小夜星の輝きは涙色
アルと別れて歩き慣れた道をキョロキョロしながら進んでいると、すぐに庭の片隅にうずくまる固まりを見つけました。怪しさ満点ですが、この丸まっている後ろ姿はお父様で間違いありません。
「お父様、何してるんですか?」
私の声が聞こえてピクリと動きましたが、振り返ってくれません。
仕方がなく側によってのぞきこむと、草をむしっています。酔っぱらいの行動に意味を求めてもしょうがないですが、一体なぜ。
私の無言のプレッシャーを受けてか、お父様はのっそりと立ち上がるとすぐ後ろにあったベンチに腰をおろしました。なんとなく私も隣に座ります。
「いやぁ、夏とはいえ夜は少し涼しいねぇ。ぐすっ」
鼻をぐずつかせるお父様。
「やだ。風邪じゃないですか? もう中に入りましょう。明日の式に出席できなくなると困りますから」
「……うん。明日の式、ね」
お父様はそこで言葉を切ると背中を丸めて太ももに肘をのせ、頬杖をつく体制になります。そして長く息をはきました。
「……リナがさぁ、生まれた時のことをね、考えてたんだ」
ずいぶんと鼻声なので早く部屋に戻った方がいいと思いながらも、お父様の話が続きそうなので言い出せません。
「想像してたよりずっと小さくてね。指なんてえのき茸みたいなの。でもちゃんと爪もシワもあってさ。すごく可愛いくて……」
えのき茸って。可愛と言ってくれるなら、もう少し違う表現できませんか。
「それがさ、もうさ、こんな大きくなっちゃって、明日にはお嫁に……行くんだって! なにそれ、びっくり!」
「っ!?」
いえ! びっくりしたのは私です! 顔をこちらに向けたお父様はすっごい泣いてますよ! 滂沱の涙が両頬で光っています。これは風邪を引いて鼻声だったのではなく、最初から泣いていたみたいです。
二の句がつげずに凝視するばかりの私に、ほんのりと弱々しく笑ったお父様がポツリとつぶやきます。
「……もう少し、一緒にいたかったなぁ」
それは万感の思いを込めた一言でした。私の脳裏にランドール領で過ごした日々が一気に甦ります。
な、なんでここにきて急にこんな……。王宮にあがってからも、いつだってにこにこへらへらしていたくせに。
そうは思っても、お父様の深い懐旧の情が浮かぶ瞳と、感極まって震えるオーラに文句も喉に詰まってしまいました。
飲み過ぎて迷子になったお父様に、ごく普通に、いえ、むしろあきれ気味な気持ちになって迎えにきたはずなのに。
予期せずこんな様子を見せられ、私まで色んな思いが込み上げてきて、胸がぎゅっと苦しくなってしまいます。
「リナ、好きだよ。可愛い娘。君より大事なものはないよ」
「!!」
だめだ! つられる! 私はひぐっと込み上げた涙を飲み込んでこらえます。
なおも滝のような涙を流すお父様は私に両手を伸ばすと、そっと抱きしめてきました。私もいつぶりなのかその大きい背に手を回します。
ふーっと息を整えて泣くのを踏みとどまりつつ、ぐずぐずと泣いているお父様の背中を慰めるようになでます。そうしながらも私は一つ気になることがあり、お父様を肩越しにうかがいました。
お父様のオーラは幸せそうに震えながらも、その中に少しの……後悔でしょうか、ごく僅かな負の感情が揺れて見えます。
なぜこんな色が混じるのか。こんな色のオーラは見たくない。お父様のオーラはいつだってやわらかな萌木色、木漏れ日の暖かさを思わせる色であってほしいです。
何に後悔してるのかはわかりません。でもこのタイミングなのですから、きっと私が関係していることなのでしょう。お父様の心に引っ掛かっているものを、私の言葉で取り去ることはできるでしょうか。私は言葉をまっすぐ伝えます。
「……お父様には常々、本当に色々ともの申したいことがあったんですけど。でも私、お父様の娘で良かったと思っています」
少し体を離して顔を見れば、鼻まで赤いお父様が。その様子に笑ったはずなのに目尻から涙がこぼれてしまいました。我慢していたはずなのに、一度涙が出てしまえば後から後から溢れて止まらなくなります。
それでも、もっと伝えたいことがあるんです。鼻の奥が痛くて唇は震えそうになりますが、息を吐いて吸って一度キュッと唇を噛み、声を絞り出しました。
「その思いは、これから先も、ずっと……変わりませんから。私を私にしてくれて、ありがとう、ございます。お父様、大好きです」
お父様の顔がぐしゃりと歪んで、嗚咽が混じります。どうしましょう。気持ちが高ぶりすぎてお互いに収拾がつきません。
お父様、鼻水たれてますよ。私はまだセーフですか。親子で抱き合っておいおいと泣く声が夜の静けさに響きわたります。
「リナのことはお任せください。何よりも大事にするとお約束します」
ジルの声が聞こえました。眼鏡がないのをいいことに、泣き顔を少しでもおさめるために下を向いて鼻をすすります。
わざとゆっくりと眼鏡を取り出していると、隣でお父様が叫びました。
「殿下を……殿下を信じてますからー!!」
私から離れたお父様がジルに突進する気配に、慌てて眼鏡を装着して顔を上げます。驚きながらもお父様を受け止めてくれたジルと目があうと、少し驚いた顔をした後、苦笑いしながらも優しく目を細めてくれます。
今ひどい顔をしている自信があるので、そんなに優しく見つめられると恥ずかしくてたまらないです。
そして本当にごめんなさい。たぶんお父様の色々な液体が、ジルの服に染み込んでいるはずです。
「貴方達、こんな所で何をしてますの」
「父上、手間をかけさせないでくださいよ」
泣いた余韻でしばしぼんやりしていると、トリアンナ様とアルが連れだってやってきました。
「まぁ! リナ、泣いてますの?」
素早く近寄ってきたトリアンナ様に頬を包まれました。眉毛が下がって少し困ったような心配そうなお顔でのぞきこまれます。これはレアな表情ですね。と思ったのもつかの間、すぐにキリリと眉も口元も引き締めていつものお顔になると、キッと振り返りました。
「ジルベルト! リナが泣いていたらすぐに慰めるのが貴方の役目でしょう! 甲斐性のないこと!」
矛先が変な方向にいってます。
「いや、義母上、私は……」
ジルの反論を聞くことなくトリアンナ様は私に向き直ると、そっとハンカチで涙をぬぐってくれます。
「お義母様、父と話していたら感慨深くなってしまって。ジルは父を受け止めてくれて……」
「そう。なかなか会えなかったのです。積もる話も思いもあるでしょう。ですが、リナ。とにかく泣き止みなさい。まぶたが腫れたら一大事です」
甲斐甲斐しく慰めてくれるトリアンナ様。微妙に慌てている様子に自然と笑顔を誘われ、少し涙が引っ込みました。
そういえばトリアンナ様の前で泣いたのは二回目でしょうか。思い起こせば一回目の時もうろたえていましたっけ。
「泣き止みましたね。式の前に、見えるところを虫にでも刺されたら不恰好です。ジルベルト! ぼんやりとせずに早くリナを部屋に連れていっておあげなさい!」
私の涙が引いたことに明らかにホッとした様子のトリアンナ様でしたが、すぐにジルに厳しい目を向けます。
ジルもとんだとばっちりですよね。しかもお父様に抱きつかれたままです。もう、本当、うちの父がすみません。
「リナぁ」
お父様、今すがっているのはジルですからね。感動的なことを言ってはいましたが、やはり基本酔っぱらいのようです。
するとアルがお父様を引き剥がしにかかります。そして目線で後はこっちでなんとかするよ、と伝えてきました。やはり気が利くいい子です。
「リナ、気をつけて戻るのですよ? 目もちゃんと冷やしなさいね? ジルベルト、わかっていますね」
トリアンナ様の前半と後半の声音の変化がすごい。ですが、私もジルもしっかりお返事をします。
「ぐすっ、リナ。大好きだよー」
なおも背後でお父様がぐずぐず言っています。もはや誰が相手でも私の名前を呼んでますよ。ですがお父様、そんな締まらないお父様が大好きです、と心で再び伝えました。
そしてアル、押し付けてごめんなさい。あとはよろしくお願いします。
読んでくださってありがとうございました!
リナパパのターンでした。
次話はジルのターンになります。




