馬車馬の如く
本編終了間際、リナとジルの会えなかった一ヶ月間のある一日のこと。
グレン視点です。
「……あのクソババァ」
執務室で書類に埋もれるようにしている殿下から、聞こえるはずのない悪態を耳にして僕は思わず手を止めました。
「殿下、口にしてはいけない言葉が出てしまっていますが」
「故意だ。それよりも! 何だこの絶妙な匙加減は!! 全然リナに会いにいけない!!」
いっさい手元から視線をあげることなくイライラとおっしゃる殿下に、付き合う僕だっていい加減休みが欲しいですよと心でため息をつきます。
殿下がランドール嬢とともに『王家の別荘で五日間の休暇が欲しい』と申請したのが、この過酷な日々のはじまりでした。休暇をとるための条件として出されたのが、一ヶ月間で規定の量の仕事を終えること。ちなみに量を定めたのは王太后陛下です。
「のらりくらりの殿下がよく頑張っていらっしゃると思いますよ。もう二週間ですからね」
出された仕事量は一ヶ月間ギッチリ働いて終わるかどうかの微妙なもので、どういう予測をすればこの絶妙な匙加減に至るのかと逆に感心してしまいます。
「馬の鼻先にニンジンとはよく言ったもので、五日間の休暇がそんなに欲しいですか?」
「当たり前だ!! 馬でも犬でも何とでも言え! 俺は……次こそ決める! あいつの『おあずけ』をそう何度もくらってたまるか!!」
間髪入れずに言い返してきた言葉に思わず笑いそうになって、あわてて表情を引き締めます。あのボンヤリと流されるランドール嬢にいいように振り回されるなんて、殿下はどれほど惚れているのですか。ギリギリまで秘密にして最高のプロポーズを贈るんだと息巻いていますが、から回らないといいですけどね。
「僕には全く理解できませんが、一応精一杯お手伝いはしますので頑張ってください」
睡眠時間は平均四時間。あと約二週間は続くであろうこの状況を、殿下がよしとするならば必然的に僕も受け入れなければなりません。
「どこからどうみても全力で取り組んでるだろう。どこにこれ以上頑張る余地がある?」
確かにその通りで、僕は無言をもって殿下の言葉を肯定します。本当に少し前の殿下からは考えられないほどの頑張りですから。
ですが殿下はこれが終わればご褒美がありますけど、僕はただ主のために身を粉にしているだけで、目に見えた報酬がありません。モチベーションの維持のために少しくらいからかっても許されるでしょうか?
僕は気になっていたことを口に出すことを決めます。
「それにしても、あちらから会いに来る気配が全くありませんね」
「……」
会話中もいっさい止まらなかった殿下の手が僕の言葉にピタリと止まります。
「想いに温度差がないといいですが」
「!」
続いてビクリと体が震えました。
「あの方、王太后陛下贔屓ですからね。殿下がいなくても毎日楽しいのかもしれませんね」
「!!」
思わずといったように顔を上げた殿下と、今朝挨拶を交わして以降久しぶりに正面から目が合います。
「殿下、手が止まってますよ」
ギリリと殿下が歯を食い縛ったのがよく分かりました。
「くそったれ!! グレン!! 早くそっちの書類持ってこい!!」
はいはい。こんなもんですかね。僕ももう少し頑張りましょうか。




