帝戦-Imperial record of the war-
Imperial record of the war
-帝戦-
プロローグ
若い皇弟は、広い宮殿の中を友人であり、帝国軍を束ねる軍師の居所を求めて彷徨い歩いていた。
隣国に乗り込んだ兵士の情報が正しければ、間もなく戦争が起きる………。
そんなこと、帝国の民は望んでもいないし、彼自身も、そして彼の兄である現皇帝も望んでもいないものなのだけれども。
「ネルウァ……」
彼は友人の姿を廊下で認め、そして
「オウィディウス大公……」
と言い直した。
ラシーヌ軍の軍師であり、オウィディウス公国大公でもあるネルウァは、皇弟ユリウス・クラウディウス・リンの皇立学院での同胞であり、無二の友人でもある。
学生の頃はお互いに名前で呼び合っていた仲であったが、成長し、立場や地位を分かり合える年代になった時、どちらからともなく、皇弟殿下、オウィディウス大公と呼び合うようになっていた。
「……いかがされましたか?皇弟殿下……」
黒い髪に黒い瞳。
この地方には珍しいと言える容姿を、更に黒いトガで覆い、ネルウァは声のする方へと首を曲げた。
「いよいよ攻めてくるという正確な情報を得た」
「……そうですか……」
皇弟リンの言葉に少しも動揺しない。
むしろ、それをあらかじめ分かっていたような口振りで、ネルウァは視線を落とした。
彼のいる廊下、そこには歴代の帝国皇帝の肖像画が並んでいる。
皇弟リンの兄、ラシーヌ帝国第四代目皇帝の肖像画が、近々そこに並ぶ手筈になっていた。
「……ラシーヌの歴史は開闢以来、戦乱と血塗られた歴史の最中での事でした。
今更どこの敵国が攻めてきましょうが、皇弟殿下及び皇帝陛下の御心を乱すものでもありますまい」
淡々とネルウァは語る。
ラシーヌ軍、その数百万と言われるほど、帝国の圧倒的な軍事力は他の国を牽制する意味でも、そして現実にも、絶対的なものであった。
他国が攻めてこようが、その軍事力で全てを排除してきたのだ。
「戦場での総指揮はおれが執るつもりだ。兄上には戦場の経験はない上……」
リンは言葉を濁す。
リンの兄であるラシーヌ第四代目皇帝セウェルスは、武道で民を抑えるでもなく、知力と血筋で皇帝の座に治まっており、他国との小競り合いは弟であるリンが全てを受け持っていた。
「……殿下……」
ネルウァは更に表現を曇らせる。
彼は本来、大公院に任命されたオウィディウス大公領を治め、そこで賢者のように書物を読み書きしながら平凡な余生を送るという志があった。
それを、皇弟の友人、そして類い稀な知識を持つものとして、およそ本人の意志とは関係なく、無理矢理に総参謀長という位置に納められてしまったのだ。
「……おれを助けてくれるな?」
力強い旧友の瞳を、不適な態度で見つめ返し、片膝を突く。
「……皇弟殿下のご命令とあらば……」
その時リンは、旧友がどのような心境であったのか知る由もない。
名前からかけ離れた呼び名でお互いを呼ぶようになった距離を、彼はまだ考えた事もなかった。