「踏み台になるなら、より上質なものを目指しますよ」
春の大型ドラマ企画とは。
番組改編時期に放送される単発ドラマもののひとつであり、二週にわけて前後編として放送される一本二時間半の特別企画作品である。
ただ少し特殊なのは、出演者には既に撮影に入っている次クールの連続ドラマのメインキャスト達ばかりが名を連ねているということ。といってもドラマ企画を放送する局の番組ばかりだが、それでもドラマ枠が朝から深夜まで多数並んでいる局だけあって、そのキャスト陣も若手から大ベテランまでとそうそうたる顔ぶれとなっている。
「よっ、真壁ちゃん久しぶりー。悪役令嬢だって?」
「織田さん!」
台本に軽く目を通していたところに声を掛けられ、顔を上げると昨年映画の吹き替えで一緒だったベテラン俳優の織田が、ニコニコ笑いながら隣の席に座るところだった。
織田は五十代半ば、小柄で中肉というさして特徴のない中年男という印象だが、演技に入ると凄まじい集中力と役になりきる演技力を見せる。
俳優としては中年期に入ってからじわりじわりと売れてきたクチで、実は希がスカウトされるきっかけとなったあの年の瀬ドラマ企画で、彼女を罵るパワハラ上司を演じた人物でもあるのだ。というわけで、彼女とは実質その頃からの付き合いということになる。
「最近珍しい役どころが多いみたいだね。今度のドラマも不倫ものでしょ?」
「織田さんこそ、朝の連ドラでお父さん役なんてちょっと珍しいんじゃありません?最近だとミステリーものの刑事役とか犯人役とかでよくお見かけした気がしますけど」
「ああ、うん。まぁね。一度刑事役とか来ちゃうとさ、そのイメージついちゃうみたいで。だから昭和初期のガンコジジイ役とかってやってみたかったんだよね。ほら、ちゃぶ台ひっくり返すみたいな」
今回のドラマ企画で織田が挑戦するのは、そのものズバリ【悪役】である。しかも物語のプロローグ部分からちょこちょこと登場して主役に時折アドバイスなどを与える役でありながら、実は事件の黒幕でしたという典型的な【ラスボス】だ。
そして希は【悪役令嬢】……【ラスボス】織田の忠実なる部下、と言えばわかりやすいだろうか。
実はこの企画の原作は、全国から公募した中から選ばれた素人作家による小説である。
内容も最近ネットなどで飽きるほど投稿されている【乙女ゲーム転生もの】だというのだから、前世の影響もあってその種の小説を読み漁っている希にとっては「キタコレ!」的な企画だった。
(ネット小説の中で出てくるネット小説……作中作ってやつよね、これ)
ヒロインデビューのきっかけとなる企画だ、もちろん原作のネット小説内にもこの作中作のストーリーについてはかなり行数を割いて説明されていた。希が【悪役令嬢】として初めてヒロインの前に立ち塞がるのも、原作通りである。
「そういえばさ、俺もちょっとその【乙女ゲーム】ってやつを勉強してみたんだけどね」
「もしかして織田さん……」
「あ、やってない!やってないからね?そこんとこは誤解しないで?さすがに、乙女ゲームに夢中になるオヤジって構図はどうかと思うしさ」
慌ててそう否定しながら、織田はインターネットで検索したりレビューを読んだりしたのだ、と語る。
「ちょっと検索しただけでも、学園もの以外にもオフィスものとかファンタジーものとか色々あるんだな。今やるのは学園ものだけど、そういう定番ものだとイケメンばっかの生徒会とか教師まで攻略対象だったりとか、現実じゃありえない設定ばっかりだったよ。だから適度に現実逃避できるんだろうけど」
「現実逃避、とか言ったらそれまでですけどね」
「まぁ、ね。あ、あとさ【悪役令嬢】?これって結構ハイスペックなわりには稚拙な嫌がらせやらかしたり、イケメン婚約者に相手にされてなかったり、結局かませ犬なわけだから当然なんだけどなんか可哀想だよな、って」
「…………」
実際その【悪役令嬢】役であり、なおかつこの世界の【悪役】である希からすると、可哀想と言われて喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところである。
確かに客観的に見ると、【悪役令嬢】とは可哀想な存在なのかもしれない。恵まれた家に生まれて厳しく育てられ、いずれは嫁ぐのだと言い聞かされた婚約者を慕いつつ支えつつやってきたというのに、ポッと出の小娘に日常を引っ掻き回され、挙句婚約者との未来も奪われてしまう。
(……だけど。彼女達はきっと、自分を可哀想だなんて思ってない)
そういう『悲劇のヒロイン』はそれこそ【ヒロイン】の専売特許だ。
彼女達は己の境遇を嘆くことはあっても、最後まで誇り高く潔く在ったはずだと希はそう思っている。
「……【悪役令嬢】って、ヒロインの踏み台なんだろうなって思うんですよ」
「へぇ?で、その踏み台を演じるご感想は?」
「そうですね、どうせ踏み台になるならより上質なものを目指しますよ。これで失敗したら許さないぞ、ってくらいの」
「ははっ、そりゃ怖い。でもそうだね、人を踏み台にするんだからそのくらいの覚悟は必要か」
じゃあね、と打ち合わせに席を立った織田を笑顔で見送るついでに、希は徐々に集まり始めたそうそうたるキャストの面々を見渡した。
朝ドラからは父親役の織田とヒロイン役の清楚系女優、日曜日の昼枠からは最近俳優に転身したアイドルグループの一人、土曜の夕方枠からは大ベテラン俳優とイケメン俳優のコンビ、ゴールデン枠からは誰でも名前だけは知っているだろう有名女優数名と、脇役で名を馳せる俳優数名。深夜枠からは美少女アイドルと、そして希。
それこそ他局の長時間耐久クイズ番組くらいでないと集められないほどの豪華キャストが、よりにもよって素人作品の【乙女ゲーム転生もの】を演じるというのだから、場合によっては大コケする可能性も否定できない。
なぜなら、ネット小説に慣れ親しんだ者なら馴染み深いそのキーワードも、その時間帯的に最も見る可能性の高い年配の方々にとっては「は?なにそれ」という意味不明なテーマであるからだ。
希望があるとすればメンバーが豪華であること、そして数多い応募作品の中から選ばれたのが推理要素を含むミステリー系乙女ゲームをベースにした作品だったこと、くらいだろうか。
「あれー、希さんじゃないですかぁ!お久しぶりですぅ」
ひらひら、と手を振りながら小走りに駆け寄ってくるのは、希と同じ深夜枠のドラマで上司の不倫相手を演じる、巨乳系美少女アイドルだ。ちなみにそのドラマでの希は、元上司であり新婚の夫でもある男を新入社員に寝取られるという寂しい妻の役である。
織田がしみじみと言っていたように、こんな『女』のドロドロした部分を前面に出す役柄は彼女には珍しい。だが逆に、これが当たれば【真壁希】という女優のイメージもまた広がるわけで、彼女としては固定概念にとらわれることなく積極的にどんな役でもやっていきたい、と渋る二宮を説得して得たものだ。
「由羅ちゃん、久しぶり。同じドラマでも中々現場で会わないものね」
「そーなんですよねぇ。希さんと一緒だから心強いなぁって思ってたのにぃ……絡むのってオジサンばっかですもん」
「こらこら、お相手をオジサンなんて言わないの。どうせ直接対決の時に会えるでしょ?」
「そーでした!その節は、えっと、お手柔らかに?」
「ふふっ、こちらこそ」
ドラマ内で希のライバル……主役である不倫女性を演じるのは、由羅・ヤマシナという名のハーフの美少女だ。彼女のその甘ったるい喋り方やむちむちのナイスバディ、セクシー系アイドルとしてグラビアの巻頭を飾る媚びた表情などは、お茶の間の特に主婦層には大変不人気である。
正直、希も最初は苦手なタイプだと敬遠していたほどだ。
だが共演していざ付き合ってみると由羅の発言などはさっぱりとしていて、本人にとっては媚びてるつもりも甘えてるつもりもないらしいということがわかった。舌ったらずなのは生まれつき、媚びたような話し方は事務所が定めたキャラであるのだと。
それがわかって以来『苦手』の壁を取り払った希にとって、由羅は貴重な友人という位置づけにいる。年は由羅の方が数年下だが、姉に対するように懐いてくれている由羅を希も妹のように可愛がっている、というスタンスだ。
(そういえば……まだヒロインもヒーローも来てないわね。キャスト紹介のタイミングで、かしら)
小説内では、連ドラ関係なく突然主役に抜擢された新人女優が登場するのは、キャスト紹介のタイミングだった。その前にお相手である有名アイドル事務所所属のソロアイドル、桐生 彰の起用が大々的に発表され、その流れでの主役登場というストーリーだったはずだ。
ちなみに桐生は、ゴールデン枠の刑事ドラマで遣いっぱしりの新人刑事という端役を演じることになっているため、役柄自体は未発表だがキャストとして名前は既にあがっている。
「……んー……まだ来てませんねぇ……」
由羅も気になったのか、そこここで打ち合わせをしている俳優・女優陣を見回しながら、しきりに首を傾げている。
「今回のドラマ、主役は新人さんだって聞いてるんですよねー。けどそれっぽい人もいないみたいだし……主役は遅れて登場!ってやつですかねぇ」
「ここまで秘密にしてるんだもの、発表の時にスポットライトでお出迎えされるんじゃないかしら。由羅ちゃん、確かお友達の役だったわよね?」
「そうなんですよぉ。えっとぉ……【ゲームのサポートキャラ】だそうですぅ。サポキャラってあれですよねぇ?個人情報ナントカに余裕で引っかかりそうな、攻略対象のネタいっぱい持ってるカンジの。セリフ多そうなんで、ちょっと不安ですぅ」
そうなのだ、見た目やキャラからして頭の軽い取り巻きくらいかと思いきや、今回由羅が挑戦するのは【サポートキャラ】……攻略対象者の家庭環境から好み、趣味から普段どこにいることが多いかなど、彼女の言うとおり個人情報保護法に引っかかりそうなほどの情報をどこからか集め、ヒロインに嬉々として教える親友、という役どころである。
彼女の事務所も、そろそろ路線変更をと考えたのかもしれない。
しばらくそうやってのんびりおしゃべりしていると、不意に希の携帯が着信を知らせた。由羅に断ってから電話を折り返すと、電話の向こう側にいる二宮は少し慌てたようにスケジュールの変更を告げてきた。
『ごめんね、うっかりしてたわ。その顔合わせの後、取材入ってたでしょ?それ、後日に延びたから』
「え、どういうことですか?だって週刊誌の取材だから急ぎだったんでしょ?」
『……まぁ、事情は後からね。とにかくそんなわけだから、和泉クンのラジオ収録に行くまでちょっと時間取れそうよ。どうする?』
突然のスケジュール変更は何も今に始まったことではない。希くらいのキャリアになるとそうそうドタキャンを食らうこともないが、今回のようにどうやら事務所サイドで協議した結果予定が先送りになってしまったり、先方の対応如何でNGを食らってしまったことがある。
今回は相手先が芸能スキャンダルに強い週刊誌だったこともあり、取材内容などをあらゆる伝手から聞き出した結果NGを出した、ということなのだろう。
そんなわけで、ぽっかりと空いてしまった一時間半ほどのスケジュールを、二宮は「どうする?」と聞いてきた。早めにスタジオ入りするもよし、どこかで休むもよし、判断は希に任せるという意味だ。
少し考えてから、希は折り返しますと伝えて一度電話を切った。
そして、間をおかずにメールを送った先はデビュー当時からずっと親しく友人付き合いを続けている、今回ゲストとして呼ばれたラジオのパーソナリティのところ。
しばらく待ってから返ってきたメールを見て、彼女は事務所で待っているだろう二宮へと電話を折り返した。
『時間できたんなら、収録前にお茶でも付き合ってもらおうかな?真壁ちゃんが好きそうなお茶貰ったんだ。用意しとくから楽屋に来て』