「おかえり」「ただいま」
気まずいなぁ、どうやって謝ろうか。
そんなことをぐるぐる考えながら、桐生彰は和泉のフォトスタジオの扉をゆっくりと開けた。
この日は、菜々美の本格的なモデルデビューを記念して雑誌で特集が組まれるということで、絡みの相手に桐生が呼ばれていた。
本来ならモデルの絡みは同じモデルと行うのだが、一時期桐生と菜々美の間に交際の噂が流れていたこと、菜々美が一貫して『桐生さんはお友達です』と言い続けていることもあり、全く初対面の相手と呼吸をあわせるより楽だろうということで、桐生が指名されたということらしい。
桐生にとっては、菜々美と顔を合わせるのはあのみっともない告白以来のことだ。
したたかに酔っ払って自制心を失いつつはあったが、それでも何を言ったのか、何を言われたのかはしっかりと覚えており、だからこそ仕事とはいえこうして顔を合わせるのが気まずくて、情けなくて、辛くて仕方がない。
「こら、遅いぞ桐生君。柚木さんはもうとっくに来て準備万端なんだけどな」
「すいません、和泉さん。柚木さんも……その、ごめん」
「いえ。和泉さんにちょっとご相談があって早く来ただけですから」
「あー……そうなんだ」
桐生は気まずげに目線をそらしながら話しかけるのが精一杯だったが、菜々美は気にしていないというようにいつも通りの笑顔を向けてくる。
下手に気にされて気まずさが増すのも嫌だが、こうも普段通りだとそれはそれで辛い。
まるで、あの告白をなかったことにされているようだ。
(てか、なかったことにされてるのか……だよな、酔っ払ってたし)
のろのろと用意された控え室に入り、順番に番号が貼り付けてあるハンガーから『No.1』という服をはずして着る。
軽くちょいちょいと髪型を整えてスタジオに戻ると、早速撮影が開始された。
の、だが。
「…………んー、桐生君さぁ……デビュタントの女性をエスコートする男性役なんだから、君が硬くなってどうするの。もっと大人の余裕、余裕」
「余裕、ですか……はぁ」
無理ですよ、とぽつりと零された愚痴を聞きとがめた和泉は、「休憩入れようか」と愛用のカメラを置きに自室に戻ってしまった。
「だめだなぁ、俺。和泉さん、呆れさせちゃったよ」
「和泉さんはそう簡単に呆れたり見捨てたりする人じゃありませんよ。あたしがどうしようもなかった時だって、仕切り直すチャンスをくれたんですから。ほら、桐生さん。せっかくなんでテレビ見て休憩しませんか?あたし、見たい番組あるんですよ」
「え?……ああ、うん」
スタジオの端には、何故か大画面の液晶テレビが鎮座しており、その前には恐らくころんと横になったらちょうどいいだろうサイズのソファーがデンと置いてある。
休憩のためなのか、それ以外の用途があるのか、それは和泉にしかわからないことだが。
桐生は誘われるがまま、菜々美がぽんぽんと叩いて勧めてくれた彼女の隣……よりも一人分空けたスペースに腰を下ろした。
見たい番組がある、と言っていた菜々美は嬉々とした表情でリモコンをあれこれと弄りながら、これでもないここでもないと局を次々と変えていく。
「あ、ちょうど良かった。これこれ、今から会見生中継するんですよ?」
「…………っ」
【真壁希 緊急記者会見】
そうテロップが掲げられた画面の奥に、フラッシュを浴びながら静かに立っている希の姿が見える。
桐生は、反射的にソファーから立ち上がった。
否、立ち上がろうとしたのだが、素早く距離をつめてきた菜々美に強い力で腕を掴まれ、中腰のまま困惑した眼差しを彼女に向ける。
「逃げちゃダメです。桐生さんは、この会見を……希さんの決意を見届ける義務があるんです」
「……これ以上……まだ俺に苦しめと、君は言うのか。罪悪感を持ち続けろと」
傷ついてます、という表情で視線をそむけようとした桐生の頬を、菜々美は手を伸ばして力いっぱいバシンと平手打ちした。
「甘ったれないでくださいっ!!ずっとずっと苦しかったのは希さんの方です!そんな彼女を苦しめてきたのは誰ですか!?あの犯人だけじゃない、貴方だって……あたしだってそうです」
「…………」
「だから、あたし達はこれを見なきゃいけない。希さんの告白を、決意を聞かなきゃいけないんです。さあ、わかったら座ってください」
桐生は、それ以上抵抗せずに座り直した。
正直泣きたい気持ちで一杯だったが、項垂れることも手で顔を覆うことすら許されずに。
画面の向こう側では、「まずはお騒がせしたことを謝罪します」という希の一言で、早くも会見の場がざわざわとざわめきだしていた。
『記事には、引き取られた先でその家族と不適切な関係があったと書かれていましたが、事実でしょうか?』
『いいえ、そのような事実はございません。…………と申し上げたところで、恐らく皆さんは納得されておられないでしょうね。こと人間関係については証拠というものがありませんので、あったなかったと水掛け論になってしまうことは仕方ないのかもしれません。ですから私は、ありませんでしたとお答えするしかできません』
『年頃の女の子が薄着で家中をうろうろするのは軽薄だ、家人を誘惑する服装だった、という表現もありましたが?』
『私がその家に住まわせていただいていたのは、小学校高学年から中学卒業までのことです。年頃と言えなくもありませんが、私は成長も遅く棒切れのような体つきでしたし……薄着といっても、真夏に着ていておかしくないような服装だったわけですから。それでも軽薄だと言われるのなら、これ以上は何も言えませんし、その棒切れのような身体に誘惑されたのだと言われても、正直どうなのかと思うしかできません』
もうやめてくれ、と桐生は心の中で何度も何度もそう叫んだ。
もうわかったから、彼女にどんな酷いことをしたのか、どれだけ苦しめたのかわかったから、もう開放して欲しい。
そうどんなに願っても、隣に座った菜々美はそれを許してはくれない。
「……桐生さんには、……いえ、きっと和泉さんにも冴木さんにだってわかりません。希さんが今、女の子としてどれだけ恥ずかしいことを言ってるのか。どれだけ屈辱的な質問を受けてるのか。……あたし達がちょっと薄着しただけで誘惑してるとか、ちょっと短いスカートを履いただけで痴漢されたがってるとか。そんなこと、あたしだって言われたことありますもん。でもそんなこと言われたって堂々と主張できる人、どれだけいるんでしょう?あたしだって証言しろって言われたら……きっと、辛いです」
桐生は、ハッとした表情で菜々美を見つめた。今度こそ、躊躇いもなく真っ直ぐに。
泣いているかと思われた彼女はただ哀しそうに、切なそうに、画面の向こう側にいる憧れの人を見つめているだけだ。
自分の実体験と重ねているのだろう、その双眸は傷ついたような色を宿している。
『実際本人も主張するように、真壁さんがその家を出て数年後に先方のご両親は離婚、幸せな家庭は崩壊してしまったわけですが、それに関してはどう思われますか?』
この質問に、場が凍りついた。
さすがにここまで失礼な質問が飛び出すとは予測していなかったのだろう、他の記者・レポーター達も誰が言ったのかとざわざわしながら周囲を見渡している。
そんな只中、私ですと主張するようにすらりと手を上げて立ち上がったのは、気の強そうな顔立ちをした希と同じくらいの年代の女性レポーターだった。
『先ほどから、ご自分には非がなかったというようなことを仰ってますが、親戚といってもそれほど近しい血縁関係はなく、付き合いも浅かったと聞いています。そんな他人同然の家にお世話になるにあたって、服装や態度に気をつけようという配慮はなかったということでしょうか?』
『気をつけるも何も、子供じゃないか』
希が口を開くより早く他の男性記者がそう発言したことで、その女性レポーターはキッとその男性を睨みつけた。
邪魔するな、という内心の声が今にも漏れ聞こえてきそうだ。
『小学校高学年から中学生になる頃といえば、思春期と呼ばれる多感な時期ですよ?しかもその頃から第二次性徴が始まりますし、生理だってあったかもしれません。そんな女の子が同居するわけですから』
『会見の途中ですが、放送を中断させていただきます。途中、不適切な発言や単語がありましたこと、視聴者の皆様には深くお詫び申し上げます』
番組進行役のタレントやアシスタントのアナウンサーらが、揃って深々と頭を下げている。
そうして話題を無理やり変えようとしたその時、コメンテーターとして呼ばれていた大御所俳優が「ちょっと待った」と進行にストップをかけた。
『さっきの会見のことだけどさ、謝ったからそれでいいだろってうやむやにしていい問題じゃないと思うんだ。そもそもあの真壁さんって子……僕は共演経験がないから個人としてどんな子かはわからないけど、ああまで言われなきゃいけないことしたのかな?さっきちらっと記事が紹介されてたけど、この芸能界じゃよくあるゴシップ記事じゃないか。どうしてこうもネチネチとセクハラ攻撃されなきゃならないのか、腑に落ちないね』
『あ、わたしも思いました。この前、退院した時も病院に押しかけたマスコミに、身体触られたとか傷が開きそうになったとか、散々な目にあわされてましたよね?』
『ああ、あったね。僕個人の意見としては、ああいうセクハラやらかした記者や今の礼儀のなってないレポーターなんかは出禁にしていいと思うんだ。なんでまぁ、日本って国はこうも加害者に優しくて被害者には厳しいのかね?』
『他に聞くことないんでしょうか?わたしとしては、病院からずっと付き添ってた冴木君とのロマンスなんか聞きたいなぁって思うんですけど』
いいねぇ、とにやりと笑う大御所俳優に応じて、隣に座っていたこちらも希とは面識のない元スポーツ選手の女性が、でしょう?と笑い返す。
生放送中の即興とは思えないほど息のあったやりとりを交わし、さりげなく話題が逸れたところで大御所俳優が未だ棒立ちになっている進行役を目で急かす。次に行けよという合図だろう。
それに応えてどうにか持ち直した進行役が、アナウンサーをつんつんと肘でつついて正気づかせ、二人揃って「失礼致しました」と一礼してから、お笑い芸人と中堅女優の結婚報道についての話題に移っていった。
「会見、中止になったって。今、二宮さんから連絡あった」
どうにか話題転換した番組を見るとはなしに見ていた二人は、背後から和泉が声をかけてきたことで揃って肩越しに振り返った。
「背後でさ、あのレポーターがぎゃあぎゃあわめく声が聞こえるわけ。……なんかさ、逮捕されたあいつの幼馴染らしいよ。いっつも真壁ちゃんの方が成績良くって、見下されてる気がしたって。だから今度はこっちが見下してやるんだ、とか何とか。幼馴染のためっていうより、めちゃくちゃ私怨じゃん、みたいなね」
「……だから、有名になった希さんをターゲットにしたってことですか?」
「まぁ、そうだろうね。にしても、あのコメンテーター二人のお陰でちょっとは風向き良くなったかな?」
「あ、そうです。あのお二人って……」
味方ですか?と問おうとしたのがわかったのか、和泉は緩々と首を横に振った。
「あのフォローは完璧予想外。だって大御所と元プロ選手だろ?俺もサエもヤマシナちゃんだって水嶋君だって接点ないもん。……ただね、芸能界にだってああいうきちんと物事を見て、忌憚なく言える人がいるってのは救われるよね。そういう人達に真壁ちゃんもサエも、ずっと支えられてきたんだと思うよ」
叶うならそういう人になりたいよね。
柔らかな笑顔でそう告げた和泉、その言葉を聞いてとうとう耐え切れなくなったかのように桐生は声を上げて泣き始めた。
ごめんなさい、ごめんなさい、と何度も何度もここにはいない人に謝り続けながら。
「あんたはこのまま仕事をもらえずに、芸能界から消えるのよ!落ちぶれて、やさぐれて、その時後悔しても遅いんだから!!」
二宮に支えられるようにして会見場を後にしようとした希の背中に、警備員に拘束されている女性レポーターの声が突き刺さる。
車に乗り込み、完全にその声が聞こえなくなったところで、二宮がふぅっと大きく息を吐き出した。
「仕事を貰えずに落ちぶれてやさぐれる、ね……実際、今オファーの来てるお仕事のいくつかはキャンセルされる可能性はあるけど……こういうのってイメージが第一だもの」
「そう、ですね。しばらく干される程度の覚悟はしてますよ」
しばらく干される、と希は表現したがその後復帰するには何かきっかけがないと難しいこともよく知っている。
例えば結婚、出産。例えば違うジャンルへの進出、例えばヌード写真集の発売など。
最後のヌードの場合は一時期話題にはなるものの、『弄られて終わり』になる可能性が高いため復帰自体は難しいだろうし、希もそういう方向性は望んではいない。
自然と声のトーンが下がってしまった希をミラー越しに見て、二宮は殊更楽しそうな口調を作って言った。
「そうねぇ、日本での仕事が干されちゃったらでも好都合よねぇ。だって、ハリウッドから熱烈ラブコールが入ってるんですもの。いっそのこと、こちらから全部お断りしてアメリカ行っちゃう?」
「……え?あの……初耳、なんですけど?」
「だって、言ってなかったもの」
その後、結局あの女性の言っていたような最悪の事態は起こらず、だが二宮の言っていたようにイメージ重視の仕事がいくつかキャンセルされた程度で、真壁希は芸能界に生き残ることができた。
だが事務所側は残った仕事を早々に片付けると、『しばらく仕事は請けません』と突然の休養宣言をしてしまった。
これに驚いたのは、バッシングに負けないでと応援し続けてくれたファン達だ。
だがじきに、希の快気祝いとして送り返されてきた粗品に同封されていたメッセージカードにより、彼女がハリウッドの仕事を請けるために渡米するのだと知ると、ツイッターをはじめとするSNSで応援メッセージを送り始めた。
そしてマスコミが遅ればせながらその事実を知った頃には、女優【ノゾミ・マカベ】はハリウッドの超大作映画の準主役として、世界に華々しくデビューを飾っていた。
「真壁さん、おかえりなさい!」
「映画シリーズの成功、おめでとうございます!今度はテレビドラマシリーズにも挑戦なさるということですが、意気込みをお聞かせください!」
「久しぶりの日本でのお仕事は刑事ドラマへの出演ということでしたが?」
「電撃結婚という噂もあるのですが、その件については……」
空港で早速マスコミに取り囲まれてしまった希は、日本は相変わらずねと内心苦笑する。
アメリカでもマスコミに追い回されることはあったが、あちらは加害者には厳しいお国柄だけあってそこまでヒートアップして責め立ててくることはなかったのだ。
電撃結婚、と話題が出たところで彼女は視線をエントランスへと向ける。
そこには、日本とアメリカという遠距離でありながら変わらず支えてくれた、最愛の人がいる。
彼女を包囲するように群れていたマスコミを押しのけるように歩み寄ってきた彼は、バシャバシャとやかましくフラッシュがたかれる中、ゆるりと微笑んで腕を広げた。
「おかえり、希」
「ただいま」
最後は随分急ぎ足でしたが、ここで本編はひとまず終了です。
今後は後日談ということで不定期で続けていく予定ですので、完結済みにはしてありません。
ここまでのお付き合い、ありがとうございました。
もしよろしければ後日談も読んでいただければ幸いです。