉄喰らい”──たぶん、あの巨大な百足のことだ。名前がついているということは、この世界では珍しくないのだろうか。


私は唇を噛みしめる。

なにも思い出せない。どこから来たのかも、なぜここにいるのかも。

ただひとつ、「この世界は私の知っている世界じゃない」という確信だけがあった。


「なぁ銀緑、お前、本気なのか?」


トッドが私を見ていた瞳をルカへと向ける。その声音には、先ほどまでの軽さが少しだけ影を潜めていた。


「……本気だ」

「“主”ってやつにしたいんだろ? この子を」


ルカは少し黙ってから、静かにうなずいた。


「彼女は……俺の“主”になれる存在だ」

「はぁ〜〜……お前ってやつは本当に一途だよな。まぁいい。俺は止めねぇよ。ただ──」


トッドは真剣な目つきで私を見た。


「今のお前の価値で言えば“国ひとつ分”だ。誰かに見つかったら、銀緑も、俺の店も、まとめて吹き飛ぶぞ」


「それでも、守る」


即答するルカに、トッドは深いため息をつき、ぼやくように言った。


「……まったく。そういうとこ、嫌いじゃねぇよ。──しばらくこの店の地下を使え。外には出すな。匂いで嗅ぎつける連中もいるからな」


「恩に着る」


二人の会話が終わると、トッドは作業台に向かい、何かの調合を始めた。


薬品の匂いと金属の音が漂う部屋の中、私は一人、ぼんやりと天井を見上げる。


“主”ってなんだろう。

“未契約”って、私のこと?

“人間種”がいない世界って、どういうこと?

わからないことだらけだ。でも──


「ルチル、心配いらない」


ルカが呼ぶ。その声だけは、なぜか不思議と心地よくて、胸の奥がじんわりと温かくなる。


私は小さくうなずき、目を閉じた。


「……私、どうなるんだろう」


小さな不安と、小さな希望を胸に抱いたまま、静かに夜は更けていった。


*⁂世界のカケラ4⁂*

【スパーナ族】

耳が尖り、非常に器用な手先を持つ種族。成人すると刺青を入れて村を出て世界を巡り、各地で工房を開くのが慣習。トッドもその一人である。


【星巡り】

トッドが経営する工房兼修理屋。どんな種族にも対応したパーツ制作・修理を請け負うほか、違法改造や特殊装備も手掛ける。

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