心理分析
僕は『自称』(半人前の)作家なんだけど
ある種の状況を見たときに、この後はこういう風に物語が続くんだろうな、なんて思ったりする。それは大抵の場合、希望的観測だ。でもここは現実で、結局、僕は主人公じゃないから、ご都合主義は通用しなくて。でもそれは、ある意味、今までの生き方にも起因する部分があるんだろうね。それに、やっぱりここは現実だから、予想外におもしろいことや素晴らしい人たちに出会えたりもする。なるようにしかならない、というトートロジーほど、頼もしい真実はないのだろう。
自分の心理分析ができてしまうというのも、なかなかに厄介なもので、中途半端な自己催眠も、やわい防衛機制も、上手く機能してはくれない。(防衛機制に関しては、意識的に受け入れることで、その恩恵を享受することができるのだが、それも一時的なものでしかない)
ある種『冷静に、冷静さを欠く』ということもよくある。これは別に自己の心理分析ができなくても起こることだけど、その頻度は少ないだろうね(多分)。これは、半端な自己制御に起因するものだと思う。
こうやって自分の内(こんな表現をしたら、ギルバート・ライル氏に怒られるけど)を探るというのは、方向性さえ間違えなければ、僕に合った気の紛らわし方ではある。まぁ、この内向性は、なんら対外的な武器にはならないけれど。
自分を分析できる、なんて、傲慢な言説だとわかっている。
心に関して言えることは、それが真実か否かではなく、信じるか否かということだ。心理分析なんて、結局は意味づけているだけ、なんていうこともできるのだ。そう、心理という常に複合的で複雑な状態のものを、有限の言葉で表そうということはそもそも不可能なのだから、僕がしていることは、ただの定義づけでしかないのだ。
まぁ、自分の心理分析っていうのは、単なる僕の精神的安定が目的だから、なんら問題ないけどね。
この文章、作家性も分析感もないね。まぁ、ちゃんとした文章を作るつもりは毛頭なかったけど。どちらかというと日記。というより、日記そのもの。