「天才」サラリーマンの受難
フィクションです。
自分が“天才”であることを知った。
「自分は凡夫以下の人間だ。」
「人よりも必死にやってやっとスタートライン。」
そう思って生き抜いてきた。
そんなある日、社長から宣告される。
「君は“天才”だ。」
「この会社で社長である僕の会話スピードについてこれるのは君だけだ。」
「だから、君の本気のスピードについていける人間はこの会社で僕以外いない。」
「それを配慮して仕事をしてほしい。」
原体験として、いけ好かない美術教師から「努力だけは認めてやる」と言われるくらいにはセンスがない。
所属していた部活でも自他ともに認める「センスの無さを努力で何とか隠している」タイプだった。
初めて就職した職場でも、実力不足からハレーションを起こした。
二度同じ轍は踏まないと意気込んで就職した今の会社、そこでも過去と同じ失敗を起こす。
何故だ?
まだ実力が足りなかったのか?
しかし、告げられたのは「君は“天才”だ。」という言葉。
その要因の一つは言語能力(あるいは言語化能力)の高さらしい。
確かに、浅はかな考えでその場しのぎの言葉を紡いでいる人がすぐにわかる。
それが自分より地位が高い人間であってもだ。
「貴方は嘘をついて、見栄をはって、なんとか誤魔化そうとしていませんか?」
「もしそれが本当に、限界まで解像度を上げた言葉で発しているのであれば問題ありません。きっと私が今からする質問にも容易に答えられることができるでしょう。さぁ、準備はよろしいですか?」
というのが態度から漏れ出てしまう。
これは組織の統率をとるために用意された権威性で仕事をしている指揮官からしたら、気に食わない言動だなぁと今は納得している。
組織という特性上
指揮官が100点の成果を求めているのに、120点の成果を出してしまうと煙たがられる。
何故なら失敗と同様、予想外の異常事態だからだ。
サラリーマンの生き方はブラックジャックなのだ。
「21(ブラックジャック)」以上の結果はバースト扱いになる。
120点の成果は組織に悪影響を与えると判断される。
100点以上の結果は余計な自己満足、自己表現の世界になる。
自己表現していいのは大衆迎合されてからだ。
大衆迎合するには魂を売り渡す必要がある。
上手くやった後に魂を買い戻せばいい。
これからが楽しみで仕方がない。
なんどでも言いますが、フィクションです。