86. 黄金の1日
僕は銀弓ダイナに負けた。
すごく悔しい。
ダイナは女の涙を利用した。しかし、こんなものは、当然予想できる範囲だ。
圧倒的なホームだったのに。
メリアンを守ると言う大義名分もあったのに。
銀弓ダイナは隙だらけだったのに。
攻撃魔術が使えない僕は、今日、舌戦で負けた。
僕は『青き階段』の食堂で、2杯目のビールを頼んだ。僕はお酒にはあまり強くない。
2杯目を頼むのは久しぶりである。
飲まずにやってられるか。
「よぉ、クリフ。落ち込んでいるみたいだな。どうしたんだ?」
トビアスさんに声をかけられた。
トビアスさんはダレンさんと一緒だった。二人はそのまま僕と同じテーブルに座った。
「舌戦で負けたんですよ。情けない。
腕っぷしで勝てず、口で勝てず、僕はどうしたら良いのか分からない」
「それは……。えーと、銀弓のダイナに泣かれたやつか?」
ダレンさんが聞いた。
僕は飲みながら頷いた。
「無理無理無理。
銀弓ダイナは恐ろしくしつこくて、絶対に非を認めない。それこそ鈍重に見えるくらいに。
もちろんダイナは馬鹿じゃないさ。
とことん粘るのが銀弓ダイナの必勝パターンなんだ」
トビアスさんは言った。
「僕は彼女にに口で勝てる男を知らないよ。
勝てるとしたら、それこそゴドフリーぐらいじゃないか?」
ダレンさん。
「彼女の信仰にヒビを入れれば勝てるんじゃないかと思うんですよ」
僕は言った。
魔術師クランの中では、議論はかなり強い方なんだけどなぁ。
「ハハハ、それはクリフの思い上がりだ。
喧嘩の目標が高すぎる。
あの女の信仰は崩せないさ。
崩せるなら、とっくに金盾のアルペロがやっている」
トビアスさんは陽気に笑いながら言った。
そうなのかなあ?
原因が何であれ、今日僕が口喧嘩に負けたことは間違いない。溜め息だ。
その後少し話をしたあと、家庭持ちであるトビアスさんは先に帰ってしまった。
僕はダレンさんと2人で食堂のテーブルに残った。
「クリフ君、最近モテているらしいじゃないか?」
今度はキャシーさんに声をかけられる。
キャシーさんは、ダレンさんのビールを運んで来たのだ。
ちなみに、キャシーさんは単なる食堂のオバサンではない。
元女性冒険者だったキャシーさんは、夜の時間の緊急受付を兼ねるのだ。
『青き階段』の女性陣では、ユーフェミアさんに次ぐ二番目の席次である。
「モテてるなんてとんでもないです」
僕は答えた。
「受付のみんなは、クリフ君のことほめてたよ。
パーティーの女性陣とも仲良くやっているようだし。
それ以外にも『輝ける闇』の赤毛の魔術師とも親しいんだって?」
キャシーさんは続ける。
ネリーの話は既に受付で話題になっているようだ。
予想された事である。
スマン、ネリー。
「メリアンはキンバリーと仲良くなりましたが、僕とは特に……。
ネリーとは、それこそ話をしただけです」
僕は答える。
「わざわざあんたに話しかけてきたんだろう?
どうでも良い相手にはそんなことしないさ」
キャシーさんはカラカラと笑った。
うーん、ノラさんもだが、なんか皆、僕とネリーの関係を誤解していると思う。
「だいたい、受付の皆さんを含めて、すぐ僕に面倒事を持ち込むんですよ」
僕は愚痴を言う。
特に今日は散々だった。
「頼りにされているんだよ」
キャシーさんはそう言うと
仕事に戻って行った。
「女性はシビアだからね。解決できそうな人にしか面倒事は持ち込まないさ」
ダレンさんがビールを飲みながら言った。
そうなのかなあ?
「モテるとはそう言うことだぞ」
後ろからいきなり声をかけられて、肩を叩かれる。
ビックリした!
訓練場のドワーフ鬼師範こと、ソズンさんである。
全然気配を感じなかったよ。
ソズンさんの顔は赤らみ、息は酒臭い。酔っぱらいである。
「モテるとはチャンスであり、トラブルである。
チャンスは喪失と表裏一体。
トラブルは決着を見るもの。
そして後から気付くのだ。
あれが人生の黄金の一瞬であったと」
ソズンさんはわけの分からないことを言っていた。
「ちっとも良いことなかったですよ」
僕は調子を合わせる。
「そりゃそうさ。人生、全てのチャンスをものにすることはできないんだよ」
僕の前に座ったダレンさんが穏やかに言った。
そうなのかなあ?
2杯目のビールも空にし、お腹がいっぱいになった頃である。
「クリフ君、ユーフェミアさんが出先から戻って来たんだよ。
これから帰るらしいから船着き場まで送って行ってよ」
キャシーさんからまた声がかかった。
ユーフェミアさん、さっき大急ぎで外出したんだよな。
ずいぶん遅くまで出先で仕事をしていたようだ。
僕はユーフェミアさんと2人で『青き階段』を出発した。
大丈夫だ。たいして酔っぱらってない、と思う。
「ユーフェミアさんは、どこに行ってたんですか?」
僕は聞いてみた。
「仕事で、ちょっと魔石商人さんの所へ」
ユーフェミアさんはフフフと笑いながら言う。
こんなに遅いし、いろいろ大変だったんだろう。
ロイメは大運河以外にも、支流になる運河がいくつも流れている。
運河には乗り合いの魔動船が運行していて、市民の足になっている。
金持ちは馬車に乗るが、庶民は徒歩と船。それがロイメだ。
ユーフェミアさんの家は魔動船で2駅ほど上流になるらしい。割と高級住宅地である。
「クリフさんは銀弓ダイナさんと対決したんだそうですね。受付にいなくすみませんでした」
ユーフェミアさんが言った。
「ユーフェミアさんまで知ってるなんて」
僕はちょっと落ち込んだ。
「落ち込まないでください。
クリフさんが優しいからみんな甘えているんです。
銀弓のダイナさんもです」
ユーフェミアさんが言う。
「まさか」
「ゴドフリー相手なら、銀弓ダイナさんは泣きませんよ。きっと」
そうかなあ。なんとなく舐められているだけな気がするんだけど。
でも、そうだといいな。そう思っておくか。
船着き場では、ちょうど船が着いたところだった。
「ありがとうございました。ではまた明日」
ユーフェミアさんはそう言って手を振ると、船に乗り込む。
「あ、はい。また明日!」
船着き場の魔石灯で、ユーフェミアさんが微笑んだのが見えた。
空を見上げれば、魔石灯にも負けない明るい満月だった。
クリフ・カストナーのモテ期(仮題)はこれにて終了です。
次は『雷の尾』とダンジョンです。