95. 万丈の崖を降り、そして
夜のキャンプは平穏そのものだった。
イリークさんとダグが、「ロック鳥はどこにいるんだ」と騒いでいたぐらいである。
そして。
「相変わらず良い眺めだのう」
崖下から吹き上がる風の中、コジロウさんは言った。
僕は再び大峡谷にやってきた。
はるか底には霞みがかかる、千尋の谷だ。
僕はこれからこの崖を降りる。
……やだなあ。
「このルートだね。ロープを2本同時に垂らせるように、鉄鋲が打ってある」
ネイサンさんが言った。
魔石ラッシュのため、たくさんの冒険者が大峡谷を降りた。
降りるルートもいくつか開拓された。
ここは、禿げ山の一党のお頭お勧めのルートだ。
「最初に、鉄鋲が緩んでいないか確認した方が良いだろう」
ハロルドさんが言った。
「私が行く。大峡谷は2度目だし」
キンバリーが言った。
「俺もサポートしよう」
コイチロウさんも言う。
2人は命綱をつけて降りていく。キンバリーが先頭だ。
キンバリーはするすると降りて行く。そして、途中の鉄鋲を蹴ったり、ぶら下がったりしている。
怖くないんだろうか?
もちろん安全確認のためだと言うことは分かっている。
情けないが、見ているだけの僕はすごく怖かった。
少し時間はかかったが、2人は無事戻ってきた。
「下まで確認した。大丈夫」
キンバリーは言った。
「さてと、どういう順番で降りるかだが」
ハロルドさんは言った。
ここでネイサンさんのストップが入る。
「大峡谷の崖降りの指揮は、僕に任せてくれないか?」
ええとこれは、『雷の尾』ハロルドと『デイジーちゃんと仲間達』ネイサン、2人のリーダーによる主導権争いか?
もちろん、ハロルドさんは大人だった。
「経験者にお任せする」
そう言うと、一歩引いた。
ネイサンさんは、メンバーをグループ分けした。
第1に上級者。
『デイジーちゃんと仲間達』の3人とコイチロウさんとキンバリー。
『雷の尾』のギャビンもハロルドさんの推薦でここに入った。
第2に中級者。
『三槍の誓い』のコジロウさんとコサブロウさんと、『雷の尾』のハロルドさんとウィルさんとホリーさんとダグ。
第3にやや問題あり。
僕とイリークさん。
プライドはちょっと傷ついたが仕方がない。
第4に問題あり。
メリアンとデイジー。
「上級者が問題ありのグループを助ける。
中級者は自力で降りる。
自分の実力に心配がある者、異議のある者は申し出てくれ」
ネイサンさんは言った。
「俺とコサブロウは、前回デイジーを降ろすサポートをした。経験者は貴重だぞ」
コジロウさんが言う。
ネイサンさんは、コジロウさんとコサブロウさんを上級者のグループに入れ直した。
「じゃあ降りていいんだな?」
ダグが言い、ハロルドさんは軽く頷いた。
「ひゃっほー!!」
ネイサンさんの「気をつけろ」を最後まで聞かずに、ダグはロープを使って降りていった。
「失礼した。ギャビンはこき使ってくれ」
そう言うと、ハロルドさんも降りる。
ホリーさんとウィルさんも。
さていよいよ僕達の番だが。
「風魔術で降りていいか?
頭の固いハロルドは、基本通りロープで降りろとうるさいのだが」
イリークさんが言い出した。
「いいんじゃないかな」
ネイサンさんは無責任に答える。
イリークさんはロープをつけずに飛び下りた。
風魔術で強い風を吹き上げさせ、落ちる速度を制御しているようだ。
あれ、いいな。
僕は風魔術はあまり得意じゃないし、何よりブワッと吹かせるのが苦手だ。
攻撃魔術に通じる術式なのだ。
前回落ちた時は力学魔術の衝撃吸収の結界を連続で使った。
だが、あれは効率が悪かった。
僕の得意な力学魔術系で、落下を制御するもう少し良い術式を作れないだろうか?
「クリフ・リーダー」
僕がそんなことを考えていると、キンバリーから声がかかった。
「あ、うん」
僕は返事をすると、崖下を見る。一瞬目眩がした。
「大丈夫。私がサポートするから」
キンバリーは言った。
僕は命綱をつけて、ベルトを締め、キンバリーから改めてロープの扱い方の最終確認を受けた。
最終確認は重要だ。特に苦手な分野においては。
なせばなるとか、やってみれば分かるとか、それは才能のある奴のやり方なのだ。
そして、いよいよ降りると言う時に、つい下を見てしまい足がすくんだ。
僕は首を振り、余計なイメージを追い出す。
このロープ降りにおいて、余計な想像力は不要である。
考えるのは、キンバリーの役目。
僕が見るのは、自分の手元と足許だけ。
「大丈夫だ!いける。サポートを頼む」
僕は言った。
結論。なんとか無事降りれた。
怖かった。思い出したくない。
もちろんこれで終わりではない。
キンバリーは、メリアンが心配だともう一度登っていく。
「上は大丈夫ですかね」
ウィルさんが言った。
「デイジーは賢くて辛抱強いから大丈夫よ」
ホリーさんが言う。
「じゃあ、賢くなく辛抱強くないメリアンはどうなるんだよ?」
ダグが言った。
大峡谷に「いーやー」とか、「ふんがぁゃー」等々メリアンの甲高い声がこだました。
僕達は下からヒヤヒヤしながら見守った。
周り中に助けられ、途中で止まり、時間もかかったが、メリアンはちゃんと無事に降りれた。
背負って降りてやると言う申し出を断って、ベソをかきながらでも自力で降りたんだからたいしたものである。
デイジーを降ろすのはノウハウもあり、前回よりはスムーズだった。
さて。いよいよ亡霊のダンジョンだ。