3話
加古井はその夜、初上に電話をかけてみた。3度目のコールで、応答があった。
「お疲れ様です、加古井です。今、大丈夫ですか?」
『ええ、大丈夫ですよ』
「あの、調子はどうかな、と思いまして」
『アイムグットです、心配かけてごめんなさい』
「いえいえ、それなら良かったです。あの、夜ご飯は食べましたか?」
『いえ、まだですけど……』
「よかったら、ご一緒するのはどうでしょう」
『あら、珍しい。素敵な提案ですね』
「そうでしょうそうでしょう」加古井は明るめの声を作って言った。「ご自宅に伺っても?」
『いえ、どこかで合流にしましょう。家の近く、そんなにお店ないんです』
初上が適当な店を予約してくれる、というので、そこで落ち合うことになった。事務所の最寄駅から3駅ほどの駅で降りると、高級ホテルやブランドショップが立ち並ぶ街に辿り着いた。ヨーロッパ風にデザインされた街灯が金色の光を発していて、歩く人々の経済力を線引きしているように感じた。この駅で降りたのは初めてだったので、目に映るもの全てが新鮮だったが、居心地はそれほどよろしくないな、と加古井は思った。
少し歩いたところで、目的地に到着した。初上に連絡すると、先に入っていてください、という内容の返信があったので、指示通りにすることにした。この先にあるのはとても高級な店であるぞ、というような雰囲気を感じさせる階段を下りていくと、和風料亭のような面がまえの玄関口が現れた。店員に『初上』で予約していると伝えると、個室へと案内された。ドアは襖で、床は畳、座椅子に座布団、どれも高そうな装飾が施されていて、加古井は辺りを見回しては萎縮するのを繰り返していた。
「麻衣さんからのお誘いだから、少し背伸びしちゃいました」ほどなくしてやってきた初上は一言目にそう言った。Tシャツにジーパンという、いつもの初上の服装ではあるが、店の雰囲気に似つかわしくない。店構え的に、もっと洒落たファッションを選んでくると考えていたので、拍子抜けだった。
「あのう……初上さん、普段こういうお店に行かれるんですか……?」加古井は小声できいた。
「いえいえ、初めてです」初上は笑いながら言った。「でも、せっかくなので個室で美味しものを、と食べログで探しました」
「ああ、良かった。何か試されているのかと思いました」加古井は大げさに胸をなでおろす。
「試すって何ですか」初上がまた笑う。
柔らかな笑顔を見せる初上を見て、加古井の口元も自然と緩む。
「良かった、全然元気そうですね」
「やっと、って感じです。泣いてばかりいたら、黒ちゃん、きっと怒るだろうから」
「黒江さんは怒らないですよ」加古井は微笑む。「配信も落ち着いたらで大丈夫ですからね」
「はい、ありがとうございます」初上は頭を下げた。「ちなみに、鷹野さんは……?」
加古井は首を横に振る。
「私なんかより、鷹野さんの方がダメージ大きそうですね」初上が真面目な顔で言った。
「社長が探してくれてるんですけど、引っかからないみたいで……」
「大丈夫かしら……」
「社長いわく、しばらくしたらひょっこり帰ってくるだろう、って言ってました」
「だといいんですけど」
「あ、それで、お伝えしていた通り、鷹野さんが不在の間は私が代わりにマネジメントをしますので、よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」
一つ目の料理が運ばれてきたので、そこで会話が中断された。旬の素材を使った料理だと、説明があった。見るからに高級感の塊のような前菜で、加古井は思わずコースの値段を確認したくなったが、予約してくれた初上に対して失礼に当たるかもしれないことに気づき、考え直した。
「初上さんって、鷹野さんのスカウトでバーチャルストリーマーになったんですか?」加古井は、お互いが箸を置いたのを確認して切り出した。
「スカウト……まあ、確かにあれはスカウトだったのかもしれません」
「詳しく聞いても?」
「麻衣さんの頼みとあらば」初上が右の口角を上げた。「私、昔は路上で歌ってたんです」
「え、そうだったんですか?」
「はい、大学に入りたての頃でした。自分には音楽の才能があって、それを誰かが見つけてくれると信じてました。傲慢な人間でしょう?」
「いやいや、間違いなく才能はあるじゃないですか、それはもう証明されてますよ」
「今は結果があるからそう言えるだけ」初上が目を細めた。「で、最初に私を発見したのが、鷹野さんだったんです」
「おぉ、すごい、奇跡の出会いだったわけですね?」
「最初は、断ったんです。バーチャルストリーマーなんて知らなかったし、どこぞの音楽プロデューサーにスカウトされたものだと思ったのに全然違かったから、がっかりしました」
「でも……?」
「鷹野さんがしつこくて」初上が含み笑いをする。「張り込んでる刑事みたいに、毎回毎回、私が歌い終わるの見計らっては勧誘してきて、挙句の果てには『僕ならあなたを有名にできます』なんて言い出す始末」
「へえ……鷹野さん、そんな熱血なイメージなかったですけど」
「いえ、あの人は熱血ですよ。それもかなりの」
「え~? そうですかねえ? なんかいつもクールっていうか、スカしてるっていうか……」
初上が声を上げて笑った。
加古井も、それにつられて笑う。
「今度会った時に、言ってあげてくださいな。『スカしてんなよ~』って」
「えぇ~……まあでも、それぐらい許されますよね~? こんな心配かけて」
「私も加勢しますよ、野次を飛ばす役なら任せてください」
笑い合う二人。
それから、加古井と初上は料理を楽しみながら、とりとめのない話をした。初上は知的な話を好むイメージがあったので、知っている雑学などを駆使することを心掛けた。思いのほか盛り上がったので、お酒も入れた。酔った初上を見るのは初めてだったが、普段と全く変わらなかった。せいぜい、頬がわずかに赤くなった程度だった。支払いに関しては揉めたが、最終的に割り勘になった。加古井は全額出すつもりだったので、ここは敗北したと言える。
こういう時間は、今の加古井には貴重だった。大学を卒業してから、友人と呼べる存在がいなくなっていたな、ということに気が付いた。どうでもいい話をして、愚痴を言いあって、馬鹿なノリにも付き合ってくれる、そういう存在が恋しくなった。初上にはきっと、大学にたくさんの友人がいるだろう。
「またご飯、行きましょう」改札前で初上が言った。
「はい、また」加古井は敬礼のポーズをとった。
「今度は私から誘いますね」
初上と別れて電車に乗ると既に、先ほどの時間が恋しく感じた。
一人になると、ネガティブな方向の考え事が多くなる。
今日は黒江の話は一切しなかった。加古井も気を付けていたし、初上もおそらく同じだろう。思い出話をするにはまだ早すぎる。
黒江には、友人はいただろうか。葬儀には、事務所の人間しか来なかった。もしかすると、ほとんどの時間をアリアとして生きていたせいで、黒江里沙としての人生を満足に歩めなかったのではないか。
こんなことになるのなら、もっと黒江を飲みに誘ったりすればよかった。もう少し彼女に歩み寄れたはずだ。
いや、こんなことを考えるのも、ただのエゴでしかない。自分を責めるような思考をして、自分を慰めているだけだ。彼女は彼女の生きたいように生きたはずだ。それを否定するような考えを持つのはやめよう。
ふと顔を上げると、地下鉄の車窓に映っている自分に睨まれていた。
「私だって、責任、感じてるんだよ」そんな目で見ないでくれ、と言う前に、言葉が口から出てしまっていたことに気が付いた。慌てて回りを確認したが、誰も加古井の独り言を気にしている様子は無かった。




