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白日アリアは死んだのか?  作者: 黄色之鳥
第1章 黒い日々
3/32

2話

 平素より、大和田芸能事務所及び所属バーチャルストリーマーを応援していただき、誠にありがとうございます。


 近年、当社の関係者に対する誹謗中傷や事実無根の投稿がインターネット上で多数確認されております。


 これらの行為は、関係者の名誉や信用を著しく損なうだけでなく、心身への深刻な影響を及ぼし、場合によっては活動の継続を困難にする重大な問題です。


 当社としては、このような行為を決して容認することはできません。


 当社では、以下の方針のもと対応を進めてまいります。


 ①法的措置の徹底


 誹謗中傷、名誉毀損、プライバシー侵害、脅迫、営業妨害などに該当する行為を確認した場合、速やかに専門家と連携し、発信者情報開示請求や損害賠償請求などの法的手続きを実行します。


 ②警察機関との連携


 悪質な行為については、警察機関への相談・通報を行い、刑事事件としての対応も検討します。


 ③継続的な監視と対策


 当社の知的財産や関係者を守るため、インターネット上の監視体制を強化し、再発防止に向けた取り組みを徹底します。


 ④該当投稿の削除要請


 対象となる投稿の削除を速やかに行っていただくよう求めます。削除が確認されない場合、法的手続きを通じて責任を追及します。


 応援してくださる皆様が安心してコンテンツを楽しんでいただける環境を守るためにも、誹謗中傷行為に対するご理解とご協力をお願い申し上げます。


 ファンの皆様におかれましては、今後とも大和田芸能事務所ならびに所属バーチャルストリーマーをよろしくお願い致します。




  ***


 


「すみません、今は全てお断りしているんです。ええ、そうです。はい。いえ……私の方から言えることはありませんので……」


 加古井麻衣は、電話対応に追われていた。


 白日アリアの公式SNSから『大切なお知らせ』の配信予定が発表されたのは、今から2時間ほど前だった。SNSのトレンドは白日アリア一色になり、事務所にはひっきりなしに電話がかかってきていた。


 アリアのSNSを見て電話をかけてきているのは、メディア関係の人間達だった。ここ最近、何かと話題に事を欠かないアリアのスクープは、彼らにとっては格好の餌なのだ。白日アリアについて取材をさせてくれ、という内容の電話が鳴り止まない。


 9人目の電話対応を終えたあたりで、鷹野蒼司がやってきて事務所にある電話線を全て抜いてくれた。


 鷹野は、『白日アリア』と『甘姫』のマネージャーで、加古井の唯一の先輩だった。


「麻衣さん、コーヒー飲みます?」鷹野はケトルに水を注ぎながら言った。


「いただきます……あ、いや! 私がやりますから」加古井が慌てて立ち上がる。


「気にしないで。座っててください」


「う、すみません」


「どういたしまして」鷹野は無表情で頷いた。「電話対応、ありがとうございます」


「いえいえ……あ、その、発表はしたんですか?」


「しましたよ。目論見通り、休止宣言時は多少荒れましたが、その後にライブの開催の発表をしたので、多少は火消しが出来ました」


「流石、作戦勝ちですね」


「ええ、休止前ライブを提案してくれた黒江さんに感謝ですね」


 加古井は赤べこのように何度も頷いた。


「本当にアリアちゃん、休止になるんですねえ……」


「最近、誹謗中傷コメントも度を越えて激しくなって来ましたし、長時間配信もあり得ないほど多くなっていたし、流石に少しぐらい休まないと」


「あれ? 鷹野さんが決めたんですか?」


「いえ、黒江さんからです。元々、いつ休止してもいい、辛くなったら休んだ方がいい、とは伝えていましたが」


「あぁ……黒江さんもやっぱり、体力的に限界だったんですかねぇ……」加古井は呟くように言って、鷹野に手渡されたコーヒーを啜った。


「限界……そう、外からじゃ判断できないことです。外面的には問題なさそうに見えても、実はボロボロに壊れている可能性がある……」


「え……ボロボロ?」加古井は、急に声のトーンが落ちた鷹野の顔を凝視した。


「レイン君にも、気を使ってあげるようにしてください。バーチャルストリーマーのマネージャーの第一の仕事は、担当を守ることです」


「もちろんです」加古井はまた、赤べこのように首を振る。


 レイン・カッシュは、加古井がマネジメントを担当しているバーチャルストリーマーだった。レインの『中の人』である川崎良平も、もしかしたら活動する中で傷ついているのだろうか、と加古井は考えた。彼は、いつも飄々としていて、落ち着いている。配信内容も静かに雑談をするというような、荒れにくいタイプのスタイルでやっているため、加古井は彼のメンタル面について心配したことがなかった。


「レインさんにも、言っておいた方がいいんですかねぇ……? いつでも休止していいんですよ、って」加古井は考えていることをぶつけてみた。


「言っておくだけで、心持ちが変わるかもしれませんね。ただ、活動休止にはリスクもありますから。そのあたりは任せますよ。加古井さんも新卒3年目ですからね。自分で判断してください」


「そんな突き放さないでくださいよぉ……」加古井は立ち上がって、鷹野に近づく。


「突き放しているつもりはありません。レイン君のことは、僕よりもあなたの方が詳しいでしょうと、そういう意味で言ったのです」


「まあ、そうかもしれないですけど……」


「ジャーマネさん!」まだ幼さの残る高い声が事務所に響いた。


 簪萌かんざし・もえが、事務所の入り口のドアから顔だけを覗かせていた。


 萌は、事務所で雇っている高校生アルバイトで、今日はアリアと甘姫の配信サポートの仕事をしている。


「あ、はい。なんですか?」コーヒーを飲んでいた鷹野が立ち上がって応答する。


「そろそろ休憩時間にしようと思うんですが! タイムスケジュールがちょっと押しているので、確認にきました!」


「そのまま休憩に入ってもらってください。時間はあくまで目安なので、多少長くなってしまっても大丈夫です」


「了解ですっ!」


 元気よく返事をしてスタジオへと戻っていく萌は、配信者という職業に憧れている、と話していたことがあった。この事務所のアルバイトの仕事は彼女にとって勉強のようなものなのだろう、と加古井は考えている。


 それから数分も経たないうち、事務所の入り口のドアが勢いよく開いた。加古井は、萌が何か忘れ物をして戻ってきたのだと思ったが、出入り口から現れたのは、萌ではなく、初老の男だった。


「やあやあ、鷹野君! 麻衣ちゃん! 一杯どうだい!」


 大きな足音を立てて鷹野に近寄り、ビールの6缶パックを鷹野のデスクに置いた。この初老の男が、大和田芸能事務所の社長である大和田純である。白髪交じりの頭ではあるが、身長は高く、がっちりした体型で色黒のため、若く見られることも多いだろう。実際は50に近い年齢のはずだ。


「社長、お疲れさまです」鷹野は大和田の方をちらりと見て、挨拶をした「今は仕事中なので、アルコールは飲みません」


 大和田は素っ気ない鷹野の反応には慣れた様子で、おおそうか、と言った後に豪快に笑いはじめた。


「麻衣ちゃんは、どう? お酒」鷹野に振られた大和田が、加古井の方に近寄ってきた。


「私も仕事中ですぅ」加古井は手に持っていたマグカップをノックするようなジェスチャーをした。


「なーんだ。若いのに真面目だな~」


 大和田の顔は少し赤みがかかっていた。おそらく、駅前の立ち飲み屋かどこかで、一杯やってきたのだろう。事務所の稼ぎ頭が休止宣言をしたというのに、随分と呑気なことだ、と加古井は思った。


「今、里沙ちゃんたちは配信中?」大和田がビール缶を開けながら聞いた。


「そうです、そろそろ休憩に入ると思います」鷹野が答える。


「ちょっと覗いてもいい?」


「だめです」


「え⁉ なんで?」大和田の目が見開かれた。


「これから休憩なので」


「これから休憩ならいいんじゃないの?」


「休憩中に、社長の相手をさせることはできません」


「俺、邪魔者か何かなの⁉」


「そこまで言っていませんよ」鷹野はそう言って、大和田の方に向き直った。「彼女たちと話したいだけなら、配信が終わった後でもいいでしょう」


「配信のプロとしての里沙ちゃんたちの顔が見たいのにぃ……」大和田は大きな体をゆすりながら不満そうな表情を作ってみせた。


「やめてください。その動き」鷹野が顔をしかめる「見るに耐えません」


「鷹野君、俺に冷たいよね」大和田が口を尖らせている。「俺だって色々頑張ってるのになぁ……」


「もちろん、仕事ぶりには感謝しています」鷹野は言った。「冷たくしているつもりもありません」


「そう? じゃあ、社長の好きなところ5つ言ってみてよ」


「は?」鷹野が無表情のまま、口を開ける。


「この前、麻衣ちゃんに聞いたらすぐに答えてくれたよ」大和田はそう言って、加古井に笑いかけた。


 加古井はそれに、目を細めて対抗する。この酔っ払いめ、と言いそうになったが、なんとか抑えた。今日の標的は鷹野のようなので、加古井にとっては大した問題ではない。


「……明るいところ、意外と抜け目がないところ、資金調達が得意なところ、若者好きなところ、うるさいところ」鷹野は滞りなく答えてみせた。「これで5つ、ですか?」


「うるさいところ?」


「失礼しました。賑やかなところ、に言い直します」


「よし、それでいい。いやあ、やっぱり鷹野君を引き抜いてよかったよ!」大和田は大げさな泣き真似をして、鷹野を抱きしめるべく両腕を広げて近付いていく。


「あ! 鷹野さんとシャチョーがいちゃついてます!」萌の声だった。


 休憩時間に入った萌と黒江、そして初上が事務所に戻って来ていた。


「社長! 麻衣さんへのセクハラはやめてください」事務所にいた男二人を見るやいなや加古井の元へ走っていく黒江。「ね? 麻衣さん」


「いえ、私は……」


「どうみてもセクハラされているのは僕でしょう」鷹野が割って入る。


「里沙ちゃーん! お疲れ様! 大丈夫? 最近また変なのがコメントに湧いてるんだって? 社長が住所特定してぶん殴ってくるからね? ユーザー名教えて?」大和田が黒江にターゲットを変えて、詰め寄っていく。


「うん! ありがと、社長! えっとね、ユーザー名は――」


「社長、刑罰権のない一般人による住所の特定、及び直接的な制裁行為は立派な犯罪です」鷹野が自分のデスクに座り直しながら言った「黒江さんも、本気にしないように」


「本気になんてしてないですー」黒江が笑いながら言う。


「そうだそうだ、本気にしてるのは鷹野君だけだぞ」


「社長が来るといつもより一段と賑やかね」と、そんなやり取りを遠目に見て微笑んでいるのが初上三無姫はつかみ・みなきだった。


 彼女は大和田事務所所属のバーチャルストリーマー『甘姫』の『中の人』で、都内の国立大に通う大学生でもある。加古井は彼女のことを尊敬の目で見ていた。いつも冷静で、言うことなすことが大人で知的だったからだ。たまに禅問答のような、理解が難しいことを言い出すが、それも彼女のイメージに合っていて素敵だと、加古井は思っていた。


「三無姫ちゃん〜! 久しぶりだねえ!」大和田が、初上を見つけてバタバタと近寄っていく。


 相変わらずこのおじさんは節操がないな、と加古井は思う。


「久しぶりではないですよ、社長。先週も事務所でお会いしました」


「一週間も会ってなければ、久しぶりだよ! 大きくなったねえ」大和田が初上の頭上に手のひらを翳している。


「シャチョー! またセクハラですか!」萌が背伸びして、大和田の背中をぽんと叩く「初上さんに触らないでください!」


「いや、違う違う! 触るつもりなんてないよ。身長を確認してただけ!」


「ご心配なく、身長はほぼ変わっていません」初上は、目の前で行われているコミカルな光景には、意にも介していない様子である。


「あ、そう? そおかあ! じゃあ萌がちっちゃくなったんだ!」大和田がまた大声で笑う。


「ちっちゃくなってない!」萌が大和田のお腹のあたりをポカポカと叩いて抗議している。


 普段、仕事を手伝ってくれている時はそれほど感じないが、大和田と一緒にいるときの萌はかなり子供っぽい、と加古井は思う。萌と大和田は叔父と姪っ子の関係なのだ。昔ながらの関係性が、彼女を幼くさせるのだろう。


「社長、酔っ払ってますね?」初上は開封済みのビール缶を持ち上げて、片眉を上げた。


「あ、なるほど」黒江が納得した、と言わんばかりに指を鳴らした。「いつもよりノリが、ウザ……くはないですけど! なんかテンション高い理由はそれかぁ!」


「あ! ウザいって言ったね、今!」大和田がわかりやすく狼狽えた。


「いえ! 私は言ってません! 鷹野さんが言いました」黒江が慌てて鷹野を指差した。


「はい、僕が言いました」鷹野がキーボードを叩きながら答えた。「ウザいです」


「鷹野君⁉ なんでこういう時だけノリノリなの⁉」


 このような下世話な会話のやり取りが何往復か行われ、事務所内が一通り笑い声で満たされた後、配信再開のため、黒江達はスタジオに戻っていった。その数分後には配信が再開され、ポーズ画面で止まっていたゲーム画面が動き出した。


 これが、大和田事務所の日常的な光景だった。加古井は、この時間が好きだった。今日は良平がいないものの、これだけの人数が事務所に集まるのは稀なことだ。普段はみな、自宅で仕事をしたり、配信をするので、集う機会が少なくなるのは仕方がない。アリアが休止すれば、こういった時間は更に減るだろう。それが少し、加古井には寂しく感じた。

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