本店で流した涙
本店の菓子部は、ショーケースが円状のガラスケースになっており、和菓子コーナー、菓子コーナー、ケーキコーナー、パンコーナーと言う構成で商品が並べられていた。中の中央にはレジが一つと商品を袋詰めしたり、箱詰めする為の大きなテーブルが置かれている。
忙しい時は、このショーケースをお客様が囲み、菓子部の者が1人1人対応していた。
毎週土日は観光客が朝から団体バスでやってくる。その団体バスを見る度にテンションが下がる鏡子。
(また今日も立ちっぱなしかぁ〜…)
土日は朝8時からの開店なので、夜20時迄の12時間は休憩1時間を除く以外は座る事が出来ない。それが土日の決まりになっている。
足も痛くて立ってるのも辛く、そんな時はしゃがむだけでも一瞬足が楽になっていた。
この頃の鏡子はまだ、商品の名前と値段、材料を覚えるのに必死だった。また、ケーキの形が多種多様なので、箱詰めの時
『どうやったら上手く収まるんだ?』と悩みながら奮闘していたら、お客様を待たせない様にとサポートしてくれる人が居た。一つ年上の先輩水川さんだ。
この人は鏡子が困ってると、いつもさりげなく助けてくれる。
(本店にも優しい人がいるんだ〜)
といつも水川さんには感謝でいっぱいだった。
本店の菓子部では同期が2名辞めたが、唯一残った同期が澤田幸代だった。沢田さんは〝寺田さん〟と呼び敬語で話してくる。
(同期だからタメ口で良いのに)
と思いつつも鏡子も敬語で返していた。
『2人辞めて大変だったですね』
『そうなんですよぉ〜!どうなるかと思ったんですけど、寺田さん来てくれて本当良かったですぅ』
来てから後悔したけどね…と鏡子は思ったが
『お互い頑張りましょう』と伝えた。
◇◇◇
商品の値段も名前も覚え、袋に詰めながらレジを打ち、ようやく慣れてきたかな?と思っていた頃に鏡子に電話が入った。どうやらクレームらしい。相手のお客様はネームプレートに彫られた〝寺田〟と言う名前を覚えて電話してきたようだ。
電話は菓子部の奥の部屋にあり、お客様からは見えない様になっていた。商品のお菓子が荷台の上に10箱位トレイに山積みされ置かれており、ケーキ用の大きな冷蔵庫も並んでいる。鏡子がお腹が空いた時に時折、トレイのお菓子をつまみ食いしていた事は内緒である。
『もしもし、お電話変わりました寺田でございます』と電話に出ると
『あなたね〜、あなたの計算したパンの値段がレシートに載ってる数と違うのよ!』
いきなり怒鳴られる。相手は声からしておばさんだった。今日、大量にパンを買って行ったらしい。と言う事はあのおばさん(客)しか思い浮かばない。(あ〜そう言えば沢山パンを買って行ったおばさん居たな)
思い出したので、ここは謝るべきなのだが鏡子は
『お客様、大変失礼ですが、パンの個数はきちんと数えながら、値段もレジ打ちさせて頂きましたが』
と言い返す。おばさんが激高したのは言うまでもない。本来なら鏡子が引くべきなのだが…若気の至りと言うものなのか鏡子は引かなかった。
『ですからぁ〜!』
と鏡子が言った時に店長が、鏡子の右肩をポンポンと叩いてきて、電話を店長と代わった。
店長は丁重に電話に頭を下げながら謝っていた。
店長に申し訳ないと思いながらも、イライラした気持ちがまだ収まらない鏡子だった、が電話を切った店長に
『申し訳ありません。ありがとうございました。』と頭を下げると
『寺田、お客様からのクレームは受け身になり、お客様の立場になって、話をじっくり聞くのが大事だ。こちらが冷静さを失うとお客様は気分を害される。そうなると、もしかしたらまとまる話も決裂してしまう。営業職はお客様第一に考える事が大切だ。忘れるなよ。』と店長に言われ鏡子は何も言い返せず
『はい。』と返事した。 自分の短気な性格治らないかな〜と考えてると、平本に
『寺田、レジ締め教えるからおいで』と言われた。
〝レジ締め〟とは、今日の総売上がレシートに載ってるのだが、レジに入ってる現金と同じ金額か確認する仕事である。 1円玉から500円玉まで10枚ずつ積み上げ並べて行き、千円、五千円、壱万円等の札は10枚ずつ重ねていく。 単純作業の様に見えても相手はお金だ。緊張も伴うし、これが終わらないと帰れない。平本から
『流れわかった?合計金額が合わないと、何度でもやり直しだからね。明日から寺田もやるんだよ。』
『明日からですか⁈』(早くね⁈)
『当たり前じゃん』
という平本に対して
(鬼ーーーーーーーーーっ)と心の中で叫んだ。
本店は基本忙しく、後輩にゆっくり教える時間が少ない。その中で全体の事を吸収していかねばならない。社会人には当然の事だと言われるかもだが、鏡子は4日で退職した、同期だった2人の気持ちが理解出来る気がした。
◇◇◇◇◇
翌日、鏡子は平本に促され、レジ締めをする事になった。レシートの総売上金額は『126340円』
(レジのお金が同じ額あれば良いんだな)
と鏡子はお金を10枚ずつ積み上げていた。
『まだ終わらないの?』
平本が言ってくる。
『すみません、まだです』
(チクショー初めてなんだから大目に見てくれよ)
ようやくレジの小銭を積み上げ、10枚ずつまとめたお札を計算機で計算し始めた。
〝合計126339円〟
(1円足りない!何で⁈)
鏡子は再び小銭を10枚ずつ数え、積み上げたが今回も合計126339円だった。 鏡子は眩暈しそうになった。
『寺田まだ終わらないの?』平本が煽ってくる。
『1円合わないんです。』
『金額合わないと帰れないよ 慎重にやりなよ』と平本に言われ、鏡子は焦りながらも〝慎重に〟を心掛け、同じ作業を繰り返していた。
気付いたら鏡子の背中は汗でびっしょりだった。
5回目のやり直し。どうしても1円合わない。たった1円。されど1円。
(どうして合わないの〜回りが帰れないじゃん)と思ったら鏡子の頬に涙がつたっていた。涙が止まらない。
この涙は何故流れるのか 鏡子自身もわからなかった。ただ、このレジ締めが終わらないと、スタッフは帰れないと焦っていたのは確かだった。
リーダーの佐藤さんが心配してやってきた。
『1円合わないなら、レジの中に余剰金あるから、それで合わせて締めて良いんだよ』
(そうなの⁈もっと早く佐藤さんに相談すれば良かったー!平本のバカヤロー)
◇◇◇
本店に来てから半年経つ頃には、鏡子は平本以外の先輩や同期と仲良くなり、皆で温泉に行ったり、ボーリングに行ったり、カラオケに行ったり、ドライブに行ったり、鍋を囲んだり…と楽しく過ごす事が多くなった。
その分、公務員の彼氏には会えない事が増え、たまに電話で話す程度だった。彼氏は土日が休日、アタシは平日が休日。
先輩からの誘いは断りずらいし、こんな状態がもうすぐ一年を迎えようとしている。このままではいけないよな…とこの頃から鏡子は土日休日の仕事を探そうと考えていた。
『土日休日と言えば事務職かな』
鏡子は〝ハローワーク〟と言うものを知らず
『とりあえず電話作戦だ!』と4月から医療事務の採用募集をしていないか、電話帳を片手に病院に電話をかけまくった。
(休みが合えば今以上に会える)と言う思いで。
しかしその頃、鏡子の彼氏は職場同期の女と2人でスキー場に行き、スキーを楽しんでいた事を鏡子は想像すらしていなかった。
つづく