それでも、貴方が好きだった。
ここは、屋上。
うだるような暑さの下、僕は片思いの相手に想いを告げた。その先のことは正直、あまり考えていなかった。ただ、今の自分の気持ちを伝えるだけで僕は精一杯だった。
「えっと……………」
彼女は困ったように地面を見つめている。その姿に僕は、何処か奥ゆかしさを感じた。僕は気恥ずかしさから彼女から目線をそらす。
そして何も言わず、じっと返答を待った。
「塚本君」
漸く彼女は遠慮がちに僕の名前を口にした。
だが、次の瞬間――――――――
バチッ、と音がした。
まるで、溜まっていた静電気が一気に放出されるような音。僕は我に返り、顔を上げる。
目に入ってきたのは、衝撃的かつ、信じ難い光景だった。
彼女の首筋当たりからバチバチと連続して音が鳴り、細く黒い煙が上がっていた。
「うっ…………ああああぁぁぁああ」
苦しそうな声を上げ、両手で首を覆うように押さえている。僕はただ見つめていることしかできなかった。
「見ないで」
刺すような眼差しで僕を睨む。僕の背中に汗が走った。彼女から、計り知れない威圧と恐怖を感じる。
僕は、流石に心配で勇気を振り絞り話しかけた。
「なあ、何があったんだよ、大丈夫か………‥」
伸ばした手は、簡単に振り払われてしまった。
「見ないでって、言ってるでしょ」
彼女の顔は痛みのせいか酷く歪み、いつもの暖かい笑顔の面影さえ微塵も感じられなかった。
「今すぐ、失せて」
彼女は消え入りそうな声で呟いた。
僕は、動けないままだった。
彼女は、再び口を開いた。
「消えて、目障り」
吐き捨てるようにそういうと、彼女は右手を挙げ、人差し指をたてた。
左手は、首を覆ったまま。そして宙に素早く何かを描く。
僕はもう、動くことすら忘れていた。ただただ呆然と事態が収まるのを待つ。
彼女が手を下ろすと、さらに奇妙な光景が僕を待ち受けていた。
宙には、円形をした魔方陣のようなものが浮かび上がっている。
紫色をした不気味な「それ」に僕は思わず一歩、二歩と後ずさりをする。
「…目障りだって言ってるでしょ」
彼女がそう怒鳴った瞬間――――――――――――
ぐらり。
視界が歪む。
魔方陣の中央から、猛烈な風が吹き出した。
僕の身体は簡単に浮かび、数十メートル離れた地面に叩き付けられた。
「……い……‥って」
幸い、掠り傷程度で済んだ。
尻餅をついたままの僕に、彼女は無表情のような、仮面のような表情で近づく。
「今のこと、もし誰かに言ったら…………‥」
ぎらり。
彼女の目が獣の如く光る。
「殺すから」
そう言い残し、長い髪で負傷したとみられる首筋を覆い、覚束ない足取りで踵を返していった。
翌日。
昨日の出来事から一夜が明けた。
彼女のあの時の表情が、爪痕のように脳裏に貼り付いて、離れない。
無論、それは時折目を覚ますのだった。
重い足取りで教室へと向かい、扉に手を掛ける。
一体どんな顔で彼女に会えばいいのか。考えても答えは出ない。
もしかしたら―――――――悪い夢だったのかもしれない。そう思うことにした。
生身の人間から火花や煙が出るなんて、有り得ない話だ。
その時だった。
「塚本君」
彼女は僕に声をかけた。それも、控えめに。
恐る恐る振り向くと、「彼女」が立っていた。
昨日の悪魔のような表情は、嘘のように消えていて。
ああ、やはりあれは夢だったのだ。僕は安堵の溜息を漏らす。
すると、彼女が近づいてきてぼくにそっと耳打ちをした。
近い。変に意識をしないように平常心を保つ。
「ちょっと、来て」
僕は何故か、嫌な事態を悟ってしまった。
そして何も言わずに頭を一度だけ縦に振り、彼女について行った。
呼び出されたのは、三階の端の方にある、誰もいない資料室。
僅かに埃っぽい空気に、僕は何故か懐かしさを覚えた。
入ってドアを閉めるなり、彼女は深く頭を下げる。
「昨日は……‥ごめんなさい。驚かせちゃったよね」
「え……………‥?」
あまりに急な展開に、素っ頓狂な声が出てしまった。
そんな僕をよそに、彼女は話し続ける。
昨日の態度とは全く違う。一体、何が起こっているのか。
「あのね、塚本君に聞いて欲しいことがあるの」
僕は、頷くほか手段を選ばなかった。
彼女はポケットからカッターナイフを取り出す。
そして――――――――
スパッ、と自分の手首に刃を当てた。
「おい…………‥」
やはり彼女のすることは、はっきり言って理解が出来ない。
僕は彼女の左手首を掴む。五cm程度の傷口には、血は一切にじんでいなかった。
代わりに、傷口から除く絡まった無数のコードのような線。
僕は信じられず、口をつぐんだ。
一体彼女は何者なのか。とても人間の類だとは思えない。
僕の沸き上がる疑問を汲み取ったのか、彼女は口を開く。
「私はね」
時が止まる。
聞こえるのは、僕の鼓動と彼女の吐息だけ。
「アンドロイドなの」
再び時が動き出した。
「じょ、冗談……………だろ?」
馬鹿馬鹿しい。そんな話があるわけない。きっと僕は、彼女に騙されているのだ。
「嘘じゃないよ」
すかさず彼女が続ける。
僕はそれを何とかして遮った。
「じゃあ、昨日のは一体……………?」
「昨日は…………ごめんなさい、やっぱり言えない」
理由が言えないとは、つまりどういうことなのか。隠し通さねばならない訳でもあるのだろうか。分からない。錯乱状態に陥った脳を、どうにか落ち着けようとする。それでも今の僕には答えは出せなかった。
「少なくとも君は、人間じゃない…………ってこと?」
僕は彼女に問う。彼女は頷いた。
「うん」
たった二文字の返事には、大きな意味が隠されていた。
彼女は続ける。
「私はアンドロイド。言わば人造人間。別次元の世界から。 秘密捜査員として送られてきたの」
ああもう。訳が分からない。
僕の中で彼女の言葉がぐるぐると渦を巻く。
「この人間界を、滅ぼすためにね」
彼女は笑った。
昨日と同じ、歪んだ笑顔で。
僕は悟った。
昨日の出来事が現実であったことを。
僕は咄嗟に、逃げることを選んだ。
だが。背を向けた瞬間、彼女に肩を掴まれた。
それはもう、凄まじい力で。
「逃がさないよ?」
だらだらと、背中に嫌な汗が流れる。
「知ってしまったからには、死んで貰わないと」
彼女は笑った。
今度は、子供のような無邪気な笑顔で。
「それに」
「私のこと、好きなんでしょ?」
目眩がする。吐き気がこみ上げてくる。世界が回り、うまく立てない。
「なら、死んでよ。私のために」
そう言い、彼女は強引に僕を引き寄せる。
そして鈍く光を帯びたカッターナイフの刃を僕の首に押し当てた。
このまま、彼女が手を動かせば、僕は―――――――――
まずい。僕は手を無我夢中で振り解き、彼女を突き飛ばす。
「痛っ」
一瞬の隙をつき、僕は資料室を飛び出し一目散に逃げ出した。
このままでは、命が危ない。それくらいは分かっていた。
僕は階段を駆け下り、廊下を走り、角を曲がる。
そして、廊下の端のぽつんと離れた掃除道具箱に身を潜ませた。
息を殺し、外の世界へ耳を澄ます。僕の心臓はもうとっくに壊れ、暴れていた。
十分が経過し、十五分が経過した。彼女の気配はおろか、人の気配さえも全く感じられない。
だが、安心するにはまだ速い。用心深い僕は、警戒態勢を緩めることはなかった。
その時だった。
「おーい、塚本君、塚本君」
彼女の声だ。
ぞくり。
身の毛がよだつのが自分でも分かった。
僕はひたすら祈り続ける。
近づく足音。乱れる呼吸。恐怖で震える身体。
パタン、パタン………………
足音は遠ざかっていった。
僕はほっとして胸をなで下ろす。助かった、僕の脳はそう認識した。
だが、すぐに事態は絶望へと姿を変えた。
ギィィィィィィィ、と軋む音がして掃除道具箱の扉が開く。
「見つけた」
彼女は笑った。
だがそれは、笑顔でも果てしなく無表情に近いものだった。
「君のことなんて、お見通しだよ」
かくれんぼを楽しむ幼い子供のように彼女は言った。
「邪魔なモノは、排除しないと」
もう、逃げ場はない。
いつもなら騒がしい廊下も、今日に限って静まりかえっている。
「じゃ、最初は」
「君の番」
目の前には、カッターナイフを振り上げる彼女。
後ろには、行く手を阻む、冷たい壁。
ああ、僕はもう終わりなのか………‥?
初恋の相手が、こんなにも歪んでいたなんて。
だがそれでも、僕は彼女が好きだった。
たとえ、人間ではなかったとしても。
理由は――――――――分からない。
ただ相手を想う気持ちに、理屈や理由など不必要な気がしたのだ。
だから、僕は――――――――――
「ばいばい」
彼女は笑った。
その顔は、何処か切なげで。
カッターナイフが振り下ろされた瞬間。
今だ、と僕は彼女のみぞおちに蹴りを入れる。
ドスッ、と鈍い音がする。彼女はお腹を押さえ、呻いて蹲った。
僕は彼女が蹲っている僅かな間に、ポケットからハサミを取り出した。
彼女はすぐに立ち上がる。
僕はカッターを奪い取り、投げ捨てた。彼女の顔が歪んでいく。
そして先程の傷がついた左手首を掴んだ。
まだ完全に塞がっていない傷口から除く無数のコードに、僕はハサミの刃を入れる。
彼女は喚いた。僕は、手を止めなかった。
そして――――――――――
ジャキン、とコードを断ち切った。
「っ…………‥ぁぁあああぁぁぁあぁぁああああああ」
断末魔の如く、彼女は叫ぶ。
僕は荒い息のまま、その光景を見つめていた。
傷口から火花が見える。そして、黒煙が立ち昇った。
それは見る見るうちに彼女の全身を覆っていった。
「プログラムヲシュウリョウシテイマス……………」
耳に入るのは、ぎこちない機械音。
僕の頬を涙が伝い、床へと落ちていった。
最後まで、君に言えなかったこの言葉。
「愛してる」
気がつけば、彼女の姿は跡形もなく消えていた。
コンピューターがショートしたのだろう、と考察を立てる。
彼女がいたはずの場所には、カッターナイフが落ちていた。
僕はそれを拾い上げ、カッターナイフを手にして自分の教室へと向かった。
「邪魔なモノは、排除しないと」
歪んでいたのは、僕の方かもしれない。