嵐と凪と
「雨降って地固まったようですね。殿下は机の上の物、よろしくお願いします。ランドール嬢は……着替えていらっしゃい」
殿下の私室の扉をくぐった後も繋がれていた手に、しっかりグレン様の視線が止まったのを感じました。恥ずかしいのでいい加減離して欲しいです。
最後の抵抗とばかりに勢いよく振ると、パッと離してくれました。ですがあっさり離されすぎて、勢い余って少しバランスを崩してしまいます。キッと見上げるとまたあの意地悪な顔ですよ。本当に質が悪い。
「別に今日は部屋から出る用事ないし、このままでいいだろう。こいつ一度離すと帰ってこなさそうだし」
なんという信用のなさでしょう。
「昨日からの報告も早く受けたいしな」
そうでした。お仕事は報酬分、きっちり働かせていただきますよ。
「まずは王妃陛下のオーラの様子から伺いたいですね。殿下から少し話はお聞きしましたが、どうやら思っていた状況と違うようですので」
そうです、私もトリアンナ様のオーラを見てびっくりしました。最初に持っていた勝手なイメージとあまりに違いましたから。
「結論から言いますと、王妃陛下は良い方だと思います。私はあんなに綺麗なオーラをはじめて見ました。深い紺色が外側に向かって青紫に変わっていく感じで、そこにシルバーの輝きがかかっていて。星屑が煌めく宵闇の空を見たようなオーラです。荘厳で清謐で、そして少し寂しくて……。とても自己の欲を追って、周囲に害悪をもたらすような方には見えません」
「俄には信じられませんね」
お二人とも考えこんでしまわれました。何年間も持ち続けたイメージを、私の一言で払拭しろと言う方が無理ですから、その反応もわかります。
「それにひどい言葉の数々もご本心からではないと思いますよ。オーラに当てられて涙が出たなんてはじめてですし……。とにかく、私は王妃陛下は絶対に悪い方ではないと思います!」
「ずいぶんな入れ込み様ですね」
何ですか、その疑うような眼差しは。私はいっさい心やましいことなどありません。負けないように睨み返します。
「……なに睨み合ってんだよ。とにかく固定概念から離れて色々と見直すべきかもしれないな。元々俺の妃候補騒ぎで波風も大きくなってきてる。長く続いた膠着状態も終わりだ」
その瞬間に立ち会いたくありませんでしたが、肩までどっぷり浸かってる私も、しっかり渦中の人なのでしょう。気が重いです。
「そうですね。ランドール嬢、貴女もくれぐれも気を付けてください」
「は?」
「なにを呆けた顔をしているのです。当たり前でしょう。殿下の妃候補筆頭となれば、王妃派からすれば邪魔な存在ですから」
グレン様が嫌そうな顔をして続けた言葉に、私は噛みつきます。だって絶対におかしいです。
「ちょっと待ってください! 私がいつ筆頭になったというんですか! いつもの悪い冗談ですよね!?」
「私は冗談は言いません。殿下との仲をあれだけ見せつけておいて何を寝ぼけたことを。しかも噛みつく相手を間違えています。責めるなら我慢の利かない殿下を責めなさい」
呆れきった様子を見せるグレン様にイラつきましたが、一旦放っておくしかありません。いちいち気をとられていると話が進まないですから。私は慌ててジルベルト様を見ます。
「……すまん」
それは何についての謝罪ですか!
大体見せつけるって、ダンスでちょっと空中三回転したくらいではありませんか。……まぁ、楽しかったですけど。
目立ってしまったという点では、イェリク様やトリアンナ様とお話ししたり、国王陛下とお会いしたりと色々とあったので否定はできませんが。
「殿下、火急に伝えたき議がございます。入室の許可をいただきたく!」
ノックと共に扉の外で聞いたことのない声がします。なんだか緊迫した雰囲気ですが……。
「入れ」
たった三文字の言葉に王子様らしさが滲み出ています。
言葉と同時にやはりお会いしたことのない方が入って来ました。私にチラリと視線を寄越します。
「構わん。話せ」
「はっ! 国王陛下が執務中にお倒れになり、現在医師の診察を受けております。意識もお戻りになられていません」
ガタンっと大きな音を立ててジルベルト様が立ち上がります。国王陛下がお倒れになったって……。
「すぐ行く。リナ、部屋に戻れ。しばらく出るなよ」
ここで嫌だというほど空気読めない女ではありません。黙って頷きます。
私の様子を数瞬見つめて、ジルベルト様は先程の方を連れて行ってしまわれました。
「ランドール嬢、雲行きが怪しいです。くれぐれもご自重くださいね」
ですから、そんな空気の読めない女ではありません。大体、雲行きが怪しいどころか嵐の前触れじゃないですか……。
◇◆◇
「リナ様、お父上様がお見えですが、お通ししてもよろしいですか?」
「お父様が!?」
そう言えば、色々ありすぎてすっかり父の存在を忘れていました。
「リナ、やっと話せるかな? なんだか色々と忙しそうだね」
お父様……あいかわらずのマイペース具合ですね。気が抜けます。大好きです。ちょっと疲れたシャツもお父様らしくて素敵ですよ。
「そろそろお暇しようと思って、その前にリナに会っておかなきゃって、ね?」
お父様の笑顔には和み効果と癒し効果があります。うー。一緒に帰りたい……。
「お父様、私……」
「だめだめ、リナはまだやることがあるだろう?」
秘密の話をするように人差し指を唇にあてながら微笑むお父様。
「すぐ帰ってくると思ってたリナが王宮で妃候補として過ごすと聞いて、私も母さんもとても心配だったんだ。何の用意もしてあげられないのも心苦しくて。でも殿下のような方のお目に留まったのなら安心だ」
何を言ってるのですか、お父様。全然安心じゃありません。今不安でいっぱいですよ。国王陛下が倒れて、これから先どうなってしまうのでしょう。
それに、そもそもここにいる私の存在意義からして、お父様は真実を知りません。だからそんな悠長なことを言っていられるのです。
そんなのほほんとした顔を見せられると、むずむずします。そろそろ私も、一人で黙って溜めているのも限界です。ここでお父様と会ったのもタイミングというもの。もういいです、全部吐き出してしまえー!
「お父様、違うんです! 私、お妃候補としてここにいるんじゃないんですよ!!」
「ん?」
私は堰を切ったように、怒濤の如く今までのことを訴えました。能力がばれていること、珍獣枠で警報器なこと。はっきりくっきりと。
そしてなかばヤケっぱちに、ジルベルト様にイェリク様にトリアンナ様のことまで、全部全部ぜーんぶぶちまけました! 話す間にボルテージが上がり、止めようにも止まれません。私の小さな胸に留めておくには容量オーバーだったのですよ。今までよく我慢してました。
お父様は途中で口を挟まず、黙って最後まで聞いてくれます。やや困惑気味の表情をしてますが、本来ならもっと仰天して欲しいところです。
「う、うーん。すごいな。とりあえず一つずつね。『珍獣警報器』は最初の時点では……そうだな、リナの言い分は否めないけど、夜会での殿下を見たらとてもそうは思えないよ」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味だよ。まぁ、そこは自分で考えて。『王位継承問題』は、リナが他人の気持ちに聡いから混乱しちゃってるんじゃない? リナだってよく知ってるでしょう。大事なのは誰が一番か、何を優先したいか。シンプルでいい」
確かにそうですけど。何かに迷ったら最初にそれを考えるようにしていますが……私が今一番に思ってることって何なのでしょうか。最初は家に帰ることでしたが、うーん、モヤモヤします。
私が悩みはじめてしまったのを見て、お父様は眉毛をハの字にしました。
「……しょうがないな。悩んでる時点でもう答えは出てるよね。リナ、殿下のこと好きでしょう?」
「は!?」
「嫌いなの?」
「す、好きか嫌いかで聞かれたら……好き、ですけど。でも、それは!」
何と言う質問をしてくるのでしょうか。自分の顔が赤くなっているのを感じます。お父様にこんな表情を見せるのは、恥ずかしいことこの上ないです。
「うんうん。わかってるわかってる」
「お父様!!」
あしらわれてる感が半端ないです。いつもは私の方が上位なはずなのに、気まずいやら、悔しいやら。
「リナはこういう話は好きじゃないと思うけど、貴族令嬢として第三王子と結婚するのはいい条件だよ? うちの今の現状だと変な男しかよってこないし、私もそんな男にリナを渡したくない。だからってずっと独身というのも、ねぇ。しかもリナも殿下に対して嫌悪感がないなら素直に乗ればいいんだよ、玉の輿!」
「……」
そんな簡単に考えられれば、最初から困ってないですよ。それができないから、ずっとモヤモヤしてるのに。
「思うにリナは家が居心地いいんだね。だからマゴマゴしてる。これが厳格な家だったりしたら、条件見て即決だよ。それともランドール家もこれから厳しくしちゃう?」
「そんなに私を追い出したいんですか!」
私はこんなに家を家族を愛してるのに、お父様はあっさり嫁に出そうとするなんて。ひどい、ひどすぎる。
「まぁ、まぁ、そういう考え方もあるよって教えただけ」
なんだかもう、お父様がわかりません。恥ずかしい悔しいもどかしいで、目頭が熱くなってきました。八つ当たりもいいとこなのは分かりますが、お父様相手にこうなれば激情を叩きつけてやる!
「そんなこと言ったって、ジルベルト様が私を選ぶかどうかまだわからないじゃないですか! 私、あのタラシ王子が何考えてるか全然わからないんですよ! いつだってからかわれ損なんです!!」
私の八つ当たりなどどこ吹く風。お父様はいつもの和み系スマイルです。
「ははっ。そこは勇気を出して逆プロポーズ、かな? 殿下の立場を考えると、リナも十分優良物件だよ。立場で言えば、バシュレ嬢とリッチモンド嬢と同じだし、万が一不測の事態があっても、リナならへこたれずについていけるんじゃない?」
「……」
暖簾に腕押し……。熱くなれば熱くなるだけ恥の上乗せをしている気分です。
「まぁ、冗談はこのくらいにして、とにかく大丈夫だよリナ、大丈夫! 人生はなるようにできてるから!」
〆の言葉が『なんとかなるさ!』って……。お父様らしい発言に眉間に力を入れていたというのに、口元が笑みの形に曲がってしまうのを止められませんでした。敗北感です。ですがこれがあるから憎めないのですよね。
大部分は参考にならない話でしたが、気持ちを吐き出したからかすごくスッキリしました。もう少し頑張れるかも。このタイミングでお父様に会えて良かったです。
「じゃあ、帰るけど……。殿下のこと信じてあげていいんじゃないかな? 私は、殿下は信じるに値する御仁だと思うよ」
「……」
せっかく感謝の思いでいっぱいで、気分的にも軽くなったところでしたのに、最後の最後で微妙な気持ちになってしまいました。だって、今までの経験上それって一番ダメなパターンではありませんか。お父様、それで何回騙されたんでしたっけ?
本日もありがとうございます!
物語が佳境に入って、一日に起こる出来事が多すぎます……。私も大混乱(-""-;)
夜会が終わって、この話までが次の日です。




