食事会 ≪ティア目線≫
夕暮れの街を歩きながら、私は胸の高鳴りをそっと押さえていた。
彼とプライベートで食事に行くのは初めて――いや、仕事以外で異性と街を歩くこと自体、私にとっては初めての経験だった。だから、あの小さなレストラン『ルミナ・グロッサ』を選んだのは、少しだけ勇気を出した結果だった。
木の蔓が絡む外観。扉を開ければ、温かな灯りと、静かな空気。ゼンイチさんが「うまそう」と笑った時、私は少しだけ肩の力が抜けた。
「ふふっ、気に入ってもらえて嬉しいです」と言ったのは、たぶん、心の奥から自然に出た言葉だった。
私の紹介した店を喜んでくれる。それだけで、どうしようもなく嬉しくなる自分がいた。
彼は食べ物を素直に褒めてくれる。そういうところが、本当にまっすぐで、嘘がなくて――尊敬できると思う。きっと、仕事のときも、誰かに対しても、同じなんだろうなって。
だから、思い切って打ち明けてみた。
私の先祖が異世界の人だったこと。
“ミカ・ナガセ”という名前。
ずっと誰にも話す機会がなかったけれど……ゼンイチさんなら、変に思わず受け入れてくれるって、そう思えたから。
話しながら、自分でも少し不思議な気持ちになった。
言葉にするたびに、自分の中の誇りが静かに胸を満たしていく。
ゼンイチさんは、私の話をちゃんと受け止めて、うなずいてくれる。
「まさに改革者じゃん」――その言葉に、私は思わず笑いそうになってしまった。
真剣に、でも飾らずにそう言ってくれる彼の言葉には、妙に力がある。
「……なあ、ティア」
不意に名前を呼ばれて、胸が少しだけ跳ねた。
「俺さ、この世界のこと、もっと知りたいって本気で思ってる」
その言葉に、心が強く揺れた。
この人は、ただ流されて生きているわけじゃない。目の前のものをちゃんと見て、自分の意志で歩こうとしている。
――私も、その一歩のそばにいたい。そう思ってしまった。
「……その時は、ぜひ私も一緒に連れて行ってくださいね」
そう言う自分の声が、少し震えていたのを、自分だけが知っている。
ワインを飲んで、彼の頬がほんのり赤く染まった頃。
私はすっかり、安心しきっていた。
だから、不意に言われたその一言は、完全に不意打ちだった。
「それにしても……改めて見ても、ティアって美人だよなぁ……」
一瞬、時間が止まったような感覚。
心臓が、何か大事な音を打ち間違えた気がした。
顔が熱くなっていくのを、どうしても止められない。
「……いきなり、どうしたんですか?」
なるべく普通の声を出したつもりだった。でも、自分でも、ちょっと上ずってたと思う。
しかも、ゼンイチさんはそのまま自虐モードに突入して、勝手にハードルを下げていく。
私は必死に冷静を装って、さらりと本当のことを言った。
「……そう言われれば、たしかに違いますね。骨格も耳も、ぜんぜん違います」
それは事実だし、嘘は言ってない。……でも。
内心では、「違う」ことがダメなんじゃないって、ちゃんと伝わればいいと、ずっと祈るような気持ちだった。
だって私は、彼のまっすぐさも、言葉を素直に口にするその姿勢も、すごく素敵だと思っているのだから。
種族が違っても、価値観が違っても――中身をちゃんと見ようとするゼンイチさんだからこそ、私はこうして話ができているんだ。
「……この世界のほうが、よっぽど道徳的に進んでるかもな」
その独り言のような言葉に、私はなぜだか少し誇らしい気持ちになった。
食事が終わって、店を出ると、夜風が頬を撫でた。
酔いが少し引いて、私はようやく気持ちを落ち着けることができた。
「送ってくよ。夜道は物騒かもしれないし」
一瞬、動揺してしまったが、おそらくゼンイチさんに他意は無い。とっさに自衛出来ると強がってみたけど、何だか少し寂しい。
「また明日。おやすみなさい」
そう言ってゼンイチさんと別れたあとも、私はしばらく振り返ることができなかった。
月明かりの下で、胸に残る余韻が、いつまでも温かかった。