「俺のカメラは人の内面を写すから、誤魔化せないんだよ」
佐伯→冴木に漢字変更
「真壁ちゃん、こっちこっち!」
ドラマの顔合わせが終わる時間を見計らって迎えに来た二宮の車で、希は目的のラジオ局へと直行した。
約束では楽屋に行くはずだったのだが、待ちきれなかったのかそれとも他に用事があったか、エントランスホール横の打ち合わせスペースに彼の姿があった。
「あれ、楽屋って話じゃなかった?」
「ん、でもまだ時間早いでしょ。だからさ、ここから外の風景見ながらお茶するのもいいかな、って」
その打ち合わせスペースは壁面一杯に広がる大きなガラス窓に面しており、忙しなく行き来する通行人や車などをはっきり見ることができる。
だが外からは光の反射やガラスに施した特殊な屈折効果などから中が見えにくくなっており、更にミラーフィルムも貼ってあるため『誰かが座ってる』ことくらいしかわからないということだ。
念のためにと二宮の顔を窺ってみるが、彼はそれを承知しているらしく「構わないわよ」とあっさりOKを出してくれた。
「まぁここなら受付からも見えるし、密会だなんて騒がれることもないはずよ。和泉クン、それも計算に入れたでしょ?」
「やだな、二宮さん。買いかぶりすぎですよ」
「それならそういうことにしときましょ。……それじゃ希、私は楽屋にいるから。ゆっくりしてらっしゃい」
ひらひら、と手を振って去っていくスーツの後姿を見送って、和泉 直也は「イケメンだなぁ」とのほほんとした口調で零す。
「それ、今度マコさんに直接言ってあげて。きっと喜ぶから」
「うん、でも言ったら盛大に照れられそう。ネタにされるのはいいけど、素直に褒められるのって慣れてなさげだもん」
「あ、それは言えてるかもね」
和泉は、カメラマンを本業としている。特に芸能専門ということはないが、独特の切り口で『スナップ写真』を遥かに越えた『芸術作品』を撮ることができるため、写真集からCDのジャケットまであちこち引っ張りだこだ。
そのかたわら週に一度のラジオパーソナリティを務め、のんびりとした語り口調と柔らかな声が人気を呼んでいる。
希とは、雑誌の取材で表紙の撮影をした時に知り合った。中々緊張の取れなかった彼女を和泉はずっと時間をかけて待ち続け、ようやく柔らかい表情が撮れた時に「うん、これでもう平気だね」と自分のことのように喜んだ。
その時以来、希は和泉の担当の時に特にいい表情をするようになり、事務所側が次第に彼を直接指名するほどにまでなっていった。そうして回を重ねるたびに二人は良く話すようになり、友人と言ってもいい間柄にまでなったのだった。
「これ、サエが海外ロケのついでにって買ってきてくれたお茶。ポットないからストレーナーで悪いけど」
「ありがと。でもいいの?サエくんってお土産横流しされるの嫌いだったわよね?」
「まぁ、俺も飲むから横流しじゃないし。それにこれ、多分俺が真壁ちゃんに勧めることも計算に入れてあると思うんだよね。だってフレーバーティなんて俺より真壁ちゃんのイメージっぽいでしょ」
「んー、そうかなぁ?」
ここで名前の挙がっている『サエくん』こと冴木 智之は、二人共通の友人のことだ。
痩せ型でそれほど高くも低くもない身長というあまり目立った特徴もないスタイル。顔はどちらかというとイケメンというより綺麗系だが、貼り付けたような愛想笑いと毒舌というギャップから、あまりきゃあきゃあ騒がれるタイプではない。彼はそのギャップを武器にしてバラエティからドキュメンタリー、ニュースのレポーターから映画出演まで実に幅広いジャンルの仕事をこなすマルチタレントである。
誰にでも優しく人当たりのいい和泉とは正反対で、冴木は好きなものはとことん好き、嫌いなものは視界に入れるのも嫌がるほど選り好みが激しく、出会ったばかりの頃は「嫌い」宣言されていた希も、彼への接し方に随分と悩まされたものだ。
親しい友人となった今では、ネタにして笑い合えるほどではあるが。
その冴木から貰ったというフレーバーティは、確かに希の好みにぴったり合っていた。
(そういえばこの前、柑橘系がお気に入りだってサエくんに話したかも)
彼がそれを覚えていてくれてこれを選んだのなら、わざわざ和泉を介さずとも直接渡してくれるはずだ。なのにあえて和泉の手をわずらわせてまで、彼からごちそうするという形を取らせた……その理由に、希はひとつだけ思い当たることがある。
「週刊誌、なんか揉めたんだって聞いたけど、大丈夫?」
先ほどよりやや声のトーンを落とし、和泉はその形のいい眉をひそめる。ちょっとだけ近づいた柔和な顔が心配そうに歪むのを見て、希は「ああ、やっぱり」と心の中だけで冴木の洞察力と配慮に舌を巻いた。
ここへ来るまでに二宮から事情を聞いたところによると、今回取材を申し込んできた週刊誌サイドは希の生い立ちについて……もっと言うと、彼女が幼くして両親を亡くしてから高校に入るまでの間世話になっていた親戚へのインタビューをもとに、それを彼女に直接ぶつけて反応を見よう……と、そう計画していたらしいのだ。
もちろんその意図がわかった段階で事務所側ではNGを出したわけだが、それがこじれてしまった挙句二宮まで急遽事務所に呼び戻されて対応に追われていたのだという。
和泉はもとより、冴木もそこまでの経緯は知らないはずだ。だが少し前から週刊誌の取材が入ることは話していたこともあり、彼らなりに心配してくれていたようだ。
特に冴木は、その週刊誌の編集局がこれまで結構えげつない取材を繰り返してきたこと、トラブルになれば希もダメージを受けるだろうことまで察した上で、彼女の好きなお茶を【癒し系カメラマン】和泉に託した。つまり、聞き役と励まし役を和泉に押し付けた、ということでもあるのだが。
「……大丈夫、とはちょっと言い切れないんだけどね。でも、わりと平気。もう十年だもの、そろそろ乗り越えなきゃ」
「無理、してないならそれでいいんだ。真壁ちゃんが無理してると、いい写真も撮れないしさ。俺のカメラは人の内面を写すから、誤魔化せないんだよ。……なーんてね」
「ふふっ。それじゃ絶対に無理できないわね」
(……びっくりした。今のって、小説の中で使われてたセリフじゃないの)
和泉も、そして冴木も、小説の中でサブメインと言っていいほど頻繁に登場して、ヒロインともそれなりに絡むキャラである。
和泉は小説の中でも現実と同じく、芸術的な写真を撮れると評判のカメラマン。その撮影の腕を買われてデビューしたてのヒロインの雑誌掲載用写真の撮影を担当し、その時まだ初々しい彼女に途方もない可能性を感じた彼は、それ以降もまるで兄のように彼女を支え、時には慰め、包み込むように癒していく。
その兄のような感情が淡い恋心だと気付いていながらも、彼は最後までそのことを誰にも悟らせず、ヒーローとの紆余曲折あった恋愛の悩みなどの相談にも乗っている。
対する冴木も小説の中ではマルチに活躍する人気タレントである。
当初ヒロインと共演した時は冷ややか過ぎるほどの態度で接し、彼女を現場で泣かせてしまう。だがすぐに立ち直って明るく接してくる彼女のひたむきさに徐々に彼の態度も軟化し、狂おしい恋心を抱くようになっていくのだが……その頃彼女はヒーローであるアイドルに恋していた。
彼の役どころはずばり、当て馬だ。ヒロインをわかりにくい態度で口説きつつ、途中切々と恋心を語りつつ、だが最終的には失恋を確信してその手を放す。
どちらも小説内ではとても魅力的に書かれており、相応にファンも多くいたらしい。実際その小説に寄せられた感想などでは、和泉はヒロインにもったいないだとか、どうして冴木じゃなくあのアイドルがお相手なのかとか、設定自体を問題視するようなものもあったほどだ。
勿論、同じ部分もあれば違う部分もある。希が自ら望んでハイスペックさを手に入れたように。
例えば、和泉がラジオのパーソナリティを務めるようになったのは希の紹介だし、冴木がニュース番組のレポーターをやっているのは、たまたまバラエティで一緒になった希とレポートの真似事をアドリブで入れたのを、局のお偉いさんに気に入られてのご指名だったわけで。
(…………あら?そう考えたらなんだか私が設定を変えちゃってる気がするわ)
希はあくまで『最高のライバル』として立つために、己を磨いてきた。それ以外のことでは別にヒーローであるアイドルに近づくつもりもないし、サブメインである彼ら二人の恋愛事情にも口を出すつもりは毛頭ない。彼らがヒロインに惹かれるなら、それはそれで、世界の強制力も働いた結果なのだろうなと思う程度だ。
なのに思い返してみると、和泉も冴木も少なからず希の影響を受けてそれぞれ違う仕事に手を出していたりする。この程度は設定改変にならないかもしれないが、小説内でなかったことが現実にどう影響するのか、この時の彼女にはまだわからない。
少なくとも、彼らと今後一切関わらないということは今更無理なのだし、これまで通り友人のスタンスでゆるりと付き合っていくしかない、ということだけはわかる。
「そういえばね」
と、彼女はしんみりしかけていた空気を変えるように、顔合わせの時の様子を出来る範囲で話すことにした。ドラマの内容や一部キャスティングについてはまだ非公開の部分もあるのだが、顔合わせを済ませた段階でこれまで秘密とされていた主役二人の名前はホームページ上でも公開されている。
どうせ少しすればグラビア撮影の声がかかるだろうが、その前にヒロインの話でもしておこうか、と希はその時の様子を思い出しながら話し始めた。
「…………ということでね、織田さんが紹介された時に隣の私も引っ張って立たせてくれたの。『僕の相棒です、よろしく』って。もう素敵過ぎない?最高の演出だったわ」
「……ああ、うん……ひとまず、真壁ちゃんがどんだけ織田さんのこと好きかはよーくわかった。だからさ、まぁ、落ち着いて。ね」
希としてはヒロインやヒーローの話をしていたつもりが、いつの間にか隣に座っていた織田の話に終始してしまっていたらしい。最初は食いつき気味に聞いていた和泉が、今は明らかに引いている。
「ああ、えっと、そんなつもりじゃなかったの。ごめんなさい。つい熱が入っちゃって」
「いいよ。俺も織田さんはナイスミドルならぬナイスオヤジだと思ってるし。……で?結局真壁ちゃんの本題ってなんだったの?」
「ほら、今回デビューの新人さん。柚木 菜々美さんって言うんですって。ぱっと見、イマドキの子って感じかな?背はそれほどでもないけど、すらっとしてて腰の位置が高いの。スポットライトで迎えられた時なんか顔真っ赤にしちゃってね。結構初々しくて可愛かったわよ、って話」
「ふぅん……そっか。仲良くなれそう?」
「え?……あー、どうかしら。そもそも役柄が【ヒロイン】と【悪役令嬢】だもの。今回のお仕事中は無理かもしれないわね」
意外と食いつきの弱い和泉の反応に拍子抜けしながらも、希はなんとか無難に話を纏めた。本当はヒーローである桐生の話もしたかったのだが、和泉が腕時計を指して「そろそろスタジオ入りしよっか?」と言ってきたため、話はそこで終わってしまった。
その後スタジオで、このドラマ企画の宣伝も兼ねて改めて和泉がその話題を振ってくれたのだが、余程希の熱弁が強く印象に残っていたのだろう、その大半は織田の話題で占められてしまった、というオチがつく。