怠慢
お婆さん(に見える)婦長に圧倒された鏡子だったが、鏡子の担当する仕事を教えてもらった。
ナースステーションにあるゴミ捨てや物品の補充、食事の配膳や下善、入浴介助やシーツ交換の準備など殆ど雑用が多い。
(これが助手の仕事なのね)
と思いながら念願の看護婦に近づいた様で嬉しく思っていた。
主任看護婦と紹介された“藤原主任“は婦長と違って笑顔だ。年齢は婦長と変わらないらしいが化粧も髪型も品があり、話しかけやすいオーラを感じる。
『寺田さんて言うの?よろしくね』
『あ、はい。不慣れでご迷惑をお掛けしますが宜しくお願いします!』
(何て良い人なの?この職場にも優しそうな人が居て良かった!)
と藤原主任にお辞儀をした時に
『ここの病棟は他に一人の看護師と3人の看護学生で回しているから。あなたもそれぞれの人達から学びなさい』
と婦長が言ってきた。
『はい、わかりました。』
なるほど・・・ここの病棟は婦長、主任、看護師、そして3人の学生が居るのかぁ・・・一体どんな人達なんだろう・・・鏡子はまだ出会っていないスタッフに不安を覚えた。 何せ初対面の婦長にいきなり怒鳴られた初日スタートである。 もっと言えば事務長に待ち合わせ時間を裏切られ、ため息までつかれたあの屈辱・・・
(あの悔しさは絶対忘れないからな)
鏡子は怒りを抑えながら右手の拳を強く握りしめていた。
次々と出勤してくる学生達。一人目は准看護学生1年生の中川さん。勿論鏡子より年下である。
中川さんが
『おはようございます』
とナースステーションに入ってきた時にお婆さん婦長に
『今日から助手として勤務する寺田さんです。色々教えてあげてね』
と言われた中川さんからは
『よろしくお願いしま〜す』
と返された。 続くように准看護学生2年生の前山さん、正看護学生1年生の田代さんが入ってきた。お婆さん婦長に同じ様に紹介され鏡子も
『寺田です。ご指導宜しくお願いします。』
と頭を下げた。 しかしこの二人には目も合わせてもらえず
『どーも』
と言われただけで初回の挨拶が終わった。
(なんか怖そうな人達・・・)
それが鏡子の第一印象だった。 それでもここではそんな事気にしてられない!女の職場あるあるになれなきゃ!
病棟の色々な雑用をしながら、合間合間に主任に聞いた話なのだが、看護学生は午前中は病棟で働きながら午後は看護学校に通い、ローテーションで学生でも病棟の夜勤もこなすそうだ。
准看護学生に資格はまだないが、3階に先生が居住してるので緊急時は先生に連絡をして対応しているのだと言う。
(それって看護学生にかなりの負担じゃね?!)
と思った鏡子だったが、徐々にこのクリニックの闇をもっともっと知っていく事になるとはこの時は夢にも思わなかった。
病室は3人部屋が5つあり二人部屋が一つ、個室が3つ。緊急時の3人部屋が一つ(ここは外来の点滴患者用として使われていた)患者さん用の洗面所のすぐ目の前に看護婦用更衣室があり
(不思議な作りだな)
と鏡子は思っていた。 まだ勤務初日で緊張ずくめだったが
(病棟の廊下も病室もナースステーションなんかも狭い感じがするのは気のせいだろうか?)
と感じていた。
昼食の配膳を済ませると、学生達は
『お先に失礼します。』
と言い、社食を食べて学校に向かった。 鏡子は下善まで病室内を回り、介助が必要な患者がいないか確かめていた。全介助が必要な患者さんには『付き添い案内所』と言う会社があり、その会社に委託して付き添い者が寝泊まりして24時間体制で患者さんの介護をしてくれていたので、当時はとても助かったのを覚えている。
下善を全て済ませ社食で昼食となったが、聖先生とスタッフ皆一緒に食べる為 山元病院とは違い豪華な食事に見えた。何せおかずが4品はあり、味噌汁付きだ。山元病院では小さな魚の煮付けと豆腐の冷奴と味噌汁が多いイメージだ。しかもどちらも1食200円とは・・・
お腹も満足した鏡子はナースステーションに向かった。何やらナースステーションの奥にある3畳間で外来、病棟の看護婦が休憩をとる習わしらしい。 しかもその3畳間には押し入れがあり夜勤者用の布団が置いてある。
幸い?にも押し入れは壁の上半分に設置され、下半分は何とか頭をかがみながら座る事ができるスペースとなっていた。その狭いスペースに自分を含めて7人・・・窮屈この上無い。しかも新人の自分と会話をしてくれる人もいない。 以前案内をしてくれた影山さんもいたけど、話す気になれなかった。この人の余計な一言のせいで空気が変わったのだ・・・と鏡子は今でも思っている。
ここのクリニックの休憩時間は1時間半あるらしく、ボ〜っとしていた鏡子に眠気が襲う。山元病院では当たり前になっていた昼寝の習慣がやってきたのだ。
鏡子はナースステーションを出て、外来のある1階に行ってみた。
(そういえば奥の部屋って何だろう)
鏡子は外来の一番奥の部屋で立ち止まり、ゆっくりドアを開けてみるとそこは物品室になっており、注射液や点滴、検査薬、酸素ボンベ等が棚に陳列していた。
(なるほどね〜)とドアを閉め隣の部屋をみるとドアが空いていた。
胃カメラやエコーなどが置いてある。しかも真ん中に検査用ベッドが置いてあった。
(!!)
眠気でふらついていた鏡子は吸い込まれる様に検査用ベッドに横たわった。
いつの間にか寝入ってしまった鏡子は怒鳴り声で目を覚ますと。そこにはお婆さん婦長がいた。
鏡子は飛び上がる。
『勤務時間に何寝てるの!?何を考えてるの!!全く怠慢だ!!』
と怒鳴る婦長。寝ぼけていた鏡子は(タイマン?この婆さんと?)と意味を理解していなかった。
段々正気に戻ると鏡子は言葉を理解した。
『すみません。今度から気をつけます。申し訳ありません。』
と何度も頭を下げ許しを乞うた。
(やっちまったなぁ〜・・・初日から散々だな 自分も悪いんだけど)
午後からの病棟勤務でお婆さん婦長に声を掛けられる度に
『はい!婦長さん!』
とその場で固まる鏡子であったのは言うまでも無い・・・
そしてこのお婆さん婦長の名前が(緑川婦長)だと鏡子に一生インプットされたのである。
つづく




