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迷い

 送迎バスの窓から見える自然の景色を、鏡子は

〝無〟の心境で眺めていた。

山元病院は職員の送迎バスを出してくれている、有り難い職場だ。マイカー通勤も可なのだが、鏡子は送迎バスを利用していた。

 最初はマイカー通勤をしていたのだが、凍っていた路面でタイヤがスピンし、操作不能に陥った鏡子の車は、道路脇のやや深めな水路にはまり、脱出不能になった所を送迎バスに助けて貰い、事なきを得た…と言う鏡子にとって、とても恥ずかしい体験があったのだ。 それ以来通勤は送迎バスにお任せしている。

 送迎してもらう度に毎日思う事。それは

『何でアタシここで働いてるんだろ…』

元々は彼氏と同じ休日を取る為だけの目的だったのに…再就職前に彼氏に振られ、しかも相手は5歳上の女。 必死に新しい職場探しで電話をかけまくり、前職場では部長までが説得しに会いにきてくれたり、送別会まで開いて貰って…結果がこれ。

 今の鏡子は悲しみよりも、虚しさや元彼への怒りでいっぱいで、同期入社した臨床検査技師助手の

高橋瑞恵たかはしみずえ

『鏡子ちゃんは何でここに再就職したの?』と聞かれ

『彼氏と休日を合わせる為です』

『え?それだけの為に⁈』

『はい。でも再就職直前に振られましたケド』

『え〜本当に⁈』

『本当なんですよ、しかも浮気相手は5歳上!元々無いプライドもズタズタですよ〜 もう笑うっきゃなくて〜』

と笑い話にする程に、元彼にはいつか後悔させてやる‼︎と精神的に吹っ切れたつもりだったが、送迎バスで職場へ向かう度に何故か〝無〟の心境になるのだった。



◇◇◇◇



 鏡子の仕事は医療事務。私服の上に、医者が羽織る様な白衣を着て毎日病棟に出向き、患者さんの前日使用した薬剤や薬を記録したり、レセプトと言う名の医療費の請求書を手書きで作成したり、月に2〜3回夜勤と言う名の電話番をしていた。(山元病院のレセプトは当時手書きだった)

 事務は医療事務課(医事課)と経理課に分かれており、職員は各6名。医事課は課長を中心に、他5名は全員女性だ。その中に面接時に受付で会った、桜坂高校出身の2名も居た。名前は夏子なつこ理子りこ

各自デスクが与えられ、上座に課長のデスクがあり他のデスクはお互い向かい合う形で並べられていた。

 退職者が居ると言う事で鏡子は入社したのだが、引き継ぎはその退職者の女性に教えてもらった。わずかな期間での引き継ぎだったので、

『もう少し綺麗な文字で書いて‼︎』『計算間違ってるよ、やり直し‼︎』

と厳しい指導だった。鏡子はメモるのに必死だったが、その女性が同い年と聞いて

(もう少し優しく教えてくれないかね〜同い年なんだしさ〜)

と内心ムカつきながらも

(社会ってどこもそうなのかな?)

と社会人の厳しさを知った様な気がした。


 鏡子と同じくもう1人医事課に新人が入ったのだが、その女性は40代後半の笹川智子ささかわともこ。患者さんのお小遣いを管理する仕事をしている。一応同期になるのだが、若作りが凄いと言うか、気持ちが若いと言うか…毎日派手な服装、化粧、そしてミニスカートで送迎バスに乗ってくるのだ。バスに乗り込む時にパンツが見える事もあるらしく、瞬く間に彼女は職場全体の有名人だ。

『また見えたよー』『今日は何色だった?』

と厨房のおばちゃん達の話題の中心だ。

ちなみに鏡子を面接したアフロヘア事務長は経理課に居たのを最近知った。



厳しかった引き継ぎも終わり、彼女は退職して行った。それからは医事課は不思議と和気藹々《わきあいあい》と時折仕事中にお茶やコーヒーを飲みながら、おしゃべりしたりと楽しい雰囲気になった。

(退職した彼女はお局的存在だったのか⁈)

医事課の職員は同級生だし、笹川さんも見た目は派手だが

『智ちゃんって呼んでネ』

とお茶目な所もあり、悪い人ではなさそうだ。

時々課長から

『うるさいぞー』

と注意を受けたりするが、鏡子は引き継いだ仕事を間違いが無い様に。と意識しながら、早く医事課勤務に慣れるぞ!と思う様になって行った。



◇◇◇



 患者さんが売店で買い物をしたり、必要物品を購入する時は必ず、医事課の智ちゃんの所に各病棟の看護婦や看護士が『〇〇さん千円お願いします。』とやってくる。

 山元病院では殆ど患者本人に金銭を持たせてない様だ。きっと自立出来ない患者さんの小遣いは本人管理には出来ないのだろう。

なので、智ちゃんの所には沢山の看護婦が毎日来る。入院患者が300人の病院だ。それぞれ欲しい物があるのも頷ける。

 そんな中、鏡子に声を掛けてきた看護婦が居た。

『あれ?新人さんですか?初めましてですよね?』

まさか看護婦に声を掛けられるなんて!と驚きつつも

『新人の寺田鏡子です。宜しくお願いします。』

と挨拶すると

『私2病棟の藤田あや 宜しくね』

初対面なのに、随分と気さくな人だな〜と鏡子は好印象を持った。


山元病院は一階が老人病棟、2階が自立支援病棟、三階が閉鎖病棟になっていた。

 鏡子の担当は1階の老人病棟で、ほぼ寝たきりの高齢者が多い様だ。毎日一階に降りる途中でオムツ交換の時間なのか、排泄物の臭いが上がってくる。

最初は驚いた鏡子も、今では慣れた臭いになり、さあ仕事が始まるぞと言う気持ちになっていた。

淡々と記録をして医事課に戻る。これが鏡子の毎日のルーティンだった。


昼食は社食があり、一食200円。給料天引き。

メニューは患者さんと同じらしく質素に感じたが食べるしか無い。

 その日は臨床検査技師助手の高橋瑞恵と会い、鏡子は社食で一緒に昼食を食べていた。

『鏡子ちゃん慣れたかい?』

『慣れたのか慣れてないのかまだわかんないっす。』

瑞恵は鏡子の三つ上で、前職はレストランのウェイトレス。有名なレストランだったので、以前鏡子も行った事が何度かあった。どうりでどこかで見た様な気がしたんだよな〜…と言う身の上話から、新人の中でも1番話し合う存在で仲良くなった。

『今度、夜勤の練習するんですよ』

と鏡子が言うと

『医事課って夜勤あるから面倒だね』

と瑞恵は笑った。

 そこへ『こんちわ!』

と、一緒に食べましょと言わんばかりに昼食のラーメンを乗せたおぼんをテーブルに置いた人がいた。

見ると2病棟の藤田さんだった。

『ご一緒させてくださ〜い』

と席に座り、ラーメンを啜っている。

(有無も言わずマイペースだな この娘…)

『医事課の寺田さんでしたよね?突然ごめんね』

と口をモグモグしながら鏡子に声を掛けてきた。

『よく覚えてましたね あ、隣の方は臨床検査技師助手の高橋さんです。』と鏡子が瑞恵を紹介すると

『藤田あやです 宜しくお願いします!』

と言うとあやはラーメンを早々に食べ終えた。

(食べるの早っ!これも職業柄なの⁈)

『もう食べ終わったんですか⁈』

と驚いた鏡子が聞くと

『いつ呼ばれるかわからないからね〜アタシ新人だし』とあや。

『新人なんですか?いや、新人に見えなかったですよ』

『新人だから、こき使われるし給料安いし…』

『ちなみにあやさんってお幾つです?』

『ハタチだよ〜准看護婦なの。』

…て事はアタシが早生まれだから学年は違うけど同い年になるな…と鏡子は考えていた。そこへ瑞恵が

『給料って幾らくらい貰ってるの?』と突っ込む。

『22万位ですよ〜めっちゃ安いですよね?』


 鏡子は固まった。同い年でアタシの給料は10万、

方や看護婦は22万… しかも新人で…

久々にショックだったが、相手は有資格者。差があって当然だと理解しようとしていても、なんか悔しい気持ちの方が強かった。


『じゃ、アタシ戻りますね〜また!』

と下膳もしないであやは走って社食を出た。


『鏡子ちゃん、彼女、置き土産置いて行ったよ』

と瑞恵が呆れ顔であやのお膳を眺めていた。

『天然なのか…非常識なのか…わからん人ですね』

鏡子は仕方なくあやの膳も下げてあげた。



◇◇◇◇◇



 仕事が終わっての帰りのバスの中で鏡子は考えていた。

(藤田さんでも准看護婦になれるならアタシもなれるかな…⁈って言ったら藤田さんに失礼か…いやいや元々血苦手だし、テレビ番組の手術シーンでフラフラするしアタシには無理かぁ)

でも、給料高いし、資格は一生モノだしな〜

今までなりたく無い職業が〝看護婦〟だったけど

この職場に来てから看護婦の仕事に興味を抱いてる自分はもしかしたら〝藤田あやより立派な看護婦になりたい〟と思ってる?

図々しい思考だ。でもなんか心に引っ掛かる…



『ただいま〜』帰宅した鏡子は、

『ご飯出来てるよ〜』と母に促されいつも通り夕飯を食べ風呂に入った。

入浴中も〝看護婦〟の事が頭から離れない。

自分は一生医事課で終わるのか?それもあんな動機での再就職…うん、やっぱりこのまま終わりたく無い!その為にはどうする? 

結論が出ないまま風呂を上がり部屋へ向かおうとしてた時、玄関に血だらけの男が壁にもたれる様に座っていたのが目に入った。

電気を付けて見るとその男は弟の隼人はやとだった。






                   つづく




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