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妖異譚 あれが過ぎると申します

あれが過ぎると申します 管

掲載日:2023/04/19

シリーズ『妖異譚 あれが過ぎると申します』 その廿五

初出:カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16816452219772069292/episodes/16817330653115242498

 「管《くだ》」と言い、「管狐《くだぎつね》」とも言う。狐とは言い条《じょう》、それは名ばかりにて、全く違うものだと言う。

 或いは、「尾裂《おさき》」とも「飯綱《いづな》」とも言うらしいが、尾裂は支那渡来(わたり)の九尾狐《きゅうびこ》の謂《いい》だと言う人もあり、飯綱とは飯砂《いいずな》が転じたもので、別に、天狗の麦飯とも呼ばれ、古来、修験者《すげんざ》が口にもした土中の菌類だと言う人もあるから、何が何だか判らない。


 上本家《かみのほんけ》は、川向こうの少し小高くなった土地の、更にこんもりとした塚の前にあった。塚は随分と大きなもので、本家の遠い遠い先祖が葬《ほうむ》られ、その人物は京の王家とも関わりが深かったとも聞くが、どうも真偽は定かではない。

 本家と名が付くものは他に、鳥屋本家《とやほんけ》というものがあった。

 鳥屋本家は、幾つもの沢が扇状に広がって川に流れ込む、その大本《おおもと》の要《かなめ》付近、山麓の谷の出口に屋敷があり、両家はもともと一つの血筋から分かれたものとして認識されていた。

 上本家は代々養蚕を行い、鳥屋本家は鳥刺《とりさし》を業としていた。

 格式としては、真当《まっとう》な話であれば上本家《かみのほんけ》の方がよっぽど上というのが誰に訊いても大方《おおかた》の所だろうが、鳥屋《とや》の人々にしてみれば、

「否々(いやいや)、幾ら面目を持出して威張った所で詮はあるめえ。御蚕様ちゅうても、鳥の餌だらず」などと、鳥を領《うしは》く権能を握る筋こそ真に偉いものなる気位《きぐらい》を、蔭《かげ》ながら持っていたとも言われる。

 いずれにせよ、両家には、対立構図のようなものが、潜在化しつつも厳然と維持されてきたのは間違いない。ただ、盆正月、仏事、祭事、その他あまた行事の折々には、当主の名代を互いに送り合って、口上を述べ、進物の遣取《やりと》りをし、酒席を共にする慣例が代々続いていた。また、相互の姻戚関係にも浅からぬものがあった。

 両家の関係性について、面白可笑(おか)しい噂やおどろおどろしい伝話《つたえばなし》は、嘘か誠か判らぬながらも色々とある。


 僕の母方の祖母は、上本家《かみのほんけ》の出であった。

 上《かみ》の家には、作太郎という、僕からすれば又従兄になる二つ年長《としうえ》の男の子が居て、兄弟のいない僕には兄のような存在だった。


 上本家の屋根は茅葺で、それが無闇に大きく高く、柱も梁《はり》も太くて黒々としていた。大きな屋根の被《かぶ》さった広い屋敷裡《やしきうち》には、昼間でも光がほとんど射込《さしこ》まなかった。屋根裏では蚕を飼っており、独特の、あまり心持ちの好くない臭いが、暗い家内《やぬち》に漂っていた。隅々に到るまで、陰気な空気に充ち充ちた家であった。それでも縁家筋であり、作ちゃんもいるということで、子供の頃はしばしば遊びに行っていた。


 屋敷は、北側の奥に神座敷《かんざしき》というものがあり、北の壁に南を向いて大きな神棚が祀られ、勝手に這入ってはならぬと言われていた。神棚のある壁の裏が、ちょうど大塚の方角であった。

 神座敷の隣は中座敷《なかざしき》で、そこには年中蚊帳が吊られていて、蚊帳の中の立派な布団に、嵩《かさ》の爺様《じさま》が臥せっていた。

 随分と年寄で弱っているので、最早起き上がるのが叶わないということであった。一体幾つだったのかも皆目判らないが、僕が物心ついた時には、爺様はすでに蚊帳の中に横たわっており、それから数年を経た尋常四年のあの冬にも、変わらぬ様子でそこに寐ていた。

 中座敷にもめったに這入ったことは無かったが、初午《はつうま》の日と旧の四月最初の卯の日には、母と一緒に蚊帳の外から寐ている爺様にお辞儀をする慣わしがあった。その時、母は口の中でぼそぼそと人に聞こえぬ声で何かを述べていた。何と言っているのか訊ねてみても、なぜだか母は物日《ものび》の挨拶だとしか答えず、言葉を濁していた。

 僕は、爺様が起き上がったり、話をしたり、食事をしたりするところを見た記憶がない。爺様が目を開いたところも知らない。それどころか、僕の前でほんの少しでも動いたことすらなかった。

 真っ白な髪を後ろに撫付《なでつ》け、顔は飴色の薄い皮が骨にぺったりと貼り付いたよう。

 両目は落ちくぼみ、頬がげっそりとこけている。わずかながらに開いた口から、鼾《いびき》や寝息が聞こえることは無く、息をしているのか、していないのか判らなかった。唇はしんから乾き切った様子だった。

 夏も冬も同じように蚊帳を吊り、冬も夏も同じように立派な厚手の布団に挟まれていた。


 本家には他に、穉《おど》の爺様《じさま》という人がいた。

 こちらの爺様は色白で血色がよく、でっぷりと肥えた大柄な人だった。いつも「オイエ」と呼ばれる広い板の間の、囲炉裏端にふかふか上等な座布団を敷き、その上に胡坐《あぐら》を掻いていた。そこが、オイエの最も上座であった。

 頭はすっかり禿上り、耳の脇から後頭部にかけてのみ、ぽやぽやとおぼろに白髪が生えていた。盤台面ともいうべき大きな顔で、いつも口許に何やら薄笑いのようなものを浮かべ、両目を閉じていた。

 何でも若い頃から、少しも目が見えないのだという。

 嵩《かさ》の爺様とは、兄弟だったのだろうか? 年恰好からすると弟だろうか? そう考えるのが自然なようだが、それにしては、二人の容貌にはあまりにも似たところがなかった。そもそも、二人に血の繋がりはあったのだろうか?

 身内からも他所《よそ》の人からも、二人の縁故がいかなるものか全く聞いたことがない。又、僕や作ちゃんと、爺様二人との繋がりがどのようなものであったのかも知らない。

 爺様達と僕達との間には、何らかの血の繋がりがあるのか、無いのか?

 どういうわけだか判らないが、そうした関係を詮索したり、誰かに訊ねたりすることは、何やら禁忌に当るような気分が小さい頃から僕にはあった。それはきっと、作ちゃんにしてもそうだったに違いない。


 オイエに這入《はい》ったり近くを通ったりする時は決まって、穉《おど》の爺様《じさま》が大きな声を出して、

「嘉一かえ?」と訊いてきた。目が見えないのに、よく解るものである。

 足音だろうかとも思ったが、或る時ふざけて、作ちゃんと一緒に忍び足でオイエに這入ろうとしたところ、

「作! 嘉一! 何悪さしてるだら?」と叱られた。その時は、結局大笑いとなって収まったが、僕の肚の底では、何だか、空恐ろしいように思われた。


 さて、管《くだ》を遣うというのは、専らの上本家の伝《でん》である。

 その段から言えば、鳥屋《とや》の人達が、蚕は鳥の餌だなどと上《かみ》の悪口を言うのは、実に可愛らしくも可笑《おか》しいものである。鳥なんぞ管の爪や牙の前にひとたまりもあるまいに――そう密かに思ってもみるのだが、鳥屋《とや》の筋の人の前ではもちろん、身内も含めて誰にも吐露し得るものでは無い。

 なお、管遣《くだつかい》の件は、上本家《かみのほんけ》の係累以外には他言無用が建前であったが、実のところは公知の事実で、この辺りでは、

「何しろ、あっこは管屋《くだや》の筋だもんで……」というのが、この一族への悪口の枕詞になっていた。


 あれは、僕が尋常四年のことだったから、作ちゃんは高等二年だった計算になる。夜通し雪が降った冬の朝であった。

 次第に雲も薄く明るくなって、雪の降りが大分弱まった頃おい、藁頭巾に、高く編んだ雪靴を履いて、新しく積った雪を踏みしめ踏みしめ上の家を訪ねた。

「おはようござんす」

 戸口で挨拶をして頭巾を取り、暗くて広い土間をオイエの前まで進むと、炉には赤々と火が熾り、その灰の中で焼いた麦餅《あんびん》を二つに割って、わずかに残った歯で齧付《かぶりつ》きながら、穉《おど》の爺様《じさま》は上機嫌な様子であった。

 傍《そば》では、作ちゃんの御母《おっか》さんが爺様に差出す茶を淹れていた。

「嘉一かえ? 寒いによう来たもんだな。まあ、あたれ」

 麦餅《あんびん》を口に入れたまま、爺様がいつになくにこやかに迎えてくれた。

「ようおいでたな。麦餅《あんびん》焼けるで上がるかえ?」

 作ちゃんの御母《おっか》さんもにっこり笑っていた。

 雪靴を脱いで炉端に腰を落ち着けると、すぐに奥から作ちゃんが出て来て、しきりに手招きをした。僕としては麦餅《あんびん》が心残りだったのだが、作ちゃんがあまりにも急かすものだから、しぶしぶ炉辺を離れて付いて行った。


 作ちゃんは、中廊下《なかのろうか》を神座敷《かんざしき》の前まで進むと、辺りを窺うように閑《しずか》にそこの戸を引いて、さっさと先に中に這入《はい》ってしまった。

 子供だけで勝手に足を踏入れても可《い》いものだろうか。

 僕には初めてのことで、大いに戸惑ったが、こんなところでまごまごしているのを家の人に見られでもしたら、どんなに叱られるか判らない。仕方がないので、一緒に神座敷の中に身を隠し、急いで戸を閉てた。

 誰か大人に見付からないものかと、気が気ではない。

 作ちゃんはにやにやしながら、身振りで音をたてぬよう指図すると、泥棒のような足取りで神棚に近付き、その奥に手を突込んで、五寸ばかりの篠竹の筒を三、四本取出した。いずれもつやつやした飴色で、随分と年季が経っている様子である。

 何だろうか?

 訝しく思っていると、その中から、四寸五分ぐらいの長さの、筒状に丸まった毛皮のようなものが出て来た。促されて触ってみたところ、猫の毛よりもやや粗い印象で濃い鼠色をしている。

「くだ、くだ」

 耳許《みみもと》で作ちゃんが囁いた。

 はっとした。これが管狐というものだろうか?

「作、作、どこだに?」

 遠くで御母《おっか》さんの声がする。

 作ちゃんは急いで毛皮を竹筒の中に収め、元のとおり神棚の奥にしまい込んだ。そうして、辺りに誰も居ないところを見計らい、急いで神座敷から離れた。


 僕は何だかとんでもない禁を冒したような気がして、胸のどきどきが収まらなかった。作ちゃんは何であんな大それたことをしでかしたのだろうか?


 その後は、作ちゃんと兵隊双六(すごろく)をして遊ぶことになった。

 しかし、さっきの一件が気に掛り、どうにも胸の中がわくわくして落着かなかった。何をしていても身が入らず、一向に面白くなかった。作ちゃんの方は、僕とは対照的に、何も気にする様子ではなく、遊びに夢中になっていた。


 やがて昼が近付いたので、家に戻ることにした。

 オイエやその辺りには穉《おど》の爺様《じさま》しか見当たらなかった。式台に向かおうと、爺様に挨拶をすると、呼び止められた。

 近くに来いと手招きをしている。

 実に嫌な予感がした。

 それでも、爺様に逆らうわけには行かない。厭々《いやいや》ながらも傍《そば》に寄ると、突然にがしっと腕を掴《つか》まれた。

 年寄りにしては、物凄い力である。


「見たんだら? おめえ、見たんだら?」


 何と答えてよいものか判らずに黙っていると、

「嘘を言《こ》いてもすぐ判る。見たんだら?」としつこく訊《き》いてくる。


 爺様の顔からはいつもの薄笑いがすっかりと消え失せている。その口には、粘りつくような闇が穿《うが》たれ、きたなく汚れた歯が上下二本ずつ見える。その粘性の闇から、歯の隙間《すきま》を通って、生温かくも生臭い息が、僕を責苛《せめさいな》むような言葉と共に絶えず吹きつけてくる。

 堪らず顔を背け、ぶるぶると震えていると、

「ま、いいだに…… あばな。けえれ、けえれ!」

 苦々しい顔付ながらも、やっと腕を放してくれた。僕は逃げるようにして、上の家を後にした。


 その夜は床に這入っても、目が冴えて中々寝付かれなかった。やっとうとうとしかけたかと思うと、あさましくも怖ろし気な夢ばかりを見て、うなされた。

 どれもこれも、口にするのも憚られるような、忌まわしいものだったが、一つ鮮明に覚えているのは、上の家の炉端で、爺様と並んで麦餅《あんびん》を食べている夢だった。

 中身が何かは判らないが、何でも赤黒く、どんみりしたものが詰まっていた。どんな味がしたのかは覚えていない。二口、三口食べた後、

「しごくうんめえな。そうだら? おめ、これが何だか知ってっか? 作の肉だもんでな」と言って、爺様がにたり笑ったと思ったら、がしっと腕を掴まれた。

 そこではっと目が覚めたが、その後は、怖ろしくて堪らずに、布団の中で夜通し震えながら、明け方までまんじりとすることも無かった。


 その翌日の晩である。とうとう、嵩《かさ》の爺様《じさま》が亡くなったと知らせが入った。

 それから数日は、夜伽《よとぎ》や葬式などで忙しく、行きたくなくても、僕も否応も無く上本家で穉《おど》の爺様と顔を合せなければならなかった。

 下座敷《しもざしき》に集まった親類縁者は、皆、嵩の爺様の昔話をしていたが、穉《おど》の爺様はその場に居ても口を噤んだままで、話題に加わるどころか相槌を打つことだに全く無かった。又、不思議なことに、誰一人として穉《おど》の爺様に嵩《かさ》の爺様《じさま》の話を持掛ける大人は居なかった。

 そうして爺様は、僕が傍《そば》に近付いても、あの雪の日のことはすっかり無かったように一言だに口にしなかった。ただ、僕や作ちゃんが傍にいる時だけ、爺様の顔から薄笑いが消えるように見えたのは気になった。剰《あまっさ》え、親しく声を掛けられることも、絶えて無くなった。

 神座敷《かんざしき》のことで誰かに叱られなかったかと、こっそりと作ちゃんに訊いてみた。すると、困ったような怯《おび》えたような顔をしてぶるぶると首を横に振るので、僕もいよいよ怖ろしくなって、あの日の話を打明けることができなかった。


 あれは、嵩の爺様の五十日祭《いそか》がまだ来ないうちだったように思う。今度は作ちゃんがチブスに掛かり、病臥《いたつき》になってしまった。そうして、幾日臥せっていただろう。結局、恢復《かいふく》することは叶わず、学校も出ぬままにこの世を去ってしまった。

 大人達は声を潜めて悪いことは続くものだと噂し合った。僕は兄と頼んでいた人を永遠に失った。


 爾来《じらい》、僕が上の家の敷居を跨《また》ぐことは、ほとんどなくなった。


 穉《おど》の爺様《じさま》の方は、それから何十年も、僕の年が四十に届く程の頃まで、長生きをしたと聞いている。


 故郷を離れいよいよ疎遠になっていた僕は、穉《おど》の爺様の夜伽にも葬式にも顔を出していない。

 ただ、爺様の隣で麦餅《あんびん》が焼けるのを待つ怖ろしい夢は、どういうわけだか、今に至るまでしょっちゅう見続けている。



                         <了>







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