85. お礼参り
「疲れたー」
夕暮れ時、契約書を作り終えて、メリアンは言った。
ちなみに仕事をしたのは、まずミシェルさん。後はハロルドさんと僕である。
メリアンはあまり何もしてないんだけどね。
「メリアン、王都でどうやって勉強したんだ?」
僕は聞いてみた。
メリアンは王都の学校を卒業してるし、そこで中級治癒術も習得している。
「それは頑張って、だっと集中して、ボッーとして、怒られて、まただっと集中して、その繰り返しよ!」
メリアンは答えた。
僕らがそんな話をしていた時、『青き階段』の扉が開いた。
入ってきたのは迫力と存在感がある黒髪の女。彼女の前髪一筋は銀色だ。
銀弓のダイナである。
こういうのを何と言うんだっけ?
えーと、お礼参り!
「マデリンはいるか?」
銀弓ダイナは、女にしては低めのよく響く声で、単刀直入に言った。
なお、受付はもう閉まっている。
「マデリンさんの居場所なんて、知らないわよ。知ってたとしても教えないけど」
メリアンが甲高い声で反応する。
「誰かと思ったら、泥棒猫ではないか」
銀弓ダイナは言った。
僕はメリアンと銀弓ダイナの間に入る。
「メリアンは泥棒猫ではありませんよ。トラブルメーカー娘です。
人の特徴を正しく理解しないと人探しはできませんよ」
僕は言った。
「その娘は、我が女神の敵の1人。
とは言え、今回探しているのはマデリンの方だ。あの女の居場所を教えろ」
銀弓ダイナは、実に落ち着いた態度である。
この胆力はすごい。
「とりあえず、このロビーの中にはいませんね」
僕は答える。
しかし、銀弓はよく1人で来たな。
そして、メリアンを泥棒猫とか、相変わらず言いたい放題である。
アウェイの『青き階段』でそういうことを言うとどうなるか、ここは僕がわからせてやるか。
議論は得意だ。本気で行くぞ!
「銀弓のダイナさん、マデリンさんに会いたいなら、なぜマデリンのお店に行かないのですか?
だいたい薬が欲しいなら、注文して待つしかありませんよ」
僕は嫌みたらしく言った。
「あの女は薬屋などではない。あれこそ、我が女神の真の敵。
そして、私はあの女に話があるのだ」
マデリンさんは愛と恋の女神の愛し子とも言われるセイレーン族だ。
愛と恋の女神と結婚の女神を対立する神格としてとらえるなら、マデリンさんは結婚の神の敵となる。
「人探しの依頼なら、受付が開く明日を待ってください。どのくらいの料金になるか、ちょっと分かりませんが。
あれ?そう言えば、相棒の金盾さんがいませんね。
どこにいるんでしょう?」
僕の言葉を聞いた銀弓ダイナは大きく顔を歪める。
こういう非常識な美女に議論で勝つのは爽快感があるよね!ぐへへ。
「わが運命の君は、……。そんなことどうでも良い。あの女の居場所を教えよ!」
マデリンがトラブルを起こすなら99.9%色恋がらみよ、とレイラさんが言っていた。
これはやっぱり、金盾とマデリンさんがデートに行って、それを探しに来たとかかなぁ?
「ふむ。どこかで女性と遊び歩いているのかもしれませんね。
銀の月のように美しいダイナさん、あなたは、まずアルペロさんに愛されるために、結婚の女神より、愛と恋の女神の方が必要なんじゃないですか?」
決まった。
ダイナの目は怒りでつり上がり、浅黒い頬には赤みがさした。
信仰を馬鹿にされたのだ。当然怒る。
銀弓ダイナは、結婚の女神を熱烈に信仰しているし。
今回の胆は、罵り文句に、褒め言葉を交ぜたことである。これでダイナは、僕の言葉を最後まで聞いてしまったのである!
ひゃっほー!
後から思えば。
僕は銀弓を、女性を甘く見ていた。
「……我が思いを……、勝手な言葉で汚してくれるな!」
そう言うと、銀弓ダイナは、
いきなり涙ぐんでみせたのである!
あー、女だからって泣くとか、卑怯だぞ!
ちゃんと議論しようよ!
ちょうどその時、奥からトレーニングを終えたガタイの大きい連中がやって来た。
彼らは、泣いている銀弓ダイナに興味を持ったようだった。
僕の頭は半分パニックであった。
「我が望みが叶えば長居はせぬ。どうかあの女と話をさせて欲しい」
銀弓ダイナは肩を震わせ、切々と訴える。
男連中はざわついている。
もしかして、僕が銀弓ダイナをいじめたと思ってる?
違います。そうじゃないんです!タブン。
「あの女って、マデリンのこと?ここにはいないわよ」
この声はレイラさん!
僕は心底ホッとした。
「あの女の店に行ったら、『風読み』や『青き階段』の方が、あの女の居場所に詳しいだろうと言われたのだが」
銀弓ダイナが言った。
「あー、それは店員のエルフ娘に嘘つかれたんじゃない?
言っておくけどエルフのセリアは、『緑の仲間』の所属だから。
苦情は『緑の仲間』へお願いね」
レイラさんはおざなりに答える。
「ここには、あの糞淫乱女はいないのだな?」
銀弓は確認する。
「いないわね。そして言っておくけど、糞淫乱マデリンの居場所は、あたし知らないから」
レイラさんは答える。
「ならばしかたない。あの女が来るまでここで待たせてもらう」
銀弓ダイナは、そう言うとロビーの椅子に腰かけた。
そして、悠然と長い脚を組む。
「あの、マデリンさんはここでは全然見ませんよ」
レイラさんと一緒に来た若い冒険者が銀弓ダイナの脚を見ながら言った。
「若者よ、愛とは忍耐なのだ」
銀弓ダイナは艶然と笑ってみせた。
もうその目に涙はない。
若い冒険者はちょっと気圧された風である。
もしかして、銀弓ダイナは、誰かがマデリンさんを連れてくるまで、ここに居座る気か?
「あー、もう」
レイラさんはそう言うと、受付のメモ帳を一枚ちぎった。
その紙にさらさらと何かを書く。
「ここに行きなさい。ヴァーラー女神の敬虔な信徒で、ロイメ議会の女性議員なのよ。
絶対あなたのために、最大限協力してくれるから」
そう言うと、レイラさんは銀弓ダイナに紙を渡した。
銀弓ダイナは興味を引かれた風である。
「とっとと行かないと、今日中に会えないわよ」
レイラさんは言った。
まあ良い、その一言を残し、銀弓は出て行った。
なお、レイラさんは後日、この連絡先を銀弓ダイナに渡したことをすごく後悔する。
しかし、これはまた別の話だ。




