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Q6.この仕事のいいところは? A.普通はできない経験ができます(笑)

 インターンシップ四日目の朝は、異常なまでの筋肉痛から始まった。まず、体を起こそうと手をつくと、しびれているのか痛みがあるのか判別できなかった。ついでに力も入らない。むりやり起きあがれば、立ち上がっただけだというのに息が切れた。

 くわえて明らかな胃もたれ。こっちは技術開発部で食べさせられた、尋常じゃない量のメシのせいであるのは、間違いないだろう。

 電車に乗れば乗ったで、程良く混んでる田舎の電車。要するに席は埋まっているし、ドアの前には常に誰かが寄り掛かっているけど、快適ですよってやつだ。

 吊り革にぶら下がるようにして、背筋の痛みに耐え、最寄り駅までたどり着く。

 駅から出て、会社に向かう。タクシーでも使ってやろうかと思ってしまう。しかしいつも通り、タクシープールには一台として止まっていない。仕方なく歩く。

 会社のビルを、背中を伸ばして見上げる。今日と明日で、とりあえず一旦はインターンシップが終わる。ほんの数日間の勤務だと言うのに、なにやら感慨深い。しかも、昨日の儀式のおかげなのか、すでに社員の一人になったような気すらする。

 ……騙されているのだろうか。

 余計な思考を振り払うように頭を振って、ロビーへと足を踏み入れる。

 パっと開いた麗しき造花のような南さんの笑顔、俺の姿を視認したであろう瞬間に、花は散った。しかし、もう四日目。すでに慣れたものだ。

「おはようございます。南さん」

「……おはよう」

 目線も上げずに挨拶を返されたが、気にしない。すでに気付いているからだ。

 おそらく彼女は普段から準備をしておいて、知り合いであることを確認してから、わざわざ爪を研いでいる。すなわち、爪研ぎは、気恥ずかしさを隠すためだ。

 業務用の笑顔を作り続けているのを知り合いに見られる。これが恥ずかしいから、わざわざ演技ですよと、アピールしている。

 ……真相は知らないが、そうだったら嬉しいし、飲み会のときの彼女は基本的に常識人だったから、そう信じたい。

 エレベーターに乗って、実行部。さすがに今日は、加速感が身体に堪える。

 降りて、タイムカードを押し、斎藤さんに向けて挨拶

「おはようございます」

 ひょこっとパーティションから出てくる頭。

「あ、おはよう。そろそろ慣れた? ……あいかわらず、変わった格好だね」

「はい。おかげさまで。ちょっと筋肉痛が酷いですけどね」

 何かに気付いたように首を少し伸ばして立ち上がった斎藤さんは、パーティションに寄り掛かり、俺の頭から足までじっくりと見た。

「ああ、そっか。榊さんがメンターだもんね。ルチャにいったんだね」

 ……なんで分かるんだ。もしかして、昨日言っていた魂のマスクとかいう意味不明なモノのせいなのか。あるいは、全身からアステカ文明なオーラが出てるのか。

 自分の全身を見てみる。特に変わった様子もない。筋肉痛が酷いだけだ。

「俺、なんか変わりました?」

「……まぁ、多少ね。まだまだ体型が細すぎるとは思うよ。でも、今日を入れてもたった四日。随分サマになるもんだなぁって思ってね。一回技術部に連れていくべきだって言った甲斐があったよ。あとは、服装だけだよね」

 やっぱり、進言したのは斎藤さんだったか。何となくそんな予感はしてたんだよ。この人が一番まともな人だし。

「気にかけてもらって、ありがとうございます。服装については、善処します」

 頭を下げて、榊さんのデスクへ。背中にかけられる、明るい笑い声。まぁいい。

 この調子でパーティション迷路を抜けて……昨日と構造が微妙に変わってやがる。日替わり迷路とかどうなってんだよ、ここは。

 たっぷり一〇分近くウロウロしてなんとかオアシスにたどり着き、その先に榊さんの後ろ頭が見えた。とりあえずパーティションオアシスの先には、彼女のデスクがあるらしい。これは常に変わらないルールのようだ。迷路の構造を変えているのは、もしかしたら、榊さんなのではないか。違うか。

「おはようございます。榊さん」

 彼女は背もたれに寄り掛かり、体を伸ばすようにこちらを見て、眉を寄せた。

「おはよー。今日はちょっと忙しくなりそうよー?」

 触れないでいてくれたが、恐らく変な格好だと思ったのだろう。

 でも、あんたの着ている、○ルティモドラゴンのマスクがデカデカと入ったTシャツ。それも外で着るのは、どうなんだ。しかし、格好に触れないでいてくれたことに感謝をこめ、聞かないことにしよう。

 隣のデスクに座ると、ファイルが三冊。

「マジすか? 三人も?」

「しかも、その内一人は、異世界送られ経験者。というか、見るとびっくりするわよ。一番下のファイル」

 榊さんは、背もたれをギシギシ揺らし、手を頭の後ろで組んで、上を向いていた。

 とうとう来たか、経験者。俺も昨日でレベルアップして、多少はいけるぞ。決意を新たに、三つ目のファイルを開く。しょぼくれた、つい最近、どこかで見た顔。名前は、佐藤淳平、二四才。なんだと。

「あの……これって?」

「そ、一昨日前に送った奴よ。もう帰ってきたみたいね。大したもんだとは思うけど、向こうで何年戦ってきたか分からないから、要注意」

「何年もって……どういうことすか? 時間の流れが異世界とこっちで違うとか?」

 足を組みなおした榊さんの天井を見ていた目が、こちらに向けられた。

「そう。一昨日送った先はパンテオンとかいうどマイナーな世界。だけど中世ヨーロッパ風の世界観で、ファンタジーの癖に魔法がないから、危険よ」

 ファンタジーで魔法がないことのどこが危険なのだか、良く分からない。魔法がないってのがポイントなのか? それとも中世ヨーロッパ風ってとこか? 

 悩んでいると、榊さんが補足をしてくれた。

「中世ヨーロッパ世界だから、武器が単純なのよ。剣、槍、こん棒って感じでね。しかも魔法のない世界だからね。佐藤淳平は単なる肉弾戦か、あるいは指揮官として異世界を救ったってこと。つまり、肉弾戦ならバット一本で脅威。指揮官なら、『異世界送りから守り隊』と合流されたら、ヤバい敵になるってこと」

 そういうことか。相手は、下手したら数年間もかけて、ガチの戦闘を繰り広げて生き残った古兵になっている可能性があるというわけだ。しかも、中世ヨーロッパということは、殺し合いの経験者の可能性が高い。言いかえれば、俺なんかより遥かに度胸が据わっている。普通に戦っても、勝ち目はなさそうだ。

 でも、待てよ。

「あの、数年間異世界で過ごしたとして、すぐにバットやらなんやらで、戦闘できるもんなんですか? 普通に戻ってきたとしても、スキル発動! なんてわけにはいかないですよね?」

 腕組みをしていた榊さんは、ピっとこっちを指さした。

「そう。そこがポイントなのよ。前回で送った異世界が、どの程度ゲーム的なのかが重要なの。それこそステータス! なんて世界に送ってたなら大抵は余裕よ。所詮こっちに帰ってくればただの人、呪文を叫んだところで、変人だからね」

 一度言葉を切った榊さんは、机の上からアステカなケツァルコアトルの絵柄が入ったタンブラーを取り、口をつけた。……なんで今、ケツァルコアトルと認識できたんだ。怖い。

 俺の静かな恐怖に気付かず、榊さんは言葉を続ける。

「問題は今回の佐藤淳平みたいな、リアル志向のファンタジーに放り込まれたパターンよ。こっちに戻ってきたばかりの、まだ体が出来上がっていない内に、もう一回送る。これが重要よ」

 何度も何度も送られる佐藤さんが可哀そうな気もするが、これも仕事か。

 でも、なんで何回も送らなきゃならない? もしかして、問題のある人物か? 

「あの、こんなに短期間の間に、同じ人を送るって、何か理由があるんですか?」

 榊さんは、机の上に置いてあったミル・マ○カラスのマスクを撫でた。……ヤバい。何のマスクか分かる。怖い。

「リピーターよ。パンテオンとかいう世界の神官が直々に、もう一度あの英雄をここに、って言ってるの。つまり、相当に腕が立つってこと」

 リピーターとか、そういうのもあるのかよ。いや、あるか。送りこみ方こそ乱暴極まりないけど、やってる業務は人材派遣会社みたいなもんだもんな。

「じゃあ、気を引き締めていかないとですね」

「ええ。それじゃあ、ファイルを持ってね。今回もサポートはマサくんよ」

「ウス!」

 顔を叩いて気合いを入れて、立ち上がる。太ももはビリビリとしびれているが、泣き言はなしだ。今日と明日だけでも踏ん張ることができれば、それでいい。

 二人で斎藤さんに一声かけて、駐車場へ向かう。ロビーでの榊さんと南さんのやりとりは、いつもの通り。仲がいい友達がいるというのは、少しうらやましい。久しぶりに、なつかしい昔の友達に連絡してみようか、なんて考えさせられる。

「行ってきます」

 なんとなく去り際に言ってみたくなっただけだ。しかし――

「いってらっしゃ……い……」

 虚をついたようで、目を丸くした彼女は返事をくれた。やっぱり常識人だ。多分。

 榊さんが、駐車場へと出る間に、肘でつついてきた。

「なにー? たった四日で、もう仲良くなった? ミナミは結構ガード硬いよー?」

「別にそういうんじゃないっすよ。普通に挨拶くらいするじゃないすか」

「えー? ミナミは年下がいいらしいから、チャンスあるのにー」

 マジか。あの人年下好きなのか。もしかして、世話好きの常識人だから面倒見れる人がいいってことなのか。ありうるのか、そんな話。

 そんなことを考えながら駐車場に行くと、ピカピカ……ではなく、微妙に薄汚れた『異世界送り六号』。なんで汚れてるんだよ。田舎道走ってきたから?

 榊さんは帰ってきた『異世界送り六号』の周りを一周して言った。

「迷彩もいい具合じゃない。車両部もよくやってるわね」

 ああ、田舎道に溶け込むなら薄汚れてないとな。ってなんだよ、それ。この前とは違うナンバーに交換されてるし、これほんとに法律的にOKなのか?

「じゃあ、今日も一人目は私がやってみせるから、まずは助手席にね」

「ウス!」

 助手席に乗り込み、ファイルを開く。相変わらずのショボくれた……女? 

「あの、これ女性も対象になるんですか?」

 車のエンジンをかけた榊さんは、眉を寄せてこっちを見た。

「当たり前じゃない。まぁ、異世界側からのオファーってことは少ないけどね。最近なら、親御さんとか、場合によっては、心配になった友人とか、そういうところからやってくれってパターンが増えたかなぁ」

「……心配になったってどういうことすか?」

 榊さんは眉を寄せて、少し言いにくそうにして頭を掻いた。

「あー……なんというか、隠してた漫画を親が見つけて心配にってパターンとかね。一回大変な思いをすれば、更生するんじゃないか、とか、そういうのよ。放っておいてやればいいのにねぇ、ただの趣味なんだし」

 手元のファイルを見ると、たしかに依頼人という欄には、ターゲットと同じ苗字。おそらく親兄弟。送り先の異世界は聞いたこともない。ゲームの世界ではないのかもしれない。どんな世界かは別ファイルで、今は分からない。……知る必要もないか。

「まぁ、仕事ですもんね。気にしてても仕方ない」

「そういうこと。私たちの仕事は送ることだけ。依頼があっても、受けるかどうかは会社が決めることだしね。余計なこと考えてミスするのが一番マズイの」

 気にしない方がいいとは言え、ため息は出てしまった。

 『異世界送り六号』は、何の変哲もない見通しの良すぎる十字路に停車していた。ファイルには、週に一度、ほぼ同じ時間に街へ外出する、とある。つまり、ここは通り道かなにかなのだろう。

 俺は無線機を手に取った。

“こちら『異世界送り六号』所定の位置につきました。ドーゾ”

“こちら除去班、了解。ターゲットを確認次第連絡します。交信終了”

「なんか慣れてきたねー」

 隣を見ると、榊さんは大して角度のつかないリクライニングを倒し、ヘッドレストに頭つけて笑っていた。

「とにかく自分でやっていかないと、覚えられない気がしてて……」

「いいねー。昨日ヘバらせちゃったから、ちょっと心配だったけど、大丈夫そうね」

「技術開発部にはしっかり通わないと、ダメかもしれませんけどね」

 まだクスクスと笑われている。しかし実際一朝一夕で異世界送りができるとは思えない。たとえ、ここで使ってもらえることになったとしても、研修は必要だろう。

 準備が終われば、あとは待つだけ。極めて受動的ではあるが、自分から動けない以上は仕方ない。刑事ものの張り込みがこんなに大変だなんて思った事がなかった。

 気を張って無線を待つ。場合によっては突然出てくることだってあるだろう。それに今週はたまたま出てこなかった、なんてこともあるはずだ。そうなれば空振り。ただ時間を使っただけで帰らなければならない。待つって、結構大変な仕事かも。

 隣を見ると、手を頭の後ろで組んだ榊さんの目は、遥か遠くを見ているようだった。ただ待ち続けるだけで終わった一日もあったのだろうか。ないはずがないか。

“こちら除去班。ターゲット確認。自転車に乗ってます。注意を”

「チャリ? まずいわね。ファイルにチャリごと送っていいか書いてある?」

「えっ。ちょっとまってください」

 急いでファイルを開けて、確認する。どこだ、何処に書いてあるんだ。

 慌てる俺を無視するように、落ち着き払った榊さんが無線機を取った。

“こちら『異世界送り六号』。同時転送物を確認中。ヤバい、来た。追跡します”

“除去班了解。先回りしておきます”

 車が走り出した。ヤバい、ヤバい、ヤバい。

「コンくん落ちついて。二ページ目の下よ」

 二ページ目の下。備考欄? 違う、不許可同時転送物、これだ。特になし。

「不許可同時転送物、特になしってあります!」

「了解。追い抜いて、反転、送るわよ」

 顔を上げると、のんびりチャリで走る女の子の後ろ姿が見えた。

 加速する車。グングンと速度を伸ばし、かなりの速度を出して、ターゲットを追い抜く。そのまま走り、距離を取って――

ギュキュキキキ

 ド派手なスキール音を立てながら、車は反転。

 左右に身体を揺さぶられたて、今度は急激な加速感。榊さんが何をしているのか理解ができない。

 車の正面方向。驚き、止まった女の子に向かって、加速し続ける。

 女の子と目が合う。チャリを反転させて逃げようと、横を向いた。

 その瞬間――

ゴワッシャ

 チャリごと宙を舞った女の子は、ハンドルから手を離さなかったために派手なジャンプトリックのように飛んだ。そして、ぱわゎゎあっと、チャリごと消えた。

 車はそのまま田舎道を逃走しはじめていた。

「コンくん、連絡」

 榊さんの声で我に返った俺は、無線機を取った。

“こちら『異世界送り六号』。えっと……チャリごと転送しました”

“チャリ? ああ、自転車か。除去班了解。次からは自転車を同時転送って言ってね。次は近藤くんの担当だよね。先回りしておきます。交信終了”

 無線機を戻す。車は、徐々に速度を落とし始めていた。

 榊さんは、いつものように笑ってはおらず、真剣な顔をしていた。

「……あの」

「今度から、ちゃんとファイルは事前に読んでおいてね?」

「……はい。すいません」

 車が止まった。調子に乗っていたのだろうか。時間はあったというのに、ファイルを見ていなかった。明らかに怠慢だ。昨日で自信がついた途端これだ。

 柔らかい手の感触。背中を擦られている。少し落ち着く。

 って、いきなりバシバシと叩かれ始めた。相変わらずの大きな音と無痛の激励。

「気にしない、気にしない。私だってミスすることあるって言ったじゃん。さ、交代しよう、交代!」

「……ウス」

 次はミス出来ないというプレッシャーがかかってくる。

 妙に力が入ってしまう手でファイルを開くと、一見ごく普通の高校生男子の写真。依頼人欄は空欄のままだ。誰かの依頼ではない。よくやっているゲームと送り先の名前が同じだから、多分適応のしやすさなんかで選ばれたんだろう。見ていると、ついターゲットの生活だの周りの人間関係だのと考えてしまう。見るのは止めよう。

「緊張しないでいいからね。楽勝よ、楽勝」

 そう言って、榊さんは運転席を降りた。

 よし、やるか。今日こそは、ハネる。……考えちゃダメだ。思考停止だ。

 交代して助手席を見ると、榊さんが念を入れてか、ファイルを開き、眺めていた。

「この子は簡単にいけそうね。一昨日前のコンビニ前で大丈夫そう。今度はちゃんとアクセル踏み切るようにね」ガチャガチャとカセットをいじりだしている。「練習と同じように、アレかけよっか。最初はテンション上げないとキツいとこあるしね」

 曲ってあれか。ス○イハイか。まぁ、たしかにテンション上げていかないと、アクセルを踏みきる勇気がでないような予感もある。

「お願いします。ただ、いざってときだけで」

「なんで? 結構いい曲だと思うんだけどなー」

 榊さんは、口先をとがらせ、シートに深く座り直した。しかし、待機時間中ずっと入場曲をかけられたら今度は調子が狂いそうだから、我慢してもらおう。

 コンビニ前の道で車を止める。一昨日前には、榊さんがここで異世界送りをした場所だ。たしか……ヨコ、よこ、横道さん。たしか横道さんだ。

「あの、榊さん」

「んー?」

「このコンビニ前の道って、よく使うんですか?」

「あー、ここら辺、コンビニってあそこのしかないからねぇ。結局、田舎の出不精な人の行動パターンってワンパになりがちで、コンビニなんか顕著なのよ」

 榊さんは無線機を手に取り、俺に言った。

「問題なのは除去班がしょっちゅう人払いすることね。あそこ潰れちゃわないか、ちょっと心配よね。準備はいい?」

「……あ、はい」

 一瞬、この業界って結構周りに迷惑を及ぼしてそうだとか、そういう疑問が頭をよぎった。しかし、榊さんの無線でそれも打ち消された。

“こちら『異世界送り六号』所定位置に着きました。運転はコンくん。ドーゾ”

“除去班了解。人払いは済んでいます。ターゲットがきたら、また連絡します。交信終了”

 そして待機。静かになると鼓動の音がやけに大きく聞こえてくる。しかも、体まで心臓の動きに合わせて揺れている気がしてくる。

“こちら除去班。ターゲット確認。そちらに向かっています”

 榊さんが無線を取った。

“『異世界送り六号』了解。”

「さぁ、コンくん。エンジンスタート」

 鍵を回す。かかるエンジン。高まる緊張。

 この緊張の源は、間違いなく、人をハネるという倫理とか道徳とかを無視する行為への躊躇。

 理性を潰し、思考停止する。そうでなければ、アクセルは踏めない。

 のんびりとコンビニに向かって歩く少年が、視界の端に入ってくる。一瞬だけ助手席に目を向ける。榊さんが頷き、カセットデッキから例のアレが流れ始める。

 車の真正面に少年が入り始める。

「行きます」

 アクセルを踏み込む。けたたましい音を立て、加速する車。流れるス○イハイ。

 音に気付いた少年がこっちを振り返る。目が合う。やっぱ無理すぎ――

ブロゥンィトアー

 サビに合わせるようにアクセルをがっつり踏み直す。

――カイハァァァイ

――ゴワッシャ

 そして、ブレーキタイミング。

 吹き飛ぶ少年。宙を舞い、半捻りのムーンサルト。星のきらめきと共に、ぱわゎゎあっと消えた。

 車はスキール音と共に滑り、停止した。

「完璧なスターダストプレスね。でも、七〇点。次は走り抜けてね」

――ユーブロゥイトール、スヵイハァーィ

 曲になぞらえるように、倫理観や道徳観や、それらをひっくるめた理性というものが、粉砕された。一昨日前のやっちまった感を遥かに上回る後悔。なんてことをしてしまったのだろう。どう考えてもコレ、殺人だろ。

 背中が擦られる。

「落ち着いてコンくん。異世界送れてたから。殺してないから」

 何か言い返したいが、言葉が思いつかない。というか、マジで心臓が痛い。

 ガチャコとカセットを止める音と、無線機を取る音が聞こえた。

“こちら『異世界送り六号』。転送終了。ただ、コンくんがダウン。時間もいいし、昼休憩にしましょう。ドーゾ”

“除去班了解。こっちは本部に呼ばれているので、一旦、社に戻ります。コンくんに、悩める内に悩んだ方がいいと、お伝えください。交信終了”

 ガチョンと、無線機を戻す音。

「だってさ、コンくん。まぁ、私は悩まない方がいいと思うけど、人にもよるしね」

「……榊さん、悩んだことないんすか?」

 榊さんは困ったような、悲しいような、ともすれば泣きだしそうにも見えた。

「私だって、最初は悩んだよ? けど、悩みすぎると仕事やってられないし、これで一つ別の世界が救われてるはず、って思うことにしたからね」

「……そうっすよね。送ったってことは、困ってる世界があって、そこに彼を派遣したって考えないと、キツいっすよね」

 擦られていた背中が、今度はバシバシと叩かれた。既に彼女は笑っていた。

「そういうこと。さ、折角だし、そこのコンビニでご飯買って食べちゃおう。午後も仕事あるし。ま、次は危ないヤツだから、私が担当するけどね」

「……ウス」

 車をすぐ横のコンビニの駐車場に入れると、コンビニからバイトと思しき店員が出てきていた。口を半開きにした間抜けな顔をして、近づいてくる。

 榊さんが助手席の扉を開けた。

「あ、どうもー。すいませーん。凄い音しちゃったでしょう?」

 なんという猫なで声。あの人、あそこまでほんわかした声出せるのか。

 突然の猫なで声のパワーによってコンビニの店員はいきなりデレっとなった。

「いえ、あの、すごい音でしたけど、なんかありました?」

「いぃえぇ。友達が運転してたんですけどぉ。まだ田舎道に慣れてなくて、何か飛び出てきた! ってびっくりしちゃったみたいでね? ごめんなさいねぇ」

「いえ……それならいいんですけど……」

 店員さん、車のフロントがっつり見てた。絶対に怪しまれてる。もしかして、これ後でナンバープレート変えたりとかするんだろうか。カメラに映ってたら着替えもいるし……思考が犯罪者のソレになってる。コワい。

 手招きをする榊さんを見て、ため息一つで車を降りた。

 どこかで聞いた様な入店音を聞き流して、謎のコンビニ店の弁当棚を見る。正直、食欲は沸いてこない。しかし、午後も仕事が待っている。さらには折角時間を作ってもらったというのに、食わなかったせいでヘバりましたじゃ最悪だ。小さい弁当でもいいから、何か食おう。

 隣では榊さんが、ボリューム感たっぷりの唐揚げ弁当を、二個もカゴにぶちこんでいた。なんか煮鶏のパウチとか見てるし。どんだけだよ。鳥肉好きすぎだろ。

 ヤバい、見てるの気付かれた。

「そんなちっちゃいのでいいの!? 女子か!」

「あんま、食欲が――」

「体重減っちゃうって! もっと大きいの一個食べなさい! ね?」

 気にするのそこかよ。まぁでも、必要なことなのか。いざってときの必殺技も、体重ないと効果自体薄くなりそうだし。従っておこう。

「……ウス」

 小さい弁当を棚に戻し、焼き肉弁当にしておいた。

 鳥肉女子の提案によって軽トラの荷台に座り、温められた弁当を開け、箸をつける。正直、箸をつけても食欲が湧かず、空を見る。まるで昨日見たプロレスリングのマットようだ。ヤバい。昨日のせいで俺の思考がヤバい。

 遠くに厚く、暗い雲が張っていた。夜には、このあたりも雨が降っていそうだ。さながらあれは……やめよう。想像すると怖くなる。

 斜め向かいには、胡坐をかいて弁当を食べている榊さん。パっと見、休憩中の女子プロレスラーか、現場仕事の人にしか見えなかった。……現場仕事か。

「ものすごい食欲っすね」

 ガツガツと音が出そうな勢いで食べていた榊さんは手を止め、こちらを見る。

「食べてもあんまり太れないのよね。多分、走ってるせいだとは思うんだけどさー」

「あぁ、それで足がしっかりしてるんすね」

 他愛のない話をしていると箸が勝手に動きはじめ、食べられる自分に気付いた。

 榊さんは、食べだした俺を見て、ニっと笑って、再び箸を動かし始めた。榊さんに少し感謝を……すでに二つ目に突入している。健啖家ってこういう人のことか。

「走ってるって言っても、そんなに食べたら太りますよ。どんだけ走るんですか?」

「毎日二十分くらい? だからー……五キロくらいかな?」

 五キロを二〇分。えーと、一時間で一五キロだから、フルマラソン三時間ペース。

 それ、めちゃ早くないか。どうせこの人のことだろうから、筋トレなんかもこなしているはず。仕事内容がアレとはいえ、アスリートみたいだ。

 未来の自分のマッチョな姿を想像していたら、なぜかやる気と一緒に食欲が出てきた。もしかしたら、これも昨日のマスクの影響なのかもしれない。怖い。

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