Q4.初仕事で気付いたことは? A.みなさん、苦労してるんだなって(苦笑)
榊さんに促されて乗った『異世界送り六号』の助手席で、俺はさっきの言葉の意味を考えていた。
つまり、異世界に送るなら、衝突を使うのが効率がいい、という言葉の意味だ。
いわゆる流行りの異世界小説だけではなく、昔から色々と別世界に行く話はある。そして、衝突以外の方法で送るのは、コストがかかりそうだ。
たとえば、異世界移動テレビを作る。その場合、作ったテレビを対象者の家まで運びこみ、なんらかの方法で設置して、使うように仕向ける。そして、ターゲットを異世界に送ったことを確認したら、二次被害が出る前に即回収。キツいわ。
たとえば、おぼれさせて異世界移動。まぁ、無いこともないだろうけど、海だの川だのに対象者を連れだして沈める。拉致したり誘い出したりは大変だと、さっき聞いた。しかも、泳いで逃げられないようにしなくてはいけない。そこまでやって、一人。絶対大変だ。船はどうするの、そして誰がやるの、となる。
そう考えていくと、突然の異世界召喚ってのが、一番コストが低そうではある。
だけど、昨日聞いた平野さんの営業秘話を聞く限り、異世界側からのアプローチに割り込んで営業している。つまり、異世界側から呼んでるわけじゃないってことだ。
あるいはもう一つの形態、市区町村からの依頼。こっちは異世界側からみれば、押し売りに近い状態だろう。そして、対象者の値段や異世界転送の価格は不明。
最後に、ほぼ全ての商売における不文律だ。つまり、利益率を上げたかったらコストを下げるのがてっとり早い。すると強い衝撃で異世界に送る方法に通じる。軽トラでハネるのがローコスト。肉弾戦で異世界に送るのがローコスト。
……なんだかなぁ。
で、たまにガコガコ嫌な音だしてるこの車、ドコに向かってるんだ。
「あの、榊さん、我々、ドコに向かってるんでしょうか?」
「異世界送り車両部。だってほら、『異世界送り六号』はもうキツそうだし」
たしかに車両はベコベコ。このまま走ってるだけでも、K察のご厄介になりそうだ。だけど斎藤さんを置いていっても良いんだろうか。
というか、落ち着いてきたら気になってきたけど、K察に止められたら、一体どうなるんだ。……もう考えるだけ無駄か。
『行けば分かるさ』。昨日の蕎麦屋に飾られていた油でベッタベタのギットギトになった色紙に、そう書いてあったことを思い出した。長い顎のマッチョと共に。
インターンシップ二日目にして、俺はスキルを習得しつつあった。前提スキルの『思考停止』。どんなにヤバい状況でも逃げずに耐えてしまうという、伝説のユニークスキル『社畜』。その前提スキルだ。
秘密結社・異世界に送る会(株)の車両部。それは田舎の板金屋のようだった。それも、どちらかというとショボい系統の板金屋。薄汚いトタンみたいなペラい金属版の事務所。そして今も、バゴン、バゴンと鳴り響く打音。紛う事なき板金屋。
音のする方に目をやると、タンクトップのおっちゃんが『異世界送り六号』のひん曲がった外装を、ハンマーでぶっ叩いている。おそらく強引に引っぺがそうとしているのだろう。良いのか、それで。バガンと少し軽い音がして、外装がぶっ飛ぶ。
……下からピカピカ光る鋼のフレームが出てきた。物凄く硬いのか、外はベッコリいってるくせに、それは傷一つない。なるほど、外装だけなら、ローコスト。
不快な金属を立てながら剥がされていく鉄板。眺めながら、茶をすする。
一方の榊さんは、車両部の部長さんが嫌そうな顔で出してくれた、おそらく部長さんの非常食であったであろうカップ麺を啜っていた。
「……あの、榊さん。異世界送り六号ってどういう構造なんですか?」
ずびずずば、と麺をすすり、茶を飲んでこちらを見る榊さん。
「車両部に興味あるの?」
違うよ? 榊さん。聞きたいのは構造の方だよ。車両部の業務には興味ないんだ。だって、見れば分かるもの。強引に外装引っぺがして張り替えてるだけじゃないか。
俺の質問の意図を裏読みした彼女は、ハンマーを振るうおっちゃんに目を向けた。
「大変よぉ? 車両部。見れば分かると思うけどさ、コンくんのガタイだとねぇ。まぁでも、ハードワークな分、実入りはいいらしいわよ? 私は嫌だけどね」
聞きたい事ではないことを、気だるげに語り、また麺をすすりはじめる。まぁ、言い分は良く分かる。俺の体型じゃ、まず、あのゴツいハンマーを持ちあげられるかすら、あやしい。
――バゴン
……あんな風に一日中ハンマー振るう生活なんて考えられない。見るからにしんどそうだ。タフそうなおっちゃんがこっちを向いた。にっかり笑って、白い歯と、労働による健康的な汗が額で光る。あんな生活は嫌だ。
……なんて、車両部の人達に失礼か。これが大人になるということなんだろうか。
向き直り、ハンマーを振るうおっちゃん。何度も何度も響く打音。……おい、今、だめだぁ、これ、とか言ってなかったか。
ハンマー持ったまま、こっち来るぞ。なんでだ、やめて。笑顔はやめ――
「あに?」
顔をこちらに向けた榊さん。麺が、麺が口からぶらさがってるよ。
「あの、あれ……」
恐怖を喚ぶ笑顔を浮かべ、こちらに歩みを進めるタンクトップの者を指さす。
ぐりんと首を振って振り返る榊さん。
汚いな。千切れた麺が落ちたよ、おい。ほんとなんなんだよ、この肉体系女子。
筋骨隆々のおっちゃんは投げやり気味に、口を開いた。
「ヨウちゃん、ダメだよ、あれ。異世界フレームごと逝ってるよ。代車回すから、それで一回本社の方に戻ってよ」
「うえぇぇ!? マジで!?」
ヨウちゃーん、口の中、ナイナイしてから喋りましょうねー、汚いよぉ、ヨウちゃん。ほら、おじちゃんも嫌がってるでしょー? なんて、物凄い失礼な妄想を繰り広げてみる。
突然こっちに顔を向ける榊さん。ヤバい、気付かれたか。
ズズズって麺をすすって、もぐもぐ。
「マサくん呼んで!」
きたねぇよ! あんた、今、なんで口に物入れて咀嚼してから叫んだんだよ! 顔にめっちゃ飛んできたじゃねぇか! おかげで、顔がカツオ出汁くせぇよ!
ハンカチ、ハンカチ。……私服で来いって言われたせいでもってきてねぇよ。ティッシュ、ティッシュ……ねぇよ! なんだ、この事務所!
わたわたしてる俺。おっちゃんから、まるで海に浮かぶラッコでも見るような慈愛の瞳が向けられた。
こちらに首からかけてた白タオルを投げてくれる、おっちゃん。汗を吸って重くなっていそうなタオル。しかし、宙を舞ったそれから漂うのは、夏の海のような、爽やかな香り。なんでだよ。
おっちゃんに目を向けると、顔拭いちゃっていいよ、のジェスチャー。なんでこの会社は、男ばっかり良い人なんだよ。遠慮なく使わせてもらうけどさ。
香水っぽい爽やか臭のするタオルで顔を拭いていたら、斎藤さんが白いバンで車両部こと、スクラップ場に来てくれた。
開口一番、
「連絡してから移動してくださいよ!」
と、いう苦情。
分かる。次に何をするのかは、すぐ教えてほしい。
榊さんは意に介さずに、まだ麺をすすっている。どれだけ食べるの遅いんだよ。牛かよ。反芻でもしてるのかよ。近くに空になったカップ麺の器。……二個目かよ、部長さん泣くぞ。
仕方なく、斎藤さんには俺が説明した。
「あの、斎藤さん。『異世界送り六号』、ダメっぽいす」
ポットからお湯を注いで茶を淹れていたおっちゃんが、そこに補足。
「まぁ、超特急でやっても、直るのは明後日だぁね」
がっくりと肩を落とした斎藤さんは、榊さんを恨めし気な目で見ていた。
しかし当の榊さんは暢気なもので、おっちゃんが淹れたお茶を勝手にすすっている。それ多分、斎藤さんの分だよ。
茶を飲みきった榊さんは、満足気に息をついた。
「まぁ、壊れちゃったのはしょうがないじゃない? それに、直るって言うんだし、今日はこの辺にして、一回、会社に戻りましょうか」
斎藤さんが、こちらに目を向ける。思わず逸らしてしまった。ごめんなさい、斎藤さん。ため息だけは、聞こえてきたよ。
「それじゃあ、二人とも、こっちに乗ってください。社まで戻りましょう」
言われるままに、バンまで歩きだしてしまう俺の足。どうやら思考停止のスキルはパッシブスキルの類。つまり、必要な時に、自動的に発動されるものらしい。
ふと気になって振り返ると例のあの人、榊さんがいない。なんでだ。
ボケっとしていた俺に、斎藤さんが言った。
「えっと、一応助手席に乗ってね。榊さんはキミにとっての先輩だからさ。そういうの、結構こだわる人は多いからね。覚えておくと、他でも役に立ったりするよ」
「……ウス。勉強になります」
やっぱり、斎藤さんは真面目だ。なんで仕事をしくじって、車潰して、さっきはなにも出来なかった俺にこんなに優しいんだろう。……車潰したのは榊さんか。
「コンくん!」
緊迫感すら感じる声に、振り返る。
――バズム
顔面に突き刺さる着替えが入ったボストンバッグ。斎藤さんが優しいんじゃねぇ。榊さんがサイコパスなんだ。忘れたら、ダメだ。絶対。
地面に落ちたバッグを拾い上げると、榊さんが仁王立ち。
「車の中で着替えちゃうわよ。さっきの異世界送り、見られたかもだし」
「……ウス」
振り返ると、斎藤さんが苦笑いでスライドドアを開けてくれた。ありがとう、斎藤さん。そして頑張れ、俺の前提スキル。『社畜』を習得できる日まで、頑張れ。
『車中で着替えるわよ』って軽く言った榊さんだけど、俺もいるし窓だってカーテンがあるわけでもない。いいのかよ。見ちゃうよ? こんなチャンスないし。
こっちはどぎまぎソワソワしているのに、彼女はガン無視し着替え始めてた。あんまり大胆かつ遠慮なく着替え始めるから、なんだかこっちが恥ずかしい。
遥か昔に『ちょっと男子ぃ』なんて言ってた女子は、こういう気持ちだったのかもしれない。そして当時の女子たちと同じように、チラ見しちゃう。
ちらり。
うわ。なんだあれ、腹筋パねぇ。
視線に気付いた榊さんは、別に隠すわけでもなく、淡々と聞いてきた。
「なに? 恥ずかしいの? 私、外出た方がいい?」
「あ、いえ、大丈夫っす。すんま……ありがとうございます」
斎藤さんがクスクス笑っているような気がするけど、無視。もういい、がっつり見てやる。こういうのは、変に気を使うから恥ずかしいんだ。ガン見だ、ガン見。
……ヒューッ。なんだよアレ。普通の女子が言う『腹筋ついたー』って可愛い発言は、ちょっと締まったとか、スっと一本縦割れ線入ったとか、そんなんだ。榊さんのはバキバキだ。ほんのり脂肪がついてはいるけど、怠けてついたのではないだろう。恐らく、つけたんだ、持久力のために。
上だけじゃなく下まで脱いじゃう榊さん。なるほど、上下脱いでから着替える派の人なんだね。パンツも色気ねぇな。
……ヒューッ。足もヤバい、というか足のがヤバい。太もも発達してるとは思っていたが、超キレてる。ヒンズースクワット三〇〇回/日くらいはこなしてそう。
医学一般で習ったヒラメ筋も、四角く発達してる。ホント、なんなんだこの人。
「なに? あんまりジロジロ見るのは、さすがにどうかと思うよ?」
気にしてるのかよ、そのマッスルボディで。いやまぁ気にするか、女子は女子だ。
とりあえず褒めて、様子をみよう。
「あ、すいません。その、足の筋肉カッコイイなぁって」
「でしょ!? 結構がんばったんだよね! 忙しい時間を……」
すごくいい笑顔。子供っぽい笑い方ではあるけど、目のキラキラが凄い。嬉々として語られる筋肉のいじめ方の話を聞き流し、着替える。
上を脱いだときに見える、自分の微妙にたるんだ腹。榊さんにハグされたら、背骨、折れちゃいそうだな。そして俺の着替えたあとの服装を見た二人の感想は、どっちも揃って、「何、そのカッコ」だった。
別にいいじゃねぇか。捨ててもいい格好してきてね、って言ってたじゃないか。
本社に戻ってきた我々『異世界送り六号』班。ほんとにそういうのかは知らない。
ロビーで榊さんが、受付の南さんに嫌味を言ったり言われたりしてから、実行部のパーティション迷路に舞い戻る。迷路を抜けてた先は、牧部長のところだった。
第一声は榊さん。
「申し訳ありません。『異世界送り六号』損傷で、直るのは明後日以降だそうです」
ちゃんと謝れるんだ、榊さん。そっちの方にびっくり。
隣で斎藤さんも頭を下げているのを見て、慌てて頭を下げる。
聞こえてきたのは特に怒っているわけでもなさそうな、落ち着いた部長の声。
「いや、しょうがないよ。『異世界送りから守り隊』が出てきたのは、不可抗力だしね。それに、近藤くんも、二人も、怪我がなくてよかった」
パカンと俺の後頭部に痛くない打撃。なんだよ、と思い、右をチラ見。すると、すでに榊さんは頭を上げていた。頭の上げ下げのタイミングって、難しい。
顔を上げると、懐かしいものを見る目と苦笑いのセットを繰り出す部長。
「まぁ、徐々に慣れればいいからね。今日はじゃあ、榊君と一緒に報告書作っておいてね」ハンドグリッパーをニギニギ。「斎藤君は、ちょっと残ってね」
もしかして、俺のせいで斎藤さんは怒られるのだろうか。
「違うわよ。いいから、デスク戻って、報告書作るわよ」
榊さん、あんた、エスパーとかなのか?
ってヤバい。置いて行かれると迷路にはまり、退勤出来なくなってしまう。いつか、迷わずにデスクとエレベーターを往復できるように、なってみせる。
余計な思考ばかり重ね続けてデスクに戻ると、さっそく榊さんが分厚いファイルを取り出し、こちらに差し出してきた。
「そこに入ってるのが、これまでの私の異世界送りの報告書の写し。それを参考にして、今日コンくんが受け持ったケースの報告書を書いてみて。分からない事があったら、すぐ聞いてね」
この人、プロレスさえ絡まなければ、普通の先輩なんだなぁ。
ただ、一番肝心な物の事を未だに教えてもらっていない。パソコンをいじりだしているところに失礼して、質問。
「あの榊さん。俺のパソコンは?」
榊さんは目を丸くし、口をぱかーんと開けて、みるみる内に赤面。マジか。
「ご、ごめんね。今、ノーパソ持ってくるから!」
顔を抑えて、慌てて去っていく。なんでたまに抜けてて、そういうときだけ可愛い反応をするんだ、彼女は。やっぱり狙い澄ましてIPV三段論法をやっているのか。
手持無沙汰になってしまったので、とりあえず渡されたファイルを開いてみる。数ページ程のA4サイズのレポートが、何本も入っていた。
その中から一本取り出し、中身を拝見。
ターゲットの情報と、送った場所やら時間やらが書かれている。
送った先の異世界については、異世界の名前、一文のみ。
問題はここからで、経過と書かれた部分がまぁやたら細かい。大学でやらされたショボい感想文じみたレポートとは勝手が違う。主観一切なしの淡々とした記述。まるで議事録かなにかのようだ。
テッテコ歩く音が聞こえて、目の前に突きだされたのは古いノートPC。
「はい、これ使って」
「うす。すい……ありがとうございます」
まだ慣れない。心の底からそう思っているわけではないというのに、お礼を言うのは謝るよりずっと難しいもんなんだなぁ。
古いノートPCは、起動からもっさりしていて、地味にストレスのたまる遅さだ。我慢して榊さんに聞きつつ、フォーマットに則りコツコツ入力。
油断すると、ついつい『○○だと思う』とか『○○だと考えた』なんて書いてしまう。それをそのままにして隣に見せると、こう言われる。
「うん。主観はいらないから、事実だけ書いてね」
むずい。はっきり言って、難しい。なぜ苦労するかというと、今日起こったことの全部に主観が入っている気がして、自信がもてなくなるからだ。
簡潔に書けばいいと言われているのに、思わず長々書いてしまう。だって、参考にと渡された他の報告書が、凄く細かく書かれているから。
大学の卒論もレポートも――理系はどうかしらんが――文系の俺からすれば、『ではないだろうか』とか『であろう』とか普通に使えるし、それが当たり前だ。でもこの報告書は全く違う。
いつ、どこで、何が起きて、だれが、何をして、どうなったのか、それだけ。しかも、それが終わるとケースごとの問題点の洗い出しとくる。さらに先には改善案について書けだ。二日目の俺に、何をどう書けってんだ。
こちらを気にしてくれたのか、榊さんがお茶を出してくれた。
「何か分からないことある?」
「あ、いえ。大丈夫っす」
嘘だ。明らかに分からない事だらけだ。頭が常識に縛られてしまって、今日起きたことに問題がないところが見つからないのだ。そして改善案として思いつくのは『人をハネないこと』とか『人の頭を道路に叩きつけるのはどうなの』とかばっかりだ。
どうすりゃいいんだよ、こんなの。
頼みの綱の、榊さんの出したであろう報告書を見る。うわぁ。
何だよこれ、日本語世界に、新たな事実発見。『異世界』という冠詞があるって感じだ。異世界を付ければ何してもいいのかよってくらい無茶苦茶してる。しかも問題点も改善案も異世界だらけ。むしろ、いま俺は異世界にいるんじゃないかって気がしてくる。
例えば、こうだ。
『改善案として、異世界ケブラドーラ・コン・ヒーロは相手を制止するのには有用であるが、単体では異世界送りに至らなかった。そのため、倒れた対象に、さらに異世界ラ・ケブラーダを必要とした。したがって、異世界ケブラドーラ・コン・ヒーロに代えて、返し技ひとつで直接異世界に送る方法を検討する必要がある』
意味わかんねぇ。
カタカナ部分が何やってるのかも分からないし、異世界送りできる返し技が分からない。そもそも異世界送りとかいう文言が普通にまかり通る報告書は、一般的大学生の理解の外にあるに決まってる。なにより送る方法を検討する必要って、すごく日本語が不自由な人みたいじゃないか。
うんうん唸りながらレポートを読んでいると、榊さんが覗きこんできた。
「あ、それ懐かしー。まだここ入って半年くらいの頃に書いたやつだわ。あの頃はまだプロレスなんてちょっとしか知らなかったからさー。もう苦労したのなんのって」
マジか。この人、入って半年でこの文章を書いてたのかよ。順応早すぎだろ。
俺もインターンシップを終えてここに就職したら、半年でこんな文章書けるのか。書きたくねぇ。
ってまて、プロレスなんて、ちょっとしか知らなかった?
「あの、榊さんってここに入る前って、プロレス好きじゃなかったんですか?」
榊さんは足を組み、小首を傾げて目線を上に。
「んー、どうだったかなぁ。普通の人よりは多少好きだったかもなぁってくらい? でも好きとはいっても、技も良く分からなくてねぇ。単にすごい運動能力だなーくらいのね? 私はずっと陸上部だったから、ちょっと凄いなって思ってた、カナ?」
入ってから半年でここまでプロレス好きになったのかよ。マジカナ?。
俺の驚愕をよそに、彼女の思い出話は続く。
「なにしろさ、最初はコンくんみたいに、怖くて怖くて。それで、習ったばかりの異世界ケブラドーラやったわけ。そうしたら異世界に送れないわ、膝は痛めちゃうわで、もう大変。それで仕方なく異世界ラ・ケブラーダ。今度は膝がアスファルトに当たってさ。もう泣きながら会社戻って来たわよ」
どうやら、今日、新たに取得した『思考停止』がフルに生かされていたらしい。何の違和感も抱くことなく、榊さんの思い出話とレポートを参考に、黙々と書類を作成した。……時間は就業時間一杯までかかったけどな。主に思い出話のせいで。
ヘロヘロになりながら、異世界だらけの書類を書きあげ、榊さんに差し出す。
受け取った報告書を眺める榊さんの眉が、ぐぐぐっと寄った。……また書きなおしかなぁ。嫌だなぁ。
「まぁ、最初だし、分からないことも多いだろうし、これでヨシとしますか」
ドっと来た安堵感。自然と肺から溢れだし、口から飛び出るため息。終わった。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
なんで泣きそうなんだ、俺は。
下げた頭が撫で撫でされる。驚いて頭を上げると、苦笑いの榊さん。
「お疲れ様。それじゃ、帰る前に、ちょっとご飯たべてこっか」
マジか。行きたくねぇ。絶対プロレス談議を肴にして一杯ってノリだろ。大体、イマドキ仕事終わりに会社の同僚と一杯、なんて――。
「折角だから、平野さんと南の奴も呼ぼうか」
「行きます」
なんで即答したんだ、俺は。デスバレー・ドライバーしちゃうぞっていう巨乳のお姉さんと、造花の笑顔の爪研ぎ師だぞ。……まさか、新たなスキル『脊髄反射』まで習得しちゃったのか。
会社のロビーまで降りてくると、いつの間に話が通っていたのか知らないが、私服の平野さんがいた。白ワンピにカーディガン。散策にでも行くのかって格好だ。その格好で会社まで来たのかよ。
榊さんは軽やかな足取りで、平野さんの元へ。
「ヨっちゃん。お待たせー。南は?」
「南ちゃんは今着替えに行ってるよー。すぐくるって言ってたよ」
ほわわっと笑顔を飛ばして、彼女はこちらにもパタパタ手を振ってくれた。しかし、その目が俺の足先からゆっくり上がり、眉がにゅにゅにゅにゅと寄っていく。
「えっと、コンくん。その格好、どうしちゃったの?」
だから俺の服装のどこが、そんなに変なの。
後ろからカッカと冷淡な足音。振り返ると……南さん? なんで、そんなパンキッシュな格好してるんですか、あなた。
南さんは困惑している俺を放って、上から下まで視線を動かす。
「何その格好。ダサ」
あんたに言われたくねぇよ、パンクな爪研ぎ女め。
南さんは、そのまま横を素通りし、平野さんの元へ。
「じゃ、行こっか」
「うん。行こっかー。久しぶりだねー三人揃うのはー。ほらコンくんもおいでー?」
ささっと歩みを進める先輩方に、追いすがる。冷静に考えたら、なんで犬猿の仲っぽい榊さんと南さんは一緒に飯を食えるのだろうか。意外、でもないけど平野さんが二人の仲を取りなしているのだろうか。
会社を出て、田舎道をのこのこ歩いてたどり着いた先。そこは駅前の小汚い居酒屋だった。まぁね、予想はしてたよ。この辺り、駅周辺くらいしか飲めそうな所ないから、駅の方だろうとは。
でもさ、普通はチェーンの居酒屋とかそういうところじゃないのかよ。なんなんだよ、このいい具合にさびれちゃった感の店。いくら社会人ったって、うら若き女子三人が、若い男連れてくる店だぞ。こういうところでいいのかよ。俺が脳内突っ込みをしている間に、さっさか入る平野さん。
「おじさん、ただいまー」
「おかえり、ヨっちゃん」
あぁ、そういうタイプの店か。そういえばゼミの先生も、大学近くにこういう店を一件確保していた。仕事に疲れたら、みんなこういう店を持ちたくなるものなのか。
「お、ヨウちゃん南ちゃんも、おかえり」
カウンター越しのちょいとイカついおっちゃんの声は、なんだか落ちつく低音。なるほどなぁ、そういうことか、そういうことなのか。
「お、兄ちゃん新顔。よろしくね」
「う、うす。よろしくお願いします」
不意打ちで、微妙に足りないコミュ能力を露呈させられた。見知らぬ他人と会話するのって、なんで毎回こんな緊張するんだ。
一段上がった小さなお座敷。ヘタれた座布団に若干ベタつくような気がするゴツい木一枚板のテーブル。そして突きだされる、明らかなヌカ漬け。ド田舎か。
ポンポン頼まれていくメニュー達。なにも聞かれないまま、全てが進行していく。
「で、飲み物は何にするね」
おっちゃんはマトモだ。またか。
「ビールをピッチャーで!」元気な声の榊さん。
「私もビールをピッチャーで」ほんわか声の平野さん。ん?
「梅酒、ロック」ゲンナリ声の南さん。
「お兄ちゃんは?」
え、まって、ピッチャー二個入ったよね。まさか二人はピッチャー1つずつ飲むってことか。酒豪なのか。というか、何があるのさ、この店。まだメニューを見せてもらえてない。
ジト目でこっちを見てくる南さん。待って待って、まだ決まってない。
「あなた、もう飲めるんでしょ?」
縦にぶんぶん首を振る。
「じゃあ、梅酒ロック、もう一個」
決められた。勝手に。でもまぁ、ビール苦手だからいいか。
というか南さん、結構気配りするタイプの人なのだろうか。とりあえず礼だ。
「あ、ありがとうございます」
「二人に付き合わない方がいいわよ。明日会社来れなくなるから」
「……うす」
そっと返事をしたところで、榊さんが南さんにがっつり噛みついた。
「あん!? 南! あんたは別にいいじゃん! 爪研いでるだけじゃん!」
「まぁまぁヨウちゃん。私たちみたいに、いっぱい飲める人だけじゃないんだよー」
平野さんのフォローもむなしく、南さんはご機嫌斜め。
「アルコールで頭やられてるんじゃないの? 二人とも」
「むぅ、南ちゃん、私、そんなに飲まないよ?」
ピッチャー程度だもんね。ってアホか。
そうこうしているうちに運ばれてくる、茶色中心の酒の肴たち。唐揚げ、ポテトフライ、アジフライ、カキフライ……揚げ物ばっかじゃねぇか。アホか、アホなのか。ビールをピッチャーで飲んで、揚げ物を喰いまくるとか、正気の沙汰とは思えない。
あ、緑、緑だ、サラダもあるよ。やった!
テキパキと小皿に取り分けていく南さん。え。
「はい」
「」
何も言えないまま、受け取ってしまった。大しくじりだ。睨まれてる気がする。あ、こっち見てねぇ。サラダを皆の分も取り分けてる。南さん、実はすごくいい人。
考えてみれば、初めて会社に来たときには、綺麗な造花のような笑顔を出してくれたのだ。少なくとも、お仕事モードと私生活モードをきっちり使い分けるのは得意なのだろう。そして、根っこは後輩に優しい、のかも。よし、勇気出せ。
「あの、南さん?」
「あん?」
ギヌロと藪にらみ。やっぱ超怖いよ、この人。でも、折角振り絞った勇気だ。
「先に料理が来るって変わってますね。ここ」
何つまらねぇ事聞いてんだてめぇはって目をされた。
しかし、すぐにフっと息を吐き出した彼女は、榊さんと平野さんを見やる。
「あのバカ二人がいつもあんな調子だからね。店に来るときには、私が連絡しとくのよ。何飲むのかは毎回分からないけどね。油もの出しとけば喜んで食べるし、何を頼んだのかなんて覚えてないから、ほっときなさい」
「ああ……南さん手際いいんですね」ジト目、違うのだろう。「……お疲れ様です」
ほっとため息、南さん。ああ、何度も繰り返されて、身に付いてしまった技能なのだろうなぁ。
南さんがささっとサラダ以外のもの――つまりフライ――を取り分け終えた頃、上座に座る榊さんと平野さんの前に、ドカンとピッチャーが置かれた。二つ。マジか。
俺と南さんの前に梅酒ロック。……榊さんと平野さんの前に、コップは出ない
ピッチャーをがっちり握った榊さんが、それをテーブルの真ん中に掲げる。
「コンくんの初仕事、無事生還を祝してぇ!」
あわててグラスを手に持つ俺。
「「かんぷぁーい!」」
ガツンとぶつかる榊さんと平野さんのピッチャー。俺は梅酒ロックのグラスがぶち割れそうな衝撃を感じた。せめて、ジョッキだろ、普通。
ゴブゴブとピッチャーから直で飲み始める二人。『ップァー!』じゃねぇよ。完全に思考停止。
グラスに、コツンと小さな衝撃。カロン、と氷が音を立てた。南さんだ。
「……乾杯」
「あ、はい、アリガトウゴザイマス……」
どうやら、とんでもないところに連れてこられたらしい。味方は、乾杯と同時に、南さんだけとなった。
ガバガバと酒を飲み、ピッチャーがたった二人の手によって、四つが空になった頃、俺は信じられない量の揚げ物で胃がやられはじめていた。
また、正面で梅酒を嗜んでいると思っていた南さんは、二杯目の梅酒ロックにグデグデに酔っ払い、榊さんに絡みはじめてもいた。
俺の前には飲めと言われた梅酒ロックが、置かれていた。しかし、今の胃に新たに酒を追加すれば、スプラッシュは必死。気を紛らわせるため、隣に顔を向ける。
平野さんは、重量感すら感じるお胸をテーブルに乗せ、肩を休めていた。すげぇ。
「……あの、平野さん。なんで『異世界に送る会』に入ったんですか?」
平野さんは、頬をほんのりと桜色に染め、アジフライにばっくりと噛みついた。
「んー? わたしはぁ、ハンセンのファンだったからかなぁ」ピッチャービールをガブり、レンコンの挟み揚げを一かじり。「あとは、怪我しちゃったからかなぁ?」
ハンセンって人は知らない。でも、怪我?
「あの、怪我っていうのは?」
いつの間にかレンコンを食べ終え、メニューを見ている。まだ食うのかよ。
「んー? 私はねぇ、昔は運動部だったのです。でもぉ、怪我で続けるのが難しくなっちゃってねぇ。それで、どうしたらいいか分からなかったんだけど、ヨウちゃんが誘ってくれたの」
表情を変えることなく、さらっと重そうな話。彼女は正面を向き、榊さんと目を合わせた。そして、何かに気付いた榊さんと声を合わせて、
「「ねー」」
と、言った。
間髪いれずに手を挙げ、コエビと野菜のかき揚げを頼んでいた。また揚げ物かよ。
ニマニマしながら榊さんがこっちを見ている。なんかムカつく。
「……なんすか?」
「別にー」そう言ってビールをガブリ。「でも、コンくんがどういう理由で来たのかは知らないけどさ。他人の働く動機が気になるなんて、若いなぁってねぇ」
そんなに歳は変わらねぇだろ、って、この人酔っ払ってるし。南さん、助けて。
南さんは、梅酒ロックのグラスを片手に持ち、顎はテーブルにつけ、座りきった目をしていた。……こっちもダメか。つか、睨まないでくれよ、俺のせいじゃねぇよ。
ゆっくりと酔いどれし爪の魔女が口を開く。
「ひろの働く動機なんれねぇ! 無意味よ! 無意味!」梅酒ロックを呷って、漬物を口に放り込む。「ひろろ自分は違うんらあらぁね!? 真似なんられぇきらい!」
呂律が回らな過ぎて、何を言っているのか分からん。凄い困る。
多分、他人に聞いても自分が同じ動機を持てるわけじゃないとか、そういうことなんだろうけど。でもなぁ、仕事が欲しかっただけとかだとなぁ。
まだ絡んでこようとする南さんを、榊さんがなだめる。
その目がこちらを向き、またニマニマ。なんかムカつくから、この人にだけは聞かないでおこう。
「私はねぇ……」
自分から語りだしたよ、この人。
榊さんの言葉が続く。
「合法的に、ルチャの! 強さを! 知らしめるために!」
ピッチャーを掲げながら、そう叫ぶ榊さん。なんだよそれ。しかもアンタ、社内で言ってた事と微妙にニュアンス変わってないか。入る前は詳しくなかった的な――。
グァチャン
皿が跳ねる音と、グラスがテーブルに叩きつけられる音に驚き、目を向ける。
南さんが憤怒に燃える目で、榊さんを睨んでいた。
「ぶぁぁぁか! ぬぁにが、ルチャよ! 時代はMMA! MMAよ!」
マジか。この人もそう言う系統の人か。でもMMAはなんとか分かるぞ。たしか総合格闘技だ。でも、たしか総合格闘技にプロレスラーも参加してたような――
ドガッチャン
右隣から平野さんの肉がテーブルの上を滑り、皿をなぎ倒した音がした。あ、胸にソースついちゃってますが。
しかし彼女はそれには目もくれず、気付いたら置いてあったコエビの掻き揚げをバリっと一口。
「違いますぅ! 今こそ王道プロレスの復権が必要なんですぅ!」
ああ、嫌な予感がしていたんだ。絶対こういう風になると、思ってはいたんだ。
榊さんが立ち上がったことで、三人が侃々諤々とやりはじめる。
こうなってしまったら仕方がない。俺はそっと席を立った。
顔を洗い、鏡を見る。疲れ、すでにむくみ始めている気がする顔。……そんなに俺の格好は変なのか?
トイレから出てくると、お店のおっちゃんが、苦笑いで立っていた。
「あ、すいません。今やめさせます……」
「あー、いいのいいの。あの子ら学生の頃から、あんなんだからさ。それより、はい、お茶」
差し出された茶を受け取り、一口飲む。ようやく息がつけた気がした。
「えぇっと、俺は……」
「いいのいいの。三人にもらうから。君はもう帰りな。そろそろ電車なくなるよ」
時計を見る。たしかに、もう遅い。明日も仕事だ。今日はなんだったんだ、一体。
「それじゃあ、その……」
「いいよいいよ。上手く言っとくからさ」
「御馳走さまでした……」
「はいよ。気を付けて帰ってね」
店の出口でちらっと振り返ると、三人の議論には、なぜか泣きが入り始めていた。
帰りの電車の中で考えたのは、酔っ払ってプロレス談議をして盛り上がり、終いには泣いていた三人のこと。あの三人、仲が良いのだか悪いのだか、良く分からん。ただ、なんでもいいから動機を作った方が良さそうなことと、動機と仕事内容は別に関係なくても良さそうなことだけは分かった。
社会人ってこういう風にして、なっていくのだろうか。