3話
「黒江さん、大丈夫ですか?」鷹野はゲーム配信を終えた黒江を会議室へと呼び出し、そう声をかけた。
「え? 何が?」
黒江は大きな瞳を更に大きくして、鷹野を見つめた。
「休止の決断と発表、疲れたでしょう」
「まあね~、でも、今はこれでよかったって思ってるよ」
「今は、ですよね」
「え?」黒江は怪訝な表情で鷹野を見た。「それはもう、最初は休止なんて考えられない、って思ってたけど。でも、鷹野さんがしつこいから」
「なぜ、休止をしようと思ったのですか?」
「だから、鷹野さんが言ったから――」
「違いますよね」鷹野が被せる。
「……今日の鷹野さん、なんか怖い」黒江が鷹野から遠ざかるように、後ずさる。
「僕が初めて、黒江さんに休止を勧めたのは半年以上前のことですが、覚えていますか?」
黒江が首を横に振る。
「ゲームの大会続きで、男性バーチャルストリーマーとのコラボが多くなったせいか、アリアが大量の誹謗中傷に晒されていた時のことです。思い出せませんか?」
「思い出したくない」黒江が口を尖らせた。
「まあ、いいでしょう」鷹野はそこまで言って言葉を切り、近くの椅子を引いて腰を掛けた。「僕が気にしているのは、黒江さんの感情の変化です。あの時は『休止なんて絶対にしない、アリアはあんな奴らの悪口に負けないから』と言っていたのをよく覚えています」
「それは、覚えてるよ。確かに言ったと思う」黒江の口元が緩んだ。
「では、今回、活動休止を受け入れたのはなぜ?」
「え~?」黒江は、照れたようにはにかんで、鷹野の向かいの椅子に座った。「内緒」
「では、ヒントを」
「ヒントかぁ……」黒江が頬杖をついた。数秒後、頬杖を解いて、鷹野を真っすぐに見つめる。「アリアはね、誰にも負けないよ、絶対。最強のバーチャルストリーマーだから!」
「それがヒント?」
「そう、ヒント! っていうか、まあ、そういうこと、っていうか……」
「わかりました。考えておきます」
鷹野の返答を聞いて、楽しそうに声を上げて笑う黒江。鷹野の目には、黒江の笑顔にどこか影があるように映った。
その後、今後の配信予定について話した。休止ライブまでは、いつも通り配信を行うことになった。現在予定されているイベントごとやゲーム大会への参加、コラボ配信に関しても通常通り行う。ただし、ライブ後に関しては完全に休止をする。といった確認を二人で進めた。黒江からの異論も特になく、アリアの休止までスケジュールが本格的に決まっていった。
「休止した後、何かやりたいこととかはあるんですか?」鷹野が聞いた。
「え?」黒江の口が小さく開く。
「どこかに旅行に行きたいとか、見たかったアニメを一気見したいとか、そういうの」
「あぁ……」黒江の口は小さく開いたままだ。
「まあ、ゆっくりするのもいいでしょう」
「うん、あんまり考えてないや」黒江は笑いながら言った。
「黒江さんらしいですね」鷹野が右の口角をわずかに上げた。
「あ、今、馬鹿にした?」
「いえ、配信以外のことには無頓着だな、と。それが『らしいな』と思っただけですよ」
「別に、そんなことないんだけどな~」
「褒めてるんですよ」鷹野はノートパソコンを畳みながら言った。
鷹野がノートパソコンを小脇に抱えて席を立つ。それでミーティングの終了を告げたつもりだったが、黒江は座ったまま、鷹野の顔を見つめていた。
「黒江さん、何か他にありますか? 心配事などあれば、聞いておきますが」
「アリア、忘れられたりしない?」
「忘れられる?」
「一瞬でも休止したらさ、みんなの記憶から消えちゃうんじゃないかって」黒江は俯いた。「ほら、他にも可愛いバーチャルストリーマーとかいくらでもいるし」
「まさか。みんな待っていてくれますよ、きっと」
「本当に?」
「もし仮に、今ここで白日アリアが引退したとしても。人々の記憶には残るでしょうね。多少休止したぐらいで薄まるような存在ではありません。みんな、黒江さんの、アリアの復帰を待っていてくれるはずです」
「私のことなんかどうでもいい……」黒江の小さく、か細い声だった。
「僕が保障しますよ。大丈夫、心配いりません」鷹野は、優しい声色で言った。
黒江が顔を上げ、立ち上がる。少し緊張したような、真面目な表情をしていた。
「ね、鷹野さん」
「はい」
「アリアはね、私の全てなの。私からアリアを取り上げたら、何も残らない。だからね、多少ひどいことを言われたりだとか、疎まれたりとかしても、私は別に大丈夫だから。その、あの娘のことだけは、信じてあげて欲しいの」
「あの娘……?」鷹野は眉をひそめた。
「アリア」
「ああ……もちろん、信じますよ」
「アリアはね、私なんかよりもずっとずっと愛されてるの」
「黒江さん……?」
「この間の誕生日配信はちょっと立ち回りを間違えちゃったけど、でも、そういうところも、アリアの良いところだよね? 感情むき出しでさ、怒ったり、泣いたり、いっぱい笑ったりするの、可愛いよね。だから、だから……」黒江が早口でまくし立てる。声が震えていた。
「黒江さん、落ち着いて、大丈夫です。分かっています」
「分かってない!」
黒江の高い声が、会議室に響く。鷹野が短くを息を吸う。黒江は感情的な人間だ、しかし、こんな風に叫ぶのは、鷹野からすれば初めてのことだった。
「あ……ごめんなさい」我に返った黒江がうずくまる。
「いえ、大丈夫です」鷹野もしゃがんで、黒江と目線を合わせた。
「みんなに、聞こえちゃったかも」黒江は会議室のドアを気にしながら言った。
「説明してきます」
やはり、事務所の方にも黒江の叫び声は届いていた。鷹野が会議室から出てこなければ、大和田が突入するところだったらしい。そこにいた全員が真剣な表情で、鷹野を見ていた。
鷹野がどう説明すべきか迷っていると、会議室から黒江が出てきた。
「ごめんごめん! ちょっと、熱くなっちゃって……へへへ……」黒江は、引き攣った笑顔で言った。「休止するってなって、ちょっとやっぱり不安だったのかも。それを鷹野さんにぶつけちゃった……ごめんなさい」
鷹野に頭を下げる黒江。
「いえ、謝る必要はありません。むしろ、嬉しかったぐらいです」
「ええ⁉」黒江が目を丸くした。
「あれぐらい、思っていることをそのままぶつけてくれる方が、僕としては助かります」
「むむむ……」黒江の口元が緩む。「でもなぁ……キレる若者みたいなのはなぁ……私の清楚なイメージが崩れちゃうのがなぁ……」
「清楚?」鷹野が首を傾げた。
加古井が鷹野の横腹を肘で小突く。鷹野は渋い顔をしている加古井を見て、あぁ、と言葉にもならない音を漏らした。
「里沙ちゃん、大丈夫、なんでも言っていいんだよ。ここにいるみんなが、里沙ちゃんの味方だからね」大和田が真面目な表情で言った。
「うん、ありがとう。社長」黒江はいつもの明るい笑顔を見せた。「でも、もう大丈夫。ちょっと気が動転してたんだと思う。鷹野さんも、変なことを言ってごめんなさい。忘れていいから!」
鷹野は頷いたものか、首を振ったものか迷ったので、とりあえず微笑んでおくことにした。様子のおかしかった黒江も、それ以降はいつも通りに見えた。それから、大学へ行く時間になった初上が事務所を出るのに合わせて、みな帰路に着くことになった。
鷹野は車の運転席へと乗り込み、煙草に火を点けながら、黒江とのやり取りを思い出していた。今日の彼女は、色々とおかしかった。元々感情の浮き沈みの激しいタイプではあるが、あんな風に叫び声を上げたりすることはいままでに一度もなかった。 黒江が自分から休止を言い出したことも、鷹野からすれば大きな異変だったが、今日の黒江を見ると、思っているよりも事態は深刻かもしれない。
「アリアは誰にも負けない……」鷹野は煙草の火を消しながら、黒江に貰ったヒントをつぶやいた。