まさかのおあずけ返し
ジルの私室に戻ってきて、さぁ私の固まった決意を聞いてもらうぞと意気込んでいたものの、一息付く間もなく扉がノックされました。返事をするより早く入ってきたのは第二王子殿下です。
「来ちゃったー」
「……ヨエル兄上、父上に部屋にいろと言われたでしょう」
良い笑顔の第二王子殿下と違い、ジルは目に見えて迷惑そうです。
「ま、ま、固いこと言わない言わない。兄上だって名前で呼ばせてたし、俺だけリナちゃんと距離が遠いから寂しくなっちゃってさ。ね?」
スタスタと距離を詰めてくる第二王子殿下の前にジルが立ちふさがります。
「……それ以上近づくな」
「うっわ! 嫉妬? 余裕がない男はモテないぞ」
ジルは兄君に腫れた頬を突っつかれ痛みに顔をしかめつつ、すぐさま勢いよく払いのけました。邪険に扱われているのをものともせず笑顔を崩さない第二王子殿下に、日頃のご兄弟の様子が垣間見えます。あまり話題に出てきませんでしたが、仲良しなんですね。
「少し位いいでしょう? リナちゃんにお礼が言いたくてさ。ありがとね」
私の方に向き直ってそれはそれは嬉しそうにニコニコする第二王子殿下。ですが、私は何かお礼を言われるようなことをしたでしょうか。
「継承権放棄できるのも君のお陰だから。俺さ、町に内縁の奥さんと娘がいるんだよね」
ええええー!? 突然の衝撃的カミングアウトに思わず目がかっぴらいてしまいました。
「で、ずっと継承権放棄して爵位も返上して結婚したいって言ってたんだけど許してもらえなくてさ。条件が兄上かジルのどっちかが王位を継いで、次の王太子が決まったらって話だったわけ」
ヨエル様が王位継承問題にお名前が上がらなかったのって、これが理由だったんですね。きっと暗黙の了解、見て見ぬふりな空気があったんでしょう。
「今回、二人がこの決断に踏み切ったきっかけは完全にリナちゃんにあるから、感謝してもしきれないなぁと思ってさ」
あ、こんな表情もできるんですね。すごく優しくて満ち足りた笑顔。オーラも暖かくてとってもいい感じです。イェリク様やジルにはないお父さんのお顔です。
「でもさ、本当にいいの? 今ならまだ逃げるのに手を貸せるよ?」
お父様を思い起こさせる表情を僅かに曇らせて、第二王子殿下に質問されます。ですが私にその選択肢はもうありません。首を振りかけたところを手で制され続きを聞かされます。
「正直、リナちゃんに対してはさすがの俺も少し罪悪感があるんだよね。生まれも育ちも王宮な俺が逃げ出す場所に、君みたいなまっさらな子が捕まるのかと思うとさ。しかもさっき母上の人身御供になるのも快諾したでしょう? いくらジルが好きって言ったってウェイトが合わないんじゃない? 本当にやっていける?」
心配してくれているのもありますが、少し……見極めたい気持ちもあるのでしょう。できるのか、務まるのか、やりぬけるのか、私だって先の見えない不安はあります。でも。
「……私、思ったんです。私の尊敬したり大事に思ったりしてる人達が認めてくれる自分に、もっと自信を持ってみよう、って。できないと言うのは、その人達を信じてないことになりますよね?」
疑問を投げ掛ける言い方になってしまいましたが、これが私の答えです。
「至らないところばかりだと思うのですけど、ぼんやりと受け身でいるのではなく努力したいんです。ジルの隣に立つのは私でありたい。第二王子殿下は私では背負いきれないと思いますか? 努力だけでは気持ちだけでは乗り越えられない程、私の器は小さいでしょうか?」
「……ヨエルでいいよ。ジル、良い子を見つけたね。うちの奥さんに会う前だったら惚れてたかも」
名前を許していただけたということは合格点ですよね? 握手を求められたので、迷うことなくしっかりと握らせていただきました。ですがその瞬間強く引っ張られてしまいます。
「!?」
「ヨエル兄上!!」
急に引っ張られたと思ったら、おでこにキスをくらいました。
無理矢理間に割って入ったジルが、私を背中で庇いながらかなり本気のパンチを繰り出します。ですがヨエル様は予測していたのか、ニコニコしながらあっさりかわしてしまいました。空振りをしてバランスを崩しながらもその場に踏みとどまったジルが、眼光鋭く睨みつけています。
「ちょっと刺激があった方が燃えるでしょ? って、リナちゃん。その反応ちょっとヒドイ」
引っ張った袖でおでこを高速でこすっている私を見て、ヨエル様が微妙なお顔をされました。からかうためだけにデコチューとか程度を誤ってますよ。
あれ? ですが待ってください。何だかデジャヴです。
「いいから早く帰れ!!」
「はいはい、わかりました。ジル、なんか可愛いね。前よりずっといいんじゃない? じゃ、リナちゃんもまたね!」
「二度と来るな!」
ジルの怒鳴り声もどこ吹く風、ヨエル様は笑顔で手を振りながら退出されました。パタンという音さえコミカルに聞こえるのは気のせいでしょうか。
「す、すごい人ですね……」
「……だから嫌なんだ。リナ、もう擦るな。赤くなってる」
惰性で擦り続けていた腕を取られて、扉に繋ぎ止められていた視線をジルに移すと眉間に深い皺が……。ヨエル様、本当に余計なことばかり言ったりやったり、ジルのご機嫌が下降してるではありませんか。コレを直す私の立場になってください。
何と話かけようか考えていると、突然予告なしに勢いよく扉が開きます。お顔を出したのはもちろんヨエル様です。
「言い忘れてた! もしリナちゃんが逃げ出したくなったら俺と奥さんとで一度は手を貸してあげる。俺をここから出してくれたお礼にさ。ジルもうちの奥さんには頭があがらないから安心して任せて。じゃあね」
ヨエル様はお顔だけを出した状態で言うだけ言って、ジルが追い出そうと体を動かすより早く再び扉を閉めます。慌ただしく表れて慌ただしく去っていきました。さすがオーラが真っ黄色。
ですが気になるのは最後の言葉です。
「ジル、ヨエル様の奥様とお知り合いなんですか?」
ジルまで頭が上がらないだなんて、どんな方なんでしょうか。すごく興味があります。
「……前に町で商売してると言ったのを覚えているか?」
確か眼鏡を頂いた時にそんなことを言ってましたね。覚えてますよ。私は頷きます。
「雇い主だ」
ヨエル様の奥様は商人なのでしょうか。王族を雇う商人って一体……。俄然興味が増します。もっと色々聞こうと口を開きかけましたが、先をジルに奪われてしまいました。
「それより、リナ。……クラッとしたか?」
「は?」
「お前は俺の顔が好きだって言ってたから。ヨエル兄上と俺は兄弟でそこそこ似てるし、そんな男にキスされて何か感じたか?」
んなはずないでしょー!! それって私の好奇心を遮ってまで聞くほどのことですか。
「あり得ません!!」
きっぱりと否定します。綺麗な男性にキスされれば誰もが喜ぶだなんて思わないでください。だいたい赤くなるほど擦ってたの見てたでしょう。
「……ヨエル兄上は女癖が悪いんだ。町に妻にしたい女と子ができたと事後報告された時は度肝を抜かれた。だがそれを期にいくらか更正してたのに……やっぱり全く変わってない。あの軽いノリに弱い女を何人見てきたことか……」
ご自分のことを棚に上げてなんたる言い草! ジルの場合はキラキラエフェクトですけど、十分効果を承知で駆使してたでしょう! その術中にはまった一人である私が証言しているのです。間違いありません。
「……私はヨエル様には何も感じません」
「絶対か?」
「絶対の絶対ですよ!」
いつだって鋭いくせに、私が『には』を強調したのをスルーしましたね。恥ずかしくて教えてはあげられませんが、私なりに最大限の意思表示はしましたよ!
「……今後逃げ出す可能性は?」
こだわりますね。流されるようにここまで来ましたが、今は私の意思でちゃんとこの場にいるんです。
「……さっき私の話を聞いてましたか? 私の尊敬する人達がガッカリするようなことはしません。でも……」
私が言いよどんだからか、不機嫌なお顔が一気に不安げに曇ります。あぁ! もう! そんなお顔する必要ないんですよ。言わせないでください。
「……ジルが私以外の女の人に王子様仕様じゃない本当のジルで接してたら逃げたくなる、かも……?」
チラリと上目使いで様子をうかがうと、ジルの嬉しそうな笑顔にぶつかり体が固まります。何度見ても、いくら見ても素敵です。確かにご兄弟でお顔は似てらっしゃいますけど、自分でも不思議ですが私がドキドキするのはジルだけです。それは最初から変わりありません。
「おでこ……消毒しとこう」
サラリと前髪をかき上げられました。
「えっ、大丈夫ですよ。大げさ……っ!?」
赤くなったおでこにジルの唇が柔らかく触れます。慌てて片手で押さえれば、ニヤリと笑うジルにその手をどけられ再び顔を寄せられました。そしてそのまま二度目をお見舞いされます。
「上書き、な」
そう言いながら一度顔を離し、そうかと思うと再び近づく麗しいお顔。ですが今度はおでこではなく……。
「こっちもいいか?」
吐息のかかる距離で色気たっぷりに囁かれます。顎を捕らえられてあと少し顔を傾ければ唇が触れてしまう距離での寸止めに、肺が、心臓が、血管が一気に爆発してしまいそうになります。
「だ、だめ!」
唇と唇が触れ合う間際、私はジルの口元を手のひらで押し返しました。ですが力加減を誤りジルの首がグキリと上に曲がります。あ、やり過ぎた。
「す、すみません。痛かったですか……?」
雰囲気もなにもかもぶち壊す私の行動に、思いっきり不満気な様子で見下ろされてしまいました。
「……なんで駄目なんだ」
な、なんでと聞かれましても。嫌ではないんですよ? ですが心的負担が重すぎて耐えられそうもないんです。
混乱して言葉を選ぶのに時間がかかっている私に焦れたのか、ジルは私の首もとにあるネックレスに手をのばしてダイヤの部分をつまみました。
うっ。これは言外にダイヤの報酬がまだだと言いたいんですね。私のキスごときがこの大粒ダイヤに勝るはずもないのはわかっています。
ですが『今からするぞ』『はい、どうぞ』みたいなの嫌なんですよ。もっとこう自然な流れというか、私が構えずに済む状況というか。もっと心臓に優しくというか。
私の続く沈黙を拒否ととったジルが、つまみ上げたダイヤにキスをして、そのまま上目遣いで見つめてきます。
「いつならいい?」
そのお顔、その眼差し……! 眩しい、眩しすぎる! 柔らかな金髪の隙間からのぞく碧色の瞳が切な気に揺れています。光輝く王子様が私のキ、キ、キスが欲しくて切ないお顔してますよ! どうなってるんですか!? どうしてこの人私のこと好きなんですか!?
……!! そうだ! どこが、なんで、どうして私のこと好きなんでしょうか。俄に気になりだしてしまったら、聞かずにはいられません。
「ジルは私のどこが好きなんですか? なんで? どうして? いつから?」
目に見えてジルが言葉に詰まったのが分かりました。その反応、不満です。
「そ、そうじゃなくて、俺はキスしたいって……」
少し体を引いたジルに詰め寄って、逃げられないように胸元部分の服をギュッと握ります。
「ちゃんと答えてくれたら! あ! プロポーズしてくれたら考えます!! それまでキスはダメ!!」
「なっ!? 俺はした! お前が寝てて聞いてなかったんだろう!」
いつの話ですか! そんなの知りません!
「聞こえてなかったらノーカウントですよ! プロポーズは女子の憧れです! 避けて通るなんて酷いです!」
ジルは私の言葉に考え込むように空中に視線をさ迷わせた後、再び視線を合わせてから随分と小さな声を出します。
「……お前も憧れるのか?」
その言い方、私が一般女子と違ってプロポーズに興味がないと言ってるように聞こえるのですけど。私だってちゃんとその範疇ですよ。
「はい、まぁ、人並みには」
アイコンタクト。お互いの真意を探るようにじっと見つめ合います。ですが前言撤回です。ジルが何を考えているのか、さっぱりわかりません。逆に私の思ってることはジルに通じているのでしょうか。プロポーズの言葉が欲しいです、と眼力に思いをのせます。
さらに見つめ合うことしばし。先にフッと視線を外したのはジルでした。
「……わかった。今日は諦める」
ええーっ!? 何でー!?
本日もありがとうございます!
次回更新で最終話となります!
一話の予定でしたが、ラストシーンのみで独立させたくなったので、短くなってしまいますが二話にわけて同時更新の形にしようと思います。
宜しくお願いします!




