11話
ここから少しづつ恋愛パートに入ります
貯水庫上層の湿った風が、朝の熱を孕んで重たくなっていく。
膜の縁が揺れ、赤茶けた空がじりじりと色を濃くした。
「――移動する。巡回が内側まで入ってきてる」
ハイドの低い声に、ルチルは耳飾りの存在を指で確かめ、こくりと頷いた。
ノエルは短く確認する。
「装置、稼働良好。今のところ匂いは薄く抑えられています」
階段を上り切ったところで、風の相の変化が肌を刺した。
次の瞬間、膜の縁の陰から白銀の装甲が滑り出る。複数の影――王国の追手だ。
先頭にいた黒装の機械生命体が、微動だにしない声で告げる。
「未契約人間、確保対象を視認。――討伐部隊長、作戦を開始する」
シグナの隣には、一人の少女。
まだ年若い、頬のやわらかさが残る顔に、王国の紋章。耳には確かな耳輪が微光を帯びていた。
「待って!」
少女は一歩前へ出る。
「君を保護したいの。王城は安全よ。ここにいたら危ない、だから――」
(……保護、したい?)
声に嘘はなかった。彼女は本当に“助けたい”と思っている。
けれど、シグナの眼は赤い光を帯び、命令を冷たくなぞる。
「抵抗する機械生命体は排除。対象は王城へ移送する」
ルカの気配が、すっと変わった。
マントの裾が静かに揺れ、次にはもう前線に出ている。
「やらせない」
地が砕ける。
一歩で間合いを詰め、二歩目で装甲の喉元を叩き折る。
風切り、衝撃、火花。視界の端で、白銀の身体が次々と崩れた。
(――強い)
息をのむ。けれど、それは終わりではなかった。
「二列目、交差撃ち。熱源照準」
シグナの命令。十数の赤光が収束伸びた先で、ルカの肩口を貫く。
「ルカ!」
金属の焼ける匂い。装甲の破片が散る。
彼は片膝をつき、すぐに立ち上がった
――が、動きのキレが微かに鈍る。
ノエルが叫ぶ。
「熱量制御が限界近い! 旧世代ゆえの脆弱域です。冷却が追いつかない!」
「下がって再構成しろ、銀緑!」
ハイドの指示に、ルカは首を振った。
「下がれない。――渡す気は、ない」
(どうして、あなたは私の為にそこまでしてくれるの?)
胸がきゅっと縮む。怖い。けれど、それ以上に――苦しい。
ルチルは無意識に一歩、前へ出ていた。
少女がまた叫ぶ。
「お願い、危険なの! 私だって最初は彼が怖かった。でも、王国は――」
「無駄な会話だ。対象を確保する」
シグナが手をかざす。細い光弾がルチルの足元へ弾け、石片がはねた。
とっさにルカが引き寄せ、背中で庇う。
冷たい外殻が触れ、心臓が高鳴る。
「……この世界はまだ怖い、けど」
自分の声が、震えながら出た。「私は、私の足で選びたい」
言葉が落ちた瞬間、風の向きが変わる。匂いが流れ、嗅覚兵の頭がぴくりと動いた。
(時間がない)
ルカは一歩踏み込み、シグナへ直進する。
鋭い拳と槍がぶつかり、衝撃波が膜の裏側を震わせる。互角――いや、出力差で言えばルカが上だ。
だが、赤光がルカの胸部近くをかすめた瞬間、彼の動きがふ、と止まる。
「――っ」
短い息。左肩が落ち、右脚が痙攣する。
ノエルの声が切迫する。「コアの周辺、熱暴走! 制御ラインの一部がシャットダウン!」
「だめ、だめ……」
足が勝手に動いた。ルチルはシグナの突進の線上に飛び込む。
視界の端でハイドの影が動く、光弾を打ち刃の軌道逸らす。ぎりぎりの距離で、シグナの刃が空を切った。
「ルチル、下がれ!」
「下がらない!」
彼女は振り向き、損傷したルカの顔をまっすぐ見た。
髪の奥、焼けた右頬の人工皮膚。露出した金属フレーム。
それでも、その眼は揺らがない。
「もう、守られるだけは、いや!」
言葉が、胸から溢れる。
「私も――あなたを守りたい」
瞬間、ルカの動きが止まり、ほんの刹那、世界が静まった。
ハイドが銃で牽制し、シグナが一度下がる
ノエルがすばやくケーブルを差し出す。「これで熱をバイパスできます。ルチルさん、手を貸してください」
震える手で受け取り、言われるままルカの胸部装甲の隙間へ差し込む。
スイッチを押すと、冷たい脈動が微かに伝わってきた。緑の脈がルカの内部を走り、痙攣が収まる。
「助かった」
息を整え、ルカが立つ。
その目は、さっきよりもずっと熱かった。
「ここは通さない」
低い宣言。
踏み込み――刃を弾き、軌道を外し、シグナのコア外装に一撃を叩き込む。
ひびが走る。
王国の部下たちがたじろいだ。
シグナは状況を測ると、即座に撤退の合図を出した。
「本隊と合流し態勢を立て直す。対象の位置は把握した。次で終わらせる」
白銀の影が後退し、膜の縁の向こうへ消える。
ごう、と重たい風だけが残った。
ルチルはへたり込みそうになる膝を必死で支え、そっと立った。
ルカがこちらへ戻ってくる。片肩は黒く焦げ、装甲にひび。
それでも、歩みは真っ直ぐだった。
「怪我は」
「私は大丈夫。……ルカが‥」
彼女が伸ばしかけた手を、ルカがそっと取る。
冷たい掌に、かすかな震え。
彼はためらうように、額を彼女の額へ寄せた。
――触れ合う額。
囁きが、頭に響き染み込む。
「俺は、君を守りたい。俺の願いだ」
「……うん」
「だから――選んでくれ。俺を。俺に、君を守らせてほしい」
胸の奥で、鼓動が跳ねた。
(この手を、離したくない)
ルチルは、彼の掌を握り返した。
「……」
小さく息を吸い、まっすぐ見上げる。
「私、守られるだけじゃなくて、あなたと一緒に生きたい」
ルカの目が、少しだけ揺れて、それから静かに熱を宿す。
ノエルが小さく微笑み、ハイドは短く頷いた。
遠くで何かが鳴いている。
風向きがまた変わる。追手はすぐ戻ってくるだろう。
それでも、いま確かに、ここに灯ったものがある。
“主”という言葉が、義務ではなく、希望として胸に宿る感覚。
ルチルはそっと目を閉じ、握った手に力を込めた。
――その瞬間、彼と歩む未来を、はっきりと望んでいた。
【☆世界のかけら☆】
《王国の主持ち部隊》
王国直属の討伐・回収部隊。主持ちオートマタ(指揮)+洗脳教育を受けた人間の“主”という編成を基本とする。
“主”側は善意の保護を信じ込まされ、オートマタ側は「王国の秩序を守る」という大義で動くため、衝突は“悪意”からではなく価値観の断絶から生じる。
部隊長クラスは個体名を持たず、通称のみ(例:シグナ)。戦場では命令と判断を完全に分離した冷徹な行動が求められる。




