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イミテーション・ジュエリー  作者: 久條 ユウキ
カーテンコール
25/26

近況報告:前編

以前のアカウントで投稿していた後日談になります。

感想で「ざまぁ」がないのですかと聞かれたので、ちょっと後半ざまぁ入ります。

 古く、年代を感じさせるもののしっかりとした造りの石段を、冴木は一歩一歩ゆっくりと踏みしめていく。

『先に行くわよ』と告げ、薄情にも石段の終点までさっさと上っていってしまった彼女に視線を向け、笑顔で手を振られたことに苦笑を返してまた上りだす。

 運動不足というわけではなかったが、並の男じゃ敵わないとまでマネージャーに言わしめた彼女、真壁希は噂以上に規格外の女優であるらしい。


 漸く最後の段を上りきり、ふぅっと息をつく冴木に差し出されたのは、水の入ったボトル。


「これ、この先でいただける霊水。先に行っていただいてきちゃった」

「ああ、うん。ありがと」


 飲んでもいいの?と視線で問うと、希はそういうものだからと頷いて返してきた。

 普段ならゴクゴクと喉を鳴らして飲むところだが、『霊水』と前置きされたからにはそういうがっついた飲み方はまずいかな、と彼は何度かに分けてゆっくりその水を飲み干した。


「うん、美味しい。生き返ったみたいだ」

「寺院を前にしてそういうこと言わないの。……行きましょ」

「そうだね」


 二人は微笑み合い、奥へと足を進める。

 本殿前で参拝し、そのままぐるりと迂回して本殿裏の山道に入ると、少し離れた場所に大きな枝垂桜の木があった。

 時期が時期だけに花はつけていなかったが、その佇まいだけでも十分に心打たれるものがある。


「これ、花が咲いてる時期に来たかったな。きっと凄く綺麗なんだろうね」

「そうね。そして綺麗な桜の木の精に魅入られてしまうんだわ」

「……ちなみにさ、魅入られたらどうなんの?」

「それは勿論。精気を吸われて抜け殻のようになってしまうのよ」


 振り向いた希は、口元に笑みを刻んでいて。

 格好は普通の旅行者……むしろ男性風メンズのスタイルであるのに、表情だけは妖艶で。

 こんな精霊なら惑わされてもいい、などと一瞬でも思ってしまった冴木は慌てて頭を振る。


(待て待て、趣旨が違うでしょうが)


「あのさ、これって旅ロケだよね?いつからサスペンスドラマのシナリオ追加したわけ?」

「あら、ウケない?」

「いや、一応視聴者の中にはお子様とかもいるんだから。物騒な話はそこまで。終わり終わり」

「はいはい。それじゃスタッフさん、ここカットでお願いしますね」


 さっきの妖艶な表情はどこへやら。

 いつも通りの親しみやすい表情に戻った希は、カットね、と小さくウインクしてみせた。



 この企画のオファーが入ったのは、海外での仕事に復帰した希が人気ドラマの続編を撮り終えて戻ってきた頃。

 放映されるのは年末年始でも、撮影自体はもっと前からやっておかないと、時期的にもタレントのスケジュール的にも当然間に合わない。

 特に年越し時期は生放送年越し企画や新年企画などが詰まっているため、人気芸人や話題の芸能人を獲得しようと、各社一斉に夏頃から綱引きを始めるのだ。

 特に希はあちらことちらを行ったり来たりしているため、捕まえにくいこともあって番組製作スタッフの熱の入り方も半端ではない。


 そして漸くスケジュールの調整がついた頃になって『旅ロケやりませんか?』と声がかかった。

 企画からしたらそれほど大きなものではなく、内容も有体な旅番組であったため事務所側は断ろうとしていたようなのだが。


『ロケものって滅多にないし、やってもいいんじゃないですか?』


 そう、行きたい発言をしたのは希の方だった。

 一緒にと声をかけられていた冴木は面倒臭がっていたのだが、希がそう言うならと結果的に引き受けてくれた。


『智之と結婚してからある程度経ってるし、仲良しアピールしとくのもいいんじゃない?』


 とまで言われては、冴木に断るという選択肢などあるわけもなく。

 むしろ、確かにそろそろ仲良しアピールをしておかないと、すれ違いだの不仲だのと囁かれては堪らないと思ったのだろう。

 マスコミは芸能人同士の付き合いや距離感に敏感だ。

 あまりにしつこく仲良しアピールをしすぎれば宣伝かとウンザリされるし、しなさすぎれば不仲なのかと疑いの目を向けられてしまう。

 実際、冴木と希の関係性は至って良好で、夫婦揃ってのオファーがないのが不思議なくらい穏やかな関係を続けているため、仲良しアピールも不自然なわけではない。



 オッケーです、との声を受けて山道を下りた二人は、ロケスタッフに伴われて温泉宿までの道をゆっくり歩いていた。

 この辺りはロケバスが入れるほど広い道はなく、宿もすぐ近くだというので歩いて向かうことになっている。


「ナレーションバックということで、適当に喋りながら移動してもらえますか?」


 そう告げられて、その場は二人きりにされる。

 といっても、カメラマンはすぐ近くにいるし、スタッフの殆ども二人の前や後ろを歩いているのだが。

 シーンとしては二人きり、仲良く話す二人のバックでナレーションがこの土地の薀蓄を語るというコンセプトらしい。


「はぁ……まさか歩きとはねー。どんだけ歩くんだよ、ここ」

「歩くのって気持ちいいじゃない。都会の空気とは違って、排ガス臭くもないしタバコの臭いもしないし。思いっきり走ってきたいわ」

「やめてよ、僕はやんないからね。やるなら朝早くとか行ってきて。でも帰りがけに沼で死体見つけてきたりしないでよ?」

「どこのサスペンスドラマよ、それ」


 そんな二人のやりとりをカメラが追い、スタッフ達は微笑ましく見守っている。


「…………ムカつく女」


 たった一人を除いては。



 案内された旅館は、田舎ならではの木造平屋建て。

 古めかしい看板に似合わず、中はこざっぱりとしていてまだ真新しい木の臭いがした。

 スタッフの説明によると、外観はそのままに内部の古い部分だけ改築したらしい。

 露天風呂は常時入湯可能だが、大浴場は夕食後からでないと入れないとのこと。

 この後はお約束の夕食ロケがあり、温泉ロケは行われず風景のみの撮影となる。


「食事シーンの撮影は後ほど。準備がありますから、よろしかったら先に温泉でもどうぞ」

「わかりました。私は行くけど、どうする?」

「疲れたから待ってる。……温泉は、まぁ後でね」


『後で』と『ね』の間に『一緒に』という単語が挟まっていたことに気付いた希は、相変わらずねと苦笑しながらふと、己に向けられた冷ややかな……刺すように冷たい眼差しに気付いて顔を上げた。

 途端、ふいっと背けられる視線。

 その場所にいたのは、ロケスタッフとして同行してきていた音声担当の一人。

 長い上に重いマイクを担いで、山道を黙々と歩いていた姿が記憶の端に引っかかっている。


 この時はまだ、嫌われてるのかな?くらいにしか思っていなかった。

 いくら好感度が高い真壁希といっても、スタッフ全てに好かれているという勘違いはしていない。

 冴木が知り合った当初彼女を嫌いだと宣言していたように、スタッフの中には彼女を嫌っている、蔑んでいる、苦手だと避けている者もいるだろう。

 そんなことをいちいち気にしていては、多彩な仕事をこなすことなどできるはずもない。



 さっぱりとして旅館へ続く石畳を歩いていた希は、不意にぐいっと手を引かれ木の陰に連れ込まれた。


「な、」

「おっと、騒ぐなよ。ここであんたのストリップショーを見せてやっても、俺は構わないんだからな」


 煙草臭い息を背後から吐きかけつつ、音声担当の男は希を羽交い絞めにしていた。

 胸元には、ナイフだとわかるひんやりとした感触。

 彼女が抵抗すれば、それで一気に浴衣を切り裂くと彼はそう脅している。


「……貴方、誰?」

「ふん、覚えちゃいませんってか。そりゃそうやろなぁ、人気者のあんたにとったら身体を張って仕事をもらう俺らお笑い芸人如き、覚える価値もあらへんもんなぁ。ほんま、男をバカにすんのも大概にせぇ。あんたの所為で、俺らはバラバラ。他のやつらも仕事を干されて、可哀想にええ年してバイト暮らしや」


 その言葉で彼女は思い出した。

 菜々美がデビューしたばかりの頃、出演した生特番で散々希を貶したり揶揄ったりした挙句、その局からしばらく出禁を食らったお笑い芸人達のことを。

 その芸人達は元々関西圏の生まれではなかったが、キャラとして関西弁を使いどんな汚れ役でも引き受けるという体当たりの芸風で売っていた……が、生放送の余波が思ったより大きく、結局1年の間にテレビから姿を消してしまった。

 まさかそのうちの一人が地方局で、しかもスタッフに紛れているとは。


(私を恨んでる、ってわけね……可哀想な人)


「切れば?」

「なっ、お前……!」

「切ればいいわ。それで気が済むならどうぞ。ただし、【真壁希】は商品なの。浴衣は切ってもいいけど、肌には傷をつけないで」


 きっぱりと言い切る希の言葉に、今度は男が戸惑いを見せる。

 彼も言うように、彼女を辱める意図はあっても傷つける覚悟まではないのだろう。

 そこに、隙が生まれた。


 男の手が緩んだところで、彼女は思い切り彼の足を下駄で踏みつけ

 ナイフが一瞬遠ざかったのを見て、一気に脇をすり抜けた。

 反射的に追おうとしたその手が腕を掠った気がしたが、そんなことに構ってなどいられない。


 どうにか旅館の中まで辿り着くと、何事かと集まってきていたスタッフが事情を察して元芸人の男を取り押さえに走って行った。

 その場にしゃがんだ希の前には、部屋から出てきた冴木がいる。

 彼は息を切らせてへたりこんでいる彼女をそっと抱きしめ、残っていたスタッフに何事か小声で告げると、肩を抱きかかえるようにして自分の部屋まで戻った。



「食事ロケ、明日にしてもらったから」

「そう、ありがとう。…………ところで智之」

「うん?」

「…………ここに充満してるあまぁい香水の香りはなにかしら?旅館の人なら、香水なんてご法度よね?」

「……ああ、うん……希にはバレるだろうな、とは思ったんだ」


 気まずそうに、彼は話し始めた。

 怒らないで、見放さないでと縋るように、妻を抱かかえたその手は放さずに。


 希が温泉に行くわと出て行ったあと、食事ロケの準備をするからと仲居が顔を出した。

 その時まず、冴木は先ほどの希と同じことに違和感を覚えた。ベテランだろうが新人だろうが、濃い化粧はご法度。香水なんてもってのほかだと。


『……あんた誰?ここの旅館の人じゃないよね?』

『…………私……っ』


 どうしても冴木さんを諦め切れなくて、とその女は突然着物をはだけて身体ごと圧し掛かってきた。

 ずっとずっと好きだった、と女は切々と訴えかけてくる。

 彼にとっては認識すらしないほどの関係性、だが彼女はずっと彼を思い続けてきた。

 そのうち、彼は【真壁希】を妻に選び子までもうけて幸せな家族を得た。

 だがそんな彼がこの地方に来ると知り、どうしても一度だけ思い出が欲しいからとこの旅館に勤める知人に頼み込み、部屋付きにさせてもらったのだと。


『ああ、嘘だね。嘘だらけだ』

『そんな、冴木さんっ』


 ついには襦袢まで脱いで全裸に近い格好になりながら取り縋ってくる女を冷ややかに見下ろし、彼は「だってさぁ」と口元を歪めた。


『あんた、希を刺した男の幼馴染とかいうやつでしょ。例の記者会見で派手に問題発言してくれたの、僕も見てたんだよね。……僕のモノを傷つけた相手の顔、忘れるわけないじゃない』


 あんなことまでしといて、まだ希のこと傷つけ足りないんだ?バカだね。


 嘲るようなその言葉を聞いた女は、甘えるような態度を一転させ金切り声を上げた。

 すぐにすっとんできたスタッフに向かって、彼に誘惑されたんだ、無理やり着物を剥ぎ取られたんだと涙ながらに訴えかける。

 その間も冴木は表情ひとつ変えず、スタッフの戸惑うような視線に首を傾げてみせる。


『……だからさぁ、バカだって言ってんの。あんたが部屋に入ってきた瞬間から、東京の事務所に電話が繋がってるなんて気付いてなかっただろ?僕が後ろ手に携帯弄ってるなんて、どうして気付かないかなぁ』


 これ、と手渡された携帯を撮影の責任者たる男が受け取ると、そこからは非常に憤慨した冴木の所属事務所社長の声が漏れ聞こえている。

 管理能力が足りないだの、大事なタレントを預けるんだからしっかりしろだの、これだから地方局はだの、延々続きそうな説教を打ち切ったのはやはり冴木で、彼は携帯を奪い返すと「ごめんね、社長。説明はまた後で」と伝えてさっさと通話を切ってしまった。



「多分、僕らが別々に行動するタイミングを狙ってたんだと思う。多分どっちも捕まって、芸能ニュースのネタくらいにはされるかもね。インタビューされたら思いっきり被害者ぶってやればいいよ」

「そうね。智之の方は結局私のとばっちりで、完全に被害者だもの」

「……それはそうだけど」


 落ち込む事ないよ、と新婚期間などとっくに過ぎたはずの旦那様は、今日も優しく妻を甘やかす。

 抱きしめて髪を撫で、時折頬やこめかみにキスを落としながら「大丈夫」と囁き続ける。


「そうだ、そんなに不安なら奈津美に電話でもする?今頃なんだろ、ご飯かな?」


 どうかしら、と応じたその時タイミングよくピロンと希のスマホがメールの着信を知らせた。

 見てみると、そこにはあどけない顔で笑っている愛娘なつみの写真が添付されており、本文にはぶっきらぼうにたった一言。


【早く帰ってきてやれ】


「……やだもう、社長ったら。相変わらず男前すぎ」

「やだもう社長さんったら。僕の役目、取らないで欲しいんだけど」


 妻を慰めるのも、娘をあやすのも自分の役目なのに、と冴木はどこか不満げにしながらも妻を抱く腕にそっとほんの僅か、力を込めた。




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