光と影
鏡子は高速を降り、無事に川内市に着いた。同乗していた祖母の安堵した表情を横目に
(飛ばしてごめんねばぁちゃ〜ん)
と申し訳なく思いながら 祖母に道案内をしてもらいながら川内市内の親戚医者宅に向かって車を走らせていた。
知らない道に戸惑いながらも20分程で到着し、約束の13時には何とか間に合う事が出来た。
三階建ての白壁の医院。正面玄関前には広い駐車場。
その駐車場をレンガで作られた花壇が囲い、植えられた赤色のチューリップが咲き乱れていた。屋上を見上げると
〝川 内 内 科〟と一文字ずつ紺色ベースに白い文字で書かれた看板が等間隔で並べられている。 三階は親戚医者の居宅で、2階は病棟、一階は外来らしい。
『ちょっと行ってくるわ』
と祖母は医院の横にある居宅用インターホンを鳴らし、自動でドアの鍵が開けられ、入って行った。
鏡子は駐車場で待って居たが暫く経つと祖母が迎えに来た。
『鏡子もおいで』
『わかった』
鏡子は車を降り、深呼吸して祖母に付いて行く。
(なんか緊張やべぇ)
ある意味面接な様なものだ。例え親戚だとしても初めて会うのだから他人みたいな感覚になるのは仕方ない。
祖母がドアを開けると目の前には横幅のある折り返し階段が三階まで続いていた。
(何この作り‼︎自宅まで階段で登るの⁈)
祖母は颯爽と階段を登って行く。さすが山菜採りで鍛えた足腰だ。情け無いが鏡子は追い付けない。ちなみに祖母は明治生まれで、普段着は着物を愛用している。
(着物で階段をあの速さで登る婆ちゃん…)
そんな祖母を尊敬の眼差しで追いかけて階段を登る。
居宅の玄関ドアに着いた時の鏡子は肩で呼吸してフラフラだった。
(あれ?アタシってこんなに体力無かったっけ⁈
婆ちゃん!恐るべし)
出迎えてくれたのはお手伝いさんであろうオバさんだった。
『どうぞお待ちしてました』
と応接間に案内され、一目で輸入家具だと解る豪華なソファーに祖母と座る。テーブルを挟んで向かいのソファーには親戚医者の奥さんが来て座った。
『叔母さまお久しぶりです。お元気でしたか?』
上品な口調の奥様は美しい人だった。
(若い頃はモテたんだろうな〜)
『相変わらず見ての通り元気だよ。幸子さん、急なお願いでお邪魔して申し訳ないね。この娘が私の孫の鏡子だよ』
『寺田鏡子です。この度はお忙しい中、お時間を取って頂きありがとうございます。』
と鏡子は立ち上がり奥さんに挨拶をしているとドアが開き応接間に大柄の男性が入って来た。
大柄と言っても身長が180㎝はある様に見え、中肉中背の60代には見えない男性である。親戚医者の年齢は祖母に以前聞いたのだが62歳だと言う。
男性は祖母を見ると
『叔母さん、しばらくだね』
『聖、この度はありがとうね この娘が例の孫だよ』
奥さんに挨拶をするのに立ち上がったままだった鏡子は
『初めまして。寺田鏡子です。宜しくお願いします。』
とお辞儀をした。
『ああ…君がね』
聖と言う名の親戚医者は鏡子を見ながら言葉少なだ。そしてそのままソファーに座った。
立ったままの鏡子に対し、奥さんが座る様に促してくれたので鏡子も腰掛けた。
『鏡子ちゃんは看護婦を目指したいと聞いたが、わざわざ川内市まで来た理由は何だい?』
『孫は高校卒業して今社会人なんだが、病院の事務やってる内に看護婦になりたいと言い出してね。今は予備校にも通ってるんだが、地元以外の学校に行きたいようでさ。聖に聞けば何か良い話でも聞けるかと連絡したのさ。』
(婆ちゃんフォローありがとうだよ〜)
『君はこの街の学校行きたいのかい?』
『そうですね。出来れば助手で働きながら勉強もして受験出来れば…と考えておりました。』
『……。』
聖は無言になる。
(アタシなんかマズイ事言ったかな⁈)
『あの…なんか…初対面なのに図々しい事言ってすみません。』
鏡子はこの何とも言えない、この静かな雰囲気に耐えられず 背中に流れる汗を感じていた。
しばしの沈黙の後に聖は
『秋に准看護学校の試験があるんだが、それまではここで助手として働き受験してみるかい?一応ここの学生は〝寮〟と言う名の個人部屋が与えられるんだが、君もその様な扱いで良いかな?』
と聞いて来た。住み込みでの仕事になるんだ…これは住む所を探す手間も省けるし、何て有り難い提案なんだろう‼︎と鏡子は嬉しくなった。
『聖、ありがとう。助かるよ 鏡子は正看護婦を目指してるんだ 頼んだよ。 鏡子、一生懸命働いて聖を支えてあげるんだよ』
『はい!頑張ります。宜しくお願いします!』
鏡子はまた立ち上がり深く頭を下げた。
『午後の診察が始まるまで、今から院内を案内しよう。一応、ここの職員には親戚だと言う事は内密にしておこうな。』
『その方が何かとこの先良いと思うわ。さすがは聖だね。鏡子もそれで良いね?』
『うん、婆ちゃん。アタシもその方が良いかな。』
◇◇◇◇◇
その後鏡子は聖と共に一階にある外来に向かった。祖母は奥様とお茶して待ってるとの事だった。
『鏡子ちゃんはいつこっちに来れそうかな?』
自宅用階段を降りながら聖が聞いてくる。
『秋には受験とわかったので、戻ったらすぐ退職願を出して1ヶ月後にはこちらに来たいと思います。それでも構いませんか?』
山元病院の規則で、退職願は退職する1ヶ月前の提出と決まっている。その手順は守らなきゃいけないと鏡子は思った。
『構わないよ。職員には来月から来る助手だと紹介しよう』
『ありがとうございます。』
(この親戚医者は案外良い人なのかもしれない)
とこの時の鏡子は思った。
そう この医院の裏側を知るまでは…
聖と鏡子が外来に着くと1人の年配の看護婦が近寄ってきた。
『先生、この方が新しい職員さんですね⁈』
(何で知ってるんだろ?聖さん、説明してから居宅に来たのかな?)
『ああ、寺田鏡子くんだ。来月から助手で勤務して秋に受験予定だ。』
『それでは私が案内しますので、先生は診療に戻って下さい。』
『影山さんに頼んで良いのかな?』
『はい、私がご案内致します。』
『じゃ、頼んだよ』
と言って聖は診察室に戻って行った。
『あなたが寺田さんね。私は影山光子です。宜しくね。』
いきなり案内役をしてくれるなんて親切な人だな〜と鏡子は
『寺田鏡子です。勤務は1ヶ月後になりますがどうぞよろしくお願いします。』
と笑顔の影山に頭を下げた。
外来は病院特有の匂いが漂い、午後の診療開始の準備をそれぞれの人達が動いてるのが解る。
外来患者が来る前に、自分を紹介する流れなのかな〜?と鏡子は影山と言う看護婦に付いて行った。
最初に〝処置室〟と言うプレートがドアにある部屋に案内されると、そこには4人の年配看護婦が仕事の準備に動いていた。
『皆さん、少しお時間良いですか?』
と影山さんが皆に声を掛けた。
『新人の方を紹介します。1ヶ月後に助手で勤務予定の寺田さんです。』
年配看護婦は手を止め、一斉に鏡子を見た。
『寺田鏡子です。来月から助手として勤務させて頂きます。どうぞ宜しくおねが…』
と鏡子が言い掛けた所で影山が
『寺田さんは先生の親戚だそうです』
と言ってきた。鏡子は
(何でこの人親戚だと知ってるの⁈)
と影山の方を見た。 影山は笑っている。
気のせいか4人の看護婦達の笑顔も目が笑ってない…いや、むしろ冷ややかな視線に感じる。
『じゃ、次は事務に行きましょう』
と影山に言われ、鏡子は4人の看護婦達にお辞儀をして、とりあえず影山に付いて行った。
事務でも、病棟でも、検査室でも、掃除婦のおばさんにも挨拶が出来たが必ず
『寺田さんは先生の親戚なの』
と影山は付け加えていた。
(何故アタシが親戚だと漏れたんだ?て言うか何でこの影山はその情報を知ってるのだろうか…聖さんが内密にしておこうと言ったのだから外部の人間から漏れたのか?)
鏡子の頭の中ではこの漏れた情報の犯人探しでいっぱいだった。
思い当たるとしたら…奥さんか、お手伝いさんか…でも奥さんは祖母とお茶をしてるはずだ。
と言う事は…あのお手伝いさんは居宅だけでは無く外来でも仕事しているのかな…⁈
今日初めて来た所で何も知らない自分が憶測を立てても意味がない。 今は深く考えるのはやめよう。と鏡子は祖母にこの事は教えない事にした。
ここまで鏡子が危惧してしまうのは、これから新たな夢に向かって行く道のりに、嫉妬や大きな壁が待ってる様で不安でならなかったからだ。
(女の職場は独特だ…)
過去の経験で鏡子は少しは学んできたのかもしれない。
祖母を隣に乗せ、帰り道は国道を走ってゆっくり帰る鏡子。
『ねぇ婆ちゃん、女の世界って怖いね』
『急になんだい?何かあったの?』
『いや…別に大したことないって』
『ま、確かに鏡子の言いたい事は何となく解るけどね、そんなのに負けてたら婆ちゃんだってこの歳まで生きてないよ』
『婆ちゃんは強いじゃん…アタシには真似出来ないよ』
と鏡子は笑う。
『よく言うよこの娘は!しっかりしな 自分ってモノを見失ければ大丈夫さ 自分は自分だよ‼︎』
婆ちゃんには言えなかったけど、この川内医院の就職が不安だった鏡子。
でもその直感はあながち間違いでは無かった事に
鏡子は1ヶ月後に気付くのだった…。
つづく