6話
「初上さん、甘姫って知ってる?」
大学構内を闊歩していた初上は、隣にいた友人に問いかけられていた。
「え?」初上は歩きながら、声の主へ聞き返した。驚いてはいない、街を歩いていれば、甘姫がどうとか、アリアがどうとか、そういう類の会話を耳にすることも、ままある。
「甘姫っていうバーチャルストリーマー、知らない? すごい有名だけど」
「ええ、知ってるわ」
「あ、ほんと? 初上さん、声似てるんだよね〜」
「たまに言われるわね」
「やっぱり?」
「ね、実は甘姫でした〜とか、ないよね?」
「私が甘姫になれたら、どんなに良いかしら」
「わかる〜、憧れるよね」
「佐々木さん、バーチャルストリーマーとか見るんだ」
「え、見るよ、すっごい見る」
「誰が好きなの?」
「甘姫ちゃん一択!」
「ああ……そうね、彼女、最近目立ってるものね」
「目立ってるって言い方、面白いね」
「そうかしら」
「うん、甘姫ちゃんみたい」
「ふふ、どうしてもわたしを甘姫と結びつけたいみたいね」
「声似てるんだもん!」
「そう、嬉しいわ」
「うわあ、初上さん、クールだ」
「これでも内心は小躍りしてるぐらいなのよ」
「うっそだあ」
「嘘じゃないわ。だって彼女の声、とっても綺麗だもの」
「うんうん、わかるわかる。あ、昨日の配信見た? 甘姫ちゃんの歌配信、めっちゃよくなかった?」
「昨日? いえ、見てないわね。何を歌ってたの?」
「なーんだ、見てないのか。昨日はね、アニソンばっかり歌ってたよ」
「そうなのね、帰ったら聞いてみようかしら」
「ぜひぜひ、あ、わたし、あっちの教室だ」
「じゃあ、ここで」
「帰り、一緒に帰らない?」
「ごめんね、私、授業が終わったら研究室に行かなきゃいけないの」
「そっかぁ、じゃあ、また明日ね!」
「ええ、明日」
佐々木と別れた初上は、まっすぐと次の講義が開講される教室へ向かった。
先程のように、甘姫と声が似ている、と言われることは少なくない。事実、同じ声帯から声を出しているのだから、似ているも何も、同じ声なのだ。疑われるのも仕方のないことだと言える。
「隣、いいか?」
「はい?」考え事をしていた初上は、突然、耳に入ってきた男の声に驚き混じりの返事をした。
「隣、座ってもいいか?」
初上は男の顔を確認する、知り合いではない。これと言って特徴のない造形だった。普通である。この後、街ですれ違ったとしても、気づかずに通り過ぎるだろう、そんな顔だ。
「ああ……ええ、どうぞ」
教室はまだ静かで、席は他にもまだまだ空いていたので、何か自分に用があるのだ、と初上は考えた。おそらくナンパの類だろう。彼女にとって、こういったことはよくあることなので、特に慌てたわけではない。どうも自分は人を惹き付ける見た目をしているようだ。
「甘姫、だよな」隣に座ってきた男は小声で呟いた。
初上はその言葉を無視した。反応すれば彼の思うつぼだ。知らないふりをしていよう、と考えたからだった。ナンパだと高をくくった1分前の自分に心の中で舌打ちをした。
「なあ?」
「はい?」男が明らかにこちらへ呼びかけてきたので、初上は仕方なく返事をする。
「甘姫なんだろ?」
「私、そんなに似ているかしら。さっき友人にも言われたのだけど」
「とぼけても無駄だ」
「あら……情熱的……彼女のファンなの?」
「いいや、違う」
「そう……私はファンよ」
「甘姫なんだろ?」
「違うわ」
「喋り方も似ている」
「ファンだから、無意識の内にちょっと似せちゃってるのかもしれないわ」
「やっぱり甘姫だ、俺にはわかる」
「探偵ごっこがお好きなの?」初上は眉を顰めた。
「違う、あんたに聞きたいことがあるだけだ」
「私じゃないのよね? 甘姫ちゃんにでしょう?」
「俺を馬鹿にしてるのか?」男は怪訝そうに言った。
「ねえ、私、あなたみたいな人に会うの、一度や二度目じゃないの。彼女に声が似てると言われるのは嬉しいわ。でも……あなたのような詰め方をされると、私だって少しは不愉快」
「俺は――」
「いえ、もうお話は終わりにしましょう。あなた、名前は?」
「……近藤」
「近藤くんね。私は初上三無姫よ」初上はそこまで言って、近藤の目を見つめ直した。「バーチャルストリーマーの甘姫ではないわ。わかった?」
目線をそらして狼狽える近藤の返事を待たずに、初上は席を立った。去り際、何か言葉を投げかけられた気がするが、よく聞こえなかったので無視をした。
今日はもう帰ろう。
ひどい気分だ。最悪である。こんな気持ちになるのは、何年ぶりだろう。
おそらく近藤は、よくいる厄介なファンの類ではない。彼の目には、どこか憎しみのようなものが含まれていた気がする。きっと、自分が、いや、甘姫が何かをしたのだろう。甘姫が、彼に何か憎しみを植え付けたのだ。どんなに気をつけていてもそういうリスナーは出てくる。それは、仕方のないことだ。
流石に鷹野に相談した方がよいだろうか。
いや、アリアの休止の件もあることだし、今はライブの準備に集中したい。アンチに声をかけられたなんて言ったら、きっと黒江も心配するだろう。この大切な時期に、彼女に迷惑をかけるような真似は避けたい。
初上はそこまで考えて、大きくため息をついた。
ただ声掛けられただけだ、大げさに考えるのはやめよう。
近藤が同じ大学に通う生徒なら、この先、嫌でも見かけることになるだろう。次に会ったときに、彼がどう出てくるか、考えるだけで気が滅入る思いだった。