黒いおなかは白くはならない
いつもより長めですが、切れなかったのでそのまま投稿しました。
宜しくお願いします。
まぶたを閉じていても分かる朝の光と、早い時間特有の鳥の声で眠りの世界から引き上げられます。ぼんやりと目を開けて広がるのは、ここ最近で見慣れた豪華な自室。首を巡らせれば、さっと視界を遮られました。
「……おはよう」
どうやらジルの掌で目を覆われているようです。起き抜けに強烈な発光を見ないように気遣ってくださって、ありがとうございます。
というか、私ってどうしたんでしたっけ? 今ってどういう状況なのでしょうか。
「あの、おはようございます。えっと……」
「……ん」
一旦離れたジルの手が、鼻と耳に触れます。慣れた重みを鼻先に感じて、私は安心して目を開けました。
「っ!? ジル!! ほっぺどうしたんですか!?」
私はがばりと起き上がると、ジルの左の頬を凝視します。赤くなって腫れています! ジルの、ジルの麗しいお顔がっ! 腫れた頬を触ろうと、おそるおそる手を伸ばし、直前で止めました。
「いや、なんでもない。それより、お前……」
「なんでもなくないですよ!? どうしたんですか? なんで? い、痛そう……大丈夫ですか? 何か冷やすものを……」
あぁ、もう、いつの間にこんなことに! 見てるこちらが痛いです。ベッドから降りようと足を出したところで、またもジルに止められます。
「いいから。ちょっと聞け」
両手を繋がれてベッドに腰かけた状態で向かい合います。
「お前、寝る前のことどこまで覚えてる?」
真剣なジルの表情にドキドキします。好きな人と見つめあうだけで、こんなにも体が熱くなってしまうなんて。繋がれた両手だって一気に汗ばんでしまいました。動悸と発熱と発汗を身をもって体感することで、自分の恋心を再認識します。はぁ、ジル、格好いい。
………って私、見惚れている場合じゃない! 恋心! そうですよ! 寝る前にジルへの恋心に気がついて告白したんじゃないですか!! 私は繋がれた両手に力を込めて握り返します。
「ジル、好きです」
グっとジルが息を詰めました。
「そ、それは知ってる。そうじゃなくて、お、俺の話はどこまで聞いていた?」
俺の話? 私が告白した後、ジルって何か言っていましたっけ? うーん。あ! 今回の騒動の謝罪をされて二度とこんな目に合わせないって……あと何でしたっけ?
ちょと待ってくださいよ。これって私、告白の返事をもらってませんよね? 自分の気持ちを伝えたところで力尽きたんだ! そりゃそうですよ。徹夜からのあのオーバーワークですよ? ヘロヘロで限界振り切ってるのに、興奮状態にあったからかろうじて起きていられたようなものです。
ジルの答えが欲しいです。皆様とのお約束もありますし、結果をちゃんとご報告したいです。何より中途半端な状態では、私の精神衛生上よくありません。今思い起こせば、あんなに熱烈に告白をしたんです。これはいたたまれない。うわ~、猛烈に恥ずかしいです!
「ジ、ジル、あの、返事が欲しいです」
急激に緊張してきて、また心臓がうるさいです。一番のオーバーワークは心臓ですね。
「……と言うことは、ハナから寝てたということか」
ガックシ。という擬音が聞こえそうなほどジルが肩と頭を下げました。
「……俺もお前が好きだよ。リナが俺を好きになるずっと前から、な」
ジルが私の頭をグシャグシャと鳥の巣にします。
「さて。目を開けた時に最初に会いたかったからここにいたが、戻る。お前はゆっくり朝食をとって後で来てくれ」
最後に頭をポンッとして、そのまま出て行ってしまいました。
あ、あれ? なんだか、扱いが軽くありませんか? 両想いってことですよね? すごく不安……不満? 肩透かしをくらった感じです。なぜだ。
◇◆◇
「リナです。いいですか?」
すぐにお返事をいただけたので、扉を開けます。眼鏡も装着済みで準備万端です。部屋に入って顔を上げたところで、息が止まりました。
グ、グ、グレン様のお顔が!! すっごく腫れてる!! 腫れ方がジルの比ではありません。
その場から微動だにできない私に、グレン様はいつもの平坦な口調で一瞥します。
「突っ立てないで早く来てください」
そ、そんなことを言われましても。こ、これツッコんでいいところですか? ま、まさか!! 皆様が鉄拳制裁を……い、いや、そんなはずないですよね? ジルに視線を移すと、しらっと目線を外されました。ジルか!! あれ、じゃあジルのほっぺは? なぜこんなことになっているのか、全くわかりませんが、男二人で何をやってるのでしょうか。
「……グ、グレン様。お顔、大丈夫ですか? 手当てをした方が……」
ジルのは赤くほんのり腫れてるかな? という程度ですが、グレン様のは違います。だって腫れた左側の目も開け辛そうですよ。色も、ちょっと、これは……。
「この度の無作法の始末として、自然治癒するまで放置しろとのご命令なのでお構い無く」
チラリとグレン様がジルに視線をやります。おおおぅ。ということは、あれですか。今回の件におけるお仕置き兼戒め的なものなんですね。かなりバイオレンスです。
昨日皆様と話している場にいらした時には、この状態だったのでしょうか。そういえば、メルリア様がお二人が部屋に入るやいなや『ひどい顔』って表現してましたから、あの時は既にこの状態だった、と。
ジルが私を思って怒ってくれたのは有り難いですが、強制的に私も治るまでこの顔を拝み続けなきゃいけないという。恐る恐る足を進めて執務机の前まで来ましたが、間近で見ると痛そうで痛そうでゾクゾクします。
チラリチラリと様子を伺っていると、グレン様は何を思ったのかいっさい表情を動かすことなく、私の前に跪きました。何事!?
「エルヴァスティ国第三王子ジルベルト・トレイス・エルヴァスティ殿下と、その未来の妃たる方リナ・ランドール嬢に忠誠を誓いたく。お許しをいただけませんか?」
はぁ!? なんじゃそりゃー!! 私は慌ててジルを見ます。
「俺はお前が許さなければ受けないと言った。好きにしろ」
「ど、ど、どうして!?」
「お前が許すか許さないかどちらかだ。正式なものでも何でもない。気持ちの上でのものだから、好きに返事をしていいぞ」
ずいぶんと緩いですね。というか、グレン様いつまで頭下げてるんですか。私が許すまで? もし断ったらどうなるのでしょう。私はグレン様のオーラを伺おうとほんの少し眼鏡をずらし……ですが慌ててキッチリかけ直しました。わかってますよ、自分が押しに弱いのは十分過ぎるほどわかっています。わかってますが! この状況で断れる程私の精神力は強くないんですよ。だって、グレン様、平然を装ってますがオーラは十分戸惑いに揺れてます。こんな頼りない様子を見せられたら……。
「ゆ、ゆ、ゆ、許します……」
「有り難き幸せに存じます。以後お二人の不利益になることは絶対にいたしません」
どもりながらの私の返事に、グレン様は答えるとスッと立ち上がります。他の人が見れば何事もない振る舞いでしょうけど、私は心情を垣間見てしまったので虚勢をはっているだけだと分かっています。
グ、グレン様どうしちゃったんですか。人が変わってしまったみたいです。大丈夫かな? 頬に受けた一撃で脳ミソまでダメージがいってしまったりとかは……。
あまりに不信感をつのらせる表情をしてたからか、ジルが小さく笑っています。
「二択を迫られたようだ。オルディス嬢達にな」
二択? それはグレン様の得意技ですけど、皆様どんな二択をさせたんでしょうか。
「剥いて好色爺に引き渡されるか、お二人に真実の忠誠を誓うかを選べ、と」
あー!! それか!! 皆様に連行されて即剥かれずに、執行猶予付きでこの場にいたってわけですね。すごい。どっちに転んでも嫌な二択。グレン様もビックリですね。自分の十八番で責められるなんて思ってもみなかったのではないでしょうか。
そして、これ、もし私が忠誠を受けなかったら……。
「……グレン様、剥かれなくて良かったですね」
「えぇ、そうですね。敬称も外していただいて結構ですよ」
今さら呼びつけなんて逆に言いづらいですよ。それに声がすごく平坦なのですが。一応忠誠をもらった立場ですけど、これ、本当に大丈夫でしょうか。
疑いの混じる視線をグレン様……グレン……言いにくい……に向けると、ニヤリと笑われました。もう、これ、言うまでもないですよね。嫌な予感しかありません。人ってそうそう変わるものではないですから、何を言われるのか。私はゴクリと唾を飲み込みました。
「……早速ですが。お二人の今後についてお話させていただきます。ご結婚は一年後を目処としまして、その間は分刻みでスケジュールが入るとご承知おきください。特にランドール嬢には、気を引き締めて事にあたっていただきたいと思います」
は……?
「また、まだ内示も出ていない状況ではありますが、現国王陛下退位後は王太子であるイェリク殿下が後を継ぐことになります。それと同時に我が殿下が立太子されることとなりました。そのことにつきまして……」
「ちょっと! ちょっと、待ってください!!」
な、な、な、なんだって!?
「結婚? スケジュール!? 立太子!?」
「そのように大きな声を出されては先が思いやられますね。ランドール嬢は殿下とのご結婚を了承なさったのでしょう? 王妃陛下からも王太子の子を産めとのご下命があったとか。そのように狼狽なければならない話がありましたか?」
ええええーっ!? どこがどうしてそうなった!?
私、結婚の了承は……したことになる、のでしょうか? 了承という表現に語弊があるような。
ですが、両想い。そうか、思えば当然の流れなんですね。『珍獣』で『警報器』だと思ってましたが、私は『お妃候補』なんですよ。両想い、選ばれる、即ち結婚。どこにも不自然な点がないですね……。
それで、私のお相手はトリアンナ様から『王太子』と明言されたので、ジルが立太子して……。ん? どっちが先でどっちが後なのでしょうか。確かにトリアンナ様から王太子の子をというのは言われましたが、ですがあれって、イェリク様の子をという意味ではなかったんですか? ジルが王太子になったらジルの子を? 大混乱です!
「深く考えるな。俺のことが好きなんだろう? ドキドキするのも側にいたいのも俺だけなんだもんな?」
ぐはっ! な、なんでしょう! この羞恥プレイ!
ジルは意地悪な笑顔全開ですが最高潮に嬉しそうで、その表情が私の羞恥心を煽ります。確かに言いましたよ。そんな気持ちにもなりました。でもそれをここで言っちゃいますか? ダメでしょう。アレ、極度の寝不足と疲労で頭のネジがぶっ飛んでたんですよ! じゃなきゃそんな恥ずかしい発言できるはずがありません。
「今さら他の男の嫁になんてなれるのか? その髪を触られて、抱き寄せられて、耳元で囁かれて。それをお前は受け入れられるのか? 例えばグレンとか」
チラリとグレン様に視線をやって目が合った瞬間、大きく身震いが生じます。ない。絶対にない。
「……ずいぶんと失礼な反応ですね。ですが僕もお断りです」
ええ、そうでしょうとも。ちょっとジル、ここ笑うところじゃありませんよ。変な例えを出すから悪寒が走ったではありませんか。
「わかっただろう? だから諦めろ。俺に落ちた時点でお前の未来は決まったんだ」
今さらジルの隣に誰かが立つのを端から見るなんて考えたくもありませんが、だからと言って、その場所が未来の王妃が立つ場所なんだと言われたら……。自分がこの国の女性のトップに立つなんて想像できません。
「お前は俺の隣で笑ってればいいから」
ジルのゆるい発言に思わず目を見開きます。私だってできればそうありたいですよ。ですが王妃となればそれじゃ済まないではありませんか。それに私の側で笑っているのはジルの方です! どちらかと言うと私は、困ってるか不機嫌になっているか恥ずかしがってるかって感じなんですけど。だいたい、ずっと扱いが軽いんですよ。私のこと本当に好きなんですよね……?
口をへの字にしたまま見上げると、ジルはやっぱり嬉しそうな顔をしているだけです。
「話は纏まりましたか?」
「ま、纏まってなんかいません!」
どこをどう解釈すれば纏まったことになるのやら。私の大きな否定の声に、グレン様はあからさまにため息をつきました。
「落ち着くところに落ち着いただけではありませんか。他所に行くのが無理ならば、このまま殿下の元にいて何の不都合があるのです」
すっかりいつものペースのグレン様ですが、それでも私をしっかり正面からとらえて話しかけてきます。今までは斜めに構えて横目で見られる感じだったんですけど、先程の忠誠云々の決意の表れでしょうか。しかし、今はそれはどうでもいいです!
「……ジルのことは、す、好きですよ! でも将来の王妃なんて私には荷が重すぎます!」
両手を握りしめて足を踏ん張ります。流されるまま引き受けて役目を全うできなかったら、私一人の問題では済まされません。
「王妃に必要なことは何だと思っているのです?」
「……世継ぎを産んで、政治に参加して、社交を頑張らないといけないと思います」
子供を産むのはどなたの妻になっても同じですが、政治と社交の比重は言うまでもありません。
「世継ぎは貴女だけでなく、殿下の頑張りにも関わることなので除外します。政治は今から死ぬ気で学べばいいでしょう。社交は国内に関して言えば、もうクリアーしてるも同然ではありませんか。彼女達を掌握していれば他はなんとでもなります」
『彼女達』ってそんな嫌そうに言わなくても。
ですが、グレン様の見立てでは、死ぬ気で頑張れば私にも務まるということですか? 本当に? こんな私でも?
「……で、ですが、やっぱり、私はトリアンナ様のような立派な王妃になれるとは思えません」
「お前はお前のままでいいんだ」
なんですか! 先程からのその甘やかし発言は! いいはずないでしょう! いぶかしんで寄せた眉毛にジト目でジルを見ますが、返ってくるのは優しい視線です。
「殿下の言い方では伝わりませんよ。ランドール嬢、誰が現王妃と同じものを求めたのですか? 貴女の評価すべき点は、呆けた顔で無害を装い万人をタラせるところです」
なんですかそれ! 誉めてない! 絶対に誉めてない!!
片手を眉間にあてたグレン様が頭痛を堪えるような顔をされていますが、その反応をしたいのはむしろ私です。
「先程殿下もおっしゃっていましたが。貴女のような緩い脳味噌をお持ちの方は、殿下への想いを自覚した時点で他の男性に嫁ぐなど絶対に無理でしょう。ご結婚した時としない時のご自分の状況と感情を想像して、天秤にかけてごらんなさい」
褒めてないどころか、完全に馬鹿にされてる! 安定のグレン様の対応に、何か言い返してやりたいのに否定できないところが悔しいです。天秤にかけなくたって私だって本当はわかりきっているんですよ。ただ覚悟が決まらないんです!
「はぁ、全く……。貴女より能力の高い女性はいくらでもいますが、貴女以上に周りに望まれている女性はいません。それでもまだ悩まれますか?」
「リナ、何より俺はお前がいい」
「ジル……」
いつの間にか側によってきていたジルに、キュッと手を握られます。見つめあってしまったら言葉が出てこなくなってしまいました。少し眉を下げたジルの表情と、握られた手の甲をグレン様からは見えないように親指で撫でられたことで、顔に熱が集中します。だめだ! 好きすぎます!
「決まりですね」
「えっ!?」
グレン様は短く言うと、さっさと扉に向かってしまいます。
「さて、両陛下のところに乗り込むか。覚悟はいいな?」
「よ、よくな……、っ!?」
否定の言葉をいい終える前に、頬にジルの柔らかな唇が触れます。後ろを向いてはいますが目の前にグレン様がいるでしょー!? 慌てて頬に手をあててジルを見上げると、バチっと片目をつぶられました。そしてもう一度顔を寄せられて耳元で囁かれます。
「お前が好きだ。二人の未来のために頑張ろうな」
わずかに触れた唇と吐息の感触にめまいを起こしそうです。いつにも増して破壊力が凄すぎます。
いえ、もう、無理ですよ。動悸と息切れで、私には頑張る余力ないですから!
本日もありがとうございます!
たぶんあと三話くらいで完結です! とか言わなきゃいいのに……。
でもきっとあと三話くらいなんですよ……えぇ、予定では……。




