本番の朝にプチパニック
王族の結婚式の宣誓が行われるのは、王宮内にある神殿なのですが、現在その控え室にて、準備万端の私はピシリと背筋をただして座っております。
あとはジルが迎えに来てくれるのを待つのみなのですが、これがかなりの苦行です。
少しでもらくをしようと背を丸めたりしようものなら、いつにも増して絢爛豪華なドレスが着崩れたり変なシワがよりそうで一瞬たりとも気をぬけません。
顔は遠くからでも見映えがするようにといつもより濃いめのメイクを施され、表情筋を動かすことさえ困難です。
そんな身動きのとれない状況に鏡の前で途方にくれていると、ノックの音が聞こえました。
まだまだ時間にはならないので、ジルではないはずです。どなたでしょう。思うように振り返れない……。
「「「「リナ様、本日はおめでとうございます!」」」」
おー! メルリア様達がいらしてくださったようです。少し気がまぎれそうですよ。助かります。
「皆様、ありがとうございます! 来てくださって嬉しいです。ですが、なんだか、もう……はぁ……」
声がだんだんと尻すぼみになった挙げ句、思わずため息までついた私を見て、皆様はそろって笑いました。
昨晩のあのしめやかな雰囲気はどこへやら。自分なりにも厳かな気持ちで今日を向かえるんだろうな、などと思っていたのですが、朝からの激動の準備時間を経た今、もはやそのような気持ちは皆無です。
「リナ様、表情が硬いですわね」
「花嫁には笑顔が似合いますわよ」
「緊張するなというのが無理だとは思いますけれど」
「周りの人はみんなジャガイモだと思えば平気ですよ」
あぁ、本当に有り難いです。急に賑やかになって、一気に気持ちが軽くなります。
皆様に椅子を勧めつつ、私も鏡台に向いていた体を恐る恐る動かして向き直りました。こんなおっかなびっくりの動きしかできないのに、呼ばれたら歩けるのだろうかと、また顔がひきつります。
「それにしても、今日のリナ様は輝くばかりですわね」
私の表情が固まってしまっているのに、メルリア様はお褒めの言葉をかけてくださいました。
そして、実際輝いているんですよね。身震いするほどのダイヤがティアラにもネックレスにもドレスにも使用されています。
もう輝いています。キラッキラのツヤッツヤです。
ですが開き直ってイチオシするのなら、まだトルソーにかかったままのヴェールが一番でしょうか。
向こう側が透けて見えるの繊細な布地に蝶がチラホラととまっているデザインで、身につけると自分の周りで蝶が飛んでいるように見えてめちゃくちゃ素敵なんですよね。
こちらも重さがかからないように小粒なダイヤが縫い付けてあって、日の加減で七色に光るように計算された作りになっています。
「背中側を見せていただいてもよろしいですか? まぁ! やはりこちらのドレスにして正解でしたわね。リナ様の華奢な首筋や背中がとても映えますもの」
アリサ様が背中側を眺めておっしゃいます。
皆様からの助言のもとに決定したこちらのドレス、布地だけで考えると背中はガッツリあいているのですが、がら空きの背中を埋めるように、ダイヤモンドの連なりが配されています。
レース模様のように繋げてあるダイヤは、なかには繋げずに垂らしている部分もあったりして、背中からのプレッシャーがすごいです。肩にとまっているレースの蝶からもダイヤがゆらゆら揺れているんですよ。
トルソーが着ているのを見た時は、その神々しいほどの美しさに思わず感嘆のため息をつきましたが、いざ自分が着るとなれば話は別でした。
気を付けようのない背中で、幾数のダイヤが揺れるかすかな肌触り。それがもたらす緊張感は絶大です。
「リナ様、うつろな目をなさらないでください。リナ様自身がとても素敵です、とアリサ様は褒めてくださってるのですから。私もそう思います」
ライラ様に心を読まれて、なんとか笑いました。
「ありがとうございます。一応主役として、今日くらいは輝いてみようとは思うのですけど……」
「リナ様の気持ちもわからないでもないです。これ程までに大きなお式では、楽しむ余裕を持てというのも酷ですよね。時間が経てば経つほど気疲れでヨレヨレになってしまいそうですし」
「ですよね……」
感覚的にはマリーベル様が一番近いので、気持ちを察してくださるその言葉にしみじみと同意してしまいました。
「もう、リナ様! 最正装した殿下という楽しみが待ってますでしょう? きっと輝くばかりですわよ! はぁ、お二人が並んだ姿を想像すると楽しみでなりません。早く時間にならないかしら」
うっとりとした表情をされるアリサ様につられて、私もジルの最正装を想像します。
駄目だ。想像だけで顔が火照ります。キラキラ王子様、最正装バージョン……。本物を目の前にした時、私は正気を保てるでしょうか。
「リナ様、顔が赤くなっていますよ。お熱いですね」
マリーベル様に突っ込まれてより体温が上がった気がしました。
これ以上は汗がでそうです。冷静になろうと顔を手でパタパタとあおぎます。
「お幸せそうで本当にうらやましい。結婚するって素敵なことですわね」
とアリサ様がうっとりと呟きけば。
「お相手によるのではありませんか。変なのに捕まれば地獄ですわよ。結婚は墓場だ、なんて言葉もありますから」
とライラ様が返し。
「お二人は極端ですよね。相手に恵まれれば最上ですけど、まず自分らしく楽しく毎日を過ごせれば幸せでは?」
とマリーベル様が口を挟みます。
するとアリサ様とライラ様がバッと同時にお顔をマリーベル様に向けました。
「自分らしくというのはとても難しいことです!」
「えぇ。相手次第で自分を殺して過ごさなければならない事態が発生しますから」
お二人から同時に責められたマリーベル様は一瞬たじろいだものの、それでも言葉を重ねます。
「そ、それは、夫婦で話し合いのもと……」
「マリーベル様はご理解ある旦那様をお持ちだからそのようなことをおっしゃるのですわ! ご自分が素敵な殿方を捕まえたかってそのように!」
「アリサ様のお言葉も、もっともです。大抵の男性は女性に対して自分の要求が通って然るべきだと思っている節があります。歩み寄るべき妥協点など存在いたしません」
おぉう……。厳しい。
とくにライラ様、最近一段と男性不信に拍車がかかっています。
「ご、ごめんなさい……」
どこで仲裁しようかと様子を伺っていましたが、マリーベル様の力ない謝罪によりお二人の気持ちの高ぶりはとりあえず終息をみせました。
アリサ様もライラ様もとても素敵な女性ですが、出会いに恵まれないのでしょうか。どこかにお二人をまるごと愛してくれる、包容力を持った殿方がいないものか。
「メルリア様、……あの、メルリア様?」
ずいぶん大人しいメルリア様に話を振ろうとすれば、何やら眉間に皺を寄せて難しいお顔をされています。
「メルリア様、いかがなさいました?」
再度尋ねた私の言葉に、はっとされたメルリア様はなぜかひきつった笑顔を浮かべていつにない早口で答えられます。
「あら、失礼いたしました。何の話だったかしら?」
明らかに様子のおかしいメルリア様に、私達はそろって怪訝な目を向けます。
「……ご加減がよろしくないのですか?」
「「「えっ!?」」」
ライラ様の指摘に目を剥きます。
「腹部にあてた手に力が入っておりますよね?」
続くライラ様の言葉に私達は一斉に立ち上がりました。産み月のメルリア様の不調にすぐ気付けないなんて、なんたる不覚!
「た、大変です! 早く人を……!」
「何をおっしゃってますの。私はなんともありませんわ。リナ様も、人を呼ぶ必要などございません」
先程の早口と違っておっとりと言葉を発するメルリア様に、一瞬動きを止めます。
本当に大丈夫ですか? と聞こうとしたところに、ライラ様の鋭い洞察眼が光ります。
「もしや、痛みが間隔的に来ているのではありませんか? 今は力が抜けていらっしゃるようですが、先程は明らかに強張っておられたでしょう」
「まさか、陣痛……?」
マリーベル様のポツリとこぼした一言に、やはり私達は一斉に動き出します。
「待ってくださいませ!!」
私達が慌てて行動を起こそうとするのを、メルリア様が大きな声で止めに入りました。
「はじめてのお産は時間がかかると申しますし……」
あ、陣痛がきているのは否定しないんですね、と頭の中でつっこみます。
「ですのでまだ猶予があるでしょうから、皆様、大騒ぎなさらないでくださ、いぃ!!」
発言の途中で痛みがきたからか、語尾がおかしなことになっています! いやいや、これ、まずいですよ!
「何をおっしゃってるの!? 随分と間隔が短いのではなくて!?」
アリサ様とマリーベル様はメルリア様に駆け寄ると、腰や背中を擦りはじめました。
ライラ様はサッと、私はドレスのスカートをヨッコイショーと持ち上げ、誰かを呼ぶために扉に向かいます。
「とにかくメルリア様、旦那様を……」
「い、いけません! リナ様、他の殿方に先にお姿を、うぐぅ、お、お見せするなんて、申し訳なくて、はぁ、ジルベルト様に顔向けできませんんんーっ!!」
「何を言ってるんですか! そんなことを気にしている場合じゃありませんよ!!」
「ふ、ふぅ。ほら、少し収まってきましたし、もう大丈夫……」
「いいから大人しく座っててください!!」
私はバーン!! と扉を開けると控えていた侍女に指示を飛ばし、どこか近くにいるであろうセドリック様を呼びます。セドリック様は溺愛性の心配性なので、絶対近くに待機しているはず。
その予想を裏切らず、猛ダッシュで廊下の角を曲がってくる大きな人影が。
それと入れ違うように、ライラ様は部屋と医師の手配をして参ります、と侍女と一緒に素早く身を翻していかれました。
「いかがなさいましたか!?」
「メルリア様が、産気づかれてます!! 早く運んで差し上げてください!!」
「!!」
私の台詞に一瞬息を飲んだセドリック様でしたが、なんの躊躇も遠慮もなく花嫁控え室に踏み込むと、脂汗をかくメルリア様を軽々と横抱きにしました。
「メルリア様、東の間に場所を確保いたしましたので、セドリック様、そちらに!!」
素早く帰ってきたライラ様の言葉を聞いて、セドリック様は大股で退出されます。
とても慌てているようですのに、メルリア様を抱き上げる姿はどっしりと抜群の安定感で、あの様子ならお任せしておけば安心です。
「リナ様! 私、今日のお式、とても楽しみにしてましたのよぉおぉーっ!!」
セドリック様の背に隠れて全く姿の見えないメルリア様の叫び声だけが聞こえます。
「メルリア様! 今は赤ちゃんのことだけを考えてください! 頑張ってー!!」
と声援を送りましたが、届いたかどうか。メルリア様を抱えるセドリック様の背はあっという間に見えなくなってしまいました。
「……メルリア様、大丈夫でしょうか」
アリサ様が呟かれます。
「健康な妊婦はギリギリまで動き回っている方が安産になると聞きますので、大丈夫だと信じましょう」
ライラ様が受けて答えます。
「ですが、あの感じ、絶対に朝起きた時には兆候があったはずですよ」
今度はマリーベル様です。
「はぁ、もう、なんであんなに我慢されてたんでしょうか」
私が疲れたような呆れたような声を出せば。
「「「あら、リナ様の結婚式は一度ですもの」」」
えっ、そういう問題ですか!?
「やはり、仲の良い方の結婚式は外したくありませんわよね」
「えぇ、後にも先にも一度きりの瞬間は共有したいものです」
「自分だけ仲間外れなんて、悔しくて一生引きずります」
「……」
皆様、そんな感覚なんですか? いやいや、お産の方が遥かに大事でしょう!?
「リナ様、皆様、そろそろお時間ですのでよろしいでしょうか?」
「!!」
突然通過した嵐に、そういえば式開始までの待ち時間中だったと思い出します。
すっかり緊張がとれて、意識せずに動いていたおかげか、ドレスの馴染みもよくなり動作が楽になったように思います。
「リナ様、いよいよですわね!」
「リラックスして頑張ってください」
「ジャガイモですよ、ジャガイモ!」
とそれぞれ声援をいただき、私も気合いを新たにします。
「はい! 私の勇姿、しかとお見届けください!」




