#055「細溝」
「もちろん、緊張してましたよ」
「そうなの? わたしには、落ち着いてるように聴こえたわ」
「内心、ドキドキでしたよ。ここで発した音は、みんなマイクが拾ってると思ったら、息遣い一つまで意識しますもの」
「そうだったの。でも、じきに慣れるわ。――入力は進みそう?」
「この列に数字を入れていけば良いんですよね。合ってますか?」
「そうそう。仕事が速いわね」
「テン・キーで打ち込むだけですから、誰がやっても大差ないと思いますよ」
「それが、そうでもないの。そもそも表計算ソフトの使いかたが分からない人間が、意外と少なくないものなのよ。特に、学校でパソコンの操作を習わないまま社会人になった年代には、ゼロから説明しないといけないことが多くてね」
「情報端末は、進歩が著しいですよね。――終わりました」
「はい、ご苦労さま。これで、放送部のお財布事情が把握できたわね」
「えぇ。でも、見て良かったんでしょうか?」
「見てはいけないものなら、誰にもお願いせずに、わたしが一人で処理するわ」
「それも、そうですね。余計な質問でした」
「領収書の受け取りかたも教えたし、他に言っておくべきことは無さそうね」
「斎藤裕子宛で、日付と額面が正しいか確認しなきゃいけなんですよね?」
「そうよ。宛名が上様だったり、日付や額面が空欄だったりしたら、事務が正式な経費として認めないから、よく注意してね」
「覚えておきます。部費で何か購入することがあればの話ですけど」
「そうねぇ。文化祭も終わったから、すぐに必要なものは無いわね。――それじゃあ、お茶にしましょうね。シフォン・ケーキが二つあるのよ」
「すみません。ご馳走になってばかりで」
「良いのよ。わたしが勝手に持って来てるだけだから。こっちが抹茶で、これはアール・グレイ。どっちが良いかしら?」
「うわぁ。迷いますね」
「美味しそうでしょう? 決められないわよね」
「どちらも、何ともいえない香りがしますね」
「フフフ。ここは、半分ずつしましょうか。わたしも、決められなかったのよ。飲み物はココアで良いかしら?」
「はい。完全に司書室を私物化してますね、裕子先生。トースターやアイ・エイチのコンロまである」
「物理室には、コーヒー・メーカーや電子レンジがあるし、中庭では動植物を育て放題でしょう? これくらい許容範囲よ」
「対抗相手は理科の先生なんですね」
「それだけじゃないわ。社会科教具室は映画館で、家庭科準備室は手芸品店で、美術準備室はアトリエよ。――はい。召し上がれ」
「いただきます。……柔らかすぎず、硬すぎず。絶妙な生地ですね」
「そうでしょう。ココアは、熱くないかしら?」
「平気です」
「それは良かったわ。……さて。ケーキも食べたことだし、これから、クラブの会計は詩織さんにお任せするから、よろしくね」
「グッ。そういう魂胆だったんですね」
「前は大貴さんにお願いしようと思ってたんだけど、いつも良いところで逃げられちゃってね」




