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「ほら、わかったら俯かないの。いちにのさん、で顔上げて」

今回はヒロイン、菜々美視点でお送りします。


 

「なっ、何を笑ってるんですか!?貴方のやったことは全部、理事長に報告してあるんですよ?だからもう……やめてください。彼らには彼らの心があるんですから」

「心?心ですって?ふふっ、ねぇ【ヒロイン】さん、本気でそんなこと仰ってるの?」

「当たり前じゃないですかっ!【生徒会長】先輩にも【副会長】先輩にも【書記】君や【会計】さんにだって、それに【顧問】先生にも!」

「……じゃあ貴方、そんな大事な大事な彼らの名前、ご存知?わたくしの名前は?」

「え、…………っ?それ、は……貴方は【悪役令嬢】先生、で……」

「ふふふっ、言えないのね?ええ、言えなくて当たり前ですわ。だってここは……貴方がだぁいすきな、【乙女ゲーム】の世界ですもの、ね?所詮皆、プログラムでしかありませんの。名前なんて、ましてや心なんて……うふふふふふっ」


 普段清楚な【お嬢様】の、妖艶な笑み。

【ヒロイン】である彼女は、ただただそれに見蕩れて声が出せなくなってしまう。



「……ちょっと【ヒロイン】ちゃん……セリフセリフぅ」

「え?あ、ごっ、ごめんなさい!!」


 台本ホン読みの途中で流れをぶった切ってしまった【ヒロイン】ちゃんこと柚木菜々美は、自分に向けられた迷惑そうな目、どうしたんだと心配する目、興味津々の目などを感じながら、ぴょこんと勢い良く腰を折った。

 …………椅子に座った姿勢のまま。

 次の瞬間ゴンッという自業自得な音が室内に響き渡ったことで、周囲の人達も『報いを受けたんだからこれでチャラ』だと感じてくれたらしい。しらけた空気が一気に和んだ。


「あー、そんなわけでー。ちょうどいい時間でもあるんで、お昼休憩入りまーす。【ヒロイン】はおでこの手当て、ちゃんと受けてくるようにねー」

「……はぁい。すみませんでした」


 スチール製のデスクにぶつけた所為で真っ赤になってしまった額を押さえつつ、菜々美は情けなさそうにへにゃりと眉を下げた。




「まぁまぁ、そう落ち込まないで。まだ台本ホン読み始めたばっかだろ?ミスやらかすたんびに落ち込んでたら、ロケ入ったら立ち直れなくなるぞ」

「うぅっ……芸能界ってやっぱり厳しいです」

「うん、まぁ俺もそうやって落ち込むことばっかだけど。厳しいだけじゃないってわかるから、どうにかやってけるんだよ」


 まだ個人の楽屋をもらえない新人組のために用意された、小さな控え室。

 そこで向き合ってお弁当をつつきながら、主役二人はほぼ同時にため息をついた。


【ヒーロー】役、桐生彰。所謂『イイところのお坊ちゃん』として生まれた彼は、友達が冗談のつもりで送った履歴書が新人アイドル発掘オーディションに通過したことで、猛反対する家族を説き伏せて芸能界入りしたという経歴の持ち主である。

 目鼻立ちのはっきりした男らしい顔立ちをしているのに、いかにも育ちのいいお坊ちゃんだとわかるふんわりとした、どこか天然っぽい雰囲気を持っている所為で『かっこいい』より『かわいい』と言われる方が多い。

 今年22歳になる本人はその評価に不満げだが、同年代の女子をはじめ年上の主婦層にも可愛がられるタイプだからと、事務所側はその『かわいい』路線でしばらく行かせるつもりのようだ。


 そして今回大抜擢を受けた【ヒロイン】役、柚木菜々美。

 彼女はもともとティーンズ雑誌の読者モデルとして同じ学校の友人とちょくちょく表紙を飾っていた。

 そして今回のドラマ企画が持ち上がった時に『オーディションを受けてみないか?』と事務所のスカウトを受け、その初々しい仕草や可能性を秘めた演技力などを買われて見事合格となったシンデレラガール(死語)である。

 彼女は今年短大に入ったばかりの十九歳。ふんわりフェミニンな内巻きカールを施された明るい茶色の髪にカチューシャをつけ、今日はちょっと大人っぽい雰囲気のスーツに身を包んでいるのだが、可愛らしい見た目のためリクルート活動中の若者にしか見えないのが些か残念、といったところか。



「にしても、見事に俺らだけなんだけど……」

「本当。がらんとしててちょっと寂しいですね」


 一応人数分の弁当は用意されているが、大御所達は外に食べに行き、分刻みのスケジュールで動いている売れっ子達は楽屋で打ち合わせ中。若手の中でも例えば由羅などは、希の楽屋で一緒に食事という形を取っているのでここにはいない。

 先ほどまでちらほらとスタッフの姿は見かけたのだが……まだこの雰囲気に慣れずに緊張しっぱなしの菜々美を気遣ったのと、この機に年齢が近い者同士仲間意識が芽生えればなお良し、とさりげなく席を立っていってしまった。


「でさ、さっきはなんでぼーっとしてたわけ?具合でも悪かった?」

「いえ、全然!でもあの……空気に呑まれちゃって。真壁さんってまだ二十代ですよね?なのにベテランの織田さんとか二階堂さんとかと対等っていうか……威圧感っていうのを感じちゃって」


 織田は【学園長】役、二階堂は【担任教師】役だ。織田は芸暦が長いこともあり既にベテランの域だが、二階堂にかいどう 涼子りょうこという女優は年齢にするとまだ三十代半ば、だが早々に結婚して子供にも恵まれたこともあって落ち着いた、大人の女性という役柄が定着している。

 今回のドラマでは、担任クラスの生徒である【ヒロイン】を守ろうと、実は【学園長】から送り込まれた臨時講師である【悪役令嬢】を何度となく問い詰めたり、【ヒロイン】への嫌がらせから庇ったりする役どころを演じる。


「真壁さんか……うん、確かにあの人が喋ると周りの空気が一気に変わる感じがするんだよな。ぐっと大人っぽい時もあれば、可愛らしい顔する時とかあってさ。これ別人じゃね?ってびっくりさせられたりして」

「才能ある人って本当にいるんですねぇ」

「ほんとほんと。天才か!って思うよ」

「…………何にも知らないくせに」

「っ、え?」



 桐生の視界の端、菜々美からは斜め後ろに位置する扉に凭れかかるようにして、いつの間にか由羅が腕を組んで立っていた。

 その顔は、希と一緒にいた時とはそれこそまるで別人。不快さを隠そうともせず、いつもの『頭軽そうなキャラ』は微塵も感じさせない冷ややかさを纏っている。


「あー、えっと、ヤマシナさんでしたっけ。おつかれさ」

「希さんのことなんにも知らないくせに、勝手なこと言わないで。天才?才能?なにそれ、ふざけないでよ。それって、希さんを褒めてるように見せかけて自分を慰めてるだけでしょ。あの人は凄いけど、天才なんだから自分達とは次元が違うんだ、って。そういうの、マジでイラつく」


 菜々美の挨拶を遮ってまで一気に言いたいことを言い切った由羅は、「あーもう、キャラ崩れちゃったじゃないのぉ」とイライラした様子で前髪をぐしゃりとかき上げる。


「とにかくぅ、ダメダメな自分を慰めたいだけなら勝手にやってればぁ?ってコト。主役同士ぃ、傷舐めあってるのがお似合いですぅ。きゃはははっ」


 じゃあばいばぁい、と身を翻した由羅をただぽかんと見送るしかできない桐生と菜々美。


 再び静けさの戻った控え室で無言のまま口に運んだ仕出し弁当は、数分前とは打って変わって全く味を感じなかった。




(ヤマシナさんに言われるまで、芸能界って才能ある人の集まりなんだって思ってた……)


 眩い舞台に立つ役者達、キラキラとした衣装で歌い踊るアイドル達、たった一言で会場を沸かせる芸人達、面白おかしくレポートするタレント達に、それをスタジオで上手く纏めるキャスター達。

 画面の向こう側の世界にずっと憧れていた少女は、愛読していた雑誌のモデルにスカウトされて、スタジオとロケと編集局というその小さな世界に酔いしれてしまった。この小さな世界がちょっと大きくなったもの、それが芸能界だと信じ込んでしまった。

 だが現実は厳しくて。合格して、招かれて、受け入れられたはずなのに周囲は冷ややかで。上手く行かなくて。


 そして今、由羅にかけられた辛辣な言葉で彼女は自分がまだ『浮かれた視聴者』気分のままだったことに気付かされた。

 あの人は凄い人、才能があるんだ、自分とは違う。そうやって憧れを口にしているつもりで、出来ない自分を守っていたのだと。



「なぁに、まだ落ち込み続行中?」

「あっ、に、二階堂さんっ。お疲れ様です!」

「はい、お疲れ様。というか、ちょっと落ち着きなさい。事務所戻っても息抜けないようじゃ、倒れちゃうわよ?」


 くすくすと笑いながら、涼子は菜々美の正面に腰掛けた。そして両手に持っていたコーヒーカップのひとつを菜々美の前に置き、「先輩からの奢り」と茶目っ気たっぷりにウインクしてみせる。


「あたし……ダメダメですね」

「あら、デビューしたての新人が何言ってるの。むしろ貴方が上手く立ち回れたらこっちが困っちゃうわ」

「はぁ……」

「あのね、柚木さん。厳しいことを言うようだけど、ちゃんと聞いてちょうだい。自分はダメな子なんだ、上手くできないんだ、って人前で落ち込むのは『誘い受け』だと批判されるわよ?」

「さそい、うけ?」

「慰めて欲しい、構って欲しいからわざと落ち込んで見せてる、とも取られるの」


 そんなつもりじゃないです、と益々落ち込む菜々美に涼子もころころと笑って頷く。


「わかってるわ。でもそういうタイプが嫌いな人もいるんだから、反省するなら自分の部屋で思う存分やりなさい、ってことよ。落ち込んでる時にいらない批判までされたくないでしょ?」

「……はい」

「ほら、わかったら俯かないの。いちにのさん、で顔上げて。はい、いち、にの、さん!」


 パン、と目の前で手を打ち鳴らされ、反射的に菜々美は顔を上げた。


(…………あ、……冴木さん、だ)


 顔上げなきゃよかった、と思ってももう遅い。

 画面の向こう側では人懐っこくいつも笑みを浮かべていた瞳が、皮肉げに、冷ややかに、まるでさっきの由羅のような酷薄さを含んで彼女達を見下ろしていた。



 菜々美の視線を受けて、涼子も肩越しに振り返る。そして冴木の姿を見つけると、こちらはまるでやんちゃな子供を見守るママの如き表情でニコリと微笑んだ。


「冴木君じゃない、遠方ロケお疲れ様。今日の行き先ってかなりの山奥だったわよね?えーっと、八墓村?」

「なんでそんな祟り受けそうなとこに行かなきゃなんないんですか。山奥は山奥ですけど普通の明るい農村でしたよ」

「そう。で、お土産は?」

「だから農村なんですって。大根くらいしか貰ってきてませんよ」


 後でマネージャーから貰ってくださいね、と付け加えて冴木はちょっとだけ笑った。


「ところで涼子姐さんはなにやってるんですか。新人イジメ?」

「あら、そう見える?」

「ずっと見てたわけじゃないんで、なんとも。ま、ドラマ企画の反省会ってとこですか?あれ、希も出るんで楽しみにしてるんですよ。だから…………台無しにしないでよね」


 最後の言葉の時、冴木の瞳は確かに菜々美を捉えていた。

 それまで涼子に対して笑みを見せていたその顔のまま、瞳だけすうっと猫のように細められて。



 どうしてか、菜々美は冴木に嫌われていた。というか、彼は人の好き嫌いが本当に激しいらしく、今は親しい友人という関係にある希に対してでさえ、最初の頃は「嫌いだから」と宣言して仕事以外では無視していたらしい。

 だから気にしなくていいのだと、マネージャーも他の事務所の先輩達も言ってくれているのだが、こんなあからさまな態度を取られてしまうとさすがに傷ついてしまう。


(ちょっと憧れてたんだけどなぁ…………残念)


 今日はお風呂に入って思いっきり泣こう。

 そう心に決めて、菜々美は心配そうに慰めてくれる涼子に向かってへにゃりと情けなさ全開の笑みを浮かべた。


 今は、それが精一杯だったから。



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