マッチを売りにキマシタワー
「さて、どうしようか」
そう呟いて、私は冬の夜空を見上げる。そこに浮かぶ星星は、あまりの寒さに凍りついてしまったかのように鈍く光っていた。
視線を下げると、人々が慌ただしく行き交う街の大通りが視界に映った。道路は一面雪に覆われていて、至るところに人の足跡や荷馬車の通った跡が残っている。
さらに手元に目を向けると、木の枝で編まれたかごがあった。その中には溢れんばかりに詰められたマッチの箱の山(数えたら50箱あった)が見える。
「これは、アレだよなあ」
そう。アレである。間違いなくアレだ。
先ほどから何度も頭の中を駆け巡り、この状況を簡潔に説明する言葉を、ついに私は口に出した。
「異世界転移、しちゃた」
異世界転移……異世界転移ねぇ。声に出して言ってみたはいいものの、それで状況が進展する訳でなし。むしろそのあまりの馬鹿馬鹿しさに吹き出していたら通行人に冷たい目を向けられた。やめて、これ以上空気を冷やしたら凍死する。こいつ新手の通り魔か?
とまあ現実逃避はこれくらいにして状況把握に戻ろう。
ここは異世界だ。どこかのテーマパークや映画村という可能性も微粒子レベルで存在しているが、それにしては通行人の服装がガチすぎる。異世界だと考える方が自然だろう。この状況に自然な所など何一つないという点は棚に上げます。
そして今右手に持っているかご、というかその中にある大量のマッチ。それをこの状況に当てはめて考えると、導き出される答えはただ一つ。そう、『マッチ売りの少女』である。今私は、かの有名な童話、マッチ売りの少女の世界に入り混んでいるのである。あるいは焔の錬金術師になったという説もあります。真実は一つじゃなかったのか。
ともあれ、この状況は非常にまずい。
もしここが本当にマッチ売りの少女の世界だとしたら、このまま進めば私は凍死してしまう。それは嫌だ。こんな見ず知らずの土地で死にたくなんかない。なんとか解決策を見つけないと。
もしハガレンのほうだったらチート無双なんだけどなあ。まあアレはマッチじゃなくて指パッチンだけれども。ちなみにアズレンだったら寮舎に引きこもってる。
……寒いとすぐ思考が乱れる。いい加減真面目に考えないと。でも手持ちがかご×1、マッチの箱×50、生地の薄い服×1で一体何ができるというんだ。もう圧倒的素材不足。
というか服の生地が薄すぎる。服というかもうこれ布だろ。これで真冬の夜を乗り切るなんて無理ゲーすぎる。恐るべし異世界。
ああ、もうなんか鼻水出てきた。早く暖かいお家に帰りたい。
「……ん?待てよ?」
と、またもや現実逃避しかけていた脳に疑問符が浮かんだ。もしこれがマッチ売りの少女のストーリーをなぞっているのなら、この街の中に私――この少女の家があるのではないだろうか。
そう思った私は、すぐに家を探し始めた。ポケットの中の財布に、少女の家のものだと思しき住所が書かれた紙が挟まっていたので、見つけるのにさほど時間はかからなかった。ちなみに財布の中には、その紙以外何も入っていなかった。世知辛いね。
「ここ、だよね?」
大通りから一つ外れて裏路地に入り、さらに路地というより壁と壁の隙間といった感じの道を抜けた先に、その家はあった。
ずいぶんと古びた石造りの家だ。扉は所々穴が開いていて、立て付けも大分悪そうだった。
少し躊躇ったが、私はその扉を開けて家の中に入った。
「ただいまー(知らない家)」
返事がない。ただの屍のようだ。とりあえずそのまま部屋の奥へと進む。
人の気配はない。部屋は暗く、かなり散らかっている。空き巣にでも入られたのだろうか。
足場が悪いので一歩一歩慎重に歩く。部屋の奥には一つの引き出しがあった。何か手掛かりがないかとその引き出しを開けて中身を探る。もうこれ私が空き巣じゃね?
残念ながら、手掛かりや何か役に立ちそうなものはなかったので、私は帰ろうと後ろを振り向いた。
するとそこには、マッチ売りの私と同じようにみすぼらしい格好の男が立っていた。
男は酷く泥酔した様子で、赤くなった顔をこちらに向けている。なんとなく嫌な予感がして目を逸らすと、散らかった部屋が視界に映った。
そうだ、私不法侵入してたんだ。それならあの男が無言でこちらを見つめているのもわかる。つまりこれ、かなりやばくね?
「あ、怪しい者ではありません!」
日本語が通じるかどうかも分からないので、ボディランゲージも合わせて必死に無実を訴えた。いや、不法侵入してるのは紛れもない事実なのだけれど。
ああ、異世界で務所行きか……などと半ば諦めの境地に達しようとしていたその時、男が口を開いた。
「そうか。帰ってきていたのか!」
男はこちらに満面の笑みを向けてきた。あれ、この人マッチ売りの少女と知り合い? というかもしかして……
「お父さん?」
「そうだ。お前の父親だ」
ニコニコしながらこの男、マッチ売りの少女の父親は言った。なんかこの人、気味悪いな。無表情でつっ立っているかと思ったら、いきなりこんな笑いだして。
「で、いくら持ってきたんだ?」
浮かべていた笑みをさらにギラギラとしたものに変えながら、父親はそう聞いてきた。え、いくら? って何の話? お金だろうか。財布の中身なら空だけど。
私が黙っていると、父親は繰り返し聞いてきた。
「だから、マッチはどれくらい売れたんだ」
「え、マッチってこれですか?」
右手に持っていたかごを前に差し出した。もちろん大量のマッチの箱が入っている。へい、大盛お待ち! すると、父親は一瞬無表情になって、
「ああ!? 全然売れてねえじゃねえか!」
一瞬だった。父親は赤い顔に血管を浮かべて私の元へ走ってきたかと思うと、拳を固めた毛むくじゃらの腕を私の頬へと突きだしてきた。
ゴッと鈍い音が響いた次の瞬間には、私の体は散らかった床に倒れていた。痛い痛い痛い痛い痛い! 思わず叫びそうになるのを堪えて、私は父親に向かって言った。
「な、殴ったね! 親父にも殴られたことないのに!」
あ、この人がお父さんだった。じゃなくて、とにかく逃げないと。
私が立ち上がろうとすると、父親は私のお腹に膝蹴りをかましてきた。こ、こんにゃろう。一瞬吐きそうになったじゃないか。
掴みかかろうとする父親を押し退け、私は家から飛び出した。後ろを振り返ると父親は包丁を取り出していたので、そのまま路地をしばらく走り、大通りに出てからようやく立ち止まった。
「ふぅ。ここまで来れば、はぁ、大丈夫だろう。うっ!」
お腹に強い痛みを感じた。服の端を掴み、布をめくる。
さらけ出したお腹には青黒い痣ができていた。あの父親に蹴られた所だ。しかしよく見ると、その周りのいたるところに、同じような痣があった。
つまりこの子は、マッチ売りの少女は普段からこのような暴行を受けていたのだ。そう言えば確かに、童話の中の父親は乱暴な人物として描かれていたような気がする。それにしても、
「これは酷いな……」
私はぽつりと呟いた。
痛みと呼吸が落ち着くのを待ってから、私は再び歩き出した。裏路地に入るとまたなにが起こるか分からないので、大通りを道なりに進むことにした。
それにしても、あれだけ危ない思いをして収穫ゼロかあ……。本当神様チート能力とかくれませんかねえ。せめて手持ちのアイテムをもう少し充実させて欲しい。
「っへくし」
ああ、もうなんか悪寒がしてきた。だ、暖をとらないと。あ……
手持ちアイテム:マッチの箱×50
こ、これだ! これだけあれば一夜くらいは凌げるはず。
私は早速かごの中から箱を一つ取り出し、マッチの赤い部分をシュッと擦り付けた。するとマッチはぼおっと音を立てて燃えはじめた。
そうそう、これこれ。小さいけれど、暖かい。あーなんかこたつの中みたい。ミカンが置いてあって、あ、焼いた七面鳥もある! 美味しそうやあ。
……あれ、これもしかして幻覚? ということは私死亡ルート入ってる?
次第に火は萎んでいき、やがて儚くも消えてしまった。
「…………」
これはアカン。さっきからフラグ拾いまくってる。火が消えて急に寒くなったせいなのか、さっきより悪寒が酷くなってる気がするし。
万事休す。異世界の路上で野垂れ死ぬ姿が脳裏をよぎる。こんなところで、誰にも気付かれずに死ぬのか、私。
「くそう。こうなったら自棄だ!」
私は持っているマッチ全てに火を灯した。50箱全部。ええ、それは盛大に燃えましたよ。火っていうか炎だった。
炎の色は次第に青くなり、あまりの熱さに私は思わず手を放してしまった。すると私の手を離れた50本のマッチは、近くにあったゴミ箱に引火し、さらに燃え上がり始めた。あ、火事だこれ。
ゴミ箱が燃えているのを見て、だんだんと野次馬が集まってくる。その内の一人が私に声を掛けてきた。
「お嬢ちゃん、一体これは……?」
「…………」
再び務所行きの未来が頭をよぎる。今度は放火魔として。もうお天道様の元を歩けない。
私が黙っていると、声を掛けてきた人は訝しむような顔つきでこちらを見つめてくる。
「これは、君がやったのかい?」
「こ、これは……キャンプファイアです!」
咄嗟に言い訳が口をついていた。我ながら無理がありすぎる。と、そう思っていたのだが、
「そうか! キャンプファイアか! おーい、ここでキャンプファイアやってるんだってさー」
え、これで納得したの? 大丈夫かこの人。
「え、なになにキャンプファイア?」
「じゃあ皆で踊りましょう!」
「祭だ! 祭だ!」
ぞろぞろと人が集まってきて、誰かが踊り出し、誰かが歌い、いつの間にやらお祭り騒ぎになっていた。火事を囲って騒ぐ民衆。駄目だこの街。
幸いなことに、周りが全て石造りなお陰で火事がこれ以上広がることは無さそうだ。
お祭り騒ぎはさらにヒートアップし、ついには酒盛りまで始めた民衆を傍観していると、なんと火の中に人がいた。
誰だ火の輪くぐりなんて馬鹿な真似を始めた奴はと目を凝らしていると、その人がこちらに話しかけてきた。もちろん火の中から。
「こんにちは。あなた、この世界の人間ではないわよね」
「なっ!?」
なんでこの人、私のことを知っているんだ。まさか神か。
「まさに神よ」
喋ってないのに答えが帰ってきた。なにそれ怖い。
「あなたの考えていることなんてお見通しよ。神だから」
なるほど、お見通しなのか。なら話が早そうだ。あとその神アピールしつこいです。
「もちろん、あなたの願いは分かっているわ。元の世界に帰りたいのよね。……そんなにしつこかったかしら」
「分かっているんだったら早く帰してください」
「ええ。でもその前に、あなたに謝っておきたいの」
「謝る?」
「実はあなたがこの世界に来てしまったのは、神々の手違いによるものなの。ごめんなさいね」
「そうなんですか。じゃあさっさと元の世界に帰してください」
「ちゃんと聞きなさい。神々の謝罪なのだから」
「なんでもかんでも『神々の』をつければ神々しくなるとでも思ってるんですか。胡散臭いだけなので手短にしてください」
「うさっ……分かったわ。今私のいる炎の中に飛び込めば、あなたは元の世界に帰ることができるわ」
炎の中に? 私そんなスタントマンみたいなことしなきゃいけないの?
ちょっと躊躇ってしまうような方法だが、正直もうこの世界にうんざりしていたので渋々従うことにした。
私は、炎に向かって一歩一歩、慎重に歩き出した。自然と心拍数が上がり、額に汗が滲む。やはり少し怖い。が、ここで弱気になっても事態は解決しない。
炎の目の前にたどり着き、足を止める。さあ、腹をくくる時が来た。
額の汗を拭おうと右手を上げ――先ほどまでマッチの箱が山と積まれていたかごが目に入った。
私が元の世界に帰ったら、本当のマッチ売りの少女はどうなるのだろう。マッチは一本も売れず、あの危ない父親の元に帰るのだろうか。
「ねえ、神様。私が帰ったら、マッチ売りの少女はどうなるの?」
「そうねえ。多分父親に殺されるでしょうね」
「殺される!?」
「ええ。あなたも見たでしょう? 父親が包丁を持って追いかけてくるのを。
……彼女のこと、気になるの?」
「まあ、少し」
「じゃあ見せてあげる。彼女の記憶を」
一体何を、と聞き返す前に、頭の中に映像が流れ込んできた。その中では、マッチ売りの少女が祈りを捧げている。
『神様。どうか私を、お父様のいない、どこか遠い場所に連れていってください。どうか、どうか……』
彼女は、強く祈っていた。体が震えないように、拳を強く握って。神に祈る他、助けを求める方法がないのだと。それでも、生きたいのだと。
「私、もう帰ります」
「あらそう。せっかくだからもう少しお話していたかったけど、仕方ないわね。それじゃあ、もうこんな所に来ないよう気を付けて」
「この世界に来たのはあなたのせいなんですけど」
「だからごめんなさいって」
「それはそうと、一つお願いがあるんだけれど。……異世界に連れてこられた人間には、何かチート特典があってもいいんじゃないかなって思うんだ。ねぇ神様?」
「本当にそれでいいの?」
「いいの。彼女自身も願っていたことだし」
「そう。じゃあいよいよ本当にお別れね。いろいろと巻き込んでしまって悪かったわ。あなたには神々のご加護を授けましょう」
「やっぱりなんか胡散臭いけど、ありがたく頂戴するわ。じゃあね」
胡散臭い神様に別れを告げ、私たちは炎の中に飛び込んだ。炎の中は何か神秘的な力が働いていて全く熱さを感じない、などということは全くなく、普通に熱かった。神々のご加護はどこいったんだよ。
……だから
「……ずっと健気に祈り続けてくれたからね。奇跡の一つくらい起こさないと、神の名が廃れるわ。……がんばれ、二人とも」
だから、そんな神の呟きを、私が聞くことはなかったのである。
「知ってる天井だ」
気が付くと、私は自宅のベッドの上で寝ていた。すわ、まさかの夢オチかと一瞬焦ったが、隣ですーすー寝息を立てている少女を見つけ、ほっと一安心した。
「ん……。ここは……?」
彼女もすぐに起きたようだ。どこも具合は悪くなさそうで、さらに安心。これだけ安心できればウチにALS○Kはいらないだろう。
「ここは私の家。そして今日からはあなたの家でもある」
「私の、家?」
「そう。私たちの家よ。早速だけど、異世界から来たあなたにはまず日本の文化を教えてあげないとね! えーっと、鋼の○金術師って知ってる?」
そんな真冬の、ちょっとした出来事。