13話
翌朝、加古井が準備をしてホテルのエントランスに行くと、初上が窓際のソファに座って待っていた。初上は加古井を見つけると、にっこりと笑って、おはようございます、といった。一晩寝て、気持ちが落ち着いたのかもしれない。加古井は初上の笑顔を見て、昨日から抱えていたモヤモヤが少し晴れていくように感じた。
「初上さん以外はまだですか?」
「ええ、そろそろ降りてくるとは思うけど……」
「黒江さんのこと、どう思いますか」加古井は思い切って聞いてみた。
「何か訳があるんでしょう。今日は私、黒ちゃんのために歌いに来ているから、彼女がいなくても、やることは変わらないわ。ただ、ライブを素晴らしいものするだけ」
「はぁ……流石ですね」加古井は初上の言葉に、胸が熱くなった。
「いえいえ」
この人は、本当にどこまでカッコいい人だ。初上がそういう心持ちなのに、裏でただ見ているだけの自分が、慌てたり苛立ったりしている場合ではない。何らかの理由で来れなかった黒江のために、今日を乗り越えてやろう、と加古井は決心した。
数分も経たないうちに、大和田と萌、鷹野が降りて来た。鷹野の言葉数は少なかったが、昨日夕方以降、彼に感じていた不気味さは無くなっていた。
ホテルを出ると、送迎の車が止まっていたので、それに乗り込んで会場へと向かった。車内にいたのはわずか5分ほどで、すぐに会場に到着した。既に、ライブ客であろう人たちが正面入り口の付近で待機している様子が窓から見えた。
「もう来てるんですね~……」萌が呟くように言った。
「開場自体は午後なんだけどね」大和田が返答する。
会場の裏口に車が横付けされ、降りてすぐにスタッフの誘導があり、控室までたどり着いた。控室には望月と、他数名のスタッフが待機していて、望月からこの後の流れの説明があった。初上以外は基本待機で、特に仕事はない。初上だけが、機材の動作確認のためにキャプチャスタジオに移動することになった。
開場まで時間を潰すことになり、思ったよりもすることがないな、と加古井が思っていると、萌がボードゲームをカバンから取り出してテーブルの上に置いた。昨日の夜、機会があったらこれで遊ぶつもりだったらしい。せっかくなのでみんなでやってみることになった。鷹野は抵抗していたが、萌の圧に負けて参加させられていた。昨日とは打って変わって、いつもの大和田事務所の雰囲気を取り戻しつつあった。萌の作戦勝ちである。ほどなくして戻ってきた初上もノリノリで参戦してくれたので、バトルは更に白熱した。黒江もいたら、もっと楽しかったのに、と思わずにはいられない時間だった。
3戦目の途中で初上が望月に呼ばれてしまったので、ボードゲームバトルは途中で終了になった。気づけば開場が始まっている時間になっていて、既に満席になりつつあるとのことだった。
「さてさて……」初上が立ち上がって伸びをする。
「流石の三無姫ちゃんも緊張してそうだね」大和田がニヤつきながら言った。
「いいえ、全然ですよ」初上は両の口角を上げた。
「頑張ってください!」萌が初上の手を握る。
初上は愛おしそうな表情で、萌の頭を撫でた。その後に、鷹野と加古井の顔を見て、頷いた。
「それじゃあ、行ってくるわ」
余裕ありげな笑みを浮かべて、初上は控室を出ていき、鷹野もそれに付いていった。
加古井達は関係者席に案内された。2階で、ステージを真横から見下ろせる角度の席だった。アリーナから4階席まで空いている席がほとんどない状態で、広い空間が喧騒に包まれていた。開演時間になれば、今空いている席も埋まっていくだろう。
加古井がライブの雰囲気に身を浮かされたような気分に浸っていると、突然、ホールを薄暗く照らしていたライトが消えた。
暗闇と静寂。
さっきまで音で溢れかえっていた空間が嘘のようだった。
ピアノの旋律が流れ始める。
オープニングに選ばれた、アリアのソロ曲のイントロだ。
ステージの一点が白いライトで照らされた。
感嘆の声が、至る所で挙がる。
彼女が動く度に金髪が揺れ、衣装がはためく。
歌唱の技術など介在しない、魂の歌。
満天の空の下、アリアがいた。
瞬く青い星たちと彼女だけが、この世界の全てに思えた。
***
2曲目からは甘姫も登場して、デュエット曲が続いた。オープニングの曲はどちらかというと『聴かせる』系の曲だったので、2曲目以降、客も参加できるタイプの曲になると、照明も明るめになり、会場全体のボルテージが上がっていった。手拍子、叫び声、ペンライトの光、そのどれもが、ステージに溶け込んで、演出の一部になっていた。
「すごいな……やっぱり」大和田がわが子の活躍を見るような目で言った。
萌がそれに同調して頷いた。
「これが、我々のアリアと甘姫なんですよね~」加古井が腕組みして言った。「世界最強ですよ、こんなん」
「世界最強!」萌が繰り返す。
アリアか甘姫が話をして、曲に入る、の繰り返しで、あっという間に時間が過ぎていった。アリアのMCで『次が最後の曲です』という宣言がなされると、客席から不満の声が上がった。お決まりの反応だったので、アリアが反応する。
『楽しいライブの時間は過ぎ去っていくけど、でも、アリアは永遠だから』
客席が沸いた。休止を控えている『推し』の口から、『永遠』というワードが出れば、それは嬉しいだろう。
『それじゃあ、最後の曲、聴いてください』
会場が真っ暗になる。
ヴァイオリンが主役のイントロが流れ出した。
加古井はこの曲が一番好きだった。別れと出会いとテーマにした歌詞は少し物悲しいが、静かな決心と覚悟を感じる曲調がお気に入りだった。
これが最後の曲だ。今回、アンコールはない。加古井は会場の雰囲気と大好きな曲を全力味わおうと、瞼を閉じて、深呼吸をした。
どよめき。
まだ、イントロの途中だ。
客席の一部が、何やら騒がしくなった。
加古井は目を開けて、身を乗り出してみた。
『おい……黒江里沙、死んだって……』
動悸。
どこからか、かすかに聞こえた言葉。
聞き間違いだ。
聞きたくない声達が、広がっていく。
騒ぎが大きくなったのが合図であるかのように、アリアと甘姫が歌い出した。
『黒江里沙って、アリアの?』
黙れ。
『確か、そんな名前だったよな?』
聞こえない。歌が。
『自殺体が、発見されたって、ほらこれ』
うるさい。
呼吸が早くなっていた。
騒ぎは全体には広がらなかった。数秒間、客席のごく一部で『黒江里沙が死んだ』という与太話が伝播しただけだった。加古井の右隣、数席空けた場所に座っていた関係者であろう人も、そのことについて話をしていた。
加古井は、左に並んで座っていた大和田と萌を見た。大和田は手拍子をしていた。萌は、突然身を乗り出した加古井のことを、不思議そうな顔で見ていた。
「萌ちゃん、聞こえた?」
「はい! 私、この歌大好きです」
加古井は飛び出しそうになっている心臓を抑えるように、胸に手を当てる。
「落ち着け……そんなの、あり得ないから」
「麻衣さん? 胸、痛いんですか?」萌が心配そうな表情で麻衣の顔を覗き込んだ。
「大丈夫。少し、席、外すね」加古井は立ち上がって、ホールを後にした。
廊下に出ると、アリアと甘姫の歌声はほとんど聞こえなくなった。加古井がスマホを取り出して、震える手でネット検索を始める。キーワードは『黒江里沙』。トップに出てきたのは、『白日アリアの正体 黒江里沙とは何者?』というタイトルの記事だった。開いて見てみたが、自殺や死んだ、というような内容は書かれていない。更新日付を見ると、約1年前だった。
加古井は少し考えたのち、SNS検索に『黒江里沙』と打ち込む、サジェストには『自殺』が表示された。
過呼吸になる。
酸素が足りない。
検索結果が表示される。
『これ、アリアの中の人じゃね?』という投稿がバズっていた。そこに貼ってあったURLをタップすると、『20代女性が自宅で遺体で発見された』というニュースページに画面が飛んだ。『遺体は人気バーチャルストリーマーの中の人として、ネットで話題を集めていた黒江里沙氏のものと確認された』という文章が、目に飛び込んでくる。
歯を食いしばり、走る。
スタジオに鷹野がいるはずだ。
聞きたいことが山ほどある。
涙が溢れてきた。
やっぱり、そうだった。
なんとなく、黒江にはもう会えない気がしていた。
そのことを考えないようにするために、苛立ったり、怒鳴ったりして、ごまかしていた。
スタジオのドアを開けると、望月が振り向いた。
望月は、口に人差し指を当てて、喋るな、のジェスチャーをした後、加古井のぐしゃぐしゃになった表情を見て、目を見開いていた。
部屋の中央には初上がいて、大量のカメラに囲まれながら歌っていた。
彼女もまた、泣いていた。
大粒の涙を目じりに溜めては、床に落とし続けていた。
なのに、モニターの中の甘姫は泣いていない。
ただ、目を細めて真剣に歌を歌っているように見えるだけ。
涙すら再現することができない3Dのモデルに、何を託せるのか。
さっきステージで見ていたものは、ただのまやかしだ。
加古井はスタジオを見渡し、控室に至るまで確認をしたが、鷹野の姿はどこにも見当たらなかった。




