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Q3.初仕事の思い出は? A.そりゃもう悲惨ですよ(笑)

 翌日。相変わらずの晴れ。頭の上ではトンビが鳴きながら渦を巻いて飛んでいた。

 なんで今日もまた、ここに来てしまったのか。帰りたい。でも仕方ない。

 来ちゃったし、なにより、ここで逃げ出してしまえば、大学にこの会社から二度と求人が……来なくていいんじゃないか? こんな会社。

 いや、だめだ。なにせヤバい会社だ。ウチの大学の学生が、ポンポン異世界に送られるかも分からない。やってやる。俺はやってやるのだ。

 意を決して出勤。今日は受付の南さんからの造花の笑顔というサービスはなく、朝から爪といでやがった。マジかよ。

 そりゃ、この会社の場合は受付の仕事ってほとんどないんだろうけどさ。朝くらいは、いい顔みせてよ。

「おはようございます!」

 どうだ、俺の見事な最敬礼。

「……おはよ」

 うわ、うわぁ。もうちょっとやる気だして、挨拶してくれよ、南さん。

 しかし、彼女はその場にとどまる俺の頭から足元まで見て、冷たい一言。

「何? そのダサいカッコ」

 ありがとうございます。もういいです。

「最初の仕事なんで、慣れてなくて」

 即座に爪とぎ出さないで、最後まで聞いてくれよ、南さん。

「失礼します……」

 とぼとぼ歩いてエレベーター。いざ三階へ。あ、今ちらっと南さん俺の方――

ガゴン

 くっそ。

ティン

 ティンじゃねぇよ。

 エレベーターを降りると、パーティションの向こうから斎藤さんの顔が、ニョキっと出てきた。昨日、大声で挨拶するなと言われたので、軽く会釈をしておく。

 会釈を返してくれた斎藤さんは、なにやら困惑顔。

「榊さんから、聞いてない? もう駐車場にいるよ? ……あとその格好、なに?」

 何も言われてないし、なんで斎藤さんまで俺の服装にケチつけるんだよ。マサって呼ぶぞ。まぁいい。斎藤さんは常識人枠だ。

「あ、それじゃ行ってみますねー」

 踵を返したところで、背後から声をかけられた。

「待って」

 首だけを振り向かせると、斎藤さんはすぐ近くの壁を指さしてみせた。そこにあったのは、タイムカードのレコーダー。

「タイムカード。押しといてね」

「あ、すいません。分かりました」

 タイムカードをガチャコと切って戻ると、斎藤さんが微笑ましいものを見るような目を向けてきた。

「近藤くん。すいません、の代わりに、ありがとうございます、って言うようにした方が、元気が出ると思うよ。知らないことは悪い事じゃないんだからね」

 ……なんでこのうすらデカい先輩が一番ほんわかした事言ってくるんだよ。こういうことを南さんとか、平野さんとか、最悪でも榊さんに言われたいんだよ。

 さりとて斎藤さんの言う事は至極まっとうなもの。頑張って従っておこう。

「あ、ありがとうございます」

 ほら。ほらぁ。言い慣れてない単語でどもったじゃんか。恥ずかしすぎる。早く来てくれ、エレベー……ボタン押してねぇじゃねぇか。クソ。

 顔に熱、そして背中に斎藤さんの笑顔を感じながら、いざ駐車場へ。

 そこにはオレンジ色の布で『異世界送り六号』を磨いている……榊、さん、かな?

 気配に気付いたのか、振り返った顔は榊さん。でも、格好が、なんか蛍光色の青と黄色のスニーカーを履き、色々なものがゴチャっとプリントされたTシャツ。

 プリントされているのは、宙を舞うマッスルなおじさんの絵と、胸の所にアルファベットで、すい、すい……多分スイシーダって書いてあるんだろう。……超ダセぇ。

 髪の毛をゴムで後ろに束ねた榊さんは、やっぱり俺の頭から足まで舐めるように見てきた。次に吐き出される言葉が分かる。オラ、てめぇにだけは言われたくねぇぞ。

「何? その格好。ちょっと、カッコ悪いよ?」

「榊さんも、なんか凄いカッコですね」

 やべ。言っちまった。Tシャツが衝撃的すぎて、つい口から出てしまった暴言。

 榊さんの顔が、顔が……嬉しそうだな。

「いいでしょ」胸のマッスルなおっちゃんの所を引っ張って見せてくれる。「これが、ノータッチ・トペ・スイシーダ」

 でしょうね。そう思いましたよ。それ出来る人なら付き合えるって? 出来る人は殆どいないだろうし、出来る人なら、多分俺も尊敬しちゃうよ。その動き、超怖そうじゃねぇか。だってそれ、冗談でいう死にたい、じゃなくて、ガチ系の自殺じゃん。

「か、かっこいいすね……」

 破顔。超可愛い笑顔。カッコはクソダサいけど。ていうか、そのショッキングピンクのリストバンドだけでも外せばいいのに。いや、まずそのテカテカしたズボンか。

 視線に気付かれたか、榊さんは、子供っぽいドヤ顔をして、足をぐんと伸ばして見せてくる。多分、自慢してるんだろう。

「いいでしょ! このパンタロン」

「いいと、思いまス」

 パンタロンって言うんだ、そういうの。えっと、服とか詳しくないけど、なんでそんなテカテカしてるんだ。サテンとかそういう材質なのだろうか。

 ドヤ顔で嬉しそうに胸を張る榊さんには、何も言えなかった。

 田舎道を『異世界送り六号』で軽快に飛ばす榊さん。

 外の風景は田畑も広がる、良い意味での田舎。まぁ、ここに住んでいないから言える感想ではあるが、本当に気持ちがいい。一年に一回くらいは来てもいいな、ってくらい気持ちいい。つまり、今日から毎日来るのは、地獄の入口だ。

 遠くに見えるコンビニ。その手前の畑に寄せて、車は停車。

 運転席を見ると、榊さんはタクシーについてるアレ、無線機を手に取る。

“こちら『異世界送り六号』。所定位置につきました、ドーゾ”

“除去班了解。待機お願いします。ターゲット確認後連絡します。交信終了”

 おお……ちゃんと仕事っぽいじゃん、こういうの、こういうのでいいんだよ。これが仕事ってもんなんだよ、きっと。でも、待機って何だ。

「あの、榊さん」

「なに?」

「こっから、どうするんでしょう?」

「待機。ターゲットがくるまで、待つのよ。昨日渡した資料にあったでしょ? 毎週、このコンビニに、雑誌を買いに来るって」

 たしかに書いてあった。しかし、ここで来るまで待つとか、受動的すぎないか。

「あの、対象の人を呼びだして、そこで……とか、そういのはないんですか?」

「いいとこに気付くじゃない。そう。昔は呼びだしたりしてたらしいのよね。けど、今は待機して、待ち伏せて、どっかん、って感じ」

「なんで、待ち伏せに変わったんですか?」

 眉を寄せ唇を尖らせて、何やら唸っている。この質問、そんな変なことなのか。

「いくつか問題があるのよね。まぁ、一番多いのは不審だから出てこなくなるってパターンなんだけど、異世界送られ慣れしてる人達もいてね……」

 送られ慣れるのかよ。異世界と現実の往復を繰り返すってのはハードな人生だな。

 それなら、電話したらダメか。

 でも。それくらいデータベースでも作って――

“ターゲット確認。そちらに向かっていきます。ドーゾ”

 うぉ。いきなり無線が鳴ると、結構ビビるな。いよいよか。

 何処にいるんだ。俺の目には見えないんだけど。

「キョロキョロしない。気付かれるでしょ?」

 仰る通り。なんか、やってることは探偵とか刑事みたいだ。……違うな。暗殺者とか殺し屋とかそういう、危ない商売だ。結局ハネるんだし。

 ぼんやりしてたら左側から緑のトレーナーを着て、小汚いジーンズを履いた兄ちゃんが視界に入ってきた。……便所サンダルつっかけて、髭も剃らずに家を出たのか。

 榊さんはガチャコと無線機を手に取った。

“ターゲット確認。『異世界送り六号』、送ります”

 送りますって言うんだ。ハネること。

 緊張で口から溢れそうなくらい染み出す唾。ぐっと飲み込み、男を見る。ノコノコ歩いて、こちらに目を向けることもなく曲がり、背を向けた。

 一応隣の榊さんを見ると、胸に手を当て深呼吸をしていた。ああ、やっぱり緊張するもんなのか。なんかちょっと安心した。

 カっと目を見開いた榊さんは、カーオーディオのスイッチをオン。え、そっち? 

――チャチャチャーチャチャチャチャー……

 んあ? 何だこれ。聞いたことあるようなないような。とりあえずス○イハイじゃなくて良かった。なんて思った瞬間、榊さんがアクセルオン。

 タイヤがキュギキギゥって音を立てる。空転の一切ない完璧なスタート。加速していく車。横からチラ見したメーターは、えらいことになっていた。

 正面を向くと、目の前に迫るトレーナーを着た横道さん(二二才)。俺と同じ、紙ペラ一枚の人生の人。接近に気付いて振り返る。うぉ、いま目が――

グワッシャ

 ぶっ飛んで行く横道さん。見事に空中で伸身の月面宙返りをして、消えた!?

 全く意に介さずに田舎道を走り抜けていく『異世界送り六号』。

 徐々に速度を落としながら、榊さんが無線機を取った。

“こちら『異世界送り六号』ターゲットの転送完了。ドーゾ”

“こちら除去班。こちらでも確認しました。処理もいらなそうです。次いきましょう”

“了解、『異世界送り六号』、先行ったところでコンくんと替わって、次いきます。交信終了”

 え、俺。そうか、一人目終わったから、次はこっちか。

「あの、俺、まだ自信が……」

「大丈夫。誰でも初めてってのは自信がないもんよ」

 爽やかないい笑顔だよ。でも、そういうことじゃねぇよ。

 インターンシップを引き受けてもらっている手前、文句を言えるわけでもなく、運転席に座っていた。車の運転は、採石場の時よりは遥かに楽だった。もしかしたら採石場なんて滑るトコで練習させたのは、車の練習のためだったのかもしれない。

 だからといって、俺の鼓動の速度は一向に落ちやしないのだがね。ついでに顔から噴き出す冷や汗も収まりゃしない。当たり前だ。今度は『異世界送られ君』ではなく、普通の青年が相手だ。

「そんなに気ぃ張ることないって。楽勝、楽勝」

 あんたはな。俺は無理だって。人に思いきりぶつかりましょう、なんて習ったことないし、普通しないよ。

 ああクソ、手が震えるし、足もなんかカクつく気がする。

 ぷるぷるしちゃう俺を見かねてか、榊さんがやけに優しげな声で諭そうとしてくる。

「あのね? 中途半端に轢いちゃうのが一番まずいの。ハネ飛ばすときには即死級のダメージを与えないと。じゃないと、送られる人は血だるまで立ち上がる必要がでてきちゃう。そうなったら大変よ? だから、勇気を出して踏んでいこう?」

 『踏んでいこう?』じゃねぇよ。ガラス越しに差し込む光すら返すような綺麗な笑顔で、怖いこと言ってるよ。なんだよ即死級のダメージって。

“こちら除去班。ターゲット確認。そちらに向かっています”

「うぉあ!」

 突然の無線にビビりまくりだ、クソったれ。

 はふぅ、とため息をついた榊さんは、片肘をついたまま、無線機を取った。

“こちらー『異世界送り六号』です。コンくん、めちゃビビってるから、後処理いるかも。一応、目撃者の確認と排除、よろしくです。ドーゾ”

 目撃者の確認と排除ってなんだよぉ。泣きそうだよ。こんなことならマジで、ちゃんと就職活動しておけばよかったよ。

 パコンと軽く頭をハタかれた。痛くはないけど、やめて。いま、マジで吐きそう。

「大丈夫、コンくんなら出来るから。勇気をだして?」

 勇気、勇気、勇気。

 ウッキウキの榊さんの声が車内に響く。

「お、あれだ。ターゲット確認。コンくん、アクセル踏んで!」

 正面に十字路を横切ろうとする佐藤さんの姿。……やるしかねぇ。

 こうなりゃ、ヤケクソだ。

「う、ウス!」

 ……そして俺は失敗し、

「いせかぁぁい! スウィングDDTィ!!」

――ゴッシャ

 凄まじい光景を見る羽目になった。


 仁王立でちょっと不満げな榊さん。真っ赤な血痕。どうすんだ、この事件現場。

「ま、したかない。結果オーライってことで。車の無線使って、マサくん呼んで?」

「……ウス」

 やっちまった感がヤバすぎる。テンション上がるどころか、ダダ下がり。今日俺は、ヒト、殺しちゃったんじゃないだろうか。

 バシバシ叩かれる背中。痛くはない。でも、吐きそう。何で痛くないんだろう。

「気にしない! 気にしない! 最初はみんなそうなるって!」

 優しい榊先輩、でいいのかな。サイコパスになってるような気もする。泣きそう。っていうか泣いてるわ、これ。目の前が水で滲んでるわ。

 のそのそとフロントがべっこり逝ってる『異世界送り六号』に戻り、無線機を取る。なんだっけ、このスイッチ押して、喋るんだっけか

“……あの、すいません。俺、しくじっちゃったっぽいス……榊さんが、異世界なんとかって、あと、マサさんに来てもらえって。……ドーゾ”

“あー……まぁ、しょうがないですね。はじめてですもんね。今、そっち行きます”

 無線の相手、斎藤さんだったんだっけ……あとで謝ろう……

 無線を終えると、ほんとにすぐ来てくれた斎藤さんは、すぐに白いバンの中から変なタンクを取り出して、背負った。そして、そのタンクから伸びた細い棒の先から高圧の水を出して、テキパキと路面の血痕を消しはじめた。

 俺の方は、田んぼの横でしゃがみ込み、うなだれていた。

 地面しか見えない。……というか、見たくない。ダチョウ戦略ってやつだ。

 でも、意外と下だけ向いて耐えるってのは大変で、色々気になる。

ちらり。

 横目で見ると、榊さんはデカめのタブレットをいじっていた。今度は何してるんだ、あの人。やべ、視線に気付かれた。

 こっちにザッザと足音を立てて、寄ってくる。

「コンくん、一回目なんだから、そんなにヘコむことないって。次行くよ、次」

「マジすか……俺、吐きそうなんすけど」

 ぐっと前屈みになる榊さん。サイズが大きめのプロレスTシャツのせいか、首元から見えそう。ってか見えた。黒いスポブラ。……なんか萌えない。

「さ、行こう! 次は急ぎだから、私やるからさ!」

 元気っすね。でも、『異世界送り六号』はフロントベコベコですよ。

 立ち上がった榊さんは、小さいながら頼もしい手のひらで俺の頭を撫で撫でしてくた。……やるしかない。やるしかないぞ。単純でもいいのだ、こういうときは。

 頑張って、震える足に力を入れて、立ち上がる。

 背中がバンバン叩かれた。痛くはない。もしかして、そういう技術なのか、これ。

「よっし、行こうコンくん!」

「……おらっしゃあ! 行きましょう!」

 ヤケクソだ、バカヤロー。

 再び助手席こと定位置に戻る。先ほど榊さんは急ぎだと言っていた。このガラゴロいってる『異世界送り六号』は、一体どこに向かっているのだろうか。

「榊さん、急ぎの仕事ってどういうことなんですか? ターゲットの行動調査とかをしてるなら、用意周到、準備万端整えて、それからドカン、じゃないんすか?」

「んー……まぁ、普通はそうなんだけどさ。結局のところ対象になる人ってそこまで多くないからねぇ。そのせいでさ、他の会社とターゲットがバッティングしたり、あとは、これから相手する『異世界送りから守り隊』の妨害とか、そういうのよね」

 他にもこんなことしてる会社あんのかよ。というか、相手って何だ。それに、『異世界送りから守り隊』? そもそも、これ違法行為じゃないのか?

「被害者、じゃねぇや。ターゲットが訴えてきたりとかって、ないんですかね?」 

 引っかかってしまった信号を見上げていた榊さんは、目をそのままに、

「想像してごらん」

 と、言った。なんだそれ、ジョン・レ○ンか。

「コンくんに電話がかかってきます。番号を見ると、数年前から音信不通というか、引きこもりになってた友人Aくん。電話に出ます。友人A君は言う。俺、異世界に送られてたんだよ」

 信号が変わり、車が動きだす。そして俺の時間は止まる。なるほどなぁ。

 すでに納得しかけているのだけど、気付いていないのか、言葉は続く。

「で、コンくんに涙声で言う訳よ。俺と一緒に、裁判所に訴えてくれ。それがだめなら、一緒に警察に行ってくれ。さぁ、コンくん、どうしよっか? 一緒に行く?」

「……行かないすね」

「行かないよねぇ。まぁ、私も昔、同じ疑問があったしね。分かるわよ、コンくんの気持ちも。でも、安心して」

 続き聞きたくないなぁ。

「どうせすぐ慣れるし、考えなくなる」

 やっぱなぁ。社会人スキル発動ってヤツだよなぁ。

 そんな話をしている合間にも車は走り、周囲の風景は微妙に都会派。

 遠くから見た時は違和感バリバリだった、景観から浮いた高層マンションの足元。今度はあのマンションの住人がターゲットなのだろうか。

 予想的中なのかはわからない。しかし、『異世界送り六号』はマンションの手前で止まる。

 無線機を取った榊さんがカチカチと周波数をいじって、喋り出す。

“こちら『異世界送り六号』。所定位置つきました。ドーゾ”

“本部了解。ターゲットはマンション入り口方向から逃走中とのこと。要警戒。『異世界送りから守り隊』に追われている模様。転送準備は整っています。交信終了”

 転送準備ってなんだ。いや、それよりも気になる事がある。

「あの、榊さん、守り隊に追われてるって一体どういう意味なんで――」

 マンションの入り口から青年が飛び出て来た。

 これまでよりちょい若め。めちゃくちゃ頑張って、何かから逃げている。

 こっちに曲がってきた。青年と目が合う。安堵の表情。口が動く。た・す・け――

 いきなり加速を始める『異世界送り六号』。引きつる青年の顔。と、多分俺の顔。

――ゴワッシャ

 空中で横ひねりを加えて宙を舞う青年。

 マンションから横滑りしながらすっ飛んでくる軽自動車。

 そのフロントガラスに青年の身体が大突入。フロントガラスに穿たれた孔から、ぱわゎゎあっと光が漏れた。

 って車は急に止まれない。こっちの車とぶつか、どわ――

ガッシュン

 目が回る。ぐるぐる、ぐるぐる、目が回る。小学校の授業で作らされそうな自由律俳句を詠んだのは、榊さんがハンドルを右に切ったことで車が横滑りしたからだ。

 つまり、ケツが滑った『異世界送り六号』は、荷台の部分を突っ込んできた軽自動車にぶち抜かれたのである。その衝撃で、今のようにぐるぐる左回転をしてる。

 ということは、だ。榊さん、いや、隣の女は、俺の座る側が軽自動車にぶつかる様にしたって訳だよ。まぁ、仕方ないか、教習所でも本能でドライバーは避けようとするって言ってたし。

 あ、回転止まった。

 三半規管がぐわんぐわんと揺さぶられていたらしい俺の耳奥。今リンパ液が必死に止まろうとしている。その結果がこの眩暈にも似た視界の歪みだ。

 バゴンと金属が凹む音がして、天井が沈んだ気がした。今度はなんだ。

 左から人の気配。目を向けると、なんか金属バットをもった……浮浪者(?)が走ってきてる。コワイ。

 凄い怒ってる。頭から血ぃダラダラ出てる。ん? なんで上向いたんだ浮浪者。

 非常にスローモーな映像、聞こえる音は……声だ。

「いせかぁい!」

 屋根から飛び出てくる風になびくパンタロンの裾。榊さんだ。

 伸ばして足が浮浪者の頭を挟んでがっちりロック。

「ハリケーン・ラナ!」

 榊さんが体を伸ばしてブゥンと横方向に半回転。かっけぇ。

 そこで彼女は足のロックを解いた。

 結果、流浪の男は前宙みたいに回転しながら吹っ飛んでくる。こえぇ。

――ゴワッシャ

 車体と、俺の頭が、揺れた。

 砕けたドアガラスの下から、アステカ文明の文様を描く魔法陣が、空に向かって伸びていく。多分、流転の男が異世界に送られていく光。

「いせかぁい!」

 榊さんのマンション内まで反響して轟く声にビビり、目を向ける。

 逃げる男まで追っかけてるし。あ、後頭部掴んだ。

「フェイス・バスター!」

 逃げる男の頭を掴んだまま宙を舞う榊さん。その男の顔を、地面に叩きつけた。

グジャ

「あ」

 今、『あ』って言ったか? あ、って何だよ。

 って、血が広がってるじゃん。ヤバそうな雰囲気になって……榊さん、こっち見てる。こころなしか、顔が青ざめてるいる。

 とりあえず、行くだけ行ってみよう。なんか、ほっといちゃダメな気がする。

 扉を開け……開かねぇ。さっき吹っ飛ばされてきた男がぶつかった衝撃で、ドアが曲がったんだな。強引にバゴンと蹴り開けて、榊さんの所へ。

 アスファルトを血で汚す男。……酷いな。

 起こすのヤバそう。さっきまでみたいに、ぱわゎゎあって消えてないし、これ、本格的に殺しちゃったんじゃなかろうか。

 榊さんも茫然自失だしさ。マジでヤバいパターンなのか。

「あの、榊さん? 大丈夫、ですか?……あの、榊さん? さか――」

「言わないでコンくん。分かってる」

 やっぱ、まずいのか、これ。

「ハリケーン・ラナの呼び方でしょ? 確かにウラカン・ラナとは……」

 違うよ? 榊さん。

 聞きたいのは、呼称の問題じゃないよ。そもそも、ウラカン・ラナ以前に、ハリケーン・ラナから、もう分からないよ。

「大丈夫ですか! 近藤くん! 榊さん!」

 斎藤さんが来てくれた。彼は結果的に俺の心のオアシスとなりつつある。凄いありがたい。でもどうしよう、ここ殺人の現場となりつつありますよ。

 斎藤さんは前方回転エビ固めがどうたらこうたら言ってる榊さんをスルー。

「近藤くん、怪我ない? 大丈夫かい?」

「あ、はい。大丈夫です。っていうか、この人、どうしましょう? ってなにを?」

 強引に男を引き起こした斎藤さんはこっちに来いと、手を振った。

 とりあえず近寄ると空いてる方の男の腕をもたされた。やべぇ、力が抜けてるこの感じ、今日二回目だ。しかもさっきより力抜け気味。

 そして斎藤さんは、ぶつぶつと語り続けていた榊さんも呼んだ。

「榊さん。この人、僕のところに振ってください」

 え、振るってなに。いきなり訳分からない事を言わないでくださいよ、斎藤さん。

 こっちに来た榊さんが、彼に代わって男の腕をもった。丁度俺と榊さんの間で、男は捕まった宇宙人グレイ状態。なんとか立ってる。すごいな、この男。

 こっちを見る榊さん。やっぱり顔が青い。もしかして、さっきのプロレス談議、精神安定のために唱えてた呪文みたいなものだったのか。

「いい、コンくん。一、二の、三で、この人、マサくんの方に振るわよ?」

「え、あの、振るって何すか? 振る?」

「プロレスで見た事あるでしょ? あの、ロープの方に相手を投げるようなの。あれを振るっていうの。あの要領で、マサくんの方に、この男を、二人で振るのよ」

「え、だってあれって、投げられる方の協力もないと――」

「一、二の――」

「ちょま――」

グチャ

「何やってるの!? ちゃんと振って!? 早くしないと死んじゃうでしょ!? いい? いくわよ!?」

 いくわよ、じゃねぇよ。まだ理解が追いついてねぇし、まず、この人自立できなくなってるじゃんよ。慌てているのは分かるけど、どうしろってんだ。

 瞬間、俺の精神がぷっつり音を立てて切れた。

 ……よし、俺が頑張ろう。

「う、ウス」

 一生懸命引っ張り上げる。足ぐにゃってるよ、この人。振れるのだろうか。触れたとしても、走れるのだろうか。大体、走って行ってどうなるというのか。

 榊さんが焦燥感の混じった震える声を出した。

「ああ、自立できなくなってる。次はコンくんが合図かけて? 私が技にするから」

「あ、はい。一、二の――」

 二人で前後に男を振る。相変わらず、足ぐにゃぐにゃ。

 俺が三、と言う瞬間に合わせて、榊さんが叫んだ。

「いせかぁい! ハンマースルー!」

 不思議なことに男の足はしっかりと地に着き、走りだす。どうなってんだ。

 新たに湧いた疑問はおいて、男が走る先に目をやる。

 半身を前に出して、やや腰を低く、前屈みで構えている斎藤さん。真剣な顔をして走る男を睨みつけていた。まさか、タックルする気なのか。

「いせかぁい!」

 あ、違うわこれ。なんか、またプロレス技だわ。

 斎藤さんは男の腹にタックルのように肩を入れる。

「スパイン・バスター!」

 男を抱えるようにバネを使って伸びあがり、男を抱きかかえたまま一八〇度反転。

 首元辺りを手で押し下げ、地面に身体ごと落とす。

――ゴッチャ

 ……マジで死んだんじゃねぇか、あの人。

 あ、でも赤い光が男を包む。なんだろう、馬に乗った人……騎士かな。ナイト風の文様が描かれた走馬灯型魔法陣が、天にそびえる塔となっていく。結構カッコイイな、この魔法陣は。

 そしてやっぱり、ぱわゎゎあって、男ごと消えた。

 快活を画に書くとこうなります的な笑顔の斎藤さんが、こっちに近づいてきた。その足取りは強く、俺は笑顔が恐怖のサインになりつつあった。

「なんとか間に合ったみたいですね。危なかった」

 間に合ったのか、あれで。

 予想通りなら、異世界に行った直後に突然の死、みたいなことになりそうなんだけど。でもまぁ、いいのか。向こうに行けば、死んでも生き返ったりするんだろうし。

 隣からも、榊さんの安堵のため息が聞こえた。

 バンから清掃道具を取り出してきた斎藤さんが、アスファルトに残る戦いの跡を消しだした。これ、傍から見ると完全に犯罪集団のドキドキゲリラ証拠隠滅ライブなんだけど、大丈夫なんだろうか。

 腰に手を当てた榊さんは、澄んだ眼をしてこちらを見ていた。彼女の額には――理由を知っているだけに――さわやかには見えない汗が、輝いていた。

「大丈夫? ケガはない? こいつらが『異世界送りから守り隊』の連中よ」

 いまさらかよ。バット持ってきたりする危ない奴がいるとか、先に教えてくれよ。色々教える順番間違ってますよ、って言いたい。でも言わない。理由は単純だ。

 何一つ手伝えていないから。流石に一人の青年として、小柄な女性が素手で男二人に飛びかかるのを放置するのはどうか。……どうでもいい気もするが、よくない。

 俺、ドMになったんだろうか。

「あの、榊さん。さっきの今で気になったんですけど、プロレス技じゃないと異世界に送れないんですかね? あ、もちろん『異世界送り六号』とかは別として」

 きょとんとした榊女史。また変な質問だったかね。

「プロレス技が、たまたま効率がいいだけみたいよ?」

 効率ときたか。しかも『みたい』って、伝聞の上に半疑問形か。

「榊さんも原理が分からないとか、そういうことなんですか?」

「んー。私も正確な原理まではね。ただ、教えられたことは、衝撃がポイントらしくてね? わりかし多いのが軽トラも含めた、自動車事故。それから落下。まぁ、他にも昔から、溺れたり、テレビに入ったり、とか、色々あるけどね。でも効率いいのは、衝突らしいわよ」

 うわぁ、単純。

「さ、とりあえず、助手席に乗って?」

「……うす」

 俺の思考は、すでに停止しつつあった。

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