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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

藍色の花

作者: 蒼魚 圭

初投稿です。

拙い文章ですが、よろしくお願いします。

 暗闇の中、手を伸ばす。必死にその先にある何かを掴もうとするが、それ以上身体が動かない。


 身体が、金属か何かの彫像になってしまったかのような、そんな感覚。


 身体が重い。金縛りにあっているかのような、全身に重りが付けられているかのような、そんな感覚。


 苦しい。息が出来ない。俺には今、何が起こっているのか。

こんな苦しい事、早く終わって欲しい。


 まだか。まだか。


 目の前には薄暗い暗闇が広がり、その奥にはゆらめく人影らしきものが。

 なんで、どうして助けてくれない。こんなにも苦しいのに。


 不意に暗闇が一層深くなり、それに続くように意識が途切れていく。


 やっと解放されるのか。

やっと……。やっと。


♦︎


「はっ!?」


 ガバッ、と掛かっていた布団を跳ね飛ばす勢いで俺は目を覚ます。


 辺りを見渡すと、俺が住んでいる見慣れたボロアパートの一室。

 身体には水をかけられたかのようにびっしりと汗をかき、全身に鳥肌がたっている。

 どうやら夢にうなされていた様だ。しかし、何の夢だったかは思い出せない。


 けれども、とても大切な事で、それでいてとても苦しかったのだけは覚えている。


 そんな事よりも、もっと今の俺にとって大切な物を思い出した。


 はっと時計を見ると、安っぽい、アラームすら付いていない置き時計が示す時間8:30。

 このままいけば、大遅刻だ。諸々の用意や朝飯、通勤等の時間を含めると、会社に着くのはおおよそ10:00。ただの平社員のくせに重役出勤してしまう。


 この際、最低限の荷物と最速の移動で短縮出来る時間は30分程。

 これでも遅れてしまうが10時よりはマシ、と思いたい。


♦︎


 電車を最速で乗り継ぎ、駅からここまで全力疾走をして、息を切らしながら俺の務めるブラック企業のあるオフィスビルの前に立つ。


 不幸な事にエレベーターが停まっていた為、走って階段を駆け上る。

 なんだか身体が軽いなぁ、けど今日そんなに寝てないよなぁ、などとくだらない事を考えているうちに、4F。俺の職場に辿り着く。


 無駄と分かってはいるがそーっと扉を開け、こそこそと自分のデスクへ向かう。

 そんな行動が功を成したのか、もしくは誰もが自分の仕事に集中してくれたおかげか、自然に椅子に座り、遅刻等せず始めから仕事をしていたかのように仕事を開始する事が出来た。まぁ、タイムカードを見れば一目瞭然なのだが。

 今日はこのまま乗り切るとしよう。問題が起きたらその時に対応しよう、と俺はそう一人思うのだった。


♦︎


 夜。俺の姿はとある湖の湖畔にあった。


 なんとか今日は乗り切った。いつも業績が低く、万年平社員の俺が遅刻なんてしたらもうクビ一直線なわけだが上司すらも自分の仕事に追われていて俺に気付く事は無かった。

 常識的に考えたら、人一人いない事に気付かない程の仕事量はヤバいと思うのだが。

 悲しきかなうちのブラック度は周辺のブラック企業にも引かれるレベル。

ありえない量の仕事が平社員だろうが課長、部長関係なく回され、出世しても給料は倍増するが仕事量は二乗になると言っても過言ではない程。

 そして時間内に出来なければ全てサービス残業。

 だから俺は毎日、仕事終わりに深夜だろうと台風が来てようと欠かさずこの湖に来ているのだ。

 こうでもしないと精神が持たない程にうちの会社はヤバい。

 いつもの二人掛けの長椅子にもたれかかり、静かな湖を眺めていないともう……。


 ふと、足元に見慣れない青い花が咲いている事に気付く。


 知らない花だ。なんとなく、調べてみる。青い花......っと一発で出た。そんなに有名なのか?

 へえ。ロベリア、というのか。名前の響きが気に入った。頭の隅くらいには置いておこう。


 さて、と。今日の休憩はここまでにしておこう。これ以上は明日の仕事に差し支える。

早く帰って寝よう。

俺は帰路についた。


♦︎


 翌日。今日は起床時間が8:30、なんて事はなく、5時頃に目が覚めた。

 いつもならまだ寝ている時間だが、目が冴えてしまった。


 なんとなく、テレビをみる。


 早朝なだけあっていつもは見ないような番組がやっている。

その中で、ふと気になったニュースを見てみる。


 近くの湖で水死体が発見されたようだ。

 身体は滅多刺しにされていて顔は判別出来ず、なおかつ、重りまで付けられて沈められていたよう。酷いことをする奴もいる物だな。


 それにしても、この近くの湖といったら俺の毎日通っているあの湖しかないな。

 まあ、大丈夫だろう。

と、俺は根拠の無い自信を持ちながら、この事件の事を軽く見ていた。


♦︎


そして、この事件をきっかけに俺が毎日通っている湖は何故か自殺の名所、と言われるまでにそこでの自殺者が増えるようになった。


湖の近くには交番が設置され、警察官が常駐するようになった。

お陰で気分的にだが湖周辺に入り辛くなってしまった。


それでも、日々の日課は続ける。今日も俺の足元で、きれいな藍色のロベリアが咲き誇っていた。


♦︎


深夜。とある自殺の名所と言われた湖の端に一人の青年が居た。


「ああ、我が神よ。どうして貴方はこの世をこんな不平等に創ったのでしょうか。この社会の所為で、私は全てを失いました。私の様な弱者には、この世界は手を差し伸べてくれません。それどころか、ただでさえ少ない私の数少ない財を毟り取っていこうとするのです。おお、神よ、今、貴方様の元へ敬愛なる信徒がまいります」


青年は虚空に向かって呟く。彼の信じる神に語りかけているのだ。


当然、返事等来るはずもない。


青年は自らの今までを思い起こす。


青年は貧しく、ある小さな宗教の一人の信者だった。

教会に勤めていて布教活動、教会内の雑務等を日々こなしていた。

しかしいつからか、青年の勤める教会、ひいてはその宗教は危険な思想、またテロリスト予備軍を作り出す危険宗教として、国から即刻活動を止めるよう命令された。

だがそれは、彼らの信ずる神が否定されたとされ、徹底抗戦の姿勢を見せる。

その結果、実力行使に踏み切った国の鎮圧部隊に容易く蹴散らされ、逃げ切る事に成功した者達は身を隠し、復讐の機会をうかがっている。青年もその一人。だった。

しかし、青年は生きる事に疲れてしまったのだ。奪われる事に耐えられなくなったのだ。

だから今、青年は天に居るとされる神の元へと行こうとしている。

青年は自らの元に唯一残った青年の宝物といえる、銀のロザリオを握りしめる。

数分か、数秒か。青年はロザリオを見つめ、やがて覚悟を決めたような顔をすると、その十字架の切っ先を自身の心臓へと向け、一息に突き刺した。

長さはそこそこあるロザリオは、青年の信仰心に答えたのか、はたまた偶然か。

寸分違わず青年の心の臓を貫いた。

青年の身体は力なく倒れて行き、大きな水音をたてながら湖の底へと沈んでいった。


その数日後。湖に浮かんできた青年の死体は地元住民に発見され、警察が派遣された。


警察は死因は溺死と判定。また、胸に大きな刺し傷があった為事件の可能性があると判断。凶器は青年の持っていたとされる銀のロザリオ。

指紋は水で洗い流され、取れなかった。



また、これは事件に関係の無い事だが、警察関係者全員が近くに咲いていたやけに青い花が、妙に気になったという。


♦︎


『本日早朝、○○市の湖で水死体がまたも発見されました。これでこの湖で亡くなったとされる人が20人に達し、警察は湖近辺の警備の強化、また自殺防止の対策をするなど――』


テレビの電源を切る。


またあの湖で自殺者が出たらしい。

その所為で俺が湖に行き辛くなってしまう。

まあ、一度も警察に見つかった事は無いが。


さて。仕事に行かなくては。

今日の事は帰りに考えよう。悩み事は未来に丸投げするに限る。


♦︎


夜。今日も欠かさず、いつもの湖畔に来る。

巡回の警察に見つからない様に、静かに移動し、静かに水面を眺めているだけなのだが。


そして、もうこれも習慣になってしまった、以前よりも黒に近い藍色に染まったロベリアの花を愛でるのも欠かさない。

正確に言えば、軽く水やりをしたり、栄養剤を垂らしてやったり、眺めたり。


これをやっているとなんだか落ち着いた気分になる。

ああ、とても小さいかもしれないが、幸せだ。


ドボン。


急に、湖の方から何かが落ちたような水音が聞こえてくる。


妙に気になって、先程まで愛でていたロベリアの花を見る。

青みがさらに深まり、もう黒といっても通じるような濃い色に変わっていた。


「どういう事だ……」


俺は困惑を隠しきれない。


「湖だ!湖の方で音がしたぞ!もしかしたらまた自殺者かもしれん!」


近くの交番から警察官の声が響く。それに続いてドタドタと慌てた足音と懐中電灯の光がこちらに向かってくる。


まずい、見つかってしまう。


光がほぼ目の前に来て……




俺の事等見えていないかのように、警察官数人は行ってしまった。


何故。

普通、半立ち入り禁止になっているような湖。しかも夜に不審な人物を見つけたら、最低一人ぐらいは対応に向かうのが警察なのではないか?


分からない。どうしてだ。

いくら急がなくてはいけない事が合ったとしても、人を見つけたら何かしら反応くらいはする筈だろう。

何故、何故……。

 俺の脳内で疑問や、その解答が生み出されてはそれは違うと否定する。

 頭の中がぐるぐるとして気持ち悪くなってくる。




まさか……認識、されなかった?


ある一つの結論が俺の頭に浮かぶと同時に、その理由について先程と似たような幾多もの可能性がこんがらがった脳内に流れ、思考のループに陥る。

そして、不意にある一つの違和感が身体に駆け巡る。

身体、正確に言えば内部から溢れ出てくるような、今まで感じる事の出来なかったソレを感じ始めると、何やら黒いオーラの様な物が俺の身体から溢れ出る。


自らの突然の変化に驚いていると、俺の前に、何かを探すように周辺を見回しながら頭を坊主にしたお坊さんの様な恰好をした人が現れる。


「これは……こんなに強い悪霊がこんな所にいたなんて……。そうか、こいつがこの湖に怨念をばら撒き、それに釣られてやってきて死んだ人の怨念を喰らっているのか……」


この坊さんは信じられない事を言う。


俺が……悪霊? ありえない。

俺は今ここに、しっかりと生きていて、存在していて、足だってちゃんとあるし、身体が透けてもいない。ありえないんだ。俺が悪霊なんて事。


「我らが神よ、いまだこの世に縋り続ける悪しき霊をその怨念から解き放ち、輪廻の輪に戻したまへ……」


坊さんは何やら呪文っぽい物を呟きながら手に持った御札と数珠を握りしめる。


「破ッ!」


目を大きく見開き叫ぶと、途端に身体が熱くなり、また、軽い浮遊感を覚える。


まさか、そんなこと。ありえない。

ありえないんだッ!!


俺が心の中で叫ぶと、坊さんが急に吹っ飛ぶ。


「まさか……これ程とは……」


坊さんは驚愕と納得の混ざったような表情を浮かべると、這うようにして逃げて行った。

俺はその姿をぼうっとして眺め、ようやく、自分が死んでいる事に気付いた。


♦︎


「今日の夜、時間ありますか?」


同僚の湖口さんが話しかけてくる。

湖口さんはわが社唯一の女社員で、男臭いこの職場に華やかさを与えてくれる人だ。

そんなこの職場においてアイドルの様な人からのお誘いだ、断らないわけがない。

その様子を見ていた他の社員たちが恨みがましい目で睨んでくる。

敗者達の浴びせるこの視線はこの事が事実であるという事の証明でもあり、心地よくすら感じられる。


その日の仕事は、いつもより早く終わった。モチベーションが上がったからだろうか。


♦︎

夜。湖口さんのお誘いがあるとしても、こればかりは外せない。

いつもの湖畔に俺と、湖口さんは居た。


「うわぁ……」


月明かりに照らされた水面は、光を反射して綺麗に輝く。その様子が好きだから俺は毎日此処に来ていた。新月の夜はさすがに真っ暗になるが。


「綺麗ですね……」

「ええ、そうですね。俺もこの景色が見たくて毎日仕事帰りに此処来てるんです」

「仕事の疲れが無くなるようです……」

「はははっ。そこまでですか、湖口さんにとっては」


湖口さんもこの景色が気に行ったようで、二人でずっと、この景色を見ていた。

静寂が場を支配する。なんだか、この静けさの中だと話を切り出しにくい。


「えっと……」


静寂は、彼女の方から破られた。


「月が、綺麗ですね。玲二さん」

「そうですね……。ってええ!?」


彼女はこの言葉の意味を知っているのだろうか。

知っているとしたら、何故俺に。


「ちゃんとこの言葉の意味も分かっていますし、あなたに向けるこの感情も本物です」


俺の心を読んだかのようにそう答えた彼女の真っ赤に染まった横顔は、とても可憐で、美しかった。


「なんで自分が、って思ってますよね?自分では分からないかもしれませんけど、玲二さん、良いところ沢山ありますよ。例えば……そう、皆の事よく見ていて、自分の仕事だってあるのに、困った時にさりげなく助けてくれる事とか、社内では笑顔を絶やさないところとか。結構、魅力あるんですよ」


そうはにかむ彼女を見て、心臓が勢いよく跳ねる。鼓動がだんだんと早くなって、体温が上昇する。これが、恋って奴なのか?

分からない。


「返事、待ってます」


彼女は一言言い残し、紅潮した顔を手で覆いながら小走りで去って行った。


♦︎


翌日の夜。彼女の告白に関しての返答は後日、と言う事にしてもらった。

我ながらヘタレすぎる。この気持ちは分かっている筈なのだが、こう……なんというか、言葉に出来ないのだ。


「はあ……」


自然とため息をついてしまう。当然だが、彼女の思いが嫌というわけではない。むしろ本来ならすぐにでもyesと答えたいのだ。

このため息は行動を起こせない自分に向けての物であり……。


「ため息なんてついてどうしたんだ。青井」

「藤枝か」


長考に入ろうとした俺の意識は同僚の藤枝の声で現実へと引き戻される。


背後に立っている藤枝の表情は分からない。しかし、その声音から、ちょっと危ない気配がしたので振り向いてみる。

途端、俺の目には鈍く光る果物ナイフを振りかぶった藤枝の姿が映る。

とっさの判断で右に避け、その凶刃から逃れる。


「いきなり何をする!」


俺は叫ぶ。湖口さんに異様に執着していて、嫉妬深い奴のことだ。

同僚故に、おおまかな性格はお互い把握している。

それでも、真意を聞いておかなければいけない。

もしかしたら、あの人に被害が及ぶかもしれないから。


「いきなり、だって?その台詞は僕が言いたいよ。僕が狙っていた、僕の物になるはずだった湖口さんを横から掻っ攫って、さぞかし気分が良いだろうね。お前の所為で、僕の計画がめちゃくちゃだ。湖口さんを手に入れたら、とっととこんな会社辞めて、僕にふさわしい大企業に勤めて、湖口さんと、いや泉さんと暮らす予定だったのに、お前が!」


激昂しながら藤枝が襲いかかって来る。

ただの果物ナイフのはずなのに、身体が動かない。

殺気、とか言う奴の所為なのだろうか。

だめだ、避けられない。


すみません、湖口さん。返事、返せそうにないです。


ぐさり、と腹にナイフが突き刺さる。

刺された所がだんだんと熱くなってきて、体から出てはいけない大切なものが流れ出る。

ああ、これが血が流れ出ていく感覚か。


藤枝はナイフを何度も俺に突き立てる。

これはもう、致命傷、か。


冷静に今の状況を見ている自分が怖い。

もうすぐ死ぬというのに、のんきなものだ。


命が流れ出ていく。

駆け巡る走馬灯。

昨日の彼女の横顔。


くそ……ここで終わるのかよ。まだ死ねないのに。


持ちあげられるような感覚と、抵抗の強い何かに入れられた身体がさらに重くなる。ここは、水中、か?

嗤う奴の姿がどんどん遠ざかっていく。

何かに掴まろうと、必死に手を伸ばすが、その手は水しか掴めない。


まだ……終わりたく……無い。


そこで、俺の意識は途切れた。


♦︎


俺が死んだ時の記憶。思い出した。


そうか。俺が水の中で死んだから、その怨念で人が引き寄せられ溺死する奴が多いのか。


あの坊さんの御蔭か。こうして記憶を取り戻せたのは。その点は、感謝したい。

では、俺を殺しやがった奴の所へ行くとしましょうか。


♦︎


藤枝は既に、俺を殺した罪で投獄されていた。

霊になった身体で色々すり抜けて見つけた書類に書いてあった。

その後、近くの牢獄をしらみ潰しにまわり、ようやく奴の牢を見つけた。


「よお、牢獄の居心地はどうだい、藤枝。」


返事は無い。


「おい、なんとか言ったらどうだ!」


反応の無い藤枝にイラつき、殴る。

が、すり抜けた。


ああ、俺って悪霊だったな。普通の人間には見えないし、触れないのか。

なってそこまで経っていないからだろうか。自分が霊という自覚が薄いのは。

それに、俺も短気になったものだ。生前なら、もっと我慢していただろうに。


それでも俺はもう人間じゃない、悪霊なんだ。

殴れないのなら、俺が無意識にやっていたように、呪い殺せばいい。

俺は怨念を、奴に向けて全力で放った。


すると、奴は急に顔を青ざめさせ、後ずさりをする。

その顔は恐怖に歪み、見えない何かを恐れている様だった。


「ひい!?なんだお前!く、くるな、僕に近付くなあ!う、うわああああああああ!!!」


あいつの主観だと藤枝は、奴にしか見えない何か、の手によって殺されたらしい。

怨念、すごいな。幻覚も見せられるのか。

死因はおそらくショック死だろうが、なんか釈然としない。

何と言うのか、俺を殺した奴の最期にしては、あっけない。

まあいいや、殺せたんだから結果オーライとしよう。


あとは俺の生前の心残り、湖口さん。

彼女の姿を一目見たら、もうこの世に未練はない、と思う。


とりあえず、行こうか。


♦︎


湖付近に戻ってきて、仕事から帰って来ると思われる湖口さんの姿を探す。


うちの会社の平均退社時間よりはまだ早いから、待つべきだろうか。

いや。それなら会社に行った方が早いか。


俺は浮遊し、会社へ向おうとすると、何やら見えない壁に阻まれた。


何コレ。霊を通さない結界的なナニカ?


一人、首をかしげていると、湖の方から数人の人影が現れる。


どいつも、聖職者らしい恰好に身を包み、教会の壁に飾ってあるような大きな十字架や、錫杖で武装している。そのなかで一番体格の良い、筋骨隆々の棍棒の様な太い錫杖を持った男が話しかけて来た。


「こちらの結界にかかったか、悪霊」

「誰ですか?俺を浄化でもしにきたお坊さんか何か?それなら別に必要ありませんけど」

「黙れ、悪霊はおとなしく我々に浄化されればよいのだ」

「いや、ちょっとある人の顔見たらもう未練無いので見逃してくれませんかね」

「断る」


俺の勝算の薄い願いは一蹴され、マッチョな坊さんは錫杖を振り上げ俺の脳天目掛けて振り下ろす。来るべき衝撃に備え、構えた。

が、錫杖は俺の身体をすり抜けた。


「何ッ!」


坊さんは大層驚いたようで“信じられない”という顔をしていた。


何度も何度も同じ事を繰り返すが、俺にダメージは通らない。もしかしたら俺、無敵かもしれない。


そんな願望は、一切の容赦なく切り捨てられた。


「親方!あいつの本体はその霊体ではありません!その花です!その花から、強大な怨念を感じます!」

「でかした!」


マッチョ坊さんの取り巻きらしい、ひょろっとした坊主が叫ぶ。


親方と呼ばれたマッチョは俺への攻撃を止め、懐から取り出した瓶に入った水をロベリアの花に振りかけた。


その瞬間、俺の中から何か大切な物が消えていくような感覚が全身から発せられる。


止めなくては。


そう思うも、怨念以外に物理的に干渉出来ない俺は、水が撒かれるのを止められず、どんどん存在が薄くなっていく。


「ハハハァッ!どうだ我々特製の聖水は!他の奴らの手も借りて完成した最高傑作だぞ!」


まずい、まずい、俺が、消えていく。


肉体が死ぬ時とは違った、消滅していくような感覚。


また、俺はあの人に会うことも出来ず消えるのか。

嫌だ、あの人が無事である事を確認出来ればよかったのに、何故なんだ。


また、あの時のように手を伸ばす。何処へいるとも分からぬあの人へ向けて。

無理だと分かっていても、無駄だと分かっていても、彼女の笑顔をもう一度見る為に。

必死に、最期の一瞬まで、足搔いてやる。


♦︎


霊を通さぬ結界に、入って来る者が居た。


その者は霊でなく、ごく普通の人間だから容易く結界内に入る事が出来た。


虚空を囲む聖職者たちは突然の乱入者に一時驚き、再度聖水を悪意の花へと撒く。


消えゆく霊は彼女の姿に驚き、また悲しげでありながら何処か幸せそうな笑みを浮かべ、彼の姿を見る事は出来ないが、おぼろげに感じる事は出来る彼女は虚空に涙と笑顔を浮かべ、何事かを虚空に告げる。


霊は彼女の幸せを願い、最期は自らの意思で、その悪意の花を散らした。



藍色の花は悪意の爪痕を遺しながら浄化の光と一人の女性の笑顔により、華々しく散った。


その姿は、敵であったはずの彼らして、見事、と言わせる物であったという。



END

ちなみにロベリアの花言葉は「悪意」「敵意」などです。

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