誰もが好むこの一杯
本編終了後、家族でお茶をしたある日のこと。
名もない侍女視点です。
私はエルヴァスティ王家に長年お仕えする、しがない中年侍女でごさいます。
本日は珍しくご家族がおそろいになり、お茶をなさる運びとなりました。こうした場面は王家にお仕えする私共にとって緊張たぎる瞬間なのですが、最近は少し様子が変わって参りました。
と言いますのも、以前ですとどんなに熱いお茶をお出ししても、体の暖まるスパイスを使ったお菓子を添えさせていただいても、暑い夏の日でさえ勝てぬ目に見えぬ吹雪が吹き荒れて、場の空気が冷えきってしまうものでした。それは長年鍛えられてきた私が、寄せる年月に敵わずに暇請いをしようかと悩む程、堪える寒さでございます。ですがこの極北の地に、最近になって救世主が現れたのです。その方は、燦々と照る太陽でも華やかさをふりまく春風でもありません。例えるならば……そう、何の変哲もない温かい一杯の紅茶でしょうか。主張しすぎない優しさが持ち味で、しかしそれで万人を魅了してしまうという不思議な方なのです。
「まぁまぁね」
本日のお茶会では王太子妃殿下であるリナ様が、ご自分で選ばれた紅茶を振る舞われています。はじめての物を、特にトリアンナ様にお出しすることはとても気をつかいますので、お気に入りを知っている私共にはなかなか敷居の高いことでございます。ですが今回はトリアンナ様のお口にも合ったご様子です。長くお仕えすればこそ、今の『まぁまぁね』が気に入っていただけた時のお返事だとわかるのですが。
「良かったです! ありがとうございます!」
ぴくりとも表情を動かさないトリアンナ様に、リナ様は満面の笑みで返されます。これこそがこの方のすごいところで、長年お側にいる私よりもお気持ちを汲むことがお上手なのです。私は何度感心したかわかりません。
「お義父様はいかがですか?」
「あぁ、美味しいよ」
前国王陛下のフェリクス様も和やかな表情で頷かれています。一線を退かれてからは体調もよく、最近では園芸を趣味とされて、同じくそちらに造詣の深いリナ様と楽しくやりとりされるお姿をちらほらとお見かけします。
「なんか、人の相性って不思議だねー」
市井に下りてよりさらにお顔を会わせることが少なくなられたヨエル様が、心底不思議そうに首をかしげていらっしゃいます。いつもなら何かと理由をつけてご欠席される方が、今回はご出席とのことで私も驚きました。ヨエル様は生まれも育ちもこちらでいらっしゃるのに、お小さい頃より王宮というこの場所に馴染めないところがおありでした。
「そうですね。まさか母上とリナがこうも上手くいくなんて思いませんでしたから」
ヨエル様のお言葉を受けたイェリク様が、ほんのりと笑ってらっしゃいます。小さな笑顔ですが、確かに楽しそうにしてらして私も嬉しくなります。あんなに厭われていた玉座におつきになってからも表情が明るく、幼少よりお優しすぎる性格を知っていただけに感慨もひとしおです。
「ってか、父上も少しキャラ違うと思わない?」
「同感です。母上を見つめる目、あれではまるで……」
お二人に倣ってフェリクス様を視界にとらえると、確かにトリアンナ様を見つめる目に甘やかなものが含まれているように思います。いがみ合いながらも長年隣に立たれることで、信頼関係に近い感情をお持ちなのではと推察しておりましたが、現在のご様子は妻を愛しむ夫そのものです。
「ねぇ、ジル。涼しい顔して紅茶飲んでるけど不思議じゃないの?」
「まぁ、特には」
ヨエル様の表現された通り、すましたお顔で優雅に紅茶を楽しむジルベルト様。この方とは接点が今まで少なかったものですから、何でも要領よくこなされる方だとは聞き及んでおりますが、何をお考えになられているのかは皆目検討がつきません。
「なんか……、面白くない」
「ジルはリナがいれば他はどうでもいいのですよ」
「言えてる。メロメロすぎるでしょ。どこが好きなの?」
フェリクス様、トリアンナ様、リナ様でお話が弾んでいらっしゃるので、必然的にご兄弟で会話がはじまったのですが、その内容はご本人やご両親の前でも大丈夫でしょうか。ですが私も気になります。
「全部です」
……ご馳走さまです。
「ずいぶんとノロケますね」
「全部って言い過ぎじゃない? もっと可愛い子がジルの周りにはいっぱいいたし、体つきももっとこう……」
ヨエル様、少しずつ怪しい方向に行ってしまっているように思うのですが。やはりそうした内容はこうした開けた場所では不適切ではないでしょうか。
それに私共の立場から言わせていただくと、どんな可愛い方であってもどんなグラマーな方であっても、リナ様以外の方がこの場にいたかもしれないなどと、今はもう考えられません。
「貴方達、何の話をしてますの?」
心の中で密かにご兄弟の会話に参加していた私でしたが、トリアンナ様の冷ややかなお声にこれまでも伸びていた背筋がさらに伸びます。てっきり義娘と楽しくしていらっしゃると思っておりましたが、今の会話が届いていたのでしょうか。わずかに表情も冷たさを帯びています。
私は最近気が付いたのです。トリアンナ様はご自分がどんなにリナ様をけなしても、他所の方がけなすことは決して良しとなさらないことを。
「い、いえ。なんでも」
母君からの冷気を感じ取ったヨエル様は途端におとなしくなられます。昔から打たれ弱い方でしたが、大人になられてからもお変わりないようです。
「母上、凄むとヨエルの足が王宮からより遠退くので程ほどにお願いします」
「ヨエル兄上は昔から義母上が苦手だったからな」
「えー。だっておっかない……!!」
ご兄弟から冷やかされたヨエル様が調子に乗って軽口を叩こうとしたところを、トリアンナ様がひと睨みで黙らせます。
ここまででしょうか。ご家族で囲まれたお茶会が、今まで和やかに進行していたことが奇跡だったのです。このままいつも通りの吹雪が吹き荒れてしまうのでしょうか。私はリナ様に希望を持ってチラリと視線向けます。
「皆様!! お義母様は今日のお茶会をとても楽しみにしてらしたんですよ! 仲良くしてください!」
あぁ、リナ様、さすがでございます。なんという絶妙なタイミングでの仲裁でしょうか。そしてその内容がまた、この方の周りと一線を画すところなのです。私のような者にはどこをどう見ても楽しみにしてらしたなんてわかりません。
「「……この顔で?」ですか?」
トリアンナ様の眉間にしわが刻まれました。ご子息様達は失礼ながら私と同類です。
「お二人とも! こんな素敵な方が母親なのに、勘違いしたままなんてもったいないです! 心の目で見てください! お義母様から溢れ出るこの喜びを!!」
「「……」」
申し訳ありません。リナ様のお言葉に私も一生懸命目を凝らしてみましたが、トリアンナ様から溢れる喜びは見ることができませんでした。沈黙してらっしゃるということは、お二人も同じとお見受けいたします。
「くくっ、良い嫁をもらったものだ。なぁ? ジル」
フェリクス様の穏やかな問いに、ジルベルト様が綺麗な笑顔で頷かれています。
「……出来た嫁です。ジルベルトにはもったいないですわ」
「「「「「!?」」」」」
その場にいた全員がいっせいに声の主の方を向きました。一気に注目を浴びた当のご本人は、すましたお顔をでツンと顎をあげ明後日の方向を見ていらっしゃいます。
「お義母様!!」
感激!! とばかりにリナ様は胸の前で手を組んでキラキラした目で義母上様を見つめてらっしゃいます。その様子をトリアンナ様はチラリと見ただけでしたが、まんざらでもないご様子。
驚きのあまり思わず口が半開きになってしまっていた私は、慌てて閉じます。トリアンナ様がどなたかを誉める場面にはじめて遭遇いたしました。厳しいお言葉にも冷たい視線にも釣れない態度にもめげず、子犬のように尻尾を振り続けるリナ様に、トリアンナ様もとうとうほだされたのでしょうか。エルヴァスティに輿入れして以来、誰にもなびかなかったあの孤高のお方が! なんという奇跡でしょうか!
衝撃的場面に遭遇したことにうち震えていると、すっかり蚊帳の外になってしまっている男性陣が、所在なさげにボソボソとやり取りされるのが聞こえます。
「ジル、母上に負けてるんじゃない?」
「えぇ、リナは母上贔屓がすごいですからね」
「あの二人こそ相思相愛というやつだな。私も妬ける」
「……」
父上様と兄君方のお言葉に、それまで余裕の笑顔を浮かべてらしたジルベルト様の動きが止まりました。言い返したいのにそれができず、焦ったようなふてくされたようなお顔をされています。どうやらリナ様が泣き所のようですね。ですがすましたお顔よりも余程好感が持てます。
こうして今回のお茶会は終始和やかな時間が過ぎていきました。その中心がリナ様であったことは間違いありません。激しく自己主張されるわけでもないのに、今やこの方を中心に王家の歯車はしっかりと噛み合って回っているのです。素晴らしい方がいらしてくれたものだと感謝の気持ちがわきます。この方がいらっしゃる限り、これから先、私共が寒さに震えることはもうないでしょう。エルヴァスティの未来は明るい、と希望がわきます。
そして私にとって今日という日は、この先も王家に誠心誠意お仕えしようと心に誓う一日となったのでした。
本日もありがとうございます!
予定している番外編第二弾は、結婚式のお話にしようと思います。
またお時間がありましたら、宜しくお願いします!




