46. 閑話 崖の上
あっという間の出来事だった。
クリフ・カストナーは空へさらわれ、大峡谷へ落ちて行った。
コイチロウは、はるか下を見下ろす。
(俺の運試しは、俺でなく、弟でもない、別の人間の運命を変えたのだ)
「兄者!何を呆けておる!」
コジロウに腕を捕まれた。
「クリフ殿がいない今、『三槍の誓い』を率いるのは兄者しかおらぬのだぞ。
兄者ができぬなら、俺がやってやろうか」
コイチロウは我に帰る。
「何を言うか。副リーダーは俺だ」
「現実が見えているなら良い」
周りを見ると、コサブロウは呆然としているし、キンバリーは泣きそうな顔をしている。
確かに呆けている場合ではない。
「生きているかなあ?」
チェイスとか言う禿げ親父が言う。
「本人が大丈夫だと言ったのだ。生きているに決まっておる。
問題はどこから、どうやって下りるかだ」
コイチロウは言った。崖を下りる事は、確定事項である。
「駄目だ。今下りるのは、危険過ぎる」
反論したのは、デイジーの飼い主ネイサンだ。
「大丈夫です。下りれます」
キンバリーは既に手にロープを持っている。
「見ろ」
ネイサンが指差す先には黒い鳥影がある。ロック鳥。
上空高い所を旋回している。
「まだ第五層に帰った訳じゃないらしい。
ロープで降りる途中を襲われたらひとたまりもない」
「しかし……」
「これからどんどん暗くなる。第三層の夜は暗い。明かりの魔術道具を使うにしても、限度がある」
「このまま居座られたらどうする?」
コジロウが言った。
「その時は、戦うか応援を呼ぶかだな」
チェイスが即答した。
「第三層に、深層の魔物が現れた記録は何度かある。
でも、たいてい1日か長くて数日でいなくなっているんだ。
今回もそうなる可能性は高い」
ネイサンの言う通り、月も星もない第三層の夜は暗かった。一応、真の暗闇ではなく、空にはわずかな発光はある。それでようやく、外の世界の新月の夜に近い感じだ。
この中をロープで下るのは、確かに危険が大きい。
次の日、コイチロウを始めとする『三槍の誓い』のメンバーは、薄明るくなると同時に下りる準備を始めた。
ネイサンらも、彼らの様子を見て、立ち上がる。
夜の間に第五層に帰ったのか、ロック鳥の姿は見えない。
「それでも、キンバリー1人で下ろすのは危険だぞ」
ネイサンが言った。
「大丈夫です!!」
キンバリーはネイサンを睨みつける。
「お主らは危険だとしか言わないな」
コサブロウが言う。
「ネイサン殿は正しい。
下に意外な魔物がいるやもしれぬ。
俺とキンバリー、2人で下りる」
「それが良いよ。クリフ君が怪我をしている場合、キンバリー1人じゃ背負い切れないだろう」
ロープ下りは、技術と同じくらい装備が重要だ。
その点コイチロウとキンバリーは、『風読み』の最新装備がある。
次に、比較的下りやすそうなルートを探す。
そして、支点となる岩にロープを掛け、手でロープを手繰りながら後ろ向きに下りて行くのだ。
一回で下りきるのは無理だろう。足場を確保し、ロープを回収しながら、3~4回に分けて下りるか。
コイチロウは算段する。
最初に下りるのは、キンバリーだ。コイチロウはそれに続く。
(レイラ殿に怒鳴られておいて良かった)
コイチロウが参加したロープ下り講習の講師はレイラだった。
(焦らない!支点確保、道具の扱い、丁寧にやりなさい!アッーとここでパートナーが足を滑らせたー!)
厳しく育てられたコイチロウをしても、かなり大変な目にあった。
大峡谷は、上で予想していたより深かった。崖下に下りるために、5回ロープを下ろすことになった。
下ではキンバリーが待っている。
「気をつけて進もう」
キンバリーは頷いた。
武装はコイチロウは小刀、キンバリーはナイフのみである。
「この辺りではないか?」
コイチロウは崖の形を見上げる。
「……人の足跡がある。複数」
「何だと?」
コイチロウはキンバリーの側に駆け寄る。
「それ以上進んじゃ駄目。足跡が分からなくなる」
コイチロウは慌てて止まる。
キンバリーの視線の先には、靴の跡がある。しかし、ずいぶん大きい。
「……こっちはだいぶ薄いけど、クリフ・リーダーの靴跡だと思う」
「血痕や争った跡はあるか?」
「ないと思う」
足跡は、じきにたどれなくなった。川の側の泥がたまった場所に一部だけ、足跡が残ったようだ。
(一度戻らねばならない。魔物と人間とでは、対処方が違う)
2人は下った道を登ることになった。登るのは、下りるよりラクだから(キンバリー談)。
確かにキンバリーは、驚くほどはやかった。
……コイチロウも無事に登れた。
「クリフ殿は、悪意のある冒険者達にさらわれた可能性がある」
コイチロウの発言に、皆どよめく。
「その冒険者達に悪意がある証拠はあるのか?」
最初に質問したのは、せっかちな禿げ親父チェイスだった。
「では聞く、ネイサン殿。
善意の冒険者であるあなた達は、峡谷の下で落ちてきた冒険者を拾ったらどうする?」
「怪我をしていないか確認して、本人が元のパーティーに合流できるよう協力するかな」
ネイサンは言う。
「合流するために何をする?」
「下手に移動しない方が良さそうだね。一晩一緒にキャンプをして待つよ。
迎えが来なければ、まあ、『禿山の一党』の所まで送って行く」
「礼は貰うぞ。出世払いでも良いが」
トムが付け加えた。
「争った後や血痕はないのであろう?
兄者、クリフ殿は、近くの安全性な場所でキャンプをして待っている可能性はないか?」
「ネイサン殿、近所に安全な洞窟なり隠れ家なりを持っていたらどうする?」
「そこに連れて行くにしても、目印なり手紙なりは残すね。
だいたい、隠れ家はあまり人に知られたいとは思わないけど」
「フム、善意の冒険者である可能性は低そうだの」
コジロウは言う。
「……多分トロール族がいる。すごく大きな靴跡があった」
ポツリとキンバリーが言った。
「なあトムよ、武器を持ったトロール族に脅かされたらどうする?」
チェイスが言った。
「とりあえず言うことを聞くな。抵抗はしない」
トムが答えた。
「……僕もコイチロウ君の意見に同意するよ。
クリフ君はトロール族を含む冒険者パーティーに捕らわれている可能性が高いと思う」
ネイサンが言った。
デイジーがワンと吠えた。