「イミテーションだって立派な作品だわ」
言うまでもありませんが、例え身内からでも窃盗は犯罪です。
ダメ、絶対。
少女は今、窮地に立たされていた。
目の前に仁王立ちしているのは父、その隣で呆れたような目を向けてくるのが母。
彼女は、ここしばらくずっと学校に行くと嘘をついてはアルバイトをして、そのお金で東京に頻繁に通っていた。
学校側には病気と偽って連絡し、数日家をあける時は友達の家で泊りがけで勉強するからと嘘をつき。
それが今、学校からの『お見舞い』と称した連絡で全てバレてしまった。
「どうしてそんなことをしたんだ!お前が高校に通うのだってタダじゃないんだぞ!!」
「わかってるよ、そんなことっ!でも私、芸能界に入るんだもん!芸能人になりさえすれば、ちゃんと高校出てない人だっていっぱいいるじゃない!!」
「お前はまだそんなことを……っ!」
どうしてこうなってしまったんだ、と父親は嘆く。
確かにそんなに真面目な方ではなかったが、己の娘は二人ともそれなりに普通の成績を保っていたはずだ。
品行方正でもなく、不良と呼ばれるほどでもなく。
このまま普通に育ち、いずれ普通に嫁に出すんだとそう思っていたのに。
怒りに任せ、父は娘を殴りつけようとして……母に泣きながら腕を掴まれて、ハッと我に返った。
「もういい!こんな家、出てくっ!!」
娘の目に宿っていたのは、『狂気』と呼べるようなどす黒い何かだった。
少女は、ふらふらと夜の街を歩いていた。
あの後、全財産とも言える財布を引っ掴み、彼女は電車に飛び乗った。
元々週末になったら東京に行くつもりで準備していたのだ、その資金がバイト代だけでは足りず……彼女はやむを得ず、誘惑にかられて両親の寝ている部屋に忍び込んでその財布の中身を一部抜き取った。
両親はそのことに気付いているだろうか。もし気付かれたら、泥棒と詰られるだろうか。
怖くて、怖くて、どうしようもなく怖くて、身体が震える。
今夜どこに泊まろうか……下手にビジネスホテルなどに泊まればすぐに居場所がわかるだろうし、そうでなくとも手持ちの資金が乏しいのでこれは却下だ。
(そうだ……よくドラマとかで、ネカフェに寝泊りする人って出てたっけ)
ネットカフェなら、探せばきっとその辺にある。
そこなら比較的安く寝泊りできて更にシャワー室完備、もっといいのはネットという最大の情報源をゲットできることだ。
彼女は、ネットカフェを探して街中を歩き回り、そして夜遅い時間だというのに多くの人で賑わうその店を見つけ、その日はそこで休むことにした。
(バイト、探さなきゃ。……それから、それから……)
芸能人になるには、スカウトされるのが一番。それが無理ならエキストラに応募して、そこからスタッフに気に入られてのし上がる。もしくは劇団に入り、まずは舞台女優として経験を積む。
色々な方法はあるが、スカウトとエキストラは失敗したためもう使えない。
劇団に入るという方法だと時間がかかりすぎるし、そもそも下積みの苦労というもので若い今の時間を無駄にしたくはない、とこれも却下した。
それなら、どうする?
考えた彼女はネットにその答えを求め、検索した先で『いいもの』を見つけて「これだわ」と微笑んだ。
「…………二宮、ここは避難所でも駆け込み寺でもないんだが?」
全力で『不愉快です』と語りかけている社長の声に、ベテランマネージャーである二宮誠は軽く肩を竦めつつ「すみません、社長。放っておけなくて」と苦笑で返した。
彼がその現場に居合わせたのは、ほんとに偶然だった。
彼の大事な受け持ちタレントである真壁希がふっくらと膨らんだおなかを抱えて帰国し、ドラマなど過酷なロケのある仕事はセーブしつつも、トークバラエティやラジオのゲストなど突発の仕事をいくつかこなし、ようやくそれに慣れてきたこの頃。
さすがにおなかが張ってきたのでそろそろ無理かな、と彼女からそう申告があったことで、それじゃ休養宣言を出しますか、と社長ともそう協議したのが先週のこと。
そして今日、希と冴木の共同名義での直筆の『お知らせ文』をもらうついでに今後のことなどを話してきた、その帰り道。
「やだやだ、やめて!!」
「困るなぁ、キミ。さっき契約しちゃったんだしさぁ、キミはもううちのタレントなんだよね。だったらどんなお仕事でもやってもらわなきゃ」
「だって、だってドラマのお仕事だって言ったじゃない!!うそつき!!AVだなんて聞いてない!!」
「はぁ?何言ってんの。キミはまだ見たことないかぁ……今のAVってドラマ仕立てなんだよねぇ。だから嘘なんてついてないよ。キミが逃げたら、契約違反で……どうしよっかなぁ、ご両親に連絡しようか?」
「やっ、それは……」
にやにやと笑いながら、十六、七歳ほどの少女の腕を掴んで放さない、スーツ姿の男。
少女の顔は赤から青へ。余程両親に連絡されたくないのだろう、徐々に声のトーンが落ちていく。
(まぁよくある騙しよね。あの子、そういう罠が未だにあるって知らなかったのかしら)
芸能事務所だと言って言葉巧みに近づき、少女達を食い物にする。そんな古典的な手法が、実は未だに使われているのだと、二宮も知ってはいたが見るのは初めてだ。
知らないフリして通り過ぎるのも後味が悪いし、かといって警察を呼べばきっとその少女はもっと困るに違いない。
なにより、その腕を掴まれた少女がスカウトした際の希と同年代だったことに、彼の胸は痛んだ。
仕方ないか、と彼はつかつかとその男女の元に歩み寄り、男に向かって名刺を差し出した。
自分は大手事務所の者だが、この少女はうちの事務所で働くアルバイトである。
雇用契約を結んでいる以上他との重複契約は違反となるため、どんな契約を交わしたのか契約書を見せてもらいたい。
そう言うと、男は顔色を変えて「契約書なんてねぇよ」と告げると、駆け去って行った。
どうやら契約を交わしたのだと偽って連れ戻し、そこで正式に契約書にサインさせるつもりだったのだろう。
そして、へたりと地面に座り込んでしまった少女を連れ、荷物が置いてあるというネットカフェに寄ってその荷物を引き上げた上で、事務所に連れて戻ったというわけだ。
「さて、お嬢さん。このお人よしが偶々通りかかってくれたから難を逃れたようなものの、もしそうじゃなければ君はAVに出演させられ、いいように使いまわされた挙句ポイ捨てされていた可能性が高い。どうせ、芸能界に入れるなどと胸を高鳴らせていたんだろうが……例え運よく芸能界入りできたとしても、君などすぐに潰されて終わりだろうな」
「ちょっと、社長……」
「二宮、お前は黙ってろ。大体、デビュー時の希とだぶったからと無責任に拾ってきたお前が悪い。そういう場合は適当に助けて、警察の前に捨てて来い。慈善事業やってるんじゃないんだぞ、うちは」
「…………希?……二宮?……もしかして……」
おどおどとした顔を絶望色に染め、そして自他共に認める冷酷な顔をした事務所社長に厳しい言葉を吐き捨てられた少女は、だが『希』『二宮』という言葉を聞いて表情を変えた。
じわじわと湧き上がってくるのは、歓喜。
恐ろしいAVスカウトマンに酷い目に合わされそうになったことなどころりと忘れ、彼女は『真壁希のマネージャーに拾われた』幸運に喜びを噛み締めた。
(やった!やっぱり私は【ヒロイン】なんだ!!ついに同じ舞台に立てるんだわ!)
「二宮、警察に連絡を」
「社長、ちょっと待っていただけますか」
「……お前、何を」
「お嬢ちゃん、芸能界に入りたいのよね?だったら【真壁希】がデビューから今までどういう風にやってきたのか、知りたくない?」
椅子に座ったままの少女の傍にしゃがみこみ、二宮は優しく人好きのする笑顔でそう問いかけた。
少女は喜び勇んですぐに頷いたが、その場にいたもう一人……社長を務める女性は、彼がこんな笑顔になった時は要注意だと充分に知っていたため、あえて口を挟まず一歩下がった。
そしてその話は、警察が少女の身柄を保護するためにやってきて、「もうそろそろいいでしょうか?」と恐々訊ねるまで続いたのである。
場所は変わって、都内でもセキュリティと個人情報保護がしっかりしていると評判の産婦人科病院。
安産とまではいかなかったが、無事元気な女の子を出産した希が一晩眠って目を覚ますと、早々と見舞いに来ていた長年の相棒がそこにいた。
そして彼は簡潔に語った。
希が本格デビューしてからこれまでどれだけの嫌がらせや、誹謗中傷、生放送での辱めや悪意に濡れた悪戯、そしてマスコミによるバッシング、そういったものを受けてきたのか。
怪我を負い、傷跡を残し、それでも必死になって己を心身ともに鍛え上げてきたか。
傷つけられ、挙句に刺され、そうして芸能界にいられなくなった彼女が新天地でどれだけ努力したか。
その証拠となる数々の記録を芸能人に憧れる少女に見せ、実際にやってみなさいよとピアノの楽譜や英語のテキストを並べ、ついには泣き出して謝り続けるまで追い込んだことを。
「希は確かにまともに学校に通えなかった。けどちゃんと高卒の資格は持ってるし、大検だって合格してるのよって話したら、びっくりしてたわね。芸能人になるのに、そんなの必要なんですか、って」
「まぁ、芸能人にも色々ですからね。最近はお笑いの人達だって高学歴がもてはやされてますし」
「そうね。もしかしたら無駄なのかもしれない、でも希はそれでもあらゆる知識を身に着けようと頑張ったでしょ?そういうのも知らないで、軽々しく女優になるんだなんて言われたくなかったのよ」
あたしがね、と二宮はへたくそなウインクをしながら小さく笑う。
「で、結局その面倒な子警察預かりになったの?」
「あら冴木くん。……ええ、ご両親が警察に保護願いを出してたらしくてね。すぐにお迎えに来られたから、今頃お説教しながら地元に帰ってるんじゃないかしら」
「ふぅん。けどいたいけなJK泣かせるなんて、二宮さんもあくどいなぁ。そんなんだからいつまでも嫁さんもらえないんじゃない?」
「余計なお世話よ。あたしは別にいいの、これで」
好きで女子高生を泣かせたわけではないが、彼はそのことを反省も後悔もしていない。
彼女と同じ年頃の少女をスカウトし、ここまで一緒にやってきたのは二宮の誇りだ。
これまでの苦労を語って聞かせ、結果的にいたいけな少女の夢を粉々に打ち砕いたのだとしても。
芸能事務所に勤めていることで、結果的に結婚の機会が遠のいているのだとしても。
だからなんだ、という気持ちである。
「ところで冴木くん、『JK』ってなんのこと?」
「…………あのさぁ、ちょっとは若者言葉とかネットスラングとか勉強したら?ほら、もう邪魔だから帰った帰った」
シッシッ、と犬を追い払うような仕草をされて、相変わらずねと二宮は苦笑しつつ病室を出て行った。
「なんかさぁ、昨日も見たから今更って感じなんだけど……やっぱ人間って猿から進化したんだなぁって実感した」
「なにそれ。自分だってそうだったでしょ」
「まぁね。覚えてないけど」
二宮がそれまで座っていた椅子に腰掛け、ひと仕事終えてきた旦那様はふぅっと息をつく。
実は病室に入る前、彼は二宮の語る話を黙って聞いていた。
もしかすると桐生や水嶋、そして自分の前に現れた少女と同一人物かもしれない少女の辿った、あっけない結末を。
そして「ざまぁないね」と小さく皮肉ることも忘れない。
夢を見るのはいい、憧れを持つのも大変結構、だが上だけを見上げて足元を疎かにするのはいただけない。芸能人として華々しくスポットライトを浴びている自分達も、普通の会社で働く会社員達と同じように人間関係に苦悩し、仕事に悪戦苦闘し、恋に悩み、他人に傷つけられたり誰かを傷つけたり、ごくごく普通の人間らしい暮らしを送っているだけなのだ。
ただ、マスコミという媒体を通しておおっぴらに存在が知られている、というだけで。
「…………イミテーションが本物になるなんてできっこないんです、か……」
「うん?確かそれ、あの柚木チャンが直也さんに言ったやつだろ?」
「ええ。あの頃の彼女は、私のことしか視界に入らなくて自分をイミテーションだって貶めてた。でも、そう言うなら『本物』って何かしら?何が本物で、何がイミテーションなのか、鑑定するのは誰なのかしら、って」
菜々美のその言葉を和泉から聞いた時、希はそのことが気になっていた。
本物の宝石かイミテーションか、それを鑑定するのは宝石鑑定士という資格を持つ者だ。
だがそれが『人』だった場合はどうか?
誰が本物で、誰が偽物か。そもそもその偽物という基準は何なのか。
「偽物って言うから悪い意味に取られがちだけど、イミテーションだってそれ自体本物を模して作られた、立派な作品だわ。だったらその素材がなんであれ、評価されてもいいと思うの」
「あぁ……そういうこと。ま、そのJKが自分の持ってる『素材』に気がつけば、その時は運とタイミングが巡ってくるかもしれない、ってことだろ?希に、二宮さんが声をかけたみたいにさ」
『私に貴方を育てさせてくれない?』
その言葉が、全ての始まりだった。
彼の言葉に頷いたその時から、女優【真壁希】は息を吹き込まれたのだ。
【悪役】になるはずだった彼女は、結果的にそうはならなかった。
理解者に恵まれ、頼もしい相棒にも恵まれ、愛する人とその結晶にも恵まれて。
彼女自身、自分が本物なのかイミテーションなのかわからずじまいだし、そんなことを今更気にもしていないけれど。
「僕だって、そんなことどうでもいいよ。だって希は」
言いかけて、彼は「違った」と言葉を切って、改めて言い直す。
滅多に見せない、とろけるような微笑を浮かべて。
「希と娘は、僕にとって【本物】なんだから」
これにて「イミテーション・ジュエリー」は閉幕となります。
最後までお付き合いありがとうございました。