お酒とおつまみがあれば幸せ!そんな私が転生した。
私の人生の楽しみは、お酒と一緒に食べるおつまみ。
日本酒にお刺身、ビールにソーセージ、赤ワインに生ハムとチーズ、紹興酒に餃子。とにかく飲むお酒に合わせて、簡単なものから凝ったものまで、いろいろなおつまみを作るのが趣味。作るのも好きだし、もちろん食べるのも好きだった。
好きでもない事務の仕事をしっかりと定時に終わらせると、ここからが自分の大好きな時間。
今日はどんなお酒を飲もうかな、おつまみを作ろうかな、いやいや、デパ地下をぶらぶらして、美味しそうな新しいおつまみを探そうかな。
そんなことを考えるのがストレス発散であり、生きがいだった。
お酒とおつまみは、仕事にしたくない。癒しだから。
まだまだ35歳。残りの人生は長い。ゆっくり、楽しく、お酒とおつまみを堪能し続ける日々を過ごせると思っていた。
まさか、ある日突然死ぬなんて考えられる?
「あぁっっ!!」
手を伸ばしたところで、はっと目が覚めた。
顔にはひんやりとした冷たい空気がまとわりついている。なんだかすごく悔しい気持ちになって、アルーはゆっくりとベッドから体を起こした。
思い出したのだ。前世を。
昨日はアルーの10歳の誕生日パーティーだった。
ガルランド王国では10歳の誕生日は少し特別な誕生日だ。
15歳で成人と認められるガルランド王国では成人の時に出立の儀という、とても盛大なパーティーを開く。その次に大きなパーティーが10歳の誕生日のパーティーなのだ。
10歳の誕生日パーティーは仮の大人になったことを祝うパーティーで充備の儀と呼ばれる。10歳まで無事に育ち、成人になる肉体的な前準備が整ったことを祝う。
10歳の誕生日を迎えた後は、15歳の出立の儀に備えて将来の職業の訓練を始めるもの、嫁ぎ先を探すものなど、皆それぞれ独り立ちの準備を始める。実際にギルドでも10歳から仮登録が認められるし、貴族の間では異性とのお見合いパーティーのようなものも10歳から招待状が届くようになる。
アルーは貧乏子爵の末娘だ。貴族としての地位も低く、血統が古いわけでもない。さらに貧乏なため、将来は手に職をつけた独り立ちが望まれる。もちろん嫁ぐという手もあるが、持参金もほとんど用意できない子爵程度の娘など、特別な技能でもなければ嫁ぎ先がないのも一般的だった。
とはいえ、子爵であるために、10歳の充備の儀はそれなりに盛大に祝われた。大人の入口に立ったとして、祝い酒に酒を振る舞われる程度には。
それはアルーが初めて祝い酒を口に含んだ瞬間だった。アルーの舌がお酒のピリリとした苦さを感じたその瞬間に突然、前世の記憶が走馬灯のように頭の中を駆け巡ったのだ。
「あっ…」
おいしい。美味しい。美味しいっ!どうしてこの味を忘れていたんだろう!
記憶とともに身体中を駆け巡るのは、震えるほどの感情の嵐。嬉しい!大好き!そんな溢れんばかりの爆発的な感情がアルーの体を支配した。
「アルー、どうした?」
アルーが体を小さく震わせて呆然としていると、訝しげな表情でアルーの父ジーンがアルーに尋ねた。
「ぁ…っ…」
アルーは上手く言葉を口に出すことができなかった。
「アルー、大丈夫か?」
アルーの一番上の兄ユールも心配そうにアルーの顔を見つめてくる。
「ぁ…あの…。いえ、大丈夫。ちょっと…初めてのお酒に…驚いて…」
アルーは混乱した頭で、感情が昂って震える体を抑え込むように、口角をあげると笑顔で言葉を絞り出した。
アルーが笑顔で応えたことで、父ジーンもユールもそして他の家族もホッとしたように表情を和らげた。
その後は和やかな空気が流れた。
アルーはなんとか平静を保とうとしながら、そのパーティーをやり過ごしたのだった。
「そうよ。お酒…おつまみ…。あんなにお酒もおつまみも好きだったのに…」
アルーはベッドに座ったまま呟いた。
混乱して興奮していた頭と体は、一晩寝たことで、落ち着きを取り戻していた。
「お酒も…おつまみも…そうよ!今回の人生では、もっともっと楽しみたい!」
アルーは前世でのんびりしていたために、お酒もおつまみも楽しみきれなかったことが、とても悔しく思えてきた。
どうして死んだのか、死ぬ瞬間の記憶だけは霧がかかったように記憶にない。ただ、自分が35歳で死んだことだけは確信できるのだ。
「今回の人生では、お酒もおつまみも、前世より楽しんでみせる!!」
アルーはグッとこぶしを握りしめた。
今回の人生では、お酒もおつまみも趣味に留めるのではなく、職業にも絡めてしっかり楽しみたい。1分1秒だって無駄にしたくない。もう後悔はしたくないのだ。
「まずは成人の儀までにどうやって動くかを真剣に考えないと」
アルーはベッドに座っている場合ではないと、勢いよく掛け布団をまくりベッドから降りると、机に向かいペンを手に取った。
まずはノートに前世のお酒とおつまみに関する知識をまとめることにした。
今思い出した前世の記憶が、ずっと覚えていられるものなのか、徐々に記憶が薄くなってしまうものなのかわからない。
もし忘れたとしても、ノートを見返せばわかるようにしておけば安心だわ。
それにしても、貧乏とはいえ子爵家に生まれて本当によかった。おかげで字を習うこともできたし、ノートもペンも持っている。
流石に孤児に生まれていたら、ノートやペンを手に入れるところから始めないといけなかった。ましてや孤児が突然ノートに日本語を書き始めたら、周囲に怪しまれることは間違いないもの。
アルーは自分の出生に感謝しながら、室内が明るくなるまで一心不乱にノートへ前世の記憶を綴り続けた。