4月6日 月曜日
今日は入学式である。ほとんどが友達との再開を喜ぶ日だ。
入学式は学校の体育館で行われた。
体育館の入り口には紙が貼っており、そこにどこに座るのかを示していた。
僕はその濁った白い紙を見て冷たい鉄パイプの椅子に座った。
少し早かったようで、周りには2、3人しかおらず、そのいずれも知り合いではなかった。
僕は、太陽の温もりがまだ冷えきっていない鞄から本を取りだし読み始めた。
少し経つと鰯の群れの様に人間の塊がぞろぞろと入ってきた。それに伴って中学の頃の友達が話しかけてきた。世間話みたいなたわいもない会話を交わしあった。そして何故かほとんどの友達に、お前何か変わったな、と言われた。きっと亡霊のせいだろう。
それからいくらか経ち、ついに入学式が始まった。
風貌とは違い妙に元気のいい校長が式辞を読み始めた。そして僕は寝ようとした。
しかし、友達の言葉がどうしても気かがりになっていた。何故彼らは僕を変わった、と言ったのか。
正直なところ僕は全く自覚をしていなかった。果たして本当に変わっているのか不思議である。僕とは客観的な僕と主観の僕がいる。いったいどちらが正しいのだろうか。
(それは、分からないさ。)
急に亡霊が僕に話かけてきた。
「ただ、主観と客観はただの距離の違いさ。主観の方がよりお前に近いだけ。」
と続けて言ってきた。
「なら、本当の自分を理解するためにはどうすればいいの?」
と僕は聞くと
「本当の自分とは決して断言できる存在ではないよ。本当の自分とは否定により理解できるものさ。」
「否定?」
「そう、つまり何々ではない、と言えるものだ。君が今見えてる椅子や、体育館の床は君が認識してるものだから、君ではない。つまり、認識できないものが本物の君だよ。」
「なるほど、でも僕は僕を理解してるつもりだよ。僕も僕を理解してないの?」
「そうさ。例えば君が今家に帰りたいと思ってる。しかし、急に君の好きなロックバンドが現れて演奏し始めたらあなたは家に帰りたいとは思わなくなる。君は今この瞬間を理解しているだけで未来を含めると結局不変の本当の自分を理解することはできない。」
「でも未来を含んだらそれは不可能だよ。だって未来になるまで未来の自分は存在しないんだよ。」
「確かにな、なら占いとか、心理学などのものにより、気づかなかった自分に気づく人もいるね。例えば、恐怖症の原因とかは特にそうだね。」
「なるほどね。確かにそういう所はあるね。ただ基本的に自分のほとんどは自分しか理解できないよね。」
「そうだよ、でも自分の全てを表すには否定による方法しかない。自分に最も近い自分よりも、遠いところにいる他人でないと理解できない自分もいるのさ。」
それを最後に亡霊は話かけなくなった。そうこうするうちに入学式は終わり、自分のクラスのところに行き、異様に長く感じられた今日は終わった。